4.講義と戯神
そういうわけで、聴講することになった『神々と〈器〉』の講義。ユハも一緒だ。元々とっていた講義ではないため単位にはならないというが、特に気にしてはいないようだった。
この講義は、本来は本職の研究者が行う予定だったが、その研究者が親しい講師に講義を資料と共に丸投げしたらしく、その愚痴などが挟まれながら、講義が進んでいく。
生徒たちは慣れているらしく、違う講師が講義を行うことに対して抗議などする様子はなかったので、リルカは内心それでいいのかとつっこみを入れたくなった。本職は研究者であるとはいえ、講義も仕事なのではないだろうか。
本来講師を務めるはずだった研究者の名前はリルカも知っている。
『セヴェリ=トゥーロ』という研究者だ。そもそも、現代で『古き神』を研究している人間が少ないので、自然と目や耳に入ってくる。いろいろと変わった逸話を持っている人なので、講義を丸投げしたと聞いても、ありえそうだと思ってしまうのが問題だった。
「――と、いうわけで、神々というのは〈器〉と呼ばれる適性のある人間に〈降りる〉ことがあることがわかっています。古代ではそれほど珍しくなかったようですが、現代で確認されているのは、【英雄神ヴィシャス】と――」
講師の説明の中に出てきた予想外の名前に、思わず肩が跳ねる。訝しげにユハがリルカを見た。それに何でもないと首を振って返して、リルカは心中で溜息をついた。
(さっき、思考から追い払ったばかりだったのに……)
【英雄神ヴィシャス】。それこそがリルカの――正確にはリルカの前世の、『できれば忘れていたい思い出』に付随する神の名前だった。
(……って、〈器〉が確認されてるの⁉ ヴィシャス様の⁈)
〈器〉とは神が神のまま人間界に降りるのではなく、人間を依り代として降りるときの人間側を指す言葉である。〈器〉となるためには、もちろん適性があるかどうかも重要だが、神によって様々な条件が存在することも多々あった。
【英雄神ヴィシャス】の〈器〉となる条件は、英雄神を主神として唯一崇めている、且つ、その戦闘力が神にも届くと信仰されることだ。
この場合の信仰は、神々に対するようなものではなく、『そう多くの人に信じられるほどの技量を持つ』という意味合いである。
(確かに、ヴィシャス様は他の神々より現代でも存在を残しているとは思っていたけど……まさか〈器〉が現れるほどだなんて)
【英雄神ヴィシャス】は、戦神である。戦乱の時代に特に重宝される神で、武人として至高に登りつめた人物が〈器〉の資格を得て、戦において英雄神を降臨させ、奇跡を起こす――そういった形で歴史にも現れている。よって、他の『古き神々』に比べて、近代まで人間界に痕跡が残っているのだ。
(……ヴィシャス様の〈器〉とは、関わらないほうがいいわよね? まあ、そんな機会、巡ってこないとは思うけど……)
リルカはぼんやりと考えながら、講義を興味深く聴いたのだった。。
* * *
英雄神の〈器〉が出現しているという衝撃の情報を除けば、講義の内容自体はそれほど目新しいものはなかった。三千年の間に増えていた神の〈器〉もまた、いくつか存在することが知れたくらいだ。
とはいえ、面白くなかったわけではない。自分の、三千年前の知識との相違にはやきもきしたが、さすが魔術学院の講師である。引き込まれる授業だった。
「少しは興味出てきた?」
「…………」
そんなリルカの様子に気付いたユハが言ってくるのに、あえて無言を返す。ここで頷こうものなら、「じゃあ『魔術学院』に入ろう」と話を持っていかれるに決まっているからだ。
(講義は面白かったけど、魔術を使いたくなったわけじゃないもの)
今世のリルカは【死と輪廻の神ローディス】と【癒しの神ユースリスティ】に、できるかぎりの魔力を捧げて生きると決めているのだ。その決意はそうそう揺らがない。
その後は、学院内をいろいろと巡った。演習場で上級魔法を自在に操る人も見たし、ユハに見映えのする魔術を見せてもらったりもした。
便利なのだろう、とは思う。そして、素質があって勧誘されているというのなら、魔術学院に入学するのが、普通の人が選ぶ道なのだとも。
それでも、この見学で、リルカの決意が揺らぐことはなかった。
「今日はありがとう、ユハ」
「どういたしまして。……リルカの考えを変えられなかったようなのは残念だけど、約束通り写本は今度持っていくよ」
「ふふ、ありがとう。楽しみにしてる」
「……少しくらいはとっかかりになると思ったんだけどな……」
「うん?」
「なんでもないよ。僕はこの後報告書を書かなくちゃいけないから送れないけど、気を付けて帰って」
「うん、わかってる。ユハもがんばって」
ユハと手を振り合いながら、門で別れる。
魔術学院は幸いにもリルカの住むところからそう遠くないし、まだ外は明るい。のんびりと徒歩で帰ることにする。
普段はあまり寄り付かない区域の街並みを眺めながら歩いていると、喫茶店らしき店の露台にある席から、じっとリルカを見つめる人がいるのに気付いた。
(あ、あの人……!)
それは図書館で見かけた、耳飾りが妙に心に残った人だった。それにしても、どうしてじっと見られているのか――そう考えたのと、耳飾りについて何がひっかかっていたのか理解したのは同時だった。
リルカは足早にその人に近づく。そうして逸る気持ちのまま、強く机に手をついて、小声で叫んだ。
「あなた――ティル=リル様ですね⁉」
その人はにこりと笑った。その唇が「正解」と紡ぐのと同時、その人の外見が幻のように入れ替わる。――美しいが幼い、煌めく銀の髪の少年の姿に。
「やあ、久しぶりだね、リルカ。元気だった?」
「たった今、元気がなくなりました。まさか、ティル=リル様だったなんて……」
「きみ好みの美形だっただろう? でもあんなにあからさまにヒントを出してあげてたのに、すぐに気づいてくれなくて悲しいな」
「あからさまって……あんなのすぐ気づかないですよ……」
ティル=リル――【戯神ティル=リル】。彼もまた、『古き神』の流れを汲む神である。
その名の通り、遊びや戯れを司る……率直に言うと性質としては悪戯好きの神だ。
この神は度々人間界に現界し、リルカの周りに出没する神でもあった。そう、それこそ今回のように、ただの人間のような姿をして、けれどどこかに違和感を抱くようにして。
「前世時点で滅んでいた国の意匠の耳飾りなんて、私だって伝聞でしか知らなかったんですけど……」
「でも、最終的には気づいたでしょ?」
ティル=リルだと気付く手がかりとしては難しすぎないかと暗に言ってみるけれど、彼の神は悪びれた様子もなく笑う。
この神が為すことを制限しようとするのが間違いなのだとわかっていながら、リルカは溜息をつきたい気分になった。
「……それで、今回は何しに降りてらっしゃったんですか?」
「元気にしてるかなーって思って」
「……それだけでほいほい降りて来ないでください。今そんなことしてるのティル=リル様だけでしょう」
今現在、神々は、戦乱の時代に人間界に手出しをしすぎて滅ぼしかけたことを省みて、『人間界にあんまり手を出さないようにしよう』ということになっている、らしい。
そしてその期間が人間にとっては長すぎて――少なくとも千年単位なので――こうまで神々への信仰が薄れているのだった。
しかし、神々にとって人間の信仰というのはあったらいいけどなくてもいいものなので、特に気にしていないらしい。最盛期を覚えている人間――つまりリルカからするとやきもきしてしまうのだが。
「ぼくはちょっと神の中でも立ち位置が違うからね、怒られないんだ」
「それは知ってますけど……」
「まあ座りなよ」と促されて、仕方なくリルカはティル=リルの向かいに腰を下ろす。いくら気安い態度を許してくれる神とはいえ、無視して帰宅するという選択肢をとれるはずもなかった。
「講義で聞いたでしょ? ヴィシャスの〈器〉の話」
「何でもお見通しですね……」
「神だからね。驚いた?」
「ええ、すごく驚きました。ヴィシャス様への信仰はそれほどまでに残っているんですね」
ティル=リルはおかしそうに笑った。
「ローディスに比べて違いすぎるー、って?」
「……その気持ちもなくはないですが」
「ローディスについては仕方ないね。きみも知っての通り神格が一度落ちたんだ。元々影の薄い神だし。きみのおかげでだいぶ力も戻ってきてるみたいだけど」
「それは……よかったです」
「でも神格が落ちたのも元はと言えばきみのせいだよね」
グサッときた。事実だけれど、改めて指摘されると痛い。
悄然とするリルカに、ティル=リルは笑みを深める。
「ま、きみのせいっていうのはちょっと言いすぎか。きみがきっかけになったのは確かだけど」
ヴィシャスも困ったものだよねぇ、とティル=リルは続けた。
「ちょっといろいろ邪魔されたからって神格落とすまで喧嘩するなんてさ。大人げないよね」
「それを煽ったのはティル=リル様でしたよね?」
「だってその方が面白そうだったから、ね?」
てへ、とかわいらしく舌を出す姿には騙されない。ティル=リルはすべての基準を『面白いか面白くないか』で判断する、倫理観なんて微塵もない神なのだ。神に倫理観なんて求めるなと言われたらそれまでではあるが。
そして、【死と輪廻の神ローディス】がこれほどまでに現世で忘れられ、影が薄くなっている原因の一端を担っている。……それはリルカにも当てはまるのがつらいところだが。
「……ローディス様は、お元気ですか?」
「元気だよ。きみのこと心配してた。無理してるんじゃないかって。ユースリスティもね」
「ローディス様やユースリスティ様にお変わりがないのならいいんです」
「本当、奇特だねぇ。毎日ギリギリまで捧げてるんでしょ、魔力」
「私には、それくらいしかできませんから」
「いっそ神子になっちゃえばいいのに。そうしたらいつでもローディスと話せるよ? ローディスも、言わないけどそう思ってると思うけどな」
とても簡単なことのようにティル=リルが言うのに、リルカは慌てて首を振った。
「私なんかが神子様になんて、恐れ多い……」
「昔ほど難易度高い立場でもないよ、神子は。そもそも主神として崇めてる人間が少ないから、いけるいける」
神子とは特に神に近しく、神のお言葉を授かれる者のことだ。
ティル=リルはこう言うが、神子とはそう簡単になれる立場ではない。三千年前はその神を主神として崇める中でも特に魔力の質が良く、そして多くを捧げることのできる人間が神子となることが多かったし、現在の神子はその神を崇める宗教の総本山に在る者から選ばれる――ということになっているらしい。
ローディスを祀る宗教の総本山は、同じ大陸にあることはあるが、とても遠い。そしてリルカは同士と共にローディスを崇めたいわけではないし、神子になりたいとも思っていない。ただただ、ローディスとユースリスティに拝神する日々を送れればいいのだ。
「いいんです、私は。ローディス様とユースリスティ様に拝神できれば、それだけで」
「転生するのにお世話になったから? それだったらぼくにもちょっとくらい魔力くれたっていいと思うんだけどな」
「拝神できるのは二神だけなんですよ」
「そのシステム、今となっては何の得があるんだって感じだよねー。一応『客神』って抜け道があるけど、無条件で魔力捧げられるのは二神だけってさぁ」
『客神』というのは、主神と副神以外の神の力を借りたいというときに、一時的に力を借りる際の神の呼び名だ。リルカは主神と副神にローディスとユースリスティをいただいているので、それ以外の神に祈る場合は客神としてになる。
客神との関係は一時的なものだ。魔力を捧げた分だけ、少しの神術を扱えるようになったり、わずかな加護が得られたりする。それも大きな術は使えないし、加護だって『気の持ちよう』よりはマシ、という程度だ。それ以上を求めるのなら主神や副神とするしかない。
今世のリルカは神術や加護を目的に魔力を捧げることはないので、客神に力を借りることもない。だからティル=リルに魔力を捧げることもない。それは申し訳なく思っているけれど――しかし諸々の事柄から少しだけだ――そもそもティル=リルを客神として得られる神術も加護も、基本使いどころがないものなので、客神とする理由もないのだった。
それはティル=リルもよくわかっている。本神様で在られるので。そのうえでリルカにあてこすってくるのは、実はいつものことだった。
曖昧な笑みで躱すと、それ以上ティル=リルも言い募っては来なかった。
ただ、浮かべられた笑みが意味ありげなものになって、リルカはぎくりとした。
「でもぼくはきみを気に入ってるからね。きみの運命が転がっていくのを、これからも楽しく見守らせてもらうよ?」
『いえ結構です』と言えればどんなにいいか、とリルカは思った。
この場合の『見守る』は『見守る(手を出さないとは言っていない)』なのは、前世でよくわかっている。
わかっているけれど、人が神に何を言えようか。
だからリルカは、彼の神と出会ったときはいつも伝えることを、また伝えるだけだった。
「私は平凡に生きて死ぬ予定なので、ティル=リル様の興味にそぐう何かが起こるとは思いませんが――見守っていただけるのはありがたく思います」
「ふふ、本当は見守るのもやめてほしいくせに。でもまあそういうところが好きだよ」
『好きだよ』の一言にすら言霊が宿る。その意識がティル=リルには足りないとリルカは常々思っていたりする。その言葉が、リルカの運命を少しずつ変えていくような感覚がするからだ。
……けれどたぶん、ティル=リルはわかっていて口にしているのだろうとも思う。彼はそういう神だ。
リルカは懸命に「……ありがとうございます」とだけ告げたのだった。