帰還と不穏 1
ガルゼに攻め込まれて以来、都市を開いてから初の事態へ見舞われ続けている鉱山都市コクホウであるが、今日この日に起きている出来事こそが、都市史上最大の異変であるに違いない。
何しろ、コクホウ山と並ぶこの地の象徴である巨神――オデッセイ様が、その姿を消しておられるのだから。
と、いっても、字面通りの神隠しに遭ったというわけではない。
悠久の時を経て、再び自由自在な動きを取り戻した手足でもって、お出かけになられているだけである。
言ってしまえば、ただの散歩。
難点があるとすれば、分け身たるテツスケ様が行き先としてお告げになったその場所であり……。
同乗者として選んだ娘であるが……。
ともかく、精神的にも実際的にも守護神であるオデッセイ様が、颯爽と姿を消したのが、朝方のこと。
あるべき存在がそこに不在であるという、どうにも浮ついているというか、落ち着かない感覚にコクホウのエルフたちはそわそわとしつつ、冬備えなどへ精を出していたが……。
「――っ⁉
ご帰還!
オデッセイ様が、ご帰還されたぞ!」
「伝令走れ!
ヤスヒサ様に、すぐさまこのことをお伝えするのだ!」
日が中天に昇る頃、大城壁の見張り塔に立っていた戦士らがそれを発見し、自慢の大声を出したのである。
「……早い。
シマヅ。
早馬を使ったとして、ガルゼ領からここへ帰還するまで、どのくらいかかりますか?」
さすがに見張り塔へ上るようなはしたなさは見せないが、それでも、大城壁の一室で待機するという異例の行動を取っていたサクヤは、護衛である老戦士シマヅにそう尋ねた。
こういう時、老境の武人はまさに生き字引と化すのだ。
「ガルゼへの道というのは山道であり起伏が激しく、馬で駆け続けられるというものではありません。
また、馬というのは存外に持久が効かぬものですので、軽装のエルフを走らせ続けた方がよろしい。
その上で、体力自慢、足自慢の者に、全速で駆け続けさせたとしましょう」
結論だけを告げず、やや持って回った説明の仕方となっているのは、これも教育の一環だからである。
世は戦国であり、姫という立場であろうとも、礼法作法や裁縫などばかり学んでいればよいというものではない。
このような戦の常識を学んでおかなければ、いざという時、家中をしっかりとまとめ上げることなど到底かなわないのだ。
「そう、ですな……。
早ければ、4日というところでしょう。
ただし、これは睡眠など最低限の休養で駆けさせた場合ですので、より現実的に考えるならば、5日から6日はかかるとみてよろしい」
「それを、オデッセイ様は午前中だけで果たしてみせた」
シマヅの言葉を受けて、わずかに考え込むサクヤである。
正確には、途中でやめて帰還したという線も考えられなくはないが……。
テツスケ様の性格から考えて、そのように中途半端な真似はしていないだろう。
そもそも、あの方がやると言った時には、おそらく十分可能であると目算が立っているのだ。
「今はああして歩いていますが、おそらく、道中は初めて目覚めた時のように疾走されていたのでしょう。
その上で、山中を蛇行するような中央道は使わず、地獄の大穴をかすめるような形で山林を一直線に突破する……。
そうであったならば、これほどの速さであるというのも、得心がいくものです」
サクヤが何を考えているか分かっているだろうシマヅが、思考材料の補足を行った。
「……オデッセイ様がその気になれば、おそらくヒノモトを横断するのに3日とかからない。
それだけでも、すさまじいこと」
大城壁をたやすく飛び越え、固いコクホウの赤土も素手で粘土のごとく掘り返す剛力……。
オデッセイ様に対して、最初に抱くのは巨体から発揮される力の印象であるが、真実、かの巨神が恐るべきなのは、足の速さを置いて他にないのではないだろうか?
単純に伝令働きだけしたとしても、エルフが発揮できる最速の数倍で情報伝達が可能なのだ。
この戦国の世において、それがもたらす効果は、はなはだ大きい……。
例えば、敵対する武将が出陣し、奇襲を仕掛けるに絶妙な個所を通るというのに、情報が届いた時にはもう間に合わぬ状況だった……などという話は、枚挙に暇がないのである。
「問題は、それだけの力を持つオデッセイ様とテツスケ様が、あえて、ガルゼに向かったということ……。
しかも、敵方の草を送り届けるために」
テツスケ様は真意の全てを語らず、出かけていった。
そのことへ、一抹の不安を抱かぬわけにいかないのが、サクヤの立場なのだ。
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