巨神像
逆張り好きなある学者によれば、エルフの長い耳というのは、そもそも聴力を高めるためにこのような形へ進化したらしい。
魔術を行使する際、自身の体内や大気中に漂う微細なマナを耳の先で感知する感覚は、エルフならば誰でも――俗に言う劣等者でも――知っているもの。
ゆえに、それなる学説の存在を知った時には、まさしく噴飯モノの心地であったわけだが、こうして戦場に立ち、音というものがもたらす圧倒的な情報量を知ってみると、あながち、間違いではなかったのかもしれないと思う。
――ドン!
――ドン! ドン!
魔力を練り上げるためではなく、ただ音を聞くためだけに耳がうごめくと、響いてくるのは城壁の外で打ち鳴らされる太鼓の音。
それらは、一糸乱れぬ呼吸で打ち鳴らされていて、攻め手側――ガルゼの兵士たちに、様々な指令を伝えているのだ。
例えば、兵力がやや薄い西の第三防壁にはしごをかけ、歩兵たちが一気に乗り込むように伝える指示。
これらは、上方という地の利を得ている防壁上の兵士たちが、剣や魔術……あるいは、単純な投石によりどうにか防ぎ続けていた。
だが、それも長くは続くまい。
先に述べているように、この第三防壁は兵の数がやや少ないのだ。
ならば、援軍を送ってやりたいところだが、そうはいかないのが、太鼓の指示に従い大城門を責め立ててくる敵軍主力の存在である。
百人からいるだろう腕利きの魔術師たちが、協力して練り上げた強大な攻城魔術……。
それは、彼らの頭上に浮かぶ直径十メートルはあろうかという火球という形で、現出していた。
その攻城魔術が、大城門に向けて解き放たれる。
まともに受けたならば、いかにこのコクホウが誇る最大の門とて、外側から燃やし尽くされるだろう破壊力だ。
これを防いだのは、超局所的な竜巻と呼ぶべき暴風のうねり……。
味方側の魔術師たちが展開した防御の術であった。
莫大な熱量を誇る大火球と、それらを飲み込まんとする風の壁……両者が、正面からぶつかり合う。
果たして、防ぐことは――成った。
敵軍の放った火球は、こちら側の風により打ち消され、この世から完全に消失したのだ。
だが、これを喜んでいてはいけない。
コクホウ城の尖塔から見渡してみれば、今回、攻城魔術を練り上げたのは敵軍が3つに分けた魔術師隊の1つでしかないと分かるのである。
対して、それを防ぐのにこちらが投入したのは、大城門へ配置された魔術師総員であった。
敵はただ、魔術師隊を順繰りに休ませながら攻撃すればいいだけ……。
こちらの魔術師は休むことなどあたわないのだから、次かその次で拮抗が崩れることは間違いない。
敵軍が打ち鳴らす太鼓の音……。
あるいは、戦場で戦う戦士たちの叫び……。
散発的に響き渡るのは、個人による火球の術が破裂した音だ。
実に様々な音が、尖塔から戦場全体を俯瞰するサクヤの耳に届いている。
それらが総じて告げているのは、こちら側の――敗北。
長き歴史を誇るこの鉱山都市コクホウは、墜ちようとしているのであった。
「ガルゼめ……!」
長い黒髪を戦場の風になびかせながら、サクヤは黄金の瞳で敵軍を睨み据える。
その身にまとっているのは、少女の体格に合わせやや簡略化された鎧。
非力な姫君でしかないサクヤが、せめて、前線で戦う戦士たちを奮い立たせようと思えば、このような装束で姿を晒すしかないのだ。
「殿下、避難しませぬと……」
「一体、どこへ逃げようというのです?
鉱山都市の姫一人に救いの手を伸ばそうなどという酔狂な武将は、存在しないでしょう?」
背後から声をかけてきた忠臣――シマヅの言葉に、振り返ることなく答えた。
「それは……」
「あなたも、もしその命を戦場で散らしたいなら……いえ……。
これは、言うべきではありませんでしたね」
己の失言に気付き、背後を振り向く。
すっかり髪の毛が白くなった老エルフは、痛恨の表情で歯を食いしばっている。
護国のため誰よりも戦いたいのが、このシマヅという戦士……。
あえてそれをしないのは、この老体では、守りに加わっても邪魔になるだけと理解しているからだ。
なればこそ、せめて、姫である自分を逃がすために命を使おうとしてくれているのであろう。
「お父君から、書状を預かっております。
これを持っていけば、隣国――イビのご当主も、姫様のことをそう悪くは扱わないかと」
「きっちり姫君として遇して、ガルゼめに引き渡す……というのが、最もありそうな可能性ですが。
とはいえ、これ以上あなたを困らせても仕方がありませんか」
溜め息をつきながら、しばし瞑目した。
これは、サクヤが覚悟を決めるために必要な一種の儀式だ。
敗戦国の姫として落ち延びる屈辱を思えば、ここで父と一緒に死する道を選んだ方が、どれだけ気楽か。
しかしながら、姫という立場であることを思えば、サクヤの命はサクヤ自身の判断で使うことを許されないのである。
「……行きましょう」
「御意。
山中の脱出路は、まだ敵軍には把握されておりません。
抜けた先には馬を用意してありますので、洞窟内だけはご自身の足でお進みください」
「分かっています」
シマヅの言葉にうなずき、おそらく生涯最後となるだろう故郷の光景を目に焼きつけた。
斜面へ階段のごとく築かれた棚田は、すでに刈り入れが終わっており、エルフたちの争いなど知らぬとばかりに赤とんぼたちが飛び回っている。
みっしりと敷き詰めたように立ち並ぶ民家は、いずれも石造り。
これは、鉱山から副産物として得られる石材を有効活用した結果であった。
それらを睥睨するのがサクヤの生まれ育ったここコクホウ城であり……。
そのコクホウ城すらもさらに見下ろしているのが、都市名の元ともなった鉱山――コクホウ山である。
そして、山の麓で膝立ちの姿勢となっているのが……。
「もしも、言い伝え通りに巨神様が自在に動けるというのなら……。
ガルゼの軍勢を、蹴散らしてくれればいいものを」
罰当たりな行為であるとは分かりつつ、そう吐き捨てた。
――巨神様。
そこで膝立ちとなっているのは、その呼び名がふさわしい鋼鉄の巨人である。
いや、鋼鉄というのは、正確なところではない。
巨人を構成するのは、鋼とも鉄とも、ましてや銅や銀などとも異なる未知の金属であった。
複雑な形状の金属部品が無数に合わさって構成された体を、純白の鎧が覆っているのだ。
「巨神様はかつて、無辜の民を守るために戦の神として戦場に降臨していた……。
伝承は、伝承に過ぎません。
あるいは、我らはまだ人事を尽くし切ってはおらず、神が介入する時ではないということでしょう」
「人事を尽くしていないとは、到底思えませんけどね」
シマヅの言葉には、そう返しておく。
(戦の神、ですか……。
わたしには、役立たずの偶像としか思えませんが)
同時に、心中でそう吐き捨てる。
日頃から、このコクホウで暮らす民たちが、どれほどの捧げものをして、どれだけの祈りを捧げてきているか……。
祭りともなれば、皆の力で巨神様を磨き上げ、盛大に飾り立ててもいるのであった。
それだけのことをされていて、なんら還元してこない神など、これはもう神として扱う必要はあるまい。
そう、今必要なのは、でかいだけの置き物ではない。
現実に立ち上がり、ガルゼの軍と戦ってくれる戦力なのだ。
そんな風に思った、その時である。
「――っ!?
巨神様の顔に、光が宿った?」
巨人様の頭部は、橙色に濁った半透明な面で覆われているのだが……。
その内側から、確かに、炎のような光が発されたのを、サクヤは見たのであった。
いや、それだけではない……。
これは……これは……。
「立ち上がろうと、している……?」
先祖代々、膝立ち姿勢のまま祀られてきた巨大な神像……。
それが、いかなる技術によってか固定されていた各部の関節を、ゆっくりと動かしていたのである。
そこから立ち上がりきるまでに見せた動きは、エルフそのものと思える滑らかなものであった。
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