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第五章 それは、きらめくような

「おいセオ。今日のお前のノルマはこれだよ」


 目の前に置かれた荷物の山を、セオは眉をひそめて見上げた。一般的な一日の配達量の、ゆうに倍。一人分の割り当てだとは、どう考えても思えない。


「使い魔が竜なんだから、これくらいの荷物は簡単だろ」


 は、と嫌味のように男は笑う。彼はセオと同じハンチング帽をかぶっている。

 運び屋ではセオに一番年の近い運び屋だ。

 眉間に皺を寄せたまま、セオは苛立ち、口を開こうとした。けれど――。

 出てきたのは、諦めたような、短いため息だ。


「……わかりました。運びます。すべて、今日中に」

「さすが、最年少で運び屋になった天才くんだな」


 皮肉を吐き出し去っていく男の背中をただ強く拳を握ったまま、じっとセオは見つめた。




 ***




「ねえ〈手紙屋〉さん。私、〈手紙〉を送るなんて初めてで不安なんだけど……」

「大丈夫です! 初めての人が大半ですから。受取人さんも初めてなので、一緒にどきどきわくわくすること間違いなしです!」

「〈手紙屋〉さーん、ここのシステムあんまり理解してないんだけどさ、これって君が書いてくれるの? それとも僕が書いてもいいの?」

「もちろんどちらでも! 不安がある方は私の使い魔の蝶を通して依頼人の方のお気持ちを伝えます。でも自分の手で書くというのも、とっても素敵です。ぜひ一度試してもらいたいです!」

「〈手紙屋〉さーん、預かってた紙に書けたよ! どうしたらいい?」

「今飛ばしますぅ! お待ちくださーい!」




「繁盛してるわー……」

「そうそう、繁盛してるのよー……ついでに本を買ってくれるお客さんもいて、なんともありがたい話。お母さんが写本が間に合わないって喜びの悲鳴を上げてるくらい。これは〈星祭り〉に帰ってくるお父さんもびっくりするわね!」


 本屋のカウンターからあたふたするリーズを見守っているのは、ジェシカとクレアである。リーズの店を見に行きたいと言ったクレアは、ジェシカと出会い、年の差を越えてあっという間に仲良くなってしまった。きゃっきゃと二人は花咲いている。

 さらにジェシカは出稼ぎに行っている父親がそろそろ帰ってくるらしく、いつも以上に元気でにこにこしていた。


「ふー……なんだかどっとお客さんが来たね。びっくりしたー……」

「とか言いながら、すっかりセールストークも板についちゃって。めちゃくちゃしっかりしてるんだもの。こっちの方がびっくりよ」


 汗をふきふきしながらやっと客がはけたと少女たちのもとにやってきたリーズだったが、クレアはふふふ、と面白そうに笑っている。


「しかも、ものすごーく繁盛してる。さすがね。私、リーズは絶対にすごいと思ってた!」

「全部ナットさん……ニナさんのおじいさんのおかげだよ。あの人、この辺りじゃ実は有名な人だったみたいで、ナットさんからの口コミが回り回って、というか……」

「ニナのおじいさん、有名な人だったの?」

「有名なのはナットじいちゃんの頑固さだよ。あの頑固なジジイが褒めるくらいなんだから、よっぽどすごいんだろうって、みんな期待してやってくる」

「ギャアッ! 誰かいた!」

「ランディさん?」

「ごめんごめん、驚かせた?」


 へらりと笑っているのは、ナットの孫の一人、ランディである。

 髪の色や落ち着いた外見がクレアに似ていると思ったはずだが、店の奥の棚からひょこっと飄々と顔を覗かせた彼に対して、両手を上げて驚くクレアは、よく見ると似ても似つかない。外見よりも内面が違いすぎた。


「立ち読みしすぎは厳禁。気に入った本は購入すべし、すべしすべし」

「うわあ、ごめん。買います買います。ジェシカ、埃たたきを向けないでくれよ」


 埃たたきを持っていたジェシカは、ランディの言葉を聞いてにこっと笑った。

 とても可愛い。さすが〈ジェシカの本屋〉の看板娘である。リーズとクレアは、幼い少女の笑みに二人できゅんとしてしまった。おそらくジェシカには一生勝てそうにない。


「はーい、お買い上げ~。一名様、お勘定です~!」

「はいはい、もう僕もすっかり常連だよ……」


 幼子に連行されるランディを横目に、クレアはリーズにぱちっとウィンクを一つする。

 どうしたんだろう、と首を傾げると、「んもう」とクレアはもどかしそうにリーズに自分の肩をぶつける。びっくりして体を支えることができずにちょっと揺らめいてしまった。


「魔法学園の卒業のこと! もうばっちりじゃない。こんなにたくさんのお客さんが来てくれてるんだもの!」

「え、あ、ううん……卒業、かあ」

「……なんだかすごく、冷静ね?」

「うーん。今日はたまたま、すごく多かっただけというか、魔法使いに〈音伝〉魔法を頼みに行くよりも、私の方が暇そうで頼みやすいってだけだと思うからさ」


 卒業。たしかにその言葉は、リーズの胸の内に深く沈み込んでいたはずだ。 

 仕事が決まって、一人前として扱われなければ魔法学園は卒業できない。

 けれど、なぜだろう。奇妙なことに、心がぼんやりしていて、今の気持ちをうまく表現できない。


(自分の心の色も、見ることができたらいいのに……)


 どちらにせよ、クレアに伝えたことも間違いなく感じていることだ。自分なんかが、という気持ちは、いつもリーズにつきまとっている。

 ふわふわの髪の毛も心持ちしょんぼりさせているリーズに、クレアは話しかけようとして、やめた。ただ隣に立って、一緒に前を向いた。


「はーい、毎度ありぃ!」


 ちーんっ! とベルを叩いて、元気に話すジェシカの声だけが、店の中に響いていた。





「うわあ、もう人が全然いない……早く帰ろう……!」


 オレンジ色の光が差し込む街を、リーズは足早に歩いていた。

 普段は日が沈む前に本屋をお暇するのだが、少し立て込んでしまったのだ。


「今日もお客さんが多めだったな……。〈星祭り〉に一緒に会う約束とか、プレゼントの相談が多いのかも」


〈星祭り〉とはすべての浮島で行われる一番の催しだから、魔法使いたちが大地から空へ飛び立った記念日というよりも、単純に祝い事のように扱われている。当日にプレゼントを贈って届かなくては大変だから、事前に贈り合うことも多い。

 リーズも、ジェシカとクレアとはすでにプレゼントを交換し合っていた。ジェシカからはおすすめの絵本を。クレアからは新しい髪留めをもらった。


「〈星祭り〉はもう明日なのに……。師匠、ほんとに全然帰ってこないな」


 まさか本当にどこかで倒れてたりして、と心配になってきたが、「いや大丈夫に決まっている、師匠は殺しても死なない」と謎の信頼をぶつぶつ呟く。


「でも食事はどうしてるんだろ。自分で準備するのは大嫌いだから烏が催促しなきゃ動かないのに……」


 そんな師匠の使い魔の烏は、今もリーズの家でご飯待ちである。最近はリーズの食事を作る腕もマシになってきたので、あまり文句は言わない。

 そんなこんなと考え込んでいたので、だんだん歩くペースも落ちてしまっていた。

「いけないいけない」と知らぬ内に下げていた視線を、ふいに戻したときだ。

 竜がいた。

 ぎょっとして、リーズは目を大きくさせて思わずぴたりと立ち止まってしまった。

 リーズの視界すべてを覆い尽くすように、竜が頭上を滑空する。羽ばたきの音が耳元で聞こえるほどの近く、遅れて爆風がリーズの頬を叩きつける。「ぎゃわっ!?」衝撃に耐えきれずに、地面に尻もちをついてしまった。


「あいたた……」


 なんでいきなり、と湧いた疑問は、竜の上に乗っているセオを見て吹き飛んだ。運び屋の仕事の最中なのだろう。きっと急いでいたに違いない。それにしても危なっかしいと思うが。


「あ……リーズか、悪い……」

「いきなり降りてくるなんて危ないよ、セオ。……って、どうしたの!? す、すごく顔色が悪いよ!?」

「え……」


 リーズが〈色〉を見るまでもない。この夕焼けの中でもわかるほどに、セオは真っ青な顔をしてふらふらと竜から足を下ろす。慌ててリーズはセオに詰め寄った。


「ほ、ほんとにどうしたの? 体調でも悪いの?」

「いや、住所が」

「住所……?」


 よっぽど狼狽しているのだろう。セオは普段の嫌味な態度も忘れ、自身の口元に手をのせ、反対の手では脇腹を掴んでいる。


「荷物の届け先の、住所がわからねぇんだ。今日中に届けなきゃいけないのに、なぜか最後の荷物の住所だけリストから抜けてて……」


 そこまで言ったところで、はた、と言葉を止めた。リーズを前にしていると気がついたらしい。すぐにいつも通りの勝ち気な顔を取り繕って、ふんとそっぽを向く。


「なんでもねぇよ。お前には関係ない」


 もちろん、その通りだ。その通りなのだが――。


「今日中に届けなきゃいけない荷物なんでしょ? 一度帰って事業所で尋ねてみたら?」


 こんなに困っている友人を、放っておけるわけがない。

 どれだけ口では生意気なことを言っていても、セオが優しい人だということをリーズは知っている。勝手に友人だと思っている。

 運び屋の事業所に尋ねる。勢いで言っておきながら、案外いい考えなのではないかと思った。むしろ今すぐにそうすべきで、そのことをセオがわかっていないわけがない。

 余計なお世話を口にしてしまったとリーズが後悔したとき、遅れてセオは顔色を変えた。


「そんなこと、できるわけがないだろ!」

「え……なんで……?」

「俺が、客の住所録を落としたと思われる! 住所録だって、客からの大切な預かり物の一つだ。そんなものも保管できないだなんて、運び屋、失格だ!」


 叩きつけるようなセオの悲痛な悲鳴を聞いて、リーズはただ瞠目した。叫び終わった後、ハア、ハア、とセオは荒い息を繰り返し、顔に片手を置いた。彼の表情はもう見えない。けれど、ぶるぶると、静かに震える唇が見えた。

 セオを心配そうにして見やる、彼の使い魔のことすらも、セオは気づいていない。


「そんなこと、したら。馬鹿に……される……」

「馬鹿なのは、セオだ!」


 自分でも信じられないくらいの大声が口から飛び出た。びくん、とセオは肩を大きく震わせて、顔を押さえていた手も一緒に飛び上がった。


「馬鹿にされるって、他の運び屋の人たちに!? そんなこと、どうでもいい! 今、大切なのは!」


 拳を握る。声が、震える。


「荷物を待っているお客さんの気持ちだよ! セオが届けてくれる荷物を待ってるんだよ、セオしか、届けられないんだよ!」


 太陽が、静かに陸に吸い込まれていく。浮島の壁から姿を消し、オレンジの光がどんどん薄暗く変わっていく。なのに、そのときのセオの表情は、ゆっくりと〈色〉を取り戻した。


「そうだな。お前の言う通りだ」

「……うん!」

「事業所に行く。もう時間がねぇ!」


 先程までと打って変わったスピードでセオは竜に飛び乗った。「行くぞ!」と掛け声を放つセオに、ギャアオウ! と相棒の竜が嬉しげに頭を上げ返答する。「て、手伝う!」理由もわからず、リーズは同じく竜の背にまたがる。一瞬でなくなる重力に悲鳴を上げてしまった。


「いや、なんでお前、一緒に来てんだよ!?」

「わ、私にもなにか手伝えることがあればと思っ……あ、やっぱり無理かも速すぎるーッ!」

「ああもう、そのままくっついとけ! 降ろす時間がもったいねぇ!」


 ごめんー! というリーズの泣き声のような情けない声ですらも、風の中に呑み込まれる。


「セオッ! こんな速さで荷物は大丈夫なの!?」

「竜の背にくくりつけてる! 大丈夫だと思うが、念の為確認してくれ!」


 あれか、とリーズは視線を移動させる。リーズの背後に鞍がくくりつけてある。両手を開いた程度の大きさの箱が、たった一つ置かれていた。複数のロープで固定されていたが、あまりの速さにがたがたと揺れている。リーズが躊躇したのは一瞬だ。勢いよく荷物の上に飛び乗って、押しつぶさないように、けれども荷物が落ちないように、自分の体を使って固定する。


「――悪い!」

「こっちは大丈夫! 気にしないで!」


 こんなときに基礎魔法を使うことができたら……と、考えても仕方がない。

 とにかく、リーズは必死に歯を食いしばり、時間が過ぎるのを待つしかなかった。風が寒い。凍えてしまいそうだ。待て、時間――?


「セオ、配達の期限は今日までって、それって何時のこと!?」


 はたと湧いたリーズの疑問に対する返答は、ずいぶん時間がかかったような気がする。


「日が、沈むまでだ……」


 すり潰したような声が聞こえ、リーズははっと顔を上げた。もう、薄明の空は紺色のヴェールを被ろうとしていた。冷たい風がリーズの体を叩きつけ、ローブを勢いよくひるがえす。

 セオは、なにも言わなかった。ただ、彼の背中が、奇妙なほどに小さく見えた。

 果たして、間に合うのだろうか。事業所に行き、住所を確認し、そしてまた飛び立つなんて、そんなこと。そもそも帰ったところで届け先の住所はわからないかもしれない。

 きっともう間に合わない。そんなこと、セオもわかっているだろう。けれど飛び立たずにはいられない。


 ――届けたい。


 そう願う気持ちは、誰のものだろう。

 いつしか日も暮れ、暗い空の中を、ただ無言で竜は飛び続けた。

 そのとき一羽の蝶が、ひらりとリーズの視界を渡った。ガラスの羽が星の明かりを乱反射して場違いなほどに美しく、優雅に空の中を泳ぐ。


「……?」


 一匹だったはずの蝶は、二匹、三匹と数を増やしていく。

 わけもわからず、リーズはぱちりと瞬いた。一体、どこから。

 いや、リーズの使い魔に違いなかった。リーズ自身が、なにかを感じ取っていた。

 それはどこから?

 はっ、と気付いた途端に、うずくまるようにして抱きしめていた()()から、ぶわぶわと蝶が勢いよく生まれ、輝き、発光する。


「――なんだ!?」

「セオ、蝶が!」


 星の色を帯びた蝶たちは、リーズの意思とは裏腹に、なにかを伝えようとしている。

 届けたいと願う、()()()()()()()()()を、リーズの蝶が伝えている。


「……綺麗」


 暗闇の中を、まるで星の道のようにきらきらと輝く蝶たちが、進むべき先を指し示していた。ざくざくと宝石が詰まっているような、リーズたちを明るく照らす星の道。

 街の小さな明かりでさえも、今は星屑のように輝いて見える。

 時間さえも忘れそうなほどに美しく、真っ直ぐに伸びた道は、一つの家の屋根に続いている。


「……セオ、あっち!」

「あ……おう!」


 あまりの光景に呆然としていた二人だったが、すぐさま背筋を伸ばして星の道を滑り降りた。

 ただ一つの目的地を目指した。





「わあ……! 運び屋さん? 来てくれたの!?」


 たどり着いたのは、小さな赤煉瓦の屋根の家だった。寒さに震えながらも、嬉しさをにじませた声で頬を真っ赤にした女の子がセオに飛びつくように駆けた。女の子の後ろには母親らしき女性が苦笑している。もしかすると、ずっと待っていたのかもしれない。


「もらっていい? もらっていいの?」

「え、あ……はい。ピアニーさん宅の荷物で、間違いないですか?」

「はあーい!」


 荷物を持ち竜から降りたセオが、女の子とその母親にちらりと視線を送って確認する。女の子は元気に片手を上げて返事をして、母親はにこにこと頷いている。


「では、どうぞ……」


 リボンのラッピングがされた箱を渡すと、女の子はぱあっと弾けるような笑顔で両手を伸ばした。


「ママ、あけてもいいかな?」

「家の中に入ったらね」

「そっか! お兄ちゃんたち、届けてくれてありがとう! 明日の〈星祭り〉で、他の浮島のお友達とお揃いのドレスを着ようって約束したの。お星さま色の、きらきらのドレス! あけるのがすっごく楽しみ!」


 間に合ってよかったあ、と真っ赤なほっぺをさらに真っ赤にして、友達からのプレゼントの箱を両手いっぱいにして持っている。


「あ、あの……」


 家の中に入ろうとした女の子と母親に、セオは思わずといった様子で小さな声で呼びかけた。

 同時に振り返った母子にたじろいだ様子で、わずかに後ずさったが、「その、すみません……」と運び屋の制服であるハンチング帽をずらして頭を下げる。


「時間内に、届けることができなくて。……本当に、申し訳ございませんでした」


 ゆっくりと、丁寧に頭を下げた。

 その姿を、リーズはただじっと見つめていた。


「え? ちょっとしか遅れてないし、大丈夫だよ。明日までに届けばよかったんだもの。でも、ちゃんと届けてくれたから、明日のことを考えて、わくわくどきどきして眠れるね!」


 じゃあね! と女の子は手を振って、母親もセオに小さく頭を下げ、玄関のドアをくぐった。

 誰もいなくなった道の通りで、セオは一人立ち続けていた。

 どれくらいの時間がたったのだろう。もしかすると、それほど長い時間ではなかったのかもしれない。

 とても、とても小さな声で。ぽつりとセオは呟く。


「……ごめん」


 そのとき彼がどんな顔をしていたのか、リーズにはわからない。

 声をかけることだって、できなかったから。





「…………」


 目が冷めて、奇妙なほどに寒いと思って窓をあけたら、雪が降っていた。

 どこまでも、白い。でもミルクみたいに、少しだけ甘そうに感じるような色。

 けれども吐き出す息は、どこまでも冷たかった。

 毎日どれだけ丁寧に髪をといても、不思議とぼわぼわと髪が跳ねてしまう。ベッドを綺麗にして、着替えをしてともたもたと身支度をするうちに、どうしても昨日のことを思い出してしまう。


『リーズ、悪かったな。事業所に戻っても住所が調べられるかわからなかった。お前がいなきゃ届けることができなかったかもしれない』


 少なくとも、こんなに早く渡すことはできなかった、と小声で話すセオの目は、わずかに赤くなっていた。

 そんなことない、とも。気にしないで、とも。どちらも返答には適切なように思えなくて、馬鹿みたいに何度も頷いた。なにを頷いているのかも、途中からわからなくなるくらいに。


『でも、悪い。運び屋じゃないやつに手伝わせたってことは、上にきちんと報告しなくちゃならねえ。……俺が、住所をなくしたこともな。リーズは手伝ってくれただけなんだから、もちろんそっちに不都合がないようにする。一応、伝えておく』

『い、いいよ! そんなこと、ほんとに、全然!』


 大げさなほどに反応して、やっとセオは少しだけ笑った。でもすぐに沈んだような顔をする。

 ずいぶん遠いところまで来てしまったから、家まで送るというセオに甘えて、竜に乗った。

 そして、そのまま帰ってきた。

 なにも言うこともできずに。

 リーズは、人の〈色〉を見ることができる。大きな感情を理解しても、細かなことまでわかるわけではない。けれど、伝わるものも、ある。

 部屋から出る前に、リーズはぴたりと立ち止まった。


「…………はあー」


 口から漏れ出たのは重たいため息だ。ドアノブに手をかけて、捻る。


「なんだい朝から辛気臭い。飯が不味くなるじゃないか」

「ンッカーッ! リーズ、朝飯ィーッ! 先に食ってるゾーッ!」


 そして元気過ぎる烏の声と、聞き覚えがありすぎる人間の声が聞こえた。

 気持ち悪いくらいにピンと背筋が伸びた老婆――カランが食卓に着いて珈琲をすすっている。


「いや、え、あ、うそ、師匠……?」

「嫌だねこの弟子は。ちょっと会わない間に師匠の顔を忘れたってのかい。こっちはあんたの育ての親みたいなもんだってのに。親不孝ならず、師匠不幸なやつだね」

「いやいやいや忘れるわけないですというか、なにも言わず! いや、使い魔に伝言だけ残して! 二ヶ月以上消えていた人のセリフじゃないですよね!?」

「ぐちぐちうるさいやつだね、ちょっと旅に出るくらい問題ないだろう。お前は私の姑かなにかかね?」

「ちょっとがちょっとじゃないから言ってるんですというか、やだあ! そうやってすぐに! 人の首根っこを掴む! そうやってすぐに!」


 この細身な体なくせに馬鹿力な老婆のパワーがどこから来ているのか、リーズにはわからない。いつか反乱を起こしてやるべきかもしれないとも考えている。


「キャンキャンと子犬のようにうるさいやつだね。それよりも、あんたには今日、重要なことがあるだろう」

「今日……? 重要なこと、ですか……?」


 着替えはしたが髪の毛はまだくくっていないので、もふもふのままである。きょとんと首を傾げてカランを見上げるリーズは、ここにジェシカがいれば、『ポメラニアンってワンコにすごく似てると思うわ! 本で読んだの!』と両手を叩いて喜ぶだろう。


「そうさ。重要なことだよ」

 と、カランは区切って。


「――今日は一年に一度の催し、〈星祭り〉の日だろうよ」


 にかりと、笑った。


 さあさっさと朝飯を食べてつっこんでその情けない頭と髪をくくって準備をしな! と一息に吐き出すがごとく叫んでリーズの尻を叩き口いっぱいにトーストを詰め込ませた後、いつの間にかカランは姿を消していた。


『もたもたとカタツムリのように遅い弟子に合わせてらんないからね……カァーッ!』


 とのことで、伝言役の烏はテーブルの上でジタバタと暴れていた。

 ところでこいつはまた置いていかれたのだろうか、ともはや使い魔かどうか危うい存在である烏を疑わしく見つめてしまう。

 急いでいるから、珈琲でトーストを流し込むように呑み込んだのだけれど、ミルクを入れ忘れてしまったので口の中が少し苦い。「ううー」と唸りながらいつも通りに玄関の扉をあけると。

 わあっと、明るい音楽が一面に響き、目を瞬かせてしまった。

 外は一面、晴れやかな天気の中で、わいわい、わあわあと大人も子どもも楽しそうに笑っていて、出店の数も、一体どれくらいあるのかわからないほどだ。

 空は魔法使いたちが使い魔に乗って飛び、ときには鮮やかな紙吹雪を撒いている。

 星の形に切り取った紙吹雪を、子どもたちが楽しそうに追いかけっこをして競って取り合いしていた。

 こんなにたくさんの人がいるんだな、と毎年〈星祭り〉の度に驚いて、目がしぱしぱしてしまうような気分だ。

〈星祭り〉とは、リーズたちの祖先である魔法使いたちが、大地から空へ飛び立った日を祝ったことが始まりとされる。星の祭りなのだからもちろん夜が本番なのだが、昼間の盛況さだって負けていない。


「師匠、どこにいるんだろ……」


 人混みの中をふらふらと歩いていると、なんだか小さな頃を思い出すなぁ、とため息が出てしまう。

 今よりもずっと小さな頃、夜の街で師匠を見失ってしまい、泣きながら追いかけた日のこと。


「……なにも、変わっていない、のかな」


 どこにいるのと、必死に泣き叫んでいた自分と。


「……うわっ、ぎゃっ!」

「おい、こんな道端でぼけっとしてんじゃねえよ!」


 ぼんやりと空を見ていたので間違いはないが、それにしたってちょっとひどい。いきなりぶつかってこられたものだから、地面に思いっきり尻もちをついてしまった。とはいえぼんやりしていた場所も悪かった……と、リーズは立ち上がりつつ相手に謝罪しようと顔を上げたのだが、どこか既視感を得て、無言で顔を上げてしまう。


「なんだよ、睨んでんじゃねぇよ」


 ハンチング帽を被っていて、そばかすが目立つ二十代前半くらいの男が、リーズを見下ろしていた。あ、とリーズが気づいたとき、向こうも同じ考えに至ったらしい。


「またお前かよ……セオの同級生だったか? 基礎魔法が使えないとか言ってた」

「…………」


 ニナの島に行ったときにもリーズとぶつかった運び屋だ。

 返事をするのも億劫で、リーズは無言で服の汚れを払いながら立ち上がった。

 男は、はん、と口の端を嫌味な形に笑わせる。


「セオといえば、知ってるか? あいつ、とうとう馬鹿なことをしでかしたんだぜ。届け先の客の住所をどこかに無くしたんだ。使い魔が竜だからって調子に乗ってるからだよ。まったく、運び屋失格だ。ちょっとはいい薬になっただろ」

「……どうして、私にそんなことを言うんですか?」

「どうしてって、教えてやってるんだ。あいつは大したやつじゃないってことをな。所詮はあの程度の男なんだよ。真っ青な顔をして所属長に報告してたときは笑ったぜ。そういや、同級生にも手伝ってもらったとも言ってたな……。一人でなにもできないなんて、本当にお笑い草だ」


 なにが面白いのか、男はげらげらと腹を抱えて笑っている。

 話したくてたまらないらしいことが、よくわかった。


「もしかして、お前が手伝ったとか? そんなわけないよな。基礎魔法も使えない、役立たずだもんな」


 奇妙なほどに、その嗤い声はよく響いた。

 ――決して、男の言葉に腹が立ったわけではない。

 むしろ少し、冷静になったくらいだ。リーズが基礎魔法を使うことができないのは、本当のことで、自分だって、恥ずかしいことだと思っている。いくらそんなことはないとクレアが、ジェシカが、友人たちが言ってくれたとしても、『でも』と感じる心は、いつも胸の内に巣くっている。

 認めるべきではないのだ。

 リーズは、力が足りない自分自身を、決して認めない。

 前を向き続けることを、忘れられない。


「……あなたが、嫌がらせをしたんでしょう?」

「……は?」

「あなたが嫌がらせをして、セオのお客さんの住所をわざと捨てたんでしょう? 他にも配達の割り当てをセオにだけ不当に増やしてもいた」

「なにを言って……」

「ごまかさないで!」


 自分でも、驚くくらいに大きな声が出た。周囲の人々はちらりとリーズを見て、そのまま通り過ぎていく。男は厳しい顔つきでリーズを睨んだが、そんなことはどうでもよかった。

 ――リーズは、人の〈色〉を見ることができる。大きな感情を理解しても、細かなことまでわかるわけではない。けれど、()()()()()()()()

 わけもわからないくらいに、指先が震えた。それは怒りなのか、悲しみなのか、もはやリーズにだってわからない。

 届けたいと必死に願うセオの気持ちとともに、一瞬だけ見えた光景。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……セオは、言い訳なんてしなかった」


 いや、こんなことを、セオは言ってほしいわけではないだろう。

 こんなこと、セオにはどうだっていいことなのだ。

『ごめん』と。小さな声で謝ったセオの心の中は、ただただ、届け先の少女への申し訳なさでいっぱいだった。同僚からの嫌がらせのため、自分のプライドを一瞬でも優先したことを悔やんでいただけだった。


「あなたの名前は知らない。知りたくない。……でも、あなたが、恥知らずということはわかる。セオの竜に嫉妬して嫌がらせをするあなたは、狭量な……小心者だ!」

「お前……!」


 振りかぶった拳は振り下ろされることはなかった。

 人前で殴る勇気もなく、かと言って見逃す心の広さがあるわけでもなく。リーズを苛立たしげに睨んだまま、男はリーズの首元を掴み上げた。息が苦しい。声が出ない。「うう」と喉からはなんとも哀れな声が漏れ出た。気がついたら、ぼろぼろと涙が込み上げてくる。男が怖かったわけではない。


「な、なんだよ、お前……」


 結局、男がリーズの首元を掴んでいたのは一瞬だった。すぐに後ずさって、しゃがみこんで嗚咽を上げ続けるリーズを怯えたように見下ろす。そうしているうちに、次第に周囲の視線も集まってくる。


「う、あ……くそっ!」


 男は周りの人たちの視線に耐えかねて逃げ出した。

 けれどもリーズはうずくまり、泣き続けた。

 どうしようもないくらいに小さくなって、一人、ただ泣き続けた。





 ――いつしか日も落ち、紺色の夜空にかすかな星が光り始める。

 泣きすぎて、腫れたまぶたを隠すように押さえて、リーズはふらふらと街を歩いた。

 人気が少ない場所を選んで歩いていたから、いつしか浮島の橋の上に立っていた。

 建物もなにもない場所だから、いつもよりも空が近く感じる。足元には街の明かりが輝き、楽しげな人々の姿が見えた。


「まったく、ずいぶんな顔をしているじゃないか」

「師匠、一体どこから現れたんですか……」


 三角に座り込んで、膝の間に顔を入れて小さくなっているリーズの背後に、まるでずっとそこにいたといわんばかりに、一人の老婆が佇んでいる。

 ぴん、と背筋を伸ばした、シンプルなワインレッドのドレス服を身にまとった魔法使い。

 ――〈光の魔法使い〉が。


「魔法使いはどこにでも現れるに決まっているだろう。なんせ魔法は不思議からできているんだからね」

「……初めて聞きましたよそんなこと」


 返答する声も、やる気のないものになってしまった。

 カランを振り向くことなく、膝に顔を埋めてリーズは答えた。


「しょうもない男に絡んでだか絡まれてだか知らないが、泣きわめいたそうじゃないか?」

「……なんで知ってるんですか?」

「ああいう馬鹿は、どうせどこかでつまずくさ。自分の人生にある邪魔な石が、他人だと勘違いしているようなやつは、いつか自分が石ころのように弾かれる」

「だ、だからなんで、どこまで知ってるんです!?」


 さすがにびゃんっと勢いよく顔を上げて動揺するままに叫んでしまう。

 慌てて振り返ると、師匠は勝ち誇ったように笑っていた。

 いつもとは違い、黒いとんがり帽子を被ったリーズの師匠――カランの肩には、使い魔の烏が乗っている。烏も目が合うと、ばさりと誇らしげに黒い翼を広げる。


「リーズ。あんたはね、初めての感情に戸惑っているんだ」


 夜の街の中で、カランはただ真っ直ぐに立っている。ただ話している。それだけだというのに、視線が外せなくなってしまう。冬の冷えた空気の中、彼女の声はよく響いた。まるで、カラン自身が一つの魔法のように。


「人に優しさがあるということは、同時に冷たさもあるということだ。こっちがお手上げしちまうくらいに話が通じない人間は存在するよ」

「…………」


 セオの同僚のことを思い出した。

 あの人は、リーズがいくら言葉を尽くして伝えたところで、きっとなにも感じないのだろう。

 妙な腹が立つ女がいたと、その程度にしか思わないはずだ。

 リーズが責めても、責めなくとも。

 なにもかわらない。

 ふいに、指が冷たくなった。スカートを握りしめている手がひやりとして、自分を抱きしめるようにぎゅっと小さくなる。


「けれど」


 朗々と、カランの言葉は続く。

 どれだけリーズがうつむこうとも、力強く引き上げるように。


「あんたは、世界が美しいものであると知っている」






 ふいに、ぐんと記憶が遠ざかった。


『ししょー! ししょー、どこにいるのぉー!』


〈星祭り〉の日、人混みの中で見失った老婆の姿を捜し、盛大に鼻水をたらしながら幼いリーズは叫んでいた。両手を前に突き出して、とてとてと走って、こけて。尻もちをついて、わんわん泣いた。両手で顔を覆っておんおん泣きわめいていると、ふと気配を感じた。

 ぱっと顔を上げると、そこにいたのは呆れ顔のカランだ。すぐさまリーズは笑顔になって、老婆の細い体に力いっぱい抱きついた。

 そのときはまだ、カランと出会ってすぐのときで、『泣いたり笑ったり、忙しいやつだね』とカランは少し困ったように呆れていた。

 カランと手を繋いで、幼いリーズは夜空を見上げた。


『見てごらん』

 と、カランは低くゆったりした声で話した。


 そのとき見た光景を、リーズはきっと、一生忘れはしない。

 空から、雪の星が降っていた。

 きらきら、ぱらぱら、しゃらしゃら。

 幾重にも混じり合ったような、こっとんこっとんとゆっくりと機を織っているような優しい色をした光が、音を立てて落ちてくる。

 白や、淡いクリーム色。いいや黄色。よく見れば緑。いいや、どんな色かさえもわからない。

 最初、リーズは空から星が落ちてきたのかと思って、びっくりしてカランの背中に隠れた。

 でもすぐに耐えられなくて、カランに掴まり、たくさん背伸びをして片手を伸ばした。

 この色を、自分も知りたい。

 綺麗だ。

 とても綺麗だった。あの色は。あの、優しい色は、どうやって作ればいいのだろう。

 そんなリーズをカランは笑って見下ろし、小さな声で呟いた。 


『……あんたは臆病者だね。けれど、世界が美しいものであると知っている』






「リーズ!」


 呼びかけられた声に、目を見開く。カランは橋の上で両手を開き、街を見下ろす。

 烏が羽ばたき、風が揺れる。桜吹雪のような星の明かりが浮島に降り注ぐ。

〈光の魔法使い〉と呼ばれる、カランの魔法――リーズが初めて目にした、知りたいと思った魔法の色。

 人々の歓喜の声が、リーズの耳にまで聞こえてくるようだ。

 わあ、と彼らは両手を上げてまるで星の声を聞くかのように空を見る。


「さあ!〈星祭り〉には盛り上げ役が必要だ! あんたも気張ってみせな!」


 前を向いた。立ち上がった。


(……そうだ。私は、世界が綺麗で、優しい色がたくさんあることを知っている)


 初めての感情に戸惑っているとカランは言っていたけれど、それは違う。

 リーズだって、この世が美しいものばかりではないことは、とっくの昔に知っていた。

 リーズには魔法使いらしい帽子はない。杖もない。

 ただあるものは、ガラスのペン一本だけ。


「――〈色彩〉魔法」


 ポケットの中から取り出したペンをくるりと回す。

 ガラスのきらめきがかすかに光り、夜の闇を忘れさせる。


「光よ、蝶となり空を泳げ……!」


 カランが作り上げ落ちた光は、ゆらりと止まる。途端、弾けるように鮮やかな蝶が咲く。

 まるでそれは一面の花畑のよう。あまりの美しさに、人々は息を呑む。

 時間すらも忘れさせるガラスの羽を持つ色とりどりの蝶は、浮島の羽が作る風に乗り、空を昇る。




 すごい、と誰かが言った。

 それは、一人の少女だった。おでこに三つ編みをした、おしゃまで可愛い本好きの女の子。彼女は父親と母親と手を繋いだまま、呆然と呟いた。

 鷹とペンギンの使い魔と一緒に、楽しそうに空を指差す二人の少女も。

 空を仰いだ後に、少しだけ照れながら互いを見つめ、そうっと手を繋ぐ夫婦も。

 そんな夫婦を見ないふりをしてちょっとだけ嬉しそうな黒髪の青年も。

 学園の窓辺からわずかに微笑む女教師もいれば、一人座り込んでいたくせに、そのときだけ竜とともにちらりと顔を上げた生意気そうな少年もいただろう。

 なぜだろうか。彼らの姿が、リーズの目には映るような気がした。

 その中に、また一人。

 きらきらした星の色のドレスを着て、友達と駆け回る女の子がいる。

 にこにこと、嬉しそうに。





「……ずっと、自信がなかったんです。クレアに……私の友達に、魔法学園を卒業できると言われても、全然しっくりこなかった。魔法学園を卒業するためには、一人前にならなければいけない。けど、どうしたら一人前に……()()使()()になることができるのか、わからなかった」

 リーズの蝶たちは、夜の空の彼方へとオーロラのように輝き、そっと小さくなって消えていく。

 暗い空の下で、リーズはじっと自分の胸元で拳を握った。

 ぴたり、と息を止める。


「私は! 私が、大切に想う人たちのために、彼らの想いを、美しい色に変えて届けたい! 喜ぶ人々のために、生きていきたい! それが私にとっての魔法使いです!」

「ほほう、言ったね。この半人前が、一人前になるって?」

「はい、言いました! なってみせます!」


 カランに向かって、びしりと直立する。そして、にかりと笑った。

 ンッカッカ! と返答したのは、カランの肩に乗っている烏である。なんだか気が抜けてしまう。カランも同じように感じたのだろう。少しだけ口元を緩ませ、ふふんと胸を張る。


「いいさ。信じる心を持つこと。それが魔法使いってやつだからね」

「だからそういうの、初めて聞きましたけど……」

「はっはっは。魔法使いは、不思議でできているのさ」





 それから。

〈星祭り〉は、一夜の夢のように終わってしまった。

 もしかすると、朝の光に照らされて溶けて消えてしまったのかもしれない。 

 朝、玄関の扉をあけると、浮島の羽が動く音がぎいぎいと風に乗ってやってくる。

 つんと冷えた風の匂いは、少しだけ寂しい藤色だ。けれどもどこか優しく、暖かい色。

 空を見上げると、次々に魔法使いの卵たちが空を駆けて飛んでいく。

 リーズも慌てて鞄を持って、子犬が走るように茶色い髪をふわふわ揺らして橋を渡る。


「リーズー!」


 黒髪の同級生が、鷹にぶらさがってやってくる。


「おはよう、クレア!」

「うんおはよう! 昨日の魔法、すごかった! リーズよね? リーズなのよね!」

「へへ、ありがとう……師匠の魔法を使ったから、ちょっとズルしちゃったんだけどね……」

「それでもすごい! さすが私の友達! ニナもペンちゃんも、すごいって言ってた!」

「……ん? ペンちゃん?」


 がばっと抱きつかれつつ首を傾げる。多分ニナの使い魔のことである。ちょっと個性的なペンギンだが、使い魔のあり方は個人によって大きく変化するので、そういうこともあるかもしれない。

 そんなこんなと会話をしていると、リーズとクレアの頭上に大きな暗い影が落ちた。

 竜が羽ばたく風が時間差をおいて二人の少女を叩きつける。とはいっても、倒れない程度に手加減されていることをリーズはちゃんと知っている。


「相変わらず、朝から無駄な時間を食ってんなあ……。ぼけっとしてたら橋から落ちるぞォ?」

「ハーッ、あんたも毎回毎回、リーズに絡んで面倒なやつねぇ!」

「セオ、おはよう。朝ご飯食べた?」

「リーズはなんでいきなりセオの食事事情を心配してるの!?」


 がばっとクレアに首元に抱きつかれつつ、なんとなく片手を上げて尋ねてみる。なんせ、セオとはあれから会っていないのだから、どう反応すればいいかわからなかった。

 なので、見当違いなところに会話のボールを放り投げてしまった。自分でもなにを言っているんだという自覚はある。


「え、おう……食ったけど……ミルクも飲んだし」

「ミルク!? あ、背の低さを気にして!?」

「ちげえよ、純粋に好きなんだよ!」


 お前らは本当にうるせぇ! と叫んでセオは竜を羽ばたかせる。

 あっという間に空の向こうに消えてしまったが、最後にちらりと目が合った。

 澄んだ緑の瞳の色が見えた。それだけで、十分だった。


「……うん」

「リーズ、どうかした?」

「ううん。クレア、抱きしめてくれてあったかいけど、遅刻しそうだからそろそろ離れてほしいかな」

「あら私ったら」


 ぱっとクレアは両手を上げる。ふふ、と笑ってしまった。


「楽しそうね、リーズ。いいことでもあった?」

「ううん。別に。綺麗だなって思っただけ」

「私のこと?」

「もちろんクレアも」


 そういって、リーズは橋の上から、〈ウィスタリア〉を見下ろした。

 大きな羽が、緩やかに動き、ときには雲の間をくぐり抜け、空を飛び続ける浮島。

 空中都市〈ウィスタリア〉。



 それは――魔法使いたちが住む、この世で空に一番近い、島の名前だ。



魔法使いと竜が大好きすぎて書いてしまいました。

ブックマークや評価とっても嬉しいです、ありがとうございます! 次作への糧とさせていただきます。

こちらまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!!

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