15.戯神の声と心配する人
しばらくして、二人に出したお茶の片付けをしながら、リルカはぼんやり考える。
(これでエセルナートさんがエルド様を副神として拝神すれば、当面の危機は去る……。まだ不安要素はあるけれど……)
エルドの加護と神術で、失われるヴィシャスの加護と神術の分が補えればいい。
自分のせいでエセルナートが不利益を被ることになってほしくはない。事前に話した感じでは、エルドの加護と神術はエセルナートの戦闘法に合っているようだったが。
(【雷霆神エルド】様……前世でミカが主神として拝神していたから、全く知らない神ではないけれど)
前世では、神は気まぐれなものだった。例は少なかったが、拝神しようとしても神から断られる、なんてこともなくはなかった。
(無事にエセルナートさんの拝神の儀式が済みますように……)
(それは大丈夫だと思うよ。あのエセルナートとかいう人間、武に関する神の中ではそこそこ注目されてるし、エルドも気に入りそうな気性だし)
(――えっ、ティル=リル様⁉)
突然頭の中に響いた、聞き覚えのある声に驚く。そんなリルカに対して、相手は――ティル=リルはおもしろがるような様子を隠さない。
(そうだよぼくだよー。いやあ、ついにヴィシャスに見つかっちゃったねぇ。まさかきみがあんなうっかりをしちゃうとは)
(言わないでください……)
(まあ、ヴィシャスの神印は戦に出る人間に祈るときの定番だったし、きみも描きなれてるから、ぼーっとしてたらやっちゃっても仕方ない仕方ない)
ティル=リルの言の通り、【英雄神ヴィシャス】は戦に出る相手に、少しでも加護があるようにと祈る定番の客神だった。なので、リルカも多くの仲間にヴィシャスの『神印』を描き、祈ったものだった。
だからこそ、神印を描くときに、癖で魔力をこめてしまったのだが――。
(それにしてもうっかりしすぎてたわよね……)
無意識ってこわい。そうしみじみ思ったリルカだった。
自省するリルカに楽しげな気配を漂わせていたティル=リルは、「それにしても、人間もいろいろ考えるものだねぇ」と話を続けてきた。
(でも、なるほどね。とりあえずの危機を脱するために、ヴィシャスの〈器〉が〈器〉たる条件を崩す。うん、いい考えだと思うよ)
(ティル=リル様にそう言われると、逆に心配になってくるんですが)
(わー、失礼。でも確信突いてるね。きみも懸念してるとおり、無理やりヴィシャスが〈降りる〉可能性はあるから、その心配も必要なものではあるんじゃない?)
(無理やり……? 神々が人間界にあまり手出しをしないようにしているとは聞いていましたが、神として人間界に降りることにも制約があるということですか?)
(その通り。制約くらいかけとかないと、基本的に神は勝手だからさ、ついつい人間界に降りて派手に権能使っちゃうんだよね。だからぼくみたいな例外を除いて、他の神は厳しい条件がそろわないと降りられないわけ)
(そうだったんですか……)
確かにリルカの知る――三千年前の神々の振る舞いを考えると、そうでもしないと人間界に降りる神は減らなかっただろう。神の力は世界を変える。歴史を変える。それなのに、神と人間の時代だった三千年前と比べて、明確に人間の時代が到来しているのはそういう理由だったのかと得心がいった。
(今のティル=リル様が、人間界に降りても権能を振るわれる様子がないのも、それが理由ですか?)
(そうだよ。ぼくにも降りるときは枷がつく。条件がそろわないと権能は振るえない)
(……それで人間からの神々への信仰が薄れても、問題がないから、ですよね)
(神の『存在』に、人間の信仰は関わらないからね。もちろん、かつての信仰――捧げられる魔力を恋しがってる神もいるけど、そういう神はなんとかして一定の信者を確保しているものだし)
リルカは以前にティル=リルから聞いた内容を思い返す。
(人間の信仰は――捧げられる魔力は、通常の神にとっては甘露のようなもの、弱っている神には滋養になる、でしたっけ)
(ローディスがきみの魔力で力を取り戻しているのがいい例だね。神格に見合った力を取り戻す、その速度が上がる――そんな感じだ。なくてもいいけど、あるとうれしい、そんなもの。だからこそ、ローディスもユースリスティも、今の世で神子でもないのに魔力を根こそぎ捧げてくるきみを心配してるわけだ)
(心配なんて、恐れ多い……)
(神だって今の世の『魔術』については把握してるんだよ。魔術を使わない方が異端なこともね。きみは元々潤沢な魔力を持ってるんだから、多少は魔術に回したっていいだろうに)
(これは――私の、誓いですから)
(――ほんと、きみは……)
仕方ないなぁと笑う声音で紡がれた、その先を聞くことは叶わなかった。
コンコンコン、と応接室の扉が叩かれたからだ。
「……! はい、どなたですか?」
「リルカ、いる?」
「……ユハ⁉」
「入るよ」
リルカの返答を待たずに、扉が開く。そこには少し息の上がったユハがいた。
「ユハ、どうしたの?」
「客人はどうしたの?」
お互いの質問が重なった。
互いに探るような間を置いて、再び口を開いたのはユハだった。
「例の『古き神』の〈器〉と、もう一人いた客人とやらはどうしたの」
「ええと、もう出て行かれたわ」
「……そう。あのさ、リルカ。この際だから言うけど、リルカは警戒心がなさすぎる」
「え?」
「『古き神』の〈器〉の彼と、もう一人。知り合って間もない男二人と密室にこもるなんて、どういうつもり」
「どういうって……話し合いをするのにここが最適だっただけで……」
「そもそも『古き神』の〈器〉の彼のこと、『なるべく人が多いところを案内するだけにする』んじゃなかったの? なんで孤児院に招いて、しかも一人増えてるの」
「それは、その……」
リルカがローディスに祈る場を見せたのは、確かに事前にユハに言った内容と反する。それくらいならいいかな、ユハにはバレなければそれでよし、バレて怒られても理由を言えばいいよね、と思ってはいた。
ヴィシャスがエセルナートに降りてきてそれどころじゃなくなったのも、セヴェリを招いたのも完全に予定外だったので、言い訳を考えていなかった。
しかしどうして今日魔術学院の講義に出て試験を受けているはずのユハがここにいるのか――そう考えて、やっと室内の暗さに気づく。いつの間にか試験も終わるような時間になっていたらしい。
「い、いろいろあって……」
「そのいろいろが知りたいんだけど」
淡々と詰めてくるユハに、リルカは困った。
できればユハを神関連のことに巻き込みたくはない。
「……来てたもう一人、『セヴェリ=トゥーロ』って名乗ったって聞いた。あの『セヴェリ=トゥーロ』?」
「それは……ユハの考えてる『セヴェリ=トゥーロ』で間違いないと思う」
「……。ほんと、何がどうなってるの……」
ユハが前髪をぐしゃりと崩す。前世で見ていたものと同じ、心底困惑しているときの仕草だったので、リルカは申し訳ない気持ちになった。
「……僕が心配したようなことはないんだろうってわかってる。わかってるけどさ……」
あんまりにも無防備だから、心配になるんだよ。ぽつり、と視線を下げてユハが呟く。
はあ、と大きくため息をついて、ユハは仕切り直すようにリルカを見つめる。
「それで、『古き神』の〈器〉の彼と、『セヴェリ=トゥーロ』と話し合わなきゃいけなくなるって、一体何があったの」
「ユハには関わりのないことだし、大体解決したから……」
「それで僕が引き下がると思ってる?」
「引き下がってほしいとは思ってるわ」
「僕の勘は、ここで引き下がると後悔するって言ってる」
「…………」
己の勘を引き合いに出したユハが、簡単に諦めるはずがないのは確定だ。知らないうちに情報を集められるより、自分で開示した方がいい、とリルカは判断した。
「……一言では済まない話になるわ。お茶でも淹れて、腰を据えて話しましょう」
「わかった。それ片付けて新しいお茶淹れてくるから、リルカはここで待ってて」
リルカが片付け途中だった分をさりげなく取り上げて、ユハはそう言い置いて出て行った。
(本当に今日は、めまぐるしい日だわ……)
椅子に深く座り込みながら、リルカは深々とため息をついたのだった。




