20.神と人々
と、そこで、「外がうるさいからちょっと中に入れるね」とティル=リルが言い出した。
そうして、突然空中にユハ、エセルナート、セヴェリが現れ――床に落ちた。
落下の衝撃に顔をしかめつつ、リルカを認めてほっとした顔をするユハ、同じくリルカを見て安心した顔をしたものの、すぐにヴィシャスに鋭い目を向けたエセルナート、着地姿勢が一番まずく、腰を打って痛がっていたかと思うと、神々に視線を向けて目を輝かせたセヴェリ――三者三様の反応をする各人を見て、リルカは思った。
(この状況にこの三人入れちゃうんですかティル=リル様……!)
神々の話される内容がリルカの理解を超えて(というか理解をしたくない域に達して)しまって、ただでさえいっぱいいっぱいなのに、そこにどう考えても事態を混迷に陥らせそうな人員を投入してくる――神々の気ままさを凝縮したような所業だった。ティル=リルの【戯神】としての面が強く出てのことのような気もするが。
「リルカ、無事⁉」
鬼気迫る様子でリルカに駆け寄ってきたのはユハだ。正直その反応は予想していたので、リルカはユハを落ち着かせるために口を開いた。
「私は大丈夫。ユハこそ大丈夫? 現世ではそうそう触れることのない神力に触れたでしょう。体に不調とか……」
「僕のことはいいんだよ! 君を残してあの場から放り出されて、本当に気が気がなかったんだから……!」
「それは……心配させてごめんね。でも、この通り無事だし、神々も落ち着かれたから……」
リルカの連ねる言葉に、それでも疑心と心配に満ちた目を向けていたユハだったが、しばらくしてその張り詰めた雰囲気を少し和らげた。とりあえずリルカの無事については納得してくれたらしい。
「……でも、リルカ。少し顔色が悪い。リルカも神力とやらにあてられたの?」
「『も』ってことは、やっぱりユハは体に影響が出たのね」
「…………僕のことはいいんだってば。何があったの? 神が何かしたんじゃないだろうね」
「もう、神々にそんな言い方をしたら不敬よ。何かされたわけじゃなくて、私がちょっと話についていけなくてくらくらしちゃっただけで……」
「話?」
「その話については、俺も聞きたい」
首を傾げたユハに続いて、話に食いついてきたのはエセルナートだ。
「ヴィシャス様に聞いても、『話はついた。おまえには関わりないことだ』としか仰らない。何があったんだ?」
「その前に聞かせてください。エセルナートさんたちの方こそ、何があったんですか? どうしてヴィシャス様が人間界に……?」
エセルナートの問いももっともだったが、それよりもヴィシャスが人間界に降りてきた経緯が気になって、リルカは疑問を向ける。エセルナートがここにいる以上、関わっているはずだと判断してのことだ。
「そうだな、こちらの事情を開示するのが先か……」
そうして、エセルナートはここに至るまでの経緯を話し始めた。
「【雷霆神エルド】様の神殿を管理しているであろう人の元に向かい、そうしてその人とともに神殿に行くことになったのだが――その途中で、『魔物』が出たんだ」
「え……!? 『魔物』はこの都――リュリューには出ないはずでは……」
言いかけて、それは正確ではないと思い出した。『魔物』と人間が遭遇しないように魔術が組まれているのであって、この都に『魔物』が発生しないようになっているのではない。
「――発生したばかりで、魔術でとばされる前の『魔物』と遭遇してしまったと?」
「そういうことだ。それ自体は、驚きはしたが全く起こりえないことではない――発生した『魔物』も、本当にすぐにどこかへとばされていなくなったからな。……問題は、それを理由に、ヴィシャス様が降りて来られたことだった」
「『魔物』を理由に……?」
「正確には、俺が――【英雄神ヴィシャス】を主神とする者が『魔物』と遭遇したこと、だな。ヴィシャス様は詳しくは仰らなかったから、断片的な情報からの推測だが」
曰く、「ちょうどよく『危機』に遭遇してくれたものだ」といったことを言われたらしい。
「おまえの体を借りるのでは埒が明かんからな。ちょうどよかった。ああ、そうだ。記憶――情報ももらっていくぞ」と、降臨にあっけにとられるエセルナートの額をつかみ、エセルナートの頭の中をかき回すようにして『情報』を得て、ヴィシャスは去ったらしい。
「おそらく、貴方の情報――あの孤児院の位置を知るためのことだったのだろうが、ちょっと二度とは体験したくはないものだったな……」
遠い目をして言うエセルナートに、リルカはなんだか申し訳なくなる。リルカが申し訳なくなる必要はないのだが、自分のせいで、という気持ちが拭えなかったのだ。
エセルナートの頭がかき回された影響がなくなってから、ヴィシャスはリルカの元へ向かったのだろうと検討をつけ、セヴェリの転移でこちらへと戻ってきたのだという。
しかしそこにはリルカはおらず、ユハが何もないはずの空間に存在する透明の壁を叩いてリルカの名を呼んでいたので、何かがあったのだと臨戦態勢をとったところで、ティル=リルに空間の中へと引き込まれたとのことだった。
「そうだったのですね……」
「それで、リルカ殿には何があったんだ? 神々とどのような話を……?」
「その、実は……」
そして今度こそ、リルカはエセルナートの問いに答えることにしたのだった。
ヴィシャスのリルカへの認識を攪乱できないかと、ユハの提案で魔力を『混ぜた』こと、その状態でローディスに祈ったら、魔力は捧げられたものの、異変を感じたローディスが降臨してしまったこと、そこにティル=リルまでやってきてしまい、ティル=リルの作った空間で話をすることになったこと。
そこにヴィシャスが現れ、相変わらずリルカを自分のもの扱いして神界へと連れて行こうとするのにローディスが怒り、ローディスとヴィシャスが一触即発な雰囲気になったこと、その時点でユハが空間から外に出されたこと。ティル=リルの言葉を受けて、神々と対話を試みたこと、そしてそれによって一定の理解を得られたため、今生でヴィシャスに無理やり神界に召し上げられるといった心配はいらなくなったこと。ユースリスティはリルカを心配して降りて来てくれたらしいこと。
それらを聞いたユハとエセルナートは、まず、「ヴィシャスの言は信頼できるのか?」ということを、そろって真剣な目で問うてきた。
「僕はよく知らないけど、神々っていうのは勝手なものだろう。放った言葉を翻すくらい簡単にするんじゃないか?」
「ユハ殿の懸念ももっともだ。そこまで神が人間を尊重してくれるものだろうか?」
「う……」
そればっかりは、相対したリルカでしかわからない感覚だろう。
それに、あえて話していなかった、リルカが死出の旅路に出てから神界に召し上げる話にも関わる。
それについて話そうかどうしようか迷ったそのとき――。
「ああっ、現世で神に直接会うことができるなんて! これは世界がこの邂逅を経てさらに研究を進めろと言っているに違いない! ……こちらは先ほど降臨に立ち会った【英雄神ヴィシャス】、こちらはもしや【戯神ティル=リル】? こちらの女神は【癒しの神ユースリスティ】に違いないね。そしてこちらは――ずいぶんと麗しいが【死と輪廻の神ローディス】かな?」
感極まったようなセヴェリの叫び声が聞こえて、リルカたち三人は反射的にそちらに目をやった。
先に動いたのはエセルナートだった。神々にかぶりつかんばかりの様子のセヴェリの後ろ襟をつかんで、引き離す。
「神々に不用意に近づくな! お前の言動は不安すぎる!」
「だって、神々だよ? 本物の、古代から在る、古き神々がここにいるんだよ? これは魔力や神術について聞くしかないじゃないか!」
「興奮するな! 冷静になれ! お前、拝神したこともないくせに直接お言葉を交わすつもりか⁉」
賑やかに言い合うエセルナートとセヴェリを唖然として見守っていると、ひょいとティル=リルがやってきた。
「別に、面白そうだからぼくはいいけどねぇ。ローディスはやめといた方がいいんじゃない? ノリについていけなさそうだし。ユースリスティは礼節をもって、ヴィシャスは敬い褒め称える姿勢でいけばいけると思うよ」
「ティル=リル、私をなんだと思っている」
「だってローディス、こういうタイプ苦手でしょ? ラヴィとかからよく逃げてるじゃない」
「……ラヴィエッタから逃げてるのは、言い寄られているからだ」
「ああ、ラヴィって各神と交わって新しい神生み出すのにハマってるもんねぇ。あとローディスと誰だっけ、ラヴィと子どもつくってないの」
「確か、この間ウィステーリアが押しに負けたんじゃなかったか? ラヴィエッタの掲げる『全神完遂』まではそうかからないだろう。さっさと陥落してしまえ」
「そういう奔放なところが合わないんだ……」
(【愛の神ラヴィエッタ】様……人間を神界に召し上げる逸話が減っていると思ったら、神々にご執心? だったのね)
神々の赤裸々な話に、ちょっとばかりドキドキしてしまう。と、そんなリルカの様子を見て、ローディスがどこか焦ったように言った。
「そ、その、誤解しないでほしい。本当に、言い寄られているというだけで、そういう関係はない」
「なんだ、ローディス。人間は一途なものを好むからって、自分だけ印象をよくしようなんて、――いや、確かにおまえは他の神とそういう関係になったことがないな。それはそれでどうなんだ?」
「放っておいてくれ……」
「……?」
どうしてローディスが言い訳のようなことを言ったのかわからず、内心首を傾げていると、それを察したらしいティル=リルに「きみはまだわからなくてもいいんじゃない? 今は、だけど」と言われた。その意味もよくわからず、けれど追求するのも違う気がして、リルカはひとまず心の中の疑問の箱にしまっておくことにした。
ちょっと離れたところでは、「ほら、【戯神ティル=リル】もああ言っていることだし、この機は逃せない! 【死と輪廻の神ローディス】に話を聞くのは諦めるけど、他の三神ならいいだろう⁉」「だから! その! 興奮をまず落ち着かせろと‼」とセヴェリとエセルナートが相変わらずの会話をしているし、ユハはユハで「ああいうことを言うってことは、やっぱり神々は信用ならないな……」とか呟いているしで、正直収拾がつかない。
ティル=リルが三人をこの空間に入れたときに予想したとおりの混沌とした有様に、しかしこの状況をどうにか整理できるのはおそらく自分だけだとわかってしまって、ついため息を吐く。
神々が神界に帰る様子がないということは、つまりそういうことなのだろうと判断して、リルカはまず神々とセヴェリを繋ぐために動き出した。
ティル=リルは既にセヴェリと言葉を交わすのに異論はないような旨を口にしていたのでいいとして、問題は他の二神――ユースリスティとヴィシャスである。
ひとまず、気を悪くしていないかと表情を窺うが、ユースリスティは穏やかな表情で推移を見守っているし、ヴィシャスは泰然と構えている。少なくとも、セヴェリの言動に思うところはないようだった。
「あの……ユースリスティ様、ヴィシャス様」
「あら、どうしたの? 『リルカ』」
「どうかしたか、『リルカ』」
呼びかけると、二神はすぐに反応してくれた。リルカは考え考えしつつ、言葉を紡ぐ。
「その、セヴェリさん……先ほどみなさんに詰め寄ろうとした人についてなのですが……」
「『セヴェリ=トゥーロ』――誰を拝神するわけでもなく、おれたちについて研究している輩だろう。知っている。エセルナートの記憶から大体のことはわかった」
「わたくしはよく知らないわ。そういう人間がいるらしいというのは他の神から聞いていたけれど。……『リルカ』、教えてくれる?」
ユースリスティに促されて、リルカはセヴェリについて知っていることを整理する。
魔術の権威であり、魔術の申し子、天才と呼ばれながら、今は『古き神』を拝神することで授かれる神術を魔術で再現する――それを最終主題に掲げて『古き神』の研究を行っている研究者。
研究内容が内容なのでちょっと話しづらいが、それを知ったであろうヴィシャスが特に言及しないと言うことは、神々にとってはそれも取るに足りないことなのかもしれない。
それでも少し言葉を選びながらセヴェリについて説明すれば、ユースリスティは「なるほどね」と頷いた。
「魔術が隆盛してからは、いつかはそういう人間が出てくると予想していたわ。高みを目指す人間は好きよ。ヴィシャスはどうだか知らないけれど」
「おれは別にどうとも思わない。『リルカ』を口説くのに関係ないからな」
「そういうところが、あなた、雰囲気がないのよね。直球なだけで『リルカ』が口説けると思っているの?」
「三千年前は強引にやって失敗したが、直接的な言い方自体は有効だと思うがな。――『リルカ』を見ていればわかる」
言われて、ヴィシャスの直截的な言葉で、熱くなった頬が、見てわかるほどに紅潮しているのだと察せられて恥ずかしくなる。
(だって、こんなふうに……口説かれる、なんてことなかったんだもの)
「まだ本格的に口説いたわけでもないのにこの様子なら、目はありそうだな」
「手加減しなさいよ、ヴィシャス。『リルカ』はかわいいかわいいわたくしの信徒でもあるんですからね」
「おれには手加減しないとならない理由はないが? それに、おまえだってさっき口説いていただろう」
「だって、『リルカ』、かわいいんですもの。わたくしも欲しくなってしまったの」
「おまえも大概、神らしいな」
「それはもちろん、神ですもの」
またもばちばちと音が鳴りそうな視線を交わし合う二神の会話は聞かなかったことにして(恥ずかしいので)、リルカは話を再開する。
「その、先ほどのセヴェリさんに悪気は、たぶんなくて……。本当に、神々と会えたことを僥倖だと思ってらっしゃるんだと思うので……」
「大丈夫よ、『リルカ』。人間がわたくしたちに畏敬をもって接しないからといって目くじらは立てないわ。そういう神もいるけれど、わたくしたちは人間好きの神だから」
「特におまえは人間に添おうとするタイプの神だものな」
「わたくしだけじゃない、ローディスもそうよ。ローディスの方は、あまり知られてはない――知ってはもらえていないけれど」
ユースリスティの言に、ついローディスを見遣る。
ローディスは、少し眉根を寄せて、小さく首を横に振った。
「私はユースリスティとは違う。役割として、人間と関わることが多いからそう見えるだけだ」
「あら、そんなことはないと思うけれど。……でもローディスは逸話がねじ曲がって伝わりがちなのよね。なんというか……解釈が悪い方悪い方にされがちというか」
「それは私も思っていました!」
「リ、『リルカ』?」
「ローディス様の行いを紐解けば、人間に対してお優しい神様だというのはわかるのに、まるでそれが大衆にわからないように負の解釈をされたものが広まっているというか……! 私はそれがとても不満で……。だってローディス様はこんなにもお優しいのに!」
ユースリスティの言葉に、つい意気込んで同意してしまう。
ユースリスティはそんなリルカの様子に、微笑ましいものを見るような視線を向けた。
「……『リルカ』は本当に、ローディスが好きなのね」
「はい! ――あっ、その、『好き』という軽々しい感情を抱くべきでない御方だとは思っていますし、その、つまり畏敬の念を抱いているというか……! それはユースリスティ様たちに対しても同じですが!」
「ふふ、そんなに慌てなくてもわかっているわ。――わかっていたつもりで、でも直撃されちゃったのが一神いるけれど」
「え?」
ユースリスティがすいと指で指し示したのは、ローディスで。
ローディスは、御髪の合間から見える耳を少し赤くして、リルカからも視線をそらして口元を覆っていた。
「神のくせにこれしきで照れるな。こちらが恥ずかしくなる」
「…………お前には関係ないだろう」
「『リルカ』の寵を争うものとしては関係がある。……やはり前世から慕われていたというのは強いか。まあそこをひっくり返してこそだが」
「『リルカ』は私の信徒だ」
「『私のものだ』くらい言えないのか? まったく意気地のない」
「お前は私を下げたいのか煽りたいのかどっちなんだ……」
「どちらもだ。戦いとは強者から奪ってこそだろう」
「理解できない……」
顔を覆ってため息をつくローディス。その耳の赤みはもう引いていたが、神が自分の言で『照れた』(らしい)という事実がリルカには衝撃で――。
(か、神々も、人間の言葉に心揺らされることがあるのね……)
ついそう考えてしまったけれど、神々が人間の言動によって心を動かさないのだったら、人間と関わる逸話がこんなにも残ってはいなかっただろう。
神と人間には似ているところが多い。それは人間が神の似姿から生まれたためだと言われている。姿かたちも、言葉をあやつるところも、共通しているから――こうして心通わせられるのかもしれないとも思う。
(そこまで言うと、少し不敬かもしれないけれど……)
意思を示したリルカに歩み寄ってくれた神々を思うに、それは夢物語ではないのだと感じたのだった。




