歩き巫女の誘惑 3
そこらの一般人が、腕をひねり上げたわけではない。
軍隊式の格闘術を叩き込まれているこの俺が、そうしたのだ。
骨の可動域も筋肉の動きも、神経の反応も自由自在。
――ポト。
……という音と共に、チヨの取り出していた暗器が畳の上へとこぼれ落ちた。
ふーん、こういうの使うのか?
鉄片というか、四角く切り出した金属片を研いで刃にしたようなそれへ、チラリと視線を送る。
こう、鋭く尖らせたかんざしとか、あるいはクナイとか持ち出すかと思ってたけど、想像以上にぞんざいな代物であった。
まあ、殺せりゃいいのだし、こんな用途で使う品を扱う用具店とかがあるわけでもないのだから、そういうこともあるのだろう。
「――ッ!?」
一方のおチヨさん。
痛みか?
あるいは、驚きか?
いや、両方か?
ともかく、両目を見開きながら背後へ逃れようとする。
俺は、そんな彼女の動きを阻害することなく、捻り上げていた腕もパッと手放してやった。
「確認だけど、ガルゼでいいんだよな?
いや、もっと近場の勢力がお抱えにしてる可能性もあるし、あるいは、全然関係ない通りすがりの他勢力所属ってこともありうるんだけど。
でも、トスイ海道……東海道みたいなもんか?
それがここコクホウには接続してないんだから、通常の旅人へ扮する間者が偶然に、この良すぎるタイミングでっていうのは考えづらいよ、なあ?」
「………………」
ジロリと俺を睨み付けつつ、無言のチヨ。
だが、睨み合いも長く続くものではない。
「……どうして?」
やがて、彼女は絞り出すようにその言葉を発した。
「どうしてって、言われてもな。
俺が長ーい眠りにつく前の大昔でも、軍隊を慰安するための施設とかはあったんだけどさ。
実は、高級将校が贔屓するような店には、あらかじめ内偵が入れられてたんだぜ?
理由は、簡単。
男から情報を奪い取るなら、ベッドの上が一番だから。
いやあ、下着まで脱がされちまうとさ、どういうわけか舌も軽くなっちまうのが男の性ってもんだもんな。
そうなると、各地を旅して春をひさぐような商売なんて、怪しさマックスだよ。
しかも、一応は神職っていうのが、ますます臭い。
俺だって、牧師様には無条件で警戒解いちまうからな」
歩き巫女というのが、要するにそういう商売であることくらい、チヨの雰囲気や周りの目――特に我らがサクヤパイセンの目――を見れば、容易に察しがつく。
これは、その上で導き出した結論だ。
ハニートラップは、諜報活動の基本!
セクシーな美女のスパイなんて、映画の中にしか出てこないと素人は考えがちだが……。
むしろ、現実には腐るほど存在したのであった。
まあ、アクションしたり撃ち合いしたりする事例はさすがに聞いたことないけど。
「ベッド? マックス? 牧師……?」
おっと、よく分からない単語に少し困惑したか。
チヨが、頭の上へクエスチョンマークを浮かべたような表情になる。
「ま、要するに、最初からお前さんがスパイ……密偵であることはお見通しだったわけだ」
そう言いながら、待ったをするように手をかざしてやった。
なぜかといえば、これは警告するためである。
「魔術を試みるならやめておくことだ。
そんなものを使ったところで、俺は君くらい簡単に制圧できる」
エルフの皆さんは、長い耳の先端部でマナとかいうよく分からないエネルギーを操作したり、あるいは感知したりするらしいが……。
当然ながら、俺にそのような超能力は存在しない。
ただ、ひりつくような空気の変化――しかも三千年後の今は妙に気温が低い――と、相手がどこに意識を向けているかは、たやすく見抜けるのである。
後ろに回している右手で火球を作って、俺に撃とうと考えていたな?
分かっているなら、対処しようはあった。
目の前にある膳を投げつけてやったりとかな。
「そもそも、俺を殺そうというのは、土壇場での計画変更だろう?
もともとは、情報だけ気持ちよく……そう、気持ちよく持ち帰るつもりだったはずだ。
俺がオデッセイの分身だと知って、欲が出たな」
それは、スパイであることを考えるなら、当たり前の結論だ。
フィクションじゃあるまいし、スパイの役割はドッタンバッタンと大立ち回りすることじゃなく、情報を持ち帰ることである。
それが、暗殺に舵を切ったのは、俺が与えてやった情報の結果……。
要するにこの子は、ちょっとやる気を出し過ぎたのであった。
「そこで、だ。
……君、本来の役割通り、情報を持ち帰ってくんない?」
「……はあ?」
チヨの顔が、驚きに歪んだ。
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テツスケの狙いやいかに。
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