6.そして出会う
魔術学院の見学から数日。リルカは平穏な日々を過ごしていた。
ユハもとりあえず見学をさせたことで気が済んだのか、それともまた機を窺っているのか、勧誘はなりを潜めている。
約束通り、図書館で読みかけていた本を一部写本したものももらえて、リルカはそれだけで一日付き合った甲斐はあったと思った。現金にもほどがあると自分でも思うが。
リルカはおおむね知り合いからの依頼を受けて日々の糧を稼いでいる。今日は馴染みのお姉さんの家の子守りの仕事だった。やんちゃな五歳児と大人しい三歳児の面倒を見るのはもう幾度目かになるので慣れたものである。ついでに五歳児の方にちょっとばかり文字と計算を教えておいてほしいと言われていたので今日は簡単な教材も作って持っていった。三歳児の方も興味津々だったので、一緒に教えてみたりした。今理解できなくても、知的好奇心を満たし、育てることが重要なのだと思っているので。
――転機は、その帰り道に訪れた。
「すまない、道を尋ねたいのだが」
その人は一見して剣士だとわかる姿をしていた。
精悍な容貌の男の人だ。青年、と呼ぶには雰囲気が似合わない。もう少し年上かもしれない。このあたりには珍しい、わずかに緑がかった暗い青の髪色をしている。
シャーディーンに剣士はあまりいないため、観光で来た人かしら、と思いつつ、リルカは笑顔で応対した。
「どちらに行かれたいんですか?」
「『シャーディーン国立魔術学院』の傍の宿に予約をとってあると言われたんだが、それがどこかわからなくてな……」
「魔術学院の傍の宿……っていうとあそこかしら。合ってるかはわかりませんが、案内しますね」
「いや、そんな。道を教えてくれるだけでいい」
「口だけで説明するにはここからだとちょっと遠いので。……観光でいらしたんですか?」
その人は申し訳なさそうな顔をしたが、それ以上固辞はしなかった。
リルカの問いに、少し難しい顔になる。
「観光というか、知り合いに呼ばれて……。だが、『シャーディーン魔術学院』に呼ばれたのだから、観光のようなものか」
「魔術学院に? ……ええと、剣士の方とお見受けしましたが、魔術も堪能なのですか?」
「いや、俺は魔術はほとんど使わない。その……俺に起こったある事象を研究したいと言われてな……」
男が言葉を濁したので、リルカはそれ以上つっこんでは聞かないことにした。世間話の一環なので、さっさと次の話題に移る。
「先日、私も魔術学院を見学しましたが、建物だけでも一見の価値があると思いました。ぜひ、ご用事のないときに散策してみてください」
「見学……というと、貴方は『シャーディーン魔術学院』の生徒ではない、が、誘われてはいる?」
「そうですね。そういうことになります」
「貴方が入学するのだったら、また会うこともあるかもしれないな」
リルカは曖昧に微笑んだ。ここで「いえ、入学の予定は微塵もありませんので」と言って理由まで聞かれると、ちょっとややこしいなと思ったからだった。
「あ、ここを曲がります。……どちらからいらしたのか、お聞きしても?」
「ああ、ありがとう。……隠すようなことでもないしな。東のミズハの国からだ」
「ミズハの……それでは、旅路は大変だったのではないですか?」
ミズハの国と言うのは、極東にある島国の名前だ。シャーディーンからは海路か魔術による転移でしか渡れない。だからこそのリルカの言に、男は首を横に振った。
「知り合いのおかげで、魔術の転移でこちらの国境までは来れた。入国審査があるからそれ以上は使えなかったが……」
なるほど、それならば長い旅路というわけではなかったのだろう。これから宿に行く旅人にしては軽装なはずだ。
「それはよかったです。海路で来ようとすると大変だと聞きますから……」
「海路は天気に左右されるからな。個人的に船が苦手だから、有難かった」
「船、苦手なんですか?」
「あの地面が揺れる感じがどうしても慣れなくてな……」
渋い顔をする男に、リルカは微笑ましく思う。
リルカは今世では船に乗ったことはないが、前世ではある。たしかにあの独特の感覚は、慣れる人間と慣れない人間にはっきりとわかれる代物だった。
「ちょっとわかります。地面がゆらゆらするのって、どうにも慣れませんよね」
「そうだな。……それに、俺は一応剣士だからな。十全に戦えない環境がどうにも。船は感覚が狂う」
男は溜息をついた。リルカは男の腰に帯びられた剣を見る。
「シャーディーンには剣士の方が少ないのですが、剣士の方はいつでも剣を帯びてらっしゃるのですか? 寝る時も?」
「寝る時はさすがに外すが、枕元に置くな。すぐに使えるように。――貴方は剣士に興味があるのか?」
「興味……と言っていいものか迷うのですが……。伝聞や物語の中でしか知らないので、気になって」
これは半分本当、半分嘘である。
リルカは確かに剣士を伝聞や物語でしか知らないが、『アイシア』の頃は共に戦う仲間だった。ただ、今世の『剣士』という人間はどんなものなのかわからないので、いい機会であることだし聞いてみたのだった。
「確かにこの国では剣士は物珍しいらしいな。興味の視線で見られることが多い」
「ご不快に思われたのなら申し訳ありません」
「いや、俺も魔術国が珍しくてじろじろ見てしまったりしたしな。この国は本当に魔術が盛んだ。小さい子供まで、その辺で魔術を使って遊んでいるのを見て驚いた」
「他の国では、もう少し魔術の取り扱いが厳しいといいますものね」
少なくとも年齢制限を設けていたりするという。シャーディーンにはそういうことがない。教えられ、使えるようになればあとは自己責任の範疇で好きに扱える。もちろん、『魔術学院』で教えられるような等級の高い魔術は別だが。
「あ、見えてきました。……たぶん、あそこのことだと思うんですけど」
ここは首都であるので宿屋は多い。言い振りからして、魔術学院に一番近い宿だろうと見当をつけたのだが――それに、『予約』が可能な宿はかなり絞られる――果たして。
「……なんというか、豪華じゃないか?」
「この街で一、二を争う宿なので……。予約をとったという方からは何もお聞きでないんですか?」
「滞在費は払うから気にせず泊まれ、とは言われたが……そういう意味だったのか……?」
「というか、その予約をとった方とあなたを呼んだという方が同じ方でしたら、迎えに来てもらったりとかは……?」
「その予定だったんだが、急用が入ったとか言われて直前で無しになってな。だからこそろくに説明も聞けなかったんだが」
「そうだったんですか……」
それはご苦労様である。
宿の前について、男は「少し待ってもらっていていいか」と中へ入って行った。リルカも、もしここが違っていたら別の宿を案内しようと思っていたので言われた通りに待つ。
「ありがとう。合っていたようだ。俺の名前で予約が入っていた」
出てきた男が笑顔でそう言ったので、リルカも笑顔になる。
「それならよかったです。どうぞ、ゆっくり休んで、この都を楽しんでください」
それでは、とそのまま別れようとしたリルカの肩を、男がはっしと掴んだ。
「? どうしました?」
「お礼を、」
「そんなこと、ただ案内しただけなんですからいいんですよ。街に住む者の、旅人の方に対する義務です」
「そうは言っても……」
どうにも引き下がる様子のない男に、リルカは考える。
「……。それじゃあ、剣を見せてもらえませんか?」
とても使い込まれた、とてもいい品だというのは鞘におさまった状態でも察せられた。
リルカは剣に造詣が深くないが、良い品を見るのは好きだ。知的好奇心が強いのかもしれないし、美しいものが好きなだけかもしれない。だから、せっかくだし見せてもらおうかと思ったのだった。
「剣を?」
「はい。とても良い品だとお見受けしたので、気になって」
「そんなことでよければ……」
と、男が剣を引き抜く。すらりと抜かれたそれは、美しい刃の輝きをリルカに見せてくれた。
手入れも丁寧にされているのだろう。刃こぼれもない。冴え冴えとうつくしい。
ほう……と見入ったリルカに何を思ったか、男は「持ってみるか?」と言った。
「え、いいのですか?」
「貴方のような女性には重いだろうが……もっと近くで見たいかと思って」
見たいか見たくないかで言えば、見たい。だが、他人が持ったままの刃を近くで見るのには勇気がいる。
それに対しての気遣いも感じ取って、リルカはありがたくお言葉に甘えることにした。
――しなければよかった、と思ったのは、その直後だった。
男がそっと柄をリルカに向け、剣を手渡してくれた。それはいい。支えるように刃の部分を熟練の手つきで持ってくれたのもいい。
問題は、触れた瞬間にどうしようもなくわかってしまった事実だった。
(この剣、神力を帯びてる……!)
それもなんだか前世でちょっと馴染みがあるというか、そうなりたくはなかったというか、そんな神力だった。――つまり、【英雄神ヴィシャス】の神力だった。
リルカはばっと男の顔を振り仰いだ。
血の気が引いたリルカに、男は「やはり実際に触るのは怖かったか?」などと見当違いの気遣いを向けて、剣をそっと取り上げた。
男の気配を注意深く探る。そこに、ティル=リルのような違和感も、隠された神力もないように思えた。
(ヴィシャス様では、ない……?)
まだ少し警戒しつつも、ほっと胸を撫でおろす。けれど今度はどうして剣に――そして男にも若干の神力が存在しているのかが問題になってくる。
この問題を放置しては心の安寧が保てない。リルカは直接聞いてみることにした。
「あの……間違っていたら申し訳ないのですけど……【英雄神ヴィシャス】様を拝神していらっしゃったり……?」
「……! ああ、そうだが……なぜわかったんだ?」
ここでヴィシャス様の神力が……とか言ったら間違いなく面倒なことになる。リルカは頭を働かせた。
「先日、『魔術学院』を見学した際に【英雄神ヴィシャス】様の〈器〉が確認されているという話を聞いて――剣士様が『魔術学院』に呼ばれたのなら、そういうことなのかと思ったのですが……」
「ああ、知り合いの講義を受けたのか。それとも別の講師だろうか? ……確かに、俺は現代には珍しい神の〈器〉となった事象が原因で、『シャーディーン魔術学院』に呼ばれることになった。……俺としては、本意ではないんだけどな」
「本意ではない、とは……」
男は困ったように眉尻を下げた。
「英雄神の〈器〉になったことだ。俺はただ、剣の道を究めようとしていただけだったのに」
「そう……なのですか……」
確かに、【英雄神ヴィシャス】の〈器〉の条件を考えれば、そういうこともあるだろう。基本的に神は人間の事情を斟酌しない。望もうが望まなかろうが条件を満たせば選ばれてしまう。
「すまない、拝神する者としてあるまじき発言だったな」
「いえ、私は敬虔な神徒ではないので……」
「? ということは、貴方も神に拝神している? このあたりの地域では拝神というのは廃れていると聞いていたが……」
「確かに、私も自分以外に拝神している人にはほとんど会ったことがありませんが……。私は【死と輪廻の神ローディス】様と【癒しの神ユースリスティ】様に拝神しております」
「なるほど、だからすぐに俺が拝神しているのではないかと思ったのか」
そういうわけでもないが、リルカは曖昧に肯定しておいた。詳しい説明をする必要はない。
「ミズハの国でも拝神というのは主流ではなくなっている。こんなところで同士に会えるとは思わなかった。……貴方さえよければ、名を教えてもらえないだろうか? ――ああ、俺はエセルナート・ミェッカという」
「ミェッカさん……」
「エセルナートでいい。ちょっとあってな。家名には馴染みがないんだ」
「では、エセルナートさんと。……私はリルカ=ライラといいます」
ミズハの国の出身にしては名前がこちらの大陸風だな、と思って、ああ今は前世と違うのだ、と気づく。
ミズハの国は三千年の間に国を開き、異民族との婚姻を推奨して変わっていったと聞いている。名づけも変わってしまったのだろう。
「ライラ殿、と呼んでも?」
「『ライラ』は孤児院所属者の共通のものなので、リルカと」
「そうだったか……すまない、リルカ殿」
「いいえ、この都に住んでいないとわからないことですから、お気になさらず」
微笑みながら、リルカは心中でひとりごちる。
(それにしても、妙なことになってしまった気がする……)
ただ道案内をしただけなのに、妙に興味を持たれ始めている気がする。遠い異国での拝神する同士というのが琴線に触れてしまったのだろうか。
「俺はしばらくこの宿に滞在して、魔術学院に出向することになっている。もし機会があれば、また会ってもらえないだろうか?」
「剣士様が楽しめるような話などできませんが……」
「俺の知り合いは多忙でな。都の案内なんて暇はないと言われてしまった。だが、せっかくだから現地の人に案内してもらって都を見てみたいと思っていたんだ」
そう言われては、都に住む者としての意識が断るのも悪い気にさせてくる。
「……私も仕事がありますので、都合が合えばでよろしければ……」
「! ありがとう! 滞在する楽しみが増えた」
喜ぶエセルナートに、孤児院の連絡先を教える。エセルナートはしばらくこの宿に滞在するとのことなので連絡は容易だろう。この宿は宿泊者向けの連絡魔術具も置いているはずだ。
赤く染まり始めた空を見上げて、エセルナートが申し訳なさそうな顔をした。
「引き留めてしまってすまなかった。気を付けて帰ってくれ」
「いいえ。エセルナートさんも、宿でゆっくり旅の疲れをとってください」
「ああ。今日は本当にありがとう。またよろしく頼む」
会釈を交わして、リルカはエセルナートに背を向けて歩き出した。
ここから家はそう遠くない。暗くなる前に帰り着けるだろう。
――と、突然声が降ってきた。
(『リルカ』)
完全なる超常現象だ。しかし、かつて覚えのある頭がふわふわする感覚に、リルカはすぐに事態を把握した。
(ローディス様⁈)
そう、声の主は【死と輪廻の神ローディス】だった。前世と今世、二度聞いただけの声だが、聞き間違えるはずがない。
深みのある穏やかな声が、心配する響きをもって紡がれた。
(先程の男は、ヴィシャスの最新の〈器〉だ)
(存じております)
(……あまり、付き合うのは勧めない。ヴィシャスが貴女に気付くかもしれない)
(降臨の場に立ち会わなければ大丈夫かと思ったのですが……いえ、それ以前に、ヴィシャス様はまだ私のことを?)
てっきりもう諦めたのだと思っていた。正確には、ヴィシャスは熱しやすく冷めやすい性格だとされているので、リルカを――『アイシア』を追い求めるのに飽きたのかと。
(わからない。私はヴィシャスと交流がないからな。だが、私の神格を落とすほどに執着していた貴女を、そう簡単に諦めるとは思えない)
(その節は大変ご迷惑を……)
(貴女のせいではない。私がうまく立ち回ればよかっただけの話だ)
(ローディス様……)
これだからリルカはローディスへの畏敬の念をますます高めてしまう。
(とにかく、気を付けるように。……貴女は平穏な日々を願っているようだから)
それを最後に、ローディスの声は止んだ。特有の、頭がふわふわする感覚も消える。
(ローディス様が警告してくるほどだなんて……約束、早まったかしら……)
そう思っても後の祭りである。
まあ、案内するだけだし、とリルカは前向きに考えることにした。……前向きに考えるしかなかったともいう。




