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第3話 2人のスーパールーキー

4月。

桜はとうに散り、訓練校の敷地を囲う壁の内側では、生命力に満ちた新緑が風に揺れていた。


あの日、リングギアを授与されてから約3週間。ヒカルたち予科生60名は、まだ一度もフォンテの制御訓練を受けることなく、座学と基礎体力作りに明け暮れていた。機構の歴史、判明している限りのアガルタの生態、フォンテ理論の初歩――。

ヒカルにとっては、すでに既知か、あるいは数秒で理解可能な情報ばかりで、退屈な時間だった。


そして今日、予科生になって最初の関門ともいえるイベントが始まろうとしていた。

3クラス合同で行われる、第1回・体力テストだ。


「はい、皆さん、集まってくれてありがとう。これから、皆さんの基礎的な身体能力を少し見せてもらいますね。フォンテの力は、もちろんとても大切です。でも、その素晴らしい力をきちんと使いこなすためには、それを支える『器』、つまり皆さんの身体も、同じくらい大切なんですよ。今日は、そのことを一緒に学んでいきましょう」


広大な総合トレーニング施設に、舞姫コトの穏やかな声が響く。

彼女の隣では、補佐の大空カナタが、静かに腕を組んで60名の生徒たちを見つめている。彼の右目を覆う眼帯が、この場所が単なる学校ではなく、戦場と地続きであることを生徒たちに無言で突きつけていた。


最初の種目は、1500メートル走。

開始の合図と共に、我先にと飛び出していく生徒たち。体力自慢の少年少女が、あっという間に先頭集団を形成する。


ヒカルは、その中団あたりを淡々と走っていた。

彼の頭の中では、レースの駆け引きや勝利への執着といった感情は一切ない。あるのは、ただの計算だ。


(心拍数、呼吸のリズム、筋肉への乳酸蓄積率……この距離を最もエネルギー効率良く走破するための最適解は、時速11.2キロメートルの維持)


彼は、まるで機械のように自らの身体というシステムに完璧な命令を下し、それを寸分の狂いなく実行していた。結果、彼の順位は60名中、32位。可もなく不可もない、完璧な「平均」だった。


続く反復横跳び、懸垂、50メートル走。

全ての種目において、ヒカルの記録は、平均か、それをわずかに下回る程度に終始した。小柄な体格も相まって、彼の姿は、体力に優れた他の生徒たちの影に完全に埋もれていた。


「――以上で、体力テストは全て終了です。皆さん、お疲れ様でした。クールダウンを怠らないようにしてくださいね」


舞姫の労いの言葉に、生徒たちは安堵の息を漏らし、その場に座り込む者も少なくない。

施設の隅では、舞姫と大空が、データが表示された端末を覗き込んでいた。


「……暁月ヒカル。入隊前のフォンテ測定値は、観測史上でも類を見ない数値でしたが……」


大空が、淡々とした口調で呟く。


「身体能力は、驚くほど平均的、ですか」


端末に並ぶ「C」や「D」の評価。どれ一つとして、彼のフォンテの才能を示すものはなかった。


「ええ」


舞姫は、そのデータから目を離さず、静かに頷いた。


「ですが、そこにこそ彼の『適性』の在り処があるのかもしれません」


「……どういう意味です?」


「強大な魂が、まだ未発達な器に宿っている。そのアンバランスさこそが、彼の持つ計り知れない伸びしろの証明……。私たちの役目は、彼がその器と魂を、正しく繋ぐための手助けをすることです」


舞姫の瞳は、1人汗もかかずにストレッチをこなし、まるで他人事のようにテスト結果を眺めているヒカルの姿を静かに捉えていた。


この体力テストの結果を見て、ヒカルのことを「フォンテの潜在能力は高いだけの、線の細い子」だと認識した生徒は、少なくなかっただろう。


彼らも、そしてヒカル自身も、まだ知らない。

1ヶ月後、初めてのフォンテ制御訓練で、この小柄な少年が放つ「光」が、訓練校の誰もが持つ「天才」の定義を、根底から覆してしまうことになるということを。



5月。

基礎体力と座学に費やされた1ヶ月が過ぎ、ヒカルたち予科生は、初めて本格的なフォンテ制御訓練に臨むため、再びあの広大な実技訓練場に集められていた。


生徒たちの間には、先月の体力テストの結果に基づいた、漠然とした序列のようなものが生まれつつあった。

身体能力の高い生徒は自信に満ち、そうでない生徒はどこか気後れしている。ヒカルはそのどちらでもなかった。彼は、その他大勢の「平均」というカテゴリに分類され、誰の注目を引くこともなく、ただ静かにその時を待っていた。


「今日から、いよいよ皆さんの魂の力――フォンテを、実際に形にしていく訓練を始めます」


舞姫が生徒たちの前に立つ。その表情は、いつも通り穏やかだ。


「ですが、焦ってはいけません。いきなり武器を作ろうとしないでください。今日の目標は、ただ一つ。自分のリングギアに意識を集中し、フォンテを“光”として安定して具現化させることです。自分の内側と、丁寧に対話するような気持ちで臨んでくださいね」


その言葉を合図に、生徒たちは散開し、各自訓練を開始した。

あちこちで、呻き声や悔しがる声が上がる。


「う、うおお……ッ!」


必死に顔を歪ませる生徒のリングギアから、小さな火花がパチパチと散っては消える。


「なんで……光らないの……」


目を固く閉じ、瞑想するように集中する生徒のリングギアは、ただ熱を帯びるだけで、うんともすんとも言わない。


数十分後、ようやく1人の生徒の指先に、頼りない光が灯った。まるでロウソクの炎のように、ゆらゆらと揺れる小さな赤い光。それでも、それは紛れもなく、魂の輝きの初めの一歩だった。


「――すごい!やった!」


本人は疲れ切った顔で、それでも歓喜の声を上げる。舞姫は、その生徒のもとに歩み寄り、優しく微笑んだ。


「ええ、素晴らしい光ですよ。その感覚、忘れないでくださいね」


そんな光景を、ヒカルは冷静に観測していた。

他の生徒たちのフォンテの波長、リングギアへのエネルギー伝達効率、そして精神状態がフォンテに与える影響――。

彼はこの短い時間で、成功例と失敗例の膨大なデータを収集し、その根本原理を完全に解析し終えていた。


「――暁月ヒカル君。見ているだけではなく実践してみましょうね」


舞姫に名前を呼ばれ、ヒカルは静かに頷いた。

周囲の生徒たちの視線には、期待の色は薄い。体力テストでは、ごく平凡な成績しか残せなかった小柄な少年。彼が一体何を見せてくれるというのか。


ヒカルは、誰の視線も意に介さず、すっと左手を胸の高さに掲げた。

力むことも、念じることもしない。

ただ、解析し終えた正解の数式を、解を導き出すために入力するだけの、単純な作業。


――その瞬間。

ヒカルの左手の人差し指から、音もなく光が溢れ出した。

それは、輝くというより空間そのものを塗りつぶすような、静かで、深いネイビーグレーの光。熱も感じさせない、まるで深淵を覗き込むかのようなその光は、他の生徒たちが必死に絞り出したどの光とも、次元が違っていた。

訓練場が、水を打ったように静まり返る。


「な……なんだ、あれ……」


誰かが、呆然と呟いた。

その異質な光に、誰もが言葉を失っていた、その時だった。

ふわり、と。

まるで、ヒカルの光に応えるかのように、訓練場の反対側で、もう一つの光が、静かに、しかし圧倒的な存在感を放って灯った。

そこにいたのは、人形のように整った顔立ちの、儚げな少女。


詩カグヤ。


彼女の指先から放たれていたのは、キラキラと輝くダイヤモンドダストのような、あるいは透き通る月光のような、神々しいホワイトベージュの光だった。


ヒカルの光が「深淵」ならば、彼女の光は「天頂」。


性質は違えど、そのどちらもが10歳という年齢では到底ありえない、規格外のフォンテであることを、そこにいる全員が理解した。

施設の隅で訓練を見守っていた舞姫と大空が、目を見開いて顔を見合わせる。


「……報告書以上、ですね」


「ええ。まさか、同じ年に、これほどの“特異点”が二つも現れるとは……」


彼らの声には、驚愕と、そしてわずかな畏怖の色が滲んでいた。


訓練の終わりを告げる合図が鳴り響く。 生徒たちが、まだ興奮冷めやらぬ様子でざわめく中、ヒカルは初めて詩カグヤの姿を意識して捉えた。 カグヤもまた、ヒカルのことを見ていた。


2人の間に、言葉はない。

静寂のネイビーグレーと、神々しいホワイトベージュ。 二つの規格外の光は、やがて来る壮絶な戦いの時代において、人類の希望となるのか、あるいは新たな波乱の火種となるのか。

それはまだ、この時、誰にも知る由もなかった。


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