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18.神とリルカ



 波打つ豊かな金の髪、獲物を見つけた猛獣を彷彿とさせる鋭さでリルカを見つめる赤い瞳、誰の目も奪ってしまうような美しく華やかな顔立ちは、今は剣呑さに満ちている。

 絵姿では見たことがあったが、前世ではついに直に相対することのなかった【英雄神ヴィシャス】の姿に、リルカは圧倒されるしかできなかった。

 今世では感じたことのないほどの濃い神力に、息をすることさえ難しい。

 ユハは大丈夫だろうか、と視線をやろうとすると、リルカの目の前へと移動したヴィシャスがリルカの顎をつかみ、それを阻害した。


「おれから目を離すな、『リルカ』。おまえはおれのものだ――そうだろう?」

「ヴィシャス、様……」


 己から名を与えていないため、強制力はない。けれど、神の威容の前に、人間はあまりにも無力だ。

 赤く美しい瞳がリルカをとらえて離さない。

 と、ローディスが「……やめろ、ヴィシャス」とヴィシャスの手を振り払い、転移を使ってリルカとヴィシャスを引き離した。


「――私の信徒に手を出すことはゆるさない」

「神子でもないものに独占欲を出すおまえは珍しい。面白くはあるが――それはおれが先に目をつけた、おれのものだ」

「目をつけたという意味なら私の方が早い。諦めろ」

「……え?」


 ローディスの言葉に、どういう意味だろうと混乱する。

 ローディスと面識ができたのは、ヴィシャスに見初められ、神界に連れて行かれ、ヴィシャスの宮から逃げ出してティル=リルの助力を得た後のはずだ。

 ローディスの背を見上げて目を瞬くリルカに、ティル=リルが疑問の答えを投げ込んできた。


「あれ、知らなかった? きみ、ローディスに拝神しようと考えてた時期があったでしょ。その頃、敬虔に家族について祈ってもいた。それでローディスはきみのことを認識して、気にかけていたんだよ。だからこそ、三千年前ローディスはすぐにきみに関して手を貸してくれたわけだ」


 客神としてよく力を借りていた『アイシア』を目に留めていた、とは聞いていたけれど、それよりさらに前からだったらしい。


「……そうだったんですか?」


 ローディスの背に問うと、ローディスは体をひねって振り返り、リルカを見下ろした。


「……あの時代から、私を拝神しようとする者は少なかった。だから――覚えていた、だけだ」

「素直じゃないなぁ、ローディスは。神子にできたらって思ってるくらいには心を傾けてるくせに」

「…………。ともかく。『リルカ』は私の信徒だ。私には、私の信徒を守る権利がある」

「――また、位を落とされたいのか?」

「……二度も、同じ手を食らうと思うか?」


 ローディスが神力を解放する。ヴィシャスの神力に満たされていた場が、二柱の神の神力が主導権を争う場になる。

 ティル=リルがいつの間にか空間を修復していたので、突然人間界で神同士が争うことにはならないが、ここにはユハもいるのだ。

 心配になって視線を向けた先では、ユハがティル=リルに「きみにはこの場は酷だね。出ておきなよ」と転移させられていた。ユハが神力にあてられて倒れることは免れたようなので、とりあえずほっとする。


 ヴィシャスの神力が光り輝きすべてをねじ伏せるような強さを持っているとしたら、ローディスの神力は何もかもを飲み込む底知れない常闇のような印象がある。その二つの神力がぶつかりあい、世界が神力に満ちていたときを知るリルカでもあてられそうな、神力の濃い場が作られた。


「『リルカ』はこっち。さすがのきみでも苦しいでしょ」

「ティル=リル様……ありがとうございます」


 ティル=リルが、満ちた神力に影響されないように障壁のようなものを築いてくれたのに気づいて、お礼を言う。

 ティル=リルは、「きみは当事者だから、外に出しておいてあげるわけにもいかないからね」と悪戯げに笑む。


「空間はさっきより固く作り直したし、ヴィシャスもローディスもここで本気でやり合うつもりは……たぶんないから人間界に影響は出ないよ。でもきみには見届けて、選んでもらわないといけないから」

「選ぶ……?」

「神は人の事情を斟酌しない。でも、強い意思を尊重することはある。――きみはね、向き合うべきなんだよ、神に」

「…………」

「『そんなの恐れ多い』なんてきみは思ってるだろうけど、きみがきみでいたいなら、そうすべきだ」

「ティル=リル様……」

「きみの星はどうやっても、神と関わる運命になる。だからこそ、神との付き合い方を、きみは考えないといけない。――きみの運命はもう転がってしまったから」


(神と――向き合う……)


 神とは崇め奉るもの。そして魔力を捧げ、力を貸してもらうものだ。そこには絶対的な関係があり、そして断絶もあった。

 神は神。人の事情など神にとってはうたかたのようなもので、神は神の事情で動くもの。人の思い通りになるものではない。

 神を己の思い通りにしようとした人間の末路は、いくつもいくつも言い伝えられていた。――だからこそあの時代、神々がどんなに近しく在っても、そこには畏敬があったのだ。


 けれどティル=リルは、リルカにその線を少し踏み越えろという。それがリルカにゆるされているのだと。


(恐れ多い、という気持ちは拭えない……けれど)


 それを為さねば、リルカがリルカとして望むとおりに生きる自由は得られないのだろう。

 にらみ合う二神を見つめる。この対立を招いたのは、『アイシア』で――リルカなのだ。


「ローディス様、ヴィシャス様、――もし私にお言葉をゆるしていただけるのならば、お耳をお貸しください」

「……『リルカ』?」

「……いいだろう」


 意外なことに、まずヴィシャスが神力を納めた。そうして、ローディスもまた続くように神力を納める。ティル=リルの作った障壁が役目を終えたとでもいうように、消えた。

 ティル=リルは、すべてを見届けようとでもするように、リルカと二神を見据えている。

 そんな中、リルカは覚悟を決めて口を開いた。


「……思えば、私はヴィシャス様に不誠実なことばかりしてきてしまいました」

「『リルカ』、それは……」

「まあまあ、ローディス。ひとまず、焦らず最後まで聞こうよ」


 リルカの言葉に、どこか焦りを見せたローディスを、ティル=リルがなだめる。

 ヴィシャスはというと視線で続きを促してきたので、リルカは言葉を選びながら続ける。


「ヴィシャス様に選ばれたということを、私は栄誉と思えなかった。人として生きて死にたいという衝動のままに逃げ出した――あのときはそうするしかないと思っていました。けれど……言葉を尽くしてわかってもらう、その道を私は最初から諦めた。――それが、ヴィシャス様に対して不誠実だったと、今では思うのです」

「――では、今度こそ神界に召し上げておれのものにしていいと?」


 その問いに答えるのには、少しだけ勇気がいった。

 けれどリルカは、ヴィシャスの目をまっすぐに見て、言い切った。


「いいえ。私が望むのは、前世と同じく人として生きること。そして、お世話になったローディス様とユースリスティ様に拝神して、魔力を捧げて過ごすこと。だから、今世も私はヴィシャス様のものにはなれません」

「……すでにおまえは、今世を――一生を捧げる神を選んだということか」

「……恐れ多いですが、率直な言い方をさせていただけるのなら、そうです」


 そうして、リルカは今度はローディスに向き直る。


「ローディス様。私は前世、貴方様に助力をいただき、人間としての生へと送っていただきました。そのご恩を返したい――そのために、貴方様に拝神し、魔力を捧げ続ける――それが私の前世からの誓いです。見返りは必要ないんです。ただ、それだけをお許しいただきたいのです」

「『リルカ』、だが、それでは貴女は平穏に生きられない。――神に拝神すること自体をやめれば、きっと貴女の心は安らかくなるだろうに」

「私の中で一番大事なのは、ローディス様とユースリスティ様に拝神して、魔力を捧げ続けることです。『平穏』は、そうであればいいと思いますが、絶対の願いではないので」

「しかし……」


 なおも言いつのろうとしたローディスに、ヴィシャスがフンと鼻を鳴らした。


「――こうまで言われても覚悟の決まらないおまえだからいらつくんだ、ローディス」

「ヴィシャス?」

「人の子が――おれたちを惹きつけてやまない魂の質を持つ者が、こうまで言っているんだ。おまえも人の子の現世での生活がどうとか細かいことは考えず、受け入れてしまえばいいだろう」

「だ、だが……」

「ほんと、煮え切らないよねぇ。でも、ローディスがそういう質だから、リルカはローディスが好きなんだよね?」

「……ええ、はい。そういうローディス様だから、私は前世でも、本当は拝神したかったんです」

「『リルカ』……」


 リルカはローディスの前に立ち、その顔を見上げる。

 夜空を映したような深い青の瞳は、リルカを気遣う色で満ちていた。


「私は『リルカ=ライラ』。【死と輪廻の神ローディス】様に拝神したいと願う者。――どうか、私を信徒へと加えてくださいますよう」


 拝神する神へと奏上する言葉を捧げる。本式では体の一部――髪の毛や血をともに捧げるのだが、それはすでに行っている。

 そもそも今だってローディスの信徒なわけなので、これは願いであり、祈りであり、宣誓なのだった。


「……『リルカ』――『リルカ=ライラ』」


 ローディスが、神力を込めてリルカを呼んだ。リルカの身の内に快楽にも似た喜びが広がり、思考が、視界が、ローディスに占められる。


「貴女は、ずっと――その生涯尽きるときまで、私の信徒だ。そうであることを、ゆるそう」

「――ありがとう、ございます」


 それを口にするだけで、精一杯だった。

 ローディスの言葉を噛みしめるリルカの肩にとびついたティル=リルが、「よかったねぇ」とささやく。


 と、ヴィシャスが無言でリルカの前に立った。その瞳は力強さに満ちてはいたけれど、もはやそこに鋭さはなく、どこか鷹揚さを感じさせた。


「――仕方ない、今世は諦めてやろう。おまえの『人として生き、ローディスとユースリスティに拝神する日々を送り、人として死ぬ』願いを尊重してやる」

「ヴィシャス様?」

「死に、転生の輪に向かうおまえをさらって神界へと召し上げるというのも一興だからな」

「……死の領域に手を出すつもりか?」


 ヴィシャスの言葉に、ローディスが剣呑な雰囲気で問いをかけるが、ヴィシャスは楽しげに笑ったままだ。


「人として生きる間はおまえに譲るんだ、それくらいゆるせ」

「だから、そもそも『リルカ』の意思を――」

「一度は尊重する。してやることにした。だが、最終的にはおれのものにする。そう決めた」

「また、勝手なことを……」

「いいんじゃない? 神らしくて。それが承服できないなら、死後のリルカをまたローディスが守ればいいでしょ」

「それは……そうだな」


 ティル=リルの提案に納得してしまったローディスに、リルカは焦る。


「そ、そこまでローディス様に迷惑をかけるわけには、」

「迷惑などではない。それが私の、【死と輪廻の神】の仕事でもあるし――私自身が、そうしたいのだから」


 ローディスに慈しみに満ちた視線を向けられて、リルカはなんだか自分が小さな子どもになったような気持ちになる。

 しかし、それがいやではなく、胸にあたたかいものが広がるような心地だった。


「――だが、ローディス。『リルカ』が納得していれば、話は別だろう? おまえはそういう神だからな」

「ヴィシャス……?」

「おれは遠慮せず、『リルカ』が人として生きて死ぬまでの間に、口説き落とすぞ」

「え……?」


 ヴィシャスが予想外のことを言い出したので、リルカは戸惑いに目を瞬かせた。

 そんなリルカを捕食者の笑みを浮かべたヴィシャスが見下ろす。


「覚悟しておけ、『リルカ』。おれは二度もおまえを逃がすつもりはないからな」

「待て、ヴィシャス、」

「なんだ、ローディス。おまえが己のものにするとでも? その場合でも、おれは諦めないがな」

「わあ、二神に取り合われる人間なんて、久々だね! 楽しくなってきたなぁ。ぼくも参戦しちゃおっかな」

「待て、私は、そんなつもりは……」

「ない? 本当に? 本当は神子になってほしいくせに?」

「……っ」

「言葉に詰まるのが答えだよねぇ。――これ知ったら、ユースリスティも黙ってないだろうし……いやぁ、しばらくは退屈しなさそうだ」


 とんとんと進む神同士の会話に、リルカはついていけず――というか理解を超えた内容に頭がいっぱいいっぱいになって、へなへなと座り込んだ。

 途端、神々がリルカを気遣う様子を見せる。


 「前世ぶりに濃い神力に触れて、ちょっとあてられちゃったかな?」――と、明らかにそうじゃないとわかってるだろうに口にするティル=リルに。

 「そうだったのか、気づかなくてすまなかった――椅子に座っておくといい」――と、さっとリルカを抱きかかえ、椅子へと座らせるローディスに。

 「ああ、そうか。前世よりも神力に対して脆弱ならば、徐々に慣らさねばな」――と、なんだか先が不安になることを言い出すヴィシャス。


 三神に囲まれて、リルカは「このまま気絶したら、聞いたこと全部なかったことにならないかしら……」と現実逃避をしたのだった。



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