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第39話 アキハ先輩とツーリング

 前回までのあらすじ!


 七月六日、日曜日の朝。

 コハルを送り出してすぐ、アキハ先輩が家に来てくれた。


 ロードバイクに乗り、サイクルジャージを身にまとったアキハ先輩は、楽しげにこう言った。


「海を見に行きましょう!」


 何故いきなり??


 と思ったが、聞けなかった。

 アキハ先輩は、それはそれは無邪気に笑っていた。子どもっぽいというか、もはや赤ちゃんみたいに幼気(いたいけ)なスマイルだ。


 興を削ぐようなことはできない。


「海いいですね。ぜひ行きましょう!」


 俺は二つ返事でOKした。




 ツーリングデート、ということになるのだろうか。


 俺たちは炎天下、人気(ひとけ)もなく広々とした車道を並走していた。


 アキハ先輩のロードバイクは、見るからに高級だった。


 軽量化されたフレーム、細いタイヤ。ペダルを一踏みするたび、軽やかに前へ進む。乗り手のアキハ先輩の伸びやかな肢体も相まって、清涼感が半端じゃない。スポーツドリンクのCMみたいだ。


 俺はアキハ先輩の横顔をチラリと見る。人形みたいに端正だ。アキハ先輩が不意に振り向く。目が合う。涼風が吹き抜けて、アキハ先輩のポニーテールがたなびく。先輩は目を細め、爽快に笑った。


白南風(しろはえ)が涼しいですねぇ」


「は、はい。気持ちいいですよね……」


 俺はタジタジになりながら答えた。


 なんだか、不思議だ。

 アキハ先輩と何度も会って、何度も話して、何度も触れ合って……深い仲なのに。


 新しい一面を見つけては、初めてみたいにドキドキしてしまう。


 特に今日のアキハ先輩は、髪型も装いも雰囲気も、いつもとは違っている。つくづく不思議な気分だった。


 いつもと違って不思議なことは、他にもある。


 アキハ先輩の使用人の皆さんがいない。

 タカさんも、SPさん達も、誰もいない。黒塗りの高級車も、どこにも見当たらない。


 アキハ先輩と二人きりで外にいるのは、ずいぶんと珍しいことのような気がした。


 俺がそのことに気づいて、視線を向けた、その瞬間。


 アキハ先輩がペダルを踏み込んだ。


 すいっと、速度が上がる。アキハ先輩が俺を追い越す。


「今日は、使用人はいません」


 前を向いたまま、アキハ先輩は言った。


「二人きりが良かったので」


 アキハ先輩は、ぐいぐいとペダルを漕ぐ。ポニーテールはたなびき続ける。アキハ先輩の耳の先が赤く染まっている。


「暑いですねぇ、それにしても」


 アキハ先輩の声色は白々しかった。

 俺は立ち漕ぎでアキハ先輩に追いつき、少し意地悪を言ってみる。


「さっき涼しいって言ってませんでした?」


 アキハ先輩は横目で俺を見て、ツンと表情を澄ました。


「言いましたっけ。記憶にございません」


「ズルくないですか?」


「トーマさんが意地悪するからですよ」


 アキハ先輩は表情を変えず加速する。


「あ、ちょっと!」


 俺は慌てて追いかけた。







 しばらく追いかけっこをしているうちに、海が見えてきた。


「見えて来ましたね、海!」


 アキハ先輩はハシャいだ様子だった。


 俺も俺でテンションが上がっていた。

 海面は空よりも濃い青で、水平線は夏日を受けてギラギラ輝いている。


 海はいつ見ても良いものだ。


 アキハ先輩が自転車を停めた場所は、フェンスで囲われた砂浜の前だった。


 アキハ先輩がスマホを操作する。ガチャン、という音の後、電子錠が開いた。


「ここは木南家のプライベートビーチなのです」


「……知ってますよ。初めて呼んでもらったときのこと、覚えてますから」


「あらあら、うふふ。それは重畳です」


 言いながら、アキハ先輩はフェンスの内側へ踏み込む。俺も後を追う。


 なにか、世界から隔てられたような錯覚があった。


 さざ波の音だけが響いている。

 砂浜には誰もいない。俺たち二人だけだ。


 白い砂が、日差しを受けて眩しく輝いている。打ち寄せる波は透き通り、底まで見える。潮の匂いが鼻腔をくすぐる。


「少し着替えてきます」


 アキハ先輩はそう言い、砂浜の脇にある小さな建物へ向かった。


 俺はその場で、ぼんやりと波を眺めていた。


 波が来て、返して、また来る。繰り返し繰り返し、終わりなく続く営み。


 数十秒して、


「お待たせしました」


 アキハ先輩の声がした。


 早い。一分も経ってない。早着替えだ。


 アキハ先輩は、私服だった。


 サングラス、白いリネンのシャツ、淡いベージュのスラックス。


 クールビズのパンツスタイルだ。


 シンプルなのにシック。動きやすそうなのに気品が溢れている。ロールアップされた袖口から、しなやかな前腕が覗く。


「どうしましたか?」


 アキハ先輩が首をかしげた。


「いや、早いな、と思って。それと」


「それと?」


「すごく、似合ってて……」


 アキハ先輩は瞬きを一つした後、それから小さく頬を緩めた。


「ありがとうございます」


 素直な返事だった。


 いつもの「まあ、ありがとうございます」という少し余裕を含んだ受け取り方ではなく、ただ素直に、ありがとうと言った。


 俺たちは、どちらから言うでもなく、海の方へ歩き出した。


 海を眺めながら、アキハ先輩は問う。


「ウミガメのスープの話、覚えていますか?」




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