バベル人
その星は、一面が緑に覆われていた。視界の果てまで続く大樹の海。一本ごとに巨峰のように聳え立つ木々は、天を貫き、大地を抱く。そこに生きる民はバベル人。彼らの体躯は2メートルから3メートルに達し、巨木の幹に穿たれた住居に暮らしていた。
かつて彼らは、直径10万キロにも及ぶ中型惑星に平和を築いていた。しかし、やがて恒星の命は尽き、膨張した炎の海が故郷を呑み込む運命を告げる。高度な科学力をもつバベル人にとって、脱出は不可能ではなかった。3億の民すべてを救う艦隊を造ることもできたはずだ。だが彼らは選んだ。愛した母星と運命を共にする道を。
ただ一つ、未来へ種を残すことだけは捨てなかった。最高協議会の決議により、選ばれし1万人が恒星系から脱出し、新たな旅路を託されたのだ。
星々の荒野を越え、死に絶えた恒星系を離れた彼らは、二度と惑星に根を下ろすことを拒んだ。教訓は胸に刻まれていた。彼らは自らの住まうべき「星」を創り出すことを選んだのである。岩石惑星を解体し、物資を収奪し、100年の歳月を費やした末に、直径30万キロの人工星が完成した。
その名は《シュメール》。
中心核には、無限の力を生む小さき「恒星擬似炉」が組み込まれていた。水素を核融合させ、ヘリウムを生み出し、その際に生じる重力子を精緻に制御することで、母星と同等の重力を再現する。光と熱は人工大気に反射し、大地を温め、循環する。木々はその光を吸い上げ、養分へと変換し、大地に還す。やがてそれは再び水素となり、恒星擬似炉に供給される。完璧な循環の理、星そのものがひとつの生命体のごとく息づいていた。
バベル人の糧は、巨木から流れ落ちる《星の涙》と呼ばれる樹液であった。その滴は黄金色に輝き、一雫で一日の活力を満たす栄養を備えている。無限に流れ出るその命の泉こそ、彼らを支える源泉であり、星と民とをひとつに繋ぐ奇跡であった。
シュメール星での暮らしに馴染んだバベル人は、次なる課題へと歩みを進めていた。
彼らは物質世界の謎をすべて解き明かし、その力を自在に操るに至った。もはや物理の領域において、彼らに不可能は存在しない。だが、それでもなお彼らの前には、越えられぬ深淵が口を開けていた。
――宇宙はなぜ存在するのか。
その究極の問いへ辿り着くためには、小さな謎からひとつずつ解かねばならないと彼らは悟っていた。自分たちの存在意義。生命が生まれる理由。死者が還る粒子の行方。その粒子の記憶。時間とは。思考はどこから生まれるのか。
バベルの叡智は一つに束ねられた。1万年を超える寿命を持つ者も、まだ若き者も、誰もが協力し、あらゆる角度から宇宙の謎へ挑んだ。しかし、やがて結論には至らないと悟る。そして、この閉ざされた《シュメール》の空の下に留まる限り、答えは見いだせぬ。
「ならば、新たな視点を求めよう。」
その声が評議会を満たし、やがて全員の総意となった。彼らは決断する。シュメール星の外へ。未知の星々を巡り、新たなる道を切り拓くことを。
こうして、時空を超える力を備えた《タイムモードを備える航宙船》が建造された。時を翔ける翼を持つ船は、少数のグループごとに編成され、周囲の星団へと散り、探索の旅路へと乗り出した。
----------------------------------------------
ナキは、自分たちの歩んできた歴史を淡々と語った。
その言葉は想像を遥かに凌駕し、モアは目を見開いたまま息を呑む。やがて、胸の奥から抑えきれぬ好奇心が噴き出すように、問いを放つ。
「ひゃー、クール!隣の星団から来たってことよね?それで、どうして地球を選んだの?それに距離と時間……考えただけで途方もないわ。ナキたちって、今いくつなの?寿命はあるの?グループって言ってたけど、あなたとアヌンだけじゃないんでしょ?他のみんなとはどうやって――」
ナキは小さく手を挙げ、言葉を切り取った。
「質問は一つずつ。順番に答えるわ。」
モアは肩をすくめ、素直に頷いた。
ナキの声は落ち着いていたが、その内容はあまりに非日常的だった。
「まず、距離。正直に言えば、私たちにも分からないわ。けど、自分達の移動時間についてなら答えられる。ゼロよ。タイムモードを使ったから。」
「ちょ、ちょっと。ゼロって何それ?タイムモードってやつで時間を戻せるってこと?」
「違うわ。タイムモードっていうのは、光の速度を超えて進むモードのこと。光速に到達すると、外の宇宙では時間が進み続けても、自分たちの時間は止まる。だから移動にかかる“体感時間”は、ゼロになるの。」
「…ってことは、自分は動き続けてるのに、自分の時間は止まってる?そんなことできるの?食事とか、身体の動きは?」
「止まったと意識しないけど、止めってるのよ。ただ周りの“宇宙の時間”は進んだままね。」
モアは眉をひそめ、考え込む。
ナキは柔らかく笑みを浮かべ、たとえを示した。
「モア、地球から月へ来る時、少しは時間がかかったでしょ?でもタイムモードを使えば、出発と同時に到着する。なぜなら、私たち自身の時間が凍るから。」
「…なるほど。光速に近づくほど時間は遅れて光速なれば時間が遅くなるっていう知識はあるけど、本当だったんだ。」
「私たちも時間について、全ては理解していないわ。複雑なのよ。光速に到達すると時は止まり、それ以上になっても止まったまま。私たちの航宙船では光速の5000倍ほどしか速度が出せないけど、もしかしたら、100万倍の速度進めるなら、時間が戻るかも知れないわ。正直わからない。」
「光速の5000倍…その速度で星に当たったら即死ね。」
「あぁ、それは心配ないわ。月の壁を抜けたときのように小さく分解されて進むから、物体は全て通り抜けるわ。」
「じゃあ、私みたいにいきなり現れる人が出てきたりするんじゃない。」
ナキがにっこりしながら、応える。
「それも大丈夫。月を通り抜ける時と違って移動速度が速いから、間違えて捉える事はできないから、その辺も安心していいわ。」
首を傾げながら答えるモア。その仕草を楽しむように、ナキは再び口を開いた。
「地球を選んだ理由。それは、単純。私たちの目的に最も適していたから。若い星で、まだ余白が多く、これから成長する余地があった。いくつもの惑星を巡ったけれど、地球が一番理想的だったの。私たちの使命は観察。生命がどのように芽吹き、どう進化していくか。それを、自分たちの目で確かめたかったの。」
ナキの話は、完全にモアの理解を超えていた。どこからどう聞いても現実離れしている。
「ほんとに意味がわかんない。」
モアは頭を抱えながらも、興味の炎を消せずにいた。
ナキは微笑みを浮かべ、さらりと続けた。
「ま、いいわ。話を戻すわよ。地球を観察するために、まず観察拠点を作ったの。モアもよく知ってる“月”ね。」
「はっ?」
ナキの口調はあくまで平然としていたが、モアの心臓は一瞬で跳ね上がった。
「おいおいおい、それって、つまり“月を作った”ってこと?何を言ってんの。おかしいでしょ!狂ってるとしか思えない!」
「そのままよ。」
ナキは落ち着いたまま答える。
「地球の自転軸を安定させるためにも、必要だったの。重力のバランスを取る装置としてね。折角だしシュメール星と同じように緑に覆うつもりだったけど、その時は恒星系がまだ不安定で、隕石の雨が頻繁だったから、途中でやめたの。モアの知ってる月は、その“未完成の大地”の名残ね。」
モアは口をぱくぱくと動かし、呆然とした。
「ひゃー、クール…というか、現実を遥かに超越する話ね。その話を地球で言ったら失敗作として即解体されるレベルよ。でも、話を続けて。」
ナキは頷き、淡々と語り続けた。
「当時の地球には、私たちに必要な酸素がなかったの。だから、まずはバクテリアを投下して様子を見た。私たちは月の内部に作った観測空間を拠点にして、タイムモードで時の流れを追いながら、数千年おきの経過を観察していたわ。やがて、水が満ち、青く輝く星へと変わった。氷河期も幾度か訪れたけれど、地表は確かに成長していた。」
「月の“中”って言った?どういうこと?」
「内部はほとんど空洞なのよ。中央には重力装置があるけどね。内側の周囲をタイムモードで周回して、私たちは記録を取っていた。」
「はぁ、なるほどね。」
モアはその途方もない話に混乱と興奮が入り交じっていた。
ナキは少しだけ表情を曇らせた。
「でもね、観察を続けるうちに問題も出たの。巨大な動物たちは繁栄したけれど、知性を持つ種が現れなかった。だから、一度“リセット”することにしたのよ。地球の重力を少しだけ上げる装置を投入した。その副作用で、惑星全体が荒れ狂った。火山の噴火、天変地異。地表は炎に包まれ、すべてがやり直しになったわ。」
「それって、まさか、恐竜を絶滅させたの、あなたたちなのね。隕石じゃなかったのか。」
ナキは静かに頷いた。
「…地球人もその巨大動物の事を知ってたのね。あの巨大な生命体たち。あの動物が消えたのは正しい理解は“重力子”の微調整装置を落としただけ。結果的に、地球のコアが刺激されて活動が暴走したの。」
モアは呆れ半分、感嘆半分でため息をついた。
「まー、…その話を地球の誰かに話しても、誰も信じないわね。」
ナキは静かに微笑んだ。
「じゃあ、続きね。再び時間を越えたとき、地上には知性を持つ二足歩行の動物が誕生していた。それが、あなたたち“地球人”の始まりだったのよ。」
モアは息をのんだ。ナキはゆっくりと続けた。
「私たちは地上に降りて、いくつかの動物の脳に小さな細工を施したの。ほんの少し、可能性を広げるためにね。そして、再び時を待った。次に降り立ったとき、彼らはすでに“言葉”を持っていたわ。姿も、今のあなたたちに近づいていた。だからもう手は加えず、観察を続けることにしたの。その頃、仲間は百名ほどいたんだけど、みんな散り散りに地上へと降り、それぞれ異なる拠点で人類と共に暮らし、知恵と技術を教えながら文明を育てた。」
モアは腕を掲げ、ホログラムを展開した。ピラミッドの映像が宙に浮かび上がる。
「その話でわかったわ。ナキとアヌン、あなたたちはエジプトに行ったんでしょ?ピラミッド、これでしょ?」
「あぁ、表面は剥がれ落ちちゃったみたいね。もっと綺麗にしてたのよ。」
ナキが懐かしそうに目を細める。モアはさらに壁画の写真を映し出した。
「これ、あなたたちでしょ?」
「あら、本当に。私たちね。モアが“壁画の人”って言ってたのは、これのことね。」
モアは笑いながら首を振った。
「まさかその“壁画の本人”が生きてて、今こうして普通に喋ってるなんて。あり得ないけど…あり得てる。クールだわ。」
そして、ふと何かを思い出したように、高く手を上げた。
「待って。二人って、エジプトの前にも別の場所にいたよね?」
「えぇ、何ヵ所か回ったわ。そのピラミッドだっけ。その場所は最後だったけど。どうして?」
「古代の人々の記録に、シュメール人っていう種族が居て、そいつらが崇めていた神に“アヌンナキ”っていう存在が出てくるのよ。空から来た賢者たち。その語感、あなたたちに似てると思わない?名前を聞いた時に、何か胸に引っかかっていたのよ。」
ナキはしばらく考え、静かに頷いた。
「“シュメール星”のことは話した記憶があるけれど、行った地名には名前がなかったし、名前があったとしても変わっているでしょうね。」
「やっぱり!伝承が変化したのよ。“シュメール星から来たアヌンとナキ”が、当時ではあり得ない技術を使っていたから、“シュメール人の神、アヌンナキ”になったんだわ。間違いない!絶対そうだだわ。」
モアは身を乗り出し、興奮を隠せない。
「うわー!誰かに言いたい!この衝動、どうしたらいいの!?」
ナキはおかしそうに笑った。
「モアって、本当に面白いわね。」
「ねえ、ひとつ聞いていい?なんでピラミッドみたいなものを作ったの?」
「地上の観測拠点よ。私たちは目立つ存在だったから、人間と距離を保ちながら観測を続ける必要があったの。あそこから小型船を飛ばして地上の記録を取っていたの。それを月の中継装置に送って、どんな時代にタイムモードで移動しても情報が残るようにしたの。」
モアは笑いながら、いくつものUFOの映像を映し出す。
「小型船って…もしかして、これ?」
「あぁ、そうそう。隠蔽設定にはしてたけど、数が増えるとやっぱり見つかるのよね。人間が増えすぎてからは、影響を与えないようにエジプトや他の拠点も閉鎖して、南の氷の中の拠点だけにしたのよ。」
「いやいや、けっこうな頻度で見つかってましたわよ、セニョリータ。」
「あら、そうだったの?」
「知らないと思いますけど、映画っていう地球の娯楽にかなり影響を与えてたと思いますわよ、マドモアゼル。」
ナキは肩をすくめ、笑った。
「そうなのね。私が地上に降りたのはそれが最後。観測拠点の操作は全部ロボットに任せたの。小型船の改良もね。」
モアは深く頷いた。
「そのロボット、グレイの事でしょうね。あー色々スッキリしましたわ、アヌンナキ様。」
その声にナキが軽く吹き出した。静かな空気に、笑いが柔らかく混じった。
「まーいいわ。続きね。」
ナキは淡く笑いながら続けた。
「地球人が進化して、ついに月へ来るようになった。最初は見て回るだけだったんだけど、でも、そのうち“実験”を始めたの、月面でね。」
彼女の声が少しだけ沈む。
「地球人って、同じ種族で殺し合うという奇妙な進化を遂げた動物だから、観測拠点の真上で殺し合いなんか始められたら、たまったものじゃない。何度目かの来訪の時、ロボットに“もう来ないで”って伝言を託したの。」
モアは思わず吹き出した。
「その当時の技術力でヒーヒー言いながらやっと月まで行けたのに、現場でそんな事言われたら、そりゃ、ビビるわ。月探査どころじゃなかったでしょうに。脅威でしかなかったと予想しまーす。」
「しばらくは来なくなって静かになったの。でも、また戻ってきたから、ロボットに確認させに行くと、『殺し合いはしないから、基地を建てさせてくれ』ってお願いされたのよ。だから、観察の一環としても良いかなって、許可したわ。」
ナキは遠い記憶をたぐるように目を細めた。
「けどね。その頃から、氷河期が始まったの。センサーにはもう、人間の反応が映らなくなった。つまり、人類は、一度滅びたと思ったわけよ。」
モアは静かに息をのんだ。ナキの瞳の奥に、かすかに銀色の光が揺れていた。
「でも、終わりじゃなかった。」
ナキは穏やかに微笑む。
「形を変えて、記憶を変えて、人間はまた地上に現れた。そして、今の“モア”との出会いね。」
その話を聞いて、モアは無意識に背筋を伸ばした。ナキは微笑みながら、最後に言った。
「長い時間を越えて、巡り会えた最後の人間。観測対象ではないわ。モアは私たちの仲間よ。一緒に旅しましょう。これからは他の星の知性を持つ者との交流しようと思ってるの。」
モアは黙って頷いた。新たな旅が始まる。




