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婚約破棄してやると意気込んで合コンに参加したら、婚約者がしれっと紛れ込んでいた

作者: 月食ぱんな

 ゆったりとした時間が流れる午後のある日。陽射しが優しく差し込む東屋で、私は編み棒を軽やかに動かしながら、時折横に座るテオドルに向けて、期待に満ちた視線を投げかけていた。


 彼は最近学会で発表されたばかりだという魔法理論の新しい本に没頭しており、その表情は真摯で、いつもながら知的な魅力に溢れていた。


 柔らかく揺れる黒髪も、分厚い眼鏡の奥に見え隠れするエメラルドみたいな美しい瞳も、本のページをめくる繊細な指先も。


(ぜんぶ素敵……)


 頬がうっかり緩み、慌てて編み棒を「表、裏、表、裏」と念じながら動かし、気持ちを落ち着ける。


(でも、でも、でも!)


 今日ばかりは、いつもと変わらぬ、婚約者の素敵な様子に、ちょっとしたもどかしさを感じてしまう。


 庭から漂ってくる花の香りに混じって、私たちが一緒に植えた魔法のバラの香りが届く。青白く光るそのバラは、数年かけて二人で完成させた新種のバラで、二人でつけた名前は『白銀のバラ』だ。


 ちょうど一年前に新種改良が成功して、二人で喜びを分かち合ったことは記憶に新しい。


(そう、今日は『白銀のバラ完成記念日』なんだけど?)


 広がるスカートで隠し、密かに用意してある彼へのプレゼントにそっと触れると、胸が高鳴った。


(きっと彼は喜んでくれるはずだわ。それに、彼だって何か準備してくれているはずよ)


 部屋のクローゼットにこっそり隠してある、大事なものボックスの存在が思い浮かぶ。


 彼からもらったプレゼントは、現在進行系で左手の薬指を飾る、小ぶりのダイアモンドがついた婚約指輪を筆頭に、全てくまなくコレクションしてある。


 その中でも一番のお気に入りは、二人で訪れたお店の紙ナプキンに、酔った彼が落書きした私の似顔絵だ。滅多にわかりやすく愛の言葉を囁かない、クールで恥ずかしがり屋の彼が、珍しく頬を紅潮させながら描いてくれた宝物。


 本当は額縁に入れて飾っておきたい気持ちはあるけれど、家族に馬鹿にされそうなので泣く泣く控えている。


「ねぇ、テオ」


 彼の名前を呼んでみた。


「ん? どうした?」


 彼は顔を上げることなく、ページをめくる。その隙に、隠しておいたプレゼントをこっそり手にする。


「これ、あげる」


 青い包装紙に、銀色のリボンで包んだプレゼントをスッと彼に差し出す。


「え、ありがとう」


 彼はようやく顔を上げて、プレゼントを受け取ってくれた。


「開けてみて」


 小さく頷き、包装紙を丁寧に剥がしていく姿は、どこか慎重で真面目な彼らしかった。リボンを解く手つきさえも静かで繊細で、思わず見惚れてしまう。


 青い包装紙の中から現れたのは、濃いグレーの毛糸で編まれた靴下。痩せ型で冷え性の彼が「最近寒くなってきたから、寝る時に足が寒くてなかなか寝付けない」とこぼしていたから、急いで編んだ手作り品。


 少し不格好な部分もあるけれど、それは私が一生懸命編んだ証なので許して欲しい。


「これ、手作りなのか?」


 彼は驚いたような声を出すと、瓶底眼鏡で私を見つめてきた。


「うん。最近編み物にハマってるの」


「……すごいな」


 思っていた以上に真剣な表情で靴下を見つめる彼に、喜んで貰えて良かったとホッとする。


 感慨深そうな表情で、じっくり喜びを噛みしめる彼は、少しの沈黙の後、ぽつりと言葉を漏らす。


「ありがとう。こういうの、もらったの初めてだよ」


 彼が口元をほころばせたその瞬間、心の中で小さな花火が打ち上がった気がした。嬉しさを隠しきれず、私も笑みを浮かべる。


(さぁ、次は私の番よ。彼は何を用意してくれたのかしら?)


 わくわくする気持ちで、けれどガツガツしているのは淑女として下品だからと、優しい笑みを彼に向ける。


「器用だな、君は。今日から早速良く眠れそうだ。ありがとう」


 彼もまた、優しく微笑んで……視線を魔法理論の新しい本に戻してしまった。


(え、どういうこと?)


 困惑したまま、彼にたずねる。


「それだけ?」


「ん?」


 本に視線を落としたまま、彼が答える。


「今日が何の日か、覚えてる?」


 彼は本から目を上げ、一瞬考え込むように眉をひそめた後、首をかしげた。


 心臓が一拍、二拍、飛び跳ねる。


「何か特別な日だった?」


 その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。


「やっぱり忘れてたんだ!」


 思わず声を荒げると、彼は驚いたようでわかりやすく固まった。


「待て、忘れてたって何のことだ? ちゃんと説明してくれ」


「覚えてないの?白銀のバラが完成した日のことを」


 声が震えるのを必死に抑えながら伝えた。


「あ」


 テオドルは慌てて本を閉じ、申し訳なさそうな顔になる。


「覚えてないなんて信じられない」


 彼は眉を下げ、困ったような表情を浮かべた。


「悪かった。最近忙しくて、その、日付まで気にしていなかったんだ。本当にごめん」


 謝罪の言葉は聞こえたけれど、どこか他人事のような響きに感じてしまう。


(忙しくてって、そんなのただの言い訳だわ)


 男の人はすぐに都合が悪くなると、その言い訳を口にする。


(花嫁修業をしている私には許されない理由なのに)


 現在私は、名だたる伯爵家の次男でありながら、魔法薬学の研究者としても名をあげる彼に見合う女性になろうと絶賛奮闘中。


 料理、掃除、洗濯、アイロンがけ、美しく上品な立ち居振る舞い、会話術、歴史、音楽、文学、魔法学といった座学に加え、乗馬やダンスのレッスンにも真摯に取り組む日々を送っている。


(何気に私もいそがしいんだけど?何ならその靴下、夜鍋して編んじゃったりしたんだけど?)


 暇だから編み物なんてしていると思われているのかも知れないと思ったら、余計に腹立たしい気持ちになってきた。


「でも、ただの記念日じゃないか」


 ボソリと追加された一言で、怒りが一気に沸騰する。


「ただの記念日ですって?あなたにとってはそうかもしれないけど、私にとっては大事な日だったの。だって……」


(大好きなあなたと初めての日は、どれも私にとって大事な記念日だから)


 彼の瞳の色に合わせた、若草色のドレスをギュッと握る。


 気付けば、編み物が膝から滑り落ち、毛糸が床に散らばっていた。ギュッと両手を強く握っているせいか、婚約指輪が指に食い込む。


「君はいちいち何でも記念日にしすぎなんだ。このままじゃ、毎日プレゼントを用意するようになるぞ」


 頼んでもいないのに、さらに追加された言葉で私のメンタルは崩壊した。


「どうして分かってくれないのよ」


 自分でも驚くほど低い声。


「プリシラ、そんなに怒ることじゃないだろう」


「怒ることじゃない?」


 声が震え、涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。彼の困ったような顔が視界に入るたび、悲しみと怒りが入り混じる。


「ようやく分かったわ。あなたの中での私の優先順位が。お仕事、研究、本、魔法理論……その後にようやく私なのね」


 テオドルは言葉を探しているようだったけど、結局何も言ってこなかった。その沈黙が、私の心をさらに深く傷つける。


「……今日はこれ以上話しても平行線だな。僕も反省するけど、君も怒りすぎだ。少し時間を置いて、もう一度記念日をやり直そう」


 彼は本を持って立ち上がると、私に背を向けた。


 そのまま庭を去っていくスラリと伸びた彼の背中を見送りながら、声を荒げてしまった自分が情けなくてたまらなくなる。


 東屋に差し込む陽光は相変わらず優しくて、私たちのバラは青白く輝き続けている。まるで、私たちの初めての成功を祝福してくれた、あの日の光のように。


 でも今の私には、何年もかけて二人で育てたバラの思い出は、もう遠い記憶のように感じて虚しくて、悲しかった。



 *



 上品なラベンダー色のドレスに袖を通した私は、長いこと鏡に映る自分と向き合っていた。


「もう、テオには期待しない」


 鏡の中の自分に言い聞かせるように呟く。結局、あの喧嘩以来、テオドルから何の連絡もない。謝罪の手紙も、花も、ましてや直接会いに来ることすらない状況だ。


 きっと、私なんてその程度の存在なのだろう。


 鏡台の鏡に映る開け放たれたクローゼットの奥に目をやると、大事なものボックスが目に入る。テオドルとの思い出の品々が詰まった宝箱だ。


 喧嘩の日から、一個も中身が増えていないことに、胸がちくんと痛む。


「テオなんて、もう嫌い」


 宝箱から視線を逸らして、鏡台に置いてある手紙に目を落とす。ピンクのバラ模様が入った便箋は数日前、伯爵令嬢仲間で親友のリーナから届いた秘密のお誘いの手紙だ。


『最近のあなた、元気なさすぎよ。みんなだって婚約者に隠れて遊んでるし、たまには息抜きしないと。今どき一途な女なんて重いだけだから。それに今回は、素敵な魔法使いの男性陣もたくさん来るって話。プリシラは魔法使い萌えでしょ?返事はYESのみ受付ま~す』


 もう何度目かわからないほど読み返した。手紙から伝わる、彼女らしい、明るすぎて無遠慮な励ましについ頬が緩んでしまう。


(でも実際そうよね)


 一途は言い換えると、重い女だ。


(テオのことは好きだけど、このままじゃ私は彼の背後霊のように、まとわりついて、追いすがるだけの女になっちゃうわ)


 正直なところ、五歳で婚約者として紹介された彼以外、私は男性を知らない。


(お父様やお兄様は男性だけど、もはや別の生き物だし)


 十六歳で社交界デビューして、三年近く夜会に参加しているけれど、婚約者のいる私は婚活レースから弾かれ、何となく仲間外れにされているという状況だ。


(現に、知り合いの男性を思い浮かべても、お父様やお兄様のお友達ばかりだし)


 どの人も安全安心で、親のお墨付き。


(でも、私だって)


 恋愛小説のように、素性を隠して知り合って、ときめく恋がしたい。


「そもそも、男性にアンケートを取ったら、初めてのキスは婚約者じゃなかったって言う人ばかりだって話だし。男性が許されて、私たち女性が許されないなんておかしいもの」


 少しずつ化粧を重ねながら、いつもより念入りにアイラインを引く。


 普段はテオドルの瞳の色に合わせたドレスに袖を通しがちだ。けれど今日は思い切って、密かに気に入っているラベンダー色のドレスを選んだ。


(これは彼へ反旗を翻す、狼煙みたいなものだから)


 やる気みなぎるまま、頬にぽんぽんとチークをのせる。


 リーナが男性との飲み会に誘ってくれたとき、最初は断るつもりだった。


「今となってはそれが唯一の気晴らしに思えてくるのだから、不思議だわ」


 自分に言い聞かせながら、リップブラシを使って唇の輪郭を慎重になぞる。


「あ」


 なぜだか手が少し震えて、唇からリップがはみ出してしまった。


「びびってないし。私は浮気する気まんまんだし」


 言葉が乱れる私の鏡越しの視界に、窓辺で静かに青白い光を放つ、白銀のバラが飛び込んでくる。


「あれは過去の思い出。今の私には関係ないわ」


 強く瞬きをして、涙が出そうになるのを必死でこらえる。


「うん、完璧」


 いつもより入念にお化粧をした私は、年相応の大人の女性に見える。髪の毛は綺麗に結い上げてあるし、ドレスだって完璧だ。


「今日の私には、婚約者なんていない」


 左手の薬指を飾る婚約指輪に目が行ってしまう。キラキラと光る小さなダイヤモンド。プロポーズの時、照れくさそうに指輪をはめてくれた彼の手の温もりをまだ覚えている。


(やっぱり、これは外していくべきよね……)


 指輪に手をかけた瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。


「こんなのただの装飾品で、私を縛り付ける呪いの魔道具でしかないわ」


 そう言い聞かせても、なぜだか指輪を外す勇気が出ない。かといって、婚約指輪をしたまま見知らぬ男性との飲み会に参加するなんて、あり得ないこと。


「テオなんて、嫌い。婚約破棄してやる」


 小さく呟き、薬指から思い切って指輪を外す。


 鏡に映る自分は、いつもより綺麗。でも、胸の奥がモヤモヤして、重たい。


「目指せ、円満な婚約破棄!」


 声に出して自分を鼓舞する。


 出かける支度が整って、ドアノブに手をかけながら、最後にもう一度、窓辺の魔法のバラに目を向けた。


(テオ……)


 その名前が心の中でこぼれ落ちそうになるのを、慌てて飲み込んだ。



 *



 高級レストラン『クリスタルムーン』の個室に足を踏み入れた瞬間、私は自分がここにいることを後悔し始めていた。


 シャンデリアの柔らかな光に照らされたテーブルを囲んで、既に五人の男性が着席している。


「こちらは、私の親友プリシラです。チャームポイントは、ピンクブロンドの髪に、くりっとした空色の瞳。ね、可愛い子でしょ?私の一押しだから優しくしてあげて下さいね」


 リーナが軽やかに身内贔屓な自己紹介をする中、私は無理に作った笑顔を浮かべながら、椅子に腰掛けている。


(なんでいるのよ……嘘でしょう?)


 私の向かいに座り、穏やかな笑みを浮かべているのは、間違いない。私の婚約者テオドルだった。


 いつもの分厚い眼鏡こそないけれど、柔らかく揺れる黒髪も、エメラルドのような瞳も、紛れもなく彼のもの。しかも本日の彼はAパータン、Bパターンしか用意されていないため見慣れてしまった紳士セット一式ではないものに身を包んでいる。


 ジャケットに襟腰の高いシャツ。ここまではいつもと変わらない。問題は、まるでこの日のためにあつらえたような、スタイリッシュな刺繍模様が施された壮麗なウエストコートでビシリと決めていること。


(はぁ……格好いい…………ではなくて!!)


 つい素敵なテオドルに目が吸い込まれる自分を振り切り、隣に座るリーナを見つめる。


(なんで、テオがいるのよ)


 なんで、なんで?と彼女の澄ました横顔に念じる。


「まぁ、現在二十二歳なんですか。だとすると、私たちと三歳差だから、丁度いいですわね」


 私を完全に無視した彼女は、呑気にテオドルと会話を弾ませている。


(しかもなんで初対面を装っているのよ)


 親友として何度もテオドルとリーナは顔を合わせている。だから今の会話はあり得ない。


(さすがに気付いてないってことはないだろうし……)


 リーナの友人で、私も顔見知りであるナタリア様を観察する。なぜなら彼女は社交界一の情報通だと噂されている子だから。


(ナタリア様だったら、社交界で存在感の薄さに定評ありと言われるテオのことを、ちゃんと把握してくれているわよね?)


 リーナの隣に座るナタリア様をチラリと確認する。すると、彼女の抜け目ない琥珀色の瞳は、間違いない。テオドルにロックオンされていた。


(大変だわ、瓶底眼鏡がないと彼が素敵なことがみんなに知れ渡っちゃう!!)


 内心焦る気持ちで、「なに勝手に眼鏡外しちゃってるわけ?」と念じながら、彼に淑女らしく優しく微笑む。すると、テオドルも穏やかに微笑み返してきた。


(こ、この表情は……)


 見覚えがある。私をからかう時に見せる、どこか意地悪な笑みだ。


(落ち着け私、一体何が起こってるの?)


 顔に笑顔を貼り付けたまま、思考を飛ばす。


(テオと喧嘩して、円満に婚約破棄をするための理由作りとして合コンに参加した。そしたら何故か目の前にテオがいて、参加者は誰もそのことを指摘しないという謎)


 状況を整理するもさっぱりだ。


(とにかく冷静にならないと……)


 私は笑顔をキープしつつ、深呼吸を繰り返した。テオドルがいるのは事実。そして、この場にいる誰もが彼と私の存在を、まるで婚約者同士ではないかのように受け入れているのもまた事実。


(いや、無理があるでしょう!陛下公認で、社交界でも知れ渡っている婚約者同士が向き合って座ってるのよ?普通、誰か何か言うと思うんだけど)


 しかし、リーナもナタリア様も、そして他の男性たちも、特にテオドルと私が合コンに参加しているという謎の現象に違和感を覚えている様子はない。それどころか、リーナやナタリア様に至っては、まるで彼と初対面の参加者であるかのように振る舞っている。


「テオドルさんは、どちらでお仕事をされているんですか?」


 ナタリア様の言葉に、私はグラスを持つ手がピクリと震えた。


(ナタリア様、情報通なあなたなら知ってるはずじゃないの?まさか、本気でテオ狙い?婚約者は私なのよ!)


 そんな心の叫びも虚しく、テオドルは穏やかな微笑みを浮かべたまま、あっさり答えた。


「魔法省で研究員をしています。主に、古代魔法の翻訳と魔法薬応用技術の開発ですね」


「まあ、素敵!」


 ナタリアが興味津々に声を上げると、隣のリーナまで「すごい!プリシラ、魔法使い推しのあなたに、彼はピッタリじゃない!」などと言い出す始末。


(リーナ、彼が私の婚約者だって知ってるわよね?)


 心の中でひっそり指摘するも、リーナは楽しげに笑っているだけだ。


「プリシラさんは、テオドルさんと初対面ですか?」


 対面の男性の一人が話を振ってきて、私は一瞬言葉に詰まった。


「えっと、ええ、まあ……そのようなもの?だと思います」


 ぎこちない笑顔で返すと、テオドルが口元に手を当てて笑った。


「プリシラさんとは、以前に少しだけお会いしたことがありますよ。こうしてゆっくり話せるのは初めてですけどね」


 その言葉に、周囲が「まあ、そんな偶然があるなんて!」と盛り上がる。


(偶然じゃないでしょ、絶対に!)


 テオドルの涼しげな瞳が一瞬だけこちらを見つめた。あの視線には確信があった。これは偶然ではなく、明らかに計画されている――そう、誰かが仕組んだものに違いない。


(まさか、リーナとナタリア様がグル?それとも、テオ自身が?)


 真相を確かめるべきだと思いながらも、和やかな雰囲気漂う合コンで、「お芝居はやめて!」などと言えるわけもなく、私はただその場の空気に流されるままを許す。


「プリシラ嬢、次はあなたのお話を聞かせていただけますか?」


 テオドルの隣に座る男性の言葉で、みんなの視線が私に集中した。特に向かい側に座る男性五人から、合計十個の視線を一気に浴びて、心臓が飛び出す勢いで脈を打ち出す。


「あ、あの。わ、私は……趣味は……」


 手芸です。と伝えたかったのに、言葉にならず俯く。


(駄目だわ。見知らぬ男性の前で上手く喋るなんて無理よ)


 耐えられず俯く。ラベンダー色のドレスを押さえるように置いた手をギュッと握りしめる。


(だめだ、みんなが毛虫に見えてきちゃった)


 しょんぼりと肩を落とす私の脳裏に蘇るのは、幼い頃の凄惨な記憶だ。


 母親の開催したお茶会に招待されていた、意地悪な男の子に「いいものあげる」と笑顔で毛虫を手のひらに乗せられた。パニックになった私は、騒然たる勢いで走り出した挙げ句、頑丈で有名なオークの木に正面衝突して歯を折り、顔面血だらけになった。


 その時負ったおでこや口元の傷は完治しているし、折れた歯も乳歯だったせいで今は何事もなく過ごせている。けれどその事件以降、男性と顔を合わせるたびに、毛虫の恐怖が蘇り、上手く喋れなくなってしまったのである。


「えっと……その……」


 嫌われたくないという一心で、言葉を探すが何も見つからない。焦りばかりが込み上げて、頭に浮かぶのは毛虫ばかりで、何の語彙も浮かんでこなかった。


(そうよ。私に男性の友人がいないのは、このせいだったし、私が唯一怖くないのはテオだけだったじゃない)


 男性と仲良くなろうだなんて、意気込んでこの場を訪れた自分が馬鹿みたいだと唇を噛む。


 すると、向かいから柔らかな声が飛んできた。


「プリシラ嬢の趣味は手芸ですよ。特に刺繍が得意なんです。以前、彼女が作ったハンカチを見せてもらいましたが、とても美しい刺繍が施されていました。今は編み物にも挑戦されているそうです」


 テオドルの言葉に、部屋中の視線が私から彼に移る。彼の落ち着いた声には、何とも言えない安心感があり、心臓の鼓動が少しだけ落ち着いた。


「へえ、それは素晴らしいですね!」


「刺繍をする女性って、なんだか優雅で魅力的ですよね」


 男性陣が口々に称賛の声を上げる中、私は恥ずかしさで顔を真っ赤にして俯く。


(どうしてテオが私のことをそんなに褒めるのよ。喧嘩して婚約破棄しようとしているっていうのに)


 そんな私の混乱をよそに、彼は自然体で会話を続けている。


「彼女は刺繍だけでなく、花のアレンジメントも得意なんですよ。以前、庭に咲いていた花で作ったブーケを見せてもらいましたが、あれは見事でした」


「まあ、素敵!プリシラ様って、コミュ障だけど、多才なんですね」


 ナタリア様が目を輝かせながら、褒めてるのか貶してるのか、判断に困る発言をした。


「ナタリア、お願いだからコミュ障は、奥ゆかしいと変換してあげてくれる?」


 リーナの言葉にみんなが声をあげて笑う。


(ちょ、ちょっと待って。なんでこんな流れになってるの?)


 私は頭が真っ白になりながらも、テオドルに抗議の視線を送る。けれど彼は全く動じず、まるでこれが自然なことだとでも言いたげに、穏やかな笑みを浮かべている。


「それに、彼女は子供たちに魔法を教えるのも上手なんです。以前、孤児院でボランティアをしていたときも、みんな彼女の周りに集まっていましたからね」


「なんて素敵なお嬢様!」


 リーナまでわざとらしく感嘆の声を上げる始末だ。


(もうやめて……これじゃまるで私が完璧な人みたいじゃない。私はそんなに褒められるような人間じゃないから)


 居心地の悪さと恥ずかしさで、さらに小さくなる。


「……ありがとうございます。でも、そんな大したことはしていませんから」


 か細い声で何とか告げる。


「謙遜しすぎる必要はありませんよ、プリシラ嬢。あなたがどれだけ素晴らしいか、みんなに知ってもらえるのは嬉しいことですから」


 テオドルの言葉に、私の心臓がまたしてもドキンと大きく跳ねる。


(こ、殺す気?ころすき、すき……大好き)


 つい、彼の言葉に絆されそうになってしまう。


(くっ、駄目よ私。この前彼の優先順位を思い知ったばかりでしょ!しかもなんかこの状況は明らかにおかしいもの)


 テオドルの言葉に心を揺さぶられている場合ではない。この状況の裏に何かがあるのは明らかだ。


(これ、やっぱり誰かが仕組んだ罠なんじゃないの?リーナ、ナタリア様、それとも……テオ自身?)


 困惑の渦に巻き込まれる中、リーナが陽気に声を上げた。


「さて、それじゃあシャッフルタイムね!プリシラとテオドル様は、隣ね」


「えっ!?」


 予想外の提案に、私は椅子から転げ落ちそうになった。テオドルは微笑みを浮かべたまま、私を見つめている。


「プリシラ嬢、よろしかったら僕のとなりに来てくれませんか?」


 彼が私を見つめるエメラルドグリーンの瞳は、どこまでも穏やかで優しかったけれど、どこか悪戯っぽい光も宿している。


(やっぱりこれは罠だわ。テオ、あなた絶対に何か企んでるでしょ!)


 混乱と羞恥と焦燥感が渦巻く中、私はどうすることもできず、リーナに促されるまま席を渋々移動するのであった。



 *



 酔いが回ってきたのか、盛り上がる合コン会場の部屋から離れ、夜風が優しく頬を撫でるバルコニーへと出ると、ようやく静寂が訪れた。星明かりが夜空を飾り、それに対抗するかのように街の灯りが煌めいている。


 私は緊張と戸惑いでいっぱいのまま、テオドルを見上げた。彼は穏やかな笑みを浮かべたまま、私の隣に佇んでいる。


「……で、どういうこと?」


 静けさを破ったのは、私の苛立ち混じりの声だった。


「どうしてあなたがここにいるの?なんでみんなは揃って記憶喪失みたいな真似をしているの?これ、何かの悪い冗談なの?」


 渦巻く疑問が一気に溢れ出す。


「悪い冗談だとしたら、随分と手が込んでるよな」


 テオドルは苦笑いを浮かべながら、私をまっすぐに見つめた。瓶底眼鏡がない視線に耐えきれず、つい目を逸らしてしまう。


「今日の合コン、君が来るのを知ってたんだ」


「え、どういうこと?」


 驚きの声を上げる私に、彼は申し訳なさそうに首を横に振る。


「正確には、君が参加するとリーナ嬢に聞いて、僕も参加を決めた」


「リーナに?なんで?」


 テオドルは小さく息を吐いてから、真剣な表情を私に向けた。


「プリシラ、君との喧嘩の原因になった記念日のこと、本当に申し訳なく思っている。記念日を忘れたのは僕の責任だ。本当にごめん」


 彼はすんなり頭を下げた。


「忙しかったのは事実だ。でも、それは君との日々を大切に思っていないわけじゃない。むしろ、君の存在が僕にとってどれだけ大きいかを、喧嘩してから改めて思い知らされたし」


 彼の真摯な瞳が、私を捉えて離さない。


「君に何と謝ろうかと考えて仕事はミスばかりするし、君がくれた手編みの靴下はとても暖かいのに全然眠れなくて。寝不足のせいで目の下の隈が凄かったらしくて、職場のみんなに病院に行けと早退させられるし、部屋に飾ってある、君と一緒に植えた白銀のバラも元気がなくなるし、それに」


「ストップ。あなたが反省しているってことは、すごく理解したわ」


 永遠に続きそうな彼の懺悔をストップする。


「今日は、君が他の男と話している姿を見て、焦りと後悔で胸が締め付けられるような気持ちになった。『ああ、もしかしたら本当に彼女を失うかもしれない』って」


 私は思わず吹き出してしまう。


「他の男の人って、私はあなた以外とほとんど喋ってないわ」


「それでも、全く喋らなかった訳じゃないし、あいつら全員、君のことを可愛いって言ってたし……」


 拗ねた顔を見せる彼は珍しいし、可愛い。


「あなたが焦るなんて、珍しいこともあるのね」


「そうだね。普段の僕らしくないって自分でも分かっている」


 彼は照れたように髪をかきあげた。私だけの秘密だった、綺麗なエメラルドの瞳が晒されて、少しだけ不機嫌な気持ちが蘇る。


「だからこそ、君への気持ちが本物だって証明になると思うんだ」


 風が吹いて、私のドレスが揺れる。テオドルはそっと私の肩にジャケットを掛けてくれた。


「でも、リーナたちと示し合わせて、こんな大掛かりなことをするなんて……」


「君のことを想う気持ちは本物だけど、演出力は皆無なものだから」


 テオドルは少し照れくさそうに笑う。


「リーナ嬢に相談したら『それじゃあ、私たちが手伝ってあげる』って言ってくれて」


「まったく……」


 私は溜息をつきながらも、内心では嬉しさが込み上げてきて、つい頬を緩めてしまう。


「でも、彼女のおかげで、君とこうして話せた。感謝しないといけないな」


「そうね。リーナ達には後でお礼を言わなきゃ」


 明るくて楽しい事が大好きな親友を思い浮かべ、自然と笑みが溢れる。


「それで、プリシラ」


 テオドルが真剣な表情で私の両手を取る。


「僕と、もう一度やり直してくれないか?今度は絶対に、大切な記念日を忘れたりしない」


 街の喧騒が遠く聞こえる中、私はテオドルの手をぎゅっと握り返した。


「……約束よ?」


「ああ、約束する」


 彼は満面の笑みを浮かべる。


「実は、次の記念日はすでに決まってるんだ」


「何の記念日?」


 たずねると、彼は一呼吸おいて。


「今日、君が僕を許してくれた記念日」


 テオドルは照れた顔になると、恥ずかしいのか私を優しく抱きしめた。


 星明かりの下、バルコニーで交わされた新たな誓い。それは、私たちの新しい記念日の始まり。


 でもあと一つ。


「できたら、人前で眼鏡を外さないと私に約束した記念日も追加でお願いできる?」


「……お気に召さなかった?」


「いいえ、あなたの素顔を知れるのは、世界中で私だけの特権だから」


 テオドルが思わずといった感じで吹き出した。


「まさか、そんなに気になっていたとは」


「当たり前でしょう?」


 私は拗ねたように頬を膨らませる。


「あなたの魅力的な素顔を、他の人に見られたくないもの」


「……君は本当に」


 テオドルは優しく微笑むと、ポケットから例の、レンズが分厚い眼鏡を取り出した。


「これのことかな?」


「そうよ。早く掛けて」


 半ば命令するように告げる。すると、テオドルは意地悪そうな笑みを浮かべた。


「条件がある」


「なによ?」


「キスをしてくれたら」


 突然の要求に、私の顔が真っ赤になる。


「も、もう。意地悪だわ」


「君が僕の素顔を独り占めにしたいように」


 テオドルは私の耳元で囁いた。


「僕も、君のキスは僕だけのものにしたいんだ」


「……分かった」


 私は周りを確認してから、つま先立ちになって彼の頬にそっとキスをした。


「これで満足?」


 顔が熱いし、心がどきどきして倒れそうだ。そんな私に彼は不服そうな表情になる。


「やり直し」


「え?」


「そんな子ども騙しじゃなくて、ちゃんとしてくれないと」


 意地悪な顔になった彼は、中腰になる。


(こ、これは……断れないパターン)


 私は覚悟を決めてそっと顔を近づける。柔らかな唇の感触が伝わり、幸せで、だけど恥ずかしい気持ちが勝ってすぐに身を剥がす。けれど、テオドルはまだまだ物足りなかったようだ。


「これは、君が僕が送った指輪をしてないぶん」


 テオドルは返事も待たず私を引き寄せて軽く唇を重ねた。驚いたけど、私も満更でもなかったから受け入れてしまう。やがて唇が離れていくと、彼は今度こそ満足げな表情で私を見つめた。


「もう二度と、外さないで欲しい」


 わかった?と微笑み首を傾げるテオドルに、私は恥ずかしさを堪えて「うん」と頷く。


「いいこ」


 子どもにするみたいに私の頭を撫でた彼は、胸ポケットから取り出した眼鏡を掛け直した。すると、魅惑的な貴公子から、いつもの真面目そうな魔法省研究員の姿に戻る。


「うん、しっくりくるわ」


 心から安堵して頷く。


「さぁ、戻ろうか。みんなが心配してるはずだ」


「ええ」


 彼が手を伸ばす。私は迷わずその手を掴む。


(婚約破棄をしようと合コンに参加したはずなんだけどな。でも幸せだから、ま、いっか)


 くすりと微笑み空を見上げる。すると、満天の星たちが優しく私たちを照らしていたのだった。



 *完*

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