巨神とヴァヴァ 1
始めは、遠雷かと思った。
大地に、重く鋭い杭を突き立てるかのごとき音……。
それが、遥か遠くから鳴り響き、長き耳を持つエルフよりもさらに先んじて聞きつけた荷馬や騎馬を怯えさせたのである。
どう、どうとなだめてやりながら耳をすませると、どうにも様子がおかしい。
雷というものが、連続して地上に落ちるということはままあった。
だが、それは10度も20度も、連続して巻き起こる現象であったか?
しかも、大地を穿つ音は徐々に徐々にと大きくなっており……冬へと移ろい変わりつつあることもあり、澄み渡っている青空へと轟いているのだ。
もはや、尋常な状況ではない。
もし、これが遠くのままであるならば、ここからでは観測できぬ雲が発生していて、雷を降らしているのだと己を納得させることもできた。
だが、ヴァヴァ率いるコクホウ攻略軍が帰還中の中央道は、先に述べた通り、透き通るような空なのである。
始末に終えないのが、ヴァヴァたちのような実際にコクホウを攻めていたエルフは、少し前にも同種の轟音を聞いた覚えがあるということだ。
あれだけ派手な音……。
必勝を期した遠征が、失敗に終わる原因となった音……。
数日間を置いた程度で、記憶から消えようはずもない。
ましてや、その発生源たる存在ともなれば、ハッキリと脳裏に思い描くことが可能だ。
恥ずかしながら、ヴァヴァはここ数日、かの巨体を夢として見なかった夜がないのだ。
「おお!」
「コクホウの巨神が、こちらへ走ってくるぞ!」
「我らを追いかけてきたのか!」
音が近付いてくるにつれ……。
ついに、それを発生させている巨体が視界に入ってきた。
一見するならば、これは、全長を10倍ほどにまで伸ばしたエルフのようにも思える。
……遠目に、全体的な影だけを見たならば、という話であるが。
なんとなれば、この超巨大エルフは、全身を一切の隙間なく、不可思議な光沢の金属で覆っているのだ。
つまりは、金属製の超巨大エルフ。
ただし、エルフと異なるのが、長く鋭い耳を有していないということ……。
ばかりか、目、鼻、口など生命として必須なあらゆる感覚器が存在せず、顔面にあたる部分は、橙色をした半透明な面をはめられているのであった。
――コクホウの巨神。
兵の誰かが叫んだように、先日攻め込み撃退された小国において、神として祀られていた巨大な像というのが、追いかけてきた存在の真相である。
――イイイィィン!
白を基調に染め上げられた全身から、かの日に聞いたのと同じ、奇妙奇怪極まりない鳴音をほとばしらせ……。
シャカシャカとした、どこか滑稽にも思える大仰な動作で、遠方の森を巨神が駆け抜けてきていた。
特徴的なのは、その走法。
膝と太腿を大きく上げた状態から、一気に下方へ足を下ろす。
そうして踏み下ろした足は、素早く引き上げられ、また膝と太腿を高く上げた状態にする。
さながら、大地に垂直蹴りを突き刺すかのような走法。
こんな走り方をしているのだから、遠くからでも走行音が轟いてきたのは、当然であった。
このような走法を選んでいるのは、おそらく、森の木々を無闇になぎ倒してしまわないようにという配慮からだろう。
「即座に追ってこなかったことから、追撃できないなんらかの事情があるか、あるいは、その意思がそもそもないのかと期待したが、な。
考えが甘かったわ。
せっかく、ガルゼの領内へ入れたというのに、待っていたのは、大巨神によってなぶり殺される未来か」
農民から集めた雑兵たちが付和雷同し、鍛え抜かれた正規の騎馬戦士らまで恐れおののいている様を見ながら、自嘲気味につぶやく。
言うまでもないが、ヴァヴァがここまで行ってきた撤退の指揮は、コクホウの巨神が追撃してこないことを前提としている。
理由は明白――対処しようがないからだ。
巨神がその意思を見せたら、自分たち定命の者がいくら抵抗しようと無意味なわけで、考えるだけ時間の無駄なのであった。
「救いは、あの進路から考えて、地獄の大穴側にある山林を突っ切ってきているということ。
道中にある農村や田畑が、巨体で踏み潰されずに済んだわ。
あるいは、慈悲によってそうしているのか……。
見たところ、森で生きる動物らの生活を荒らさないように気遣っているようだ」
獣のように反射で襲いかかるなら、あの日、撤退など許さず、アリのようにヴァヴァらを踏み潰して回ったはず……。
それをせず、あえて間も外し、街道も踏み荒らさず、ああやってひどく疲れるだろう走法で森から追ってくるのには、明白な理性を感じられる。
おかげで民の暮らしが荒らされずに済んだのは、光明。
だが……。
「その慈悲が、俺たちに向けられることは、ないだろうなあ」
誰にも聞こえないようつぶやくヴァヴァであった。




