21.優しい人々と神々
「ねぇ、そろそろぼくだけじゃなくて他の神もこの人間の相手してくれてもいいんじゃないかと思うんだけど? とりあえずヴィシャス、行ってきて」
セヴェリの質問攻めに遭っていた(それを楽しんではいたが、飽きたらしい)ティル=リルがそう言って、ヴィシャスと場所を入れ替えた。
気軽に使われる神々の転移に、リルカは感心するばかりだ。それと同時に、セヴェリとヴィシャスという組み合わせに不安になる。
(だ、大丈夫かしら……)
そっと様子を見てみる。多少興奮が落ち着いたらしいセヴェリが、何事かをヴィシャスに告げると、ヴィシャスはどこか気分が良さそうに自分で出した椅子に座った。ヴィシャスらしい豪奢な椅子だ。腰を据えて話を聞くという証左なのだろう。
セヴェリはどこからか出した紙を地面に広げて何事かを書き付けながらまたヴィシャスに言葉を投げかけている。
しばらく見ていても不穏な様子がないことを確認して、リルカはほっと息をついた。次いで、ユハとエセルナートを放っておいてしまったことに気付いた。
二人の姿を探してみれば、ティル=リルが出した机を囲む椅子に座って、こちらをじっと見ていた。――たぶん、いや、間違いなく、ずっとこちらを見ていたのだろう。
「……ようやく僕たちのこと思い出してくれたようでうれしいよ、リルカ」
「ご、ごめんなさい、ユハ……」
慌てて駆け寄って弁明する。
「エセルナートさんもすみません。その、どうしても私の優先順位は神々になってしまうので……」
「貴方は敬虔な信徒だからな。俺は気にしていないし、貴方も気にしなくていい」
「っていうか、神々もリルカを囲いたくて仕方ないって感じで、こっちに意識を向かせないようにしてた気がするんだけど」
「そんなまさか」
「まさか、じゃないよ。軽い催眠でもかけられてたんじゃないの」
「さすがにそれは……」
ない、とは言い切れないのが痛いところだった。リルカの知る多様な逸話からしてもあり得る。神にとって人間の意識を多少いじるくらいお手の物だろうし。
「……ま、いいよ。いや、神々が本当にそんなことをしていたなら、それはよくないけど。でも、リルカが『古き神』を大好きなのは昔からだし。顔のいい存在に弱いのも昔からだし」
「おや、そうなのか? ……ああ、いや確かに、顔の良さ――というか『美しいもの』に一家言ありそうだったが」
「……リルカ、エセルナートさんに何言ったの」
「だ、だって、エセルナートさんがご自分の顔のよさに無自覚どころか過小評価してたから……」
「それで、つい美しさについて力説した、と。目に見えるね」
「うう……」
呆れた目でユハが言うのに、肩を縮こめて小さくなる。見透かされている。幼馴染の理解がありすぎてつらい。
「しかしそのような性質を持っているなら、神々の要求を退けるのも一苦労だろう」
「退けられてないから、こんな状況になってるんじゃないかと思うけど」
「み、耳が痛い……」
いやしかし、リルカは己の意思を示して、神々にそれを呑んでもらったのだ。これは快挙なはずなのだが――多分にティル=リル曰くの『愛し子』であるという事実が影響している気がする。
神々が譲ってくれた部分があるからこそ、なんとか逃れ得たというのが正しいだろう。
(神々が本気で私を召そうとなさるなら、本来なら逃れるなんて無理そうだもの)
「……それで? リルカ、まだ僕たちに話してないことがあるよね?」
そんなことを考えていたら、ユハが目を眇めて訊いてきて、リルカはぎくりと肩を揺らした。
その反応を見て、ユハがため息をつく。
「やっぱりね。どうせ神々に関わることで、言えば僕たちが心配しかねないことなんだろうけど、正直、隠される方が心配になるよ」
「確かにユハ殿は、リルカ殿が何かまだ隠していると言っていたが……本当に?」
当たり前のように隠し事に勘づく幼馴染と、心から気遣わしげ見遣る心優しい剣士――その二人の揃った視線に、リルカは負けた。
「う、その、実は――」
かいつまんで、ヴィシャスは、リルカが生きている間は『人として生き、ローディスとユースリスティに拝神する日々を送り、人として死ぬ』願いを尊重してくれるが、死後はその限りではないこと、しかしそれをローディスが守ると言ってくれていることなどを話す。
ひととおり聞いた二人は揃って「なるほど……」と口にしたけれど、ユハは頭が痛そうに、エセルナートは感心したようにと、反応は極端に分かれた。
「ユ、ユハ……?」
「つまり、これから『古き神』があからさまにリルカに絡んでくるってことだろう? 英雄神は言わずもがな、戯神も前々からの付き合いみたいだし、死と輪廻の神と癒しの神も黙ってはいないだろうし……」
「本当に貴方は、神々に好かれているのだな」
「リルカの言う三千年前ならともかく、今の世じゃ下手しなくても悪目立ちするよ。何か方策を考えないとな……」
「……え、ユハには、その、関係のない話だと思うんだけど……」
言うと、ユハは少し傷ついた顔をした。
「これでも幼馴染だ。リルカの望みはわかってるつもりだよ。――神々との関わりは許容しても、変に世間に注目されたりはしたくないだろう?」
「そうだけど……ユハに迷惑をかけるつもりは、」
「ここまで関わった幼馴染に冷たいこと言うね。……僕が、僕の意思で、リルカの助けになりたいと思ってるだけだから、リルカはそういうの気にしなくていいんだよ」
「もちろん俺も、何らかの助けになれるのならば、なりたいと思っている」
二人の真摯な瞳に見据えられて、考えを改める。
リルカは二人を巻き込んでしまったことに負い目を感じていたが(セヴェリも立場としては同じだが――むしろ巻き込んだ度合いとしては高いが、本人がそれをよい機会としか思っていなさそうなので除外とする)、ユハもエセルナートもそこには頓着せず、むしろリルカのことを心配してくれて、力になりたいと思ってくれている。
それはとても有り難いことで、得がたいもので、大切にしなければならないつながりだ。
「……ありがとう、ユハ」
「だから、僕が好きでやるんだって言ってるのに」
「エセルナートさんも、ありがとうございます」
「まだ何の力になれるのかもわからない身だがな」
ここにいるのがユハだけだったら、ぎゅうっと抱きしめて謝意を伝えたいところだったが、エセルナート相手にはさすがにそんなことはできないので、ぐっとこらえる。
すると、なぜかユハに胡乱げな目で見られた。
「……念のため言っておくけど、僕もリルカも、もう子どもじゃないんだからね」
「? そうね、そろそろ孤児院からも『卒業』だものね?」
孤児院では、一定の年齢以上になって手に職をつけて出ていくか、他の庇護を得て出ていくかすることを『卒業』と呼ぶ。
リルカは日々の稼ぎを安定して得られるようになってきたので、『卒業』間近だったりする。ユハも魔術学院の寮(遠方からの入学生以外では、優秀者のみしか入れないらしい)に入寮する話が出ていると聞いていた。つまり、独り立ちに近い。
「……これだもんな……。全然わかってない」
「え? じゃあ成人が近づいてきたわね、っていう話?」
「そうだけど、そうじゃない」
「?」
ユハの言う意味がわからなくて首を傾げる。なんとなくエセルナートに視線を向けるが、エセルナートも何の話なのだろうという顔をしていたので、ユハの言葉が足りないのだと結論した。
「もう、自分だけわかった顔で会話するの、ユハの悪い癖よ」
「リルカの察しが悪いだけだよ」
釘を刺すが、ユハは悪びれた様子もない。しかしそれ以上その話題を続けるつもりもないようで、視線をリルカから外す。
「リルカがこれからお世話になるっていうなら、【死と輪廻の神】には挨拶くらいしておきたいものだけど。あと【癒しの神】にも。拝神してない人間でもそれくらいは――」
「えー? ぼくには挨拶してくれないの?」
「……っ!」
突如目の前に逆さまに現れたティル=リルに、ユハが息を飲む。その様子にけらけらと笑って、ティル=リルは宙で一回転した。
「察しがよすぎるのは『三千年前』からのものかな? ぼくとよろしくしちゃうとまずいって本能で理解してるみたいだねぇ」
「ティル=リル様、ユハを驚かさないでください」
「だってあからさまに省かれたから~。これはつついとかないとと思って」
「神の心証が悪くなるからやめなさいな、ティル=リル」
「『リルカ』に関して、彼からの神への心証がよくなることなどなさそうだが……」
ティル=リルに続いてユースリスティとローディスもやってきて、神々が自主的にこちらに赴いてきた事実にちょっと目眩を感じつつ、リルカは神々と人間とをつなぐことにする。
「ええと、わかってると思うけど――こちらが【戯神ティル=リル】様、そして【癒しの神ユースリスティ】様と【死と輪廻の神ローディス】様よ。……お三方、こちらが私の幼馴染のユハ=ライラ、こちらがヴィシャス様の〈器〉のエセルナートさんです」
「ふふふ~、これから嫌が応にも関わることになるだろうから――二人とも、よろしくねぇ」
「ティル=リル、そういう言い方は人間を怖がらせるわよ? わかってやっているんでしょうけど。……わたくしは他の二神ほど関わることはなさそうだけど、一応よろしくね」
「……そもそも、『リルカ』のためには関わり合うことがない方がよいのだろうが……」
「気が合いますね、【死と輪廻の神】。でもリルカに関して、あなたとは連携を取った方がよさそうだ。――どうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします、【癒しの神】、【死と輪廻の神】――それから【戯神】様」
ちょっとティル=リルとユハの態度にハラハラしたものの、ティル=リルについてはまあいつものことだし、ユハも畏敬とまではいかないが、敬う姿勢は見せているのでほっとする。
というか――。
「……確かに、これからのヴィシャスの行動を予想すると、人間界で自由に動ける者と連携を取るのは必須だろうな。――『ユハ』、だったか。誰かに拝神する予定は?」
「今のところありませんが、リルカに関して、拝神した方が何か都合がよいのであればやぶさかではありません」
「わあ、『リルカ』第一だねぇ。これはライバル出現かな? 同じ人間だし、これは協力し合ってる場合じゃないんじゃない、ローディス」
「……。いや、信仰は自由だ。予定がないのなら別に構わない。ただ、魔力を辿り声を降ろせるように、一度客神として魔力を捧げてくれないか?」
「あら、それならわたくしの方もお願い。何か力になれるかもしれないし。――ああ、『エセルナート』と言ったわね、あなたも『リルカ』を守るつもりがあるのなら、どう?」
「願ってもいない話だ。ぜひ」
「せっかくだからぼくも混ぜて混ぜて~」
「……。それで、客神として魔力を捧げるというのはどのように?」
「――ああ、そうか。やり方も知らないのか。『エセルナート』、君は?」
「俺も客神として神々のお力を借りたことがないので――」
「じゃあ、わたくしが手ほどきしてあげましょう。神直々の手ほどきなんて、滅多にないわよ?」
――なんだか、予想もしない方向で話が弾んでいるのは気のせいだろうか。気のせいだということにしたい。あと全員がティル=リルを放置の方向で扱っているような気がするのも気のせいということにしたい。
とりあえずいろいろ言いたいことを呑み込んで、リルカは「客神としての力の借り方なら私が指南します!」と手を挙げたのだった。




