てぃんさぐぬ花のように
遠野へんぼくです。
へんぼくと覚えていれば、こちらも少しだけならば、役に立つかどうかは、わからない事を今回つらつらと並べていこうと思います。
前もって言っておきますが、話半分、えぇほんの少しばかり小難しい話に持っていこうとしています。
ただまぁ 結局のところは、話半分に、聞いていただいた方が、タイパやコスパは、良いかも知れませんね。
別段、心に染みることは。何一つないと思いますね。
さてさて、皆さん、教訓を受けたことが、あると思います。
怒られずとも暮らしていれば親は何かと言ってくるものです。
そして親以外にも教師、とりわけ校長先生と言う役職の方は、皆さんに卒業証書を渡すだけじゃなくて、皆さんに教訓を伝えるために、体育館や運動場で、あいさつと教訓をしていきます。
ただまぁ 受けるがわとしては、時計をソワソワみたり、ばれないように手遊びや、昨日見たドラマやアニメの話を、こそこそやるのが常です。
担任に見つかれば、人によったら手痛い拳骨もあったのかもしれませんね。
そんなこんなで、時計をみれば、この調子で、一時間目少し潰れないかなとか期待するぐらい長く感じることでしょう。
だけど、校長先生の話や挨拶なんですが、実際の校長先生の話なんてね殆ど5分~10分程度なんですよね。
長い間、コントやあるあるネタで擦られているから、そう感じているだけだと思いますよ。
思い返してみてくださいよ。
長いなぁと思っていてもその後の授業が潰れることなんて、そうそうなかったはずですよ。
体感でしかないんですよ、休み時間にペチャクチャしゃべる時間とほぼ同程度。
なんか喋っているなぁとか、良い話しているんだろうなぁ、早く終らないかなと思っているから長いんです。
それで拳骨貰うのはコスパが悪いというものです。
そもそもが聞いたことのある話。
そりゃあ小中高と似たような話で、道徳的、社会的に同じ様な話なんだから、釈迦に説法の如く、何年聴いていると思ってるんだと思って益々つまらなくて、長く感じるもんなんです。
それでまぁ、校長先生の話の長さを思い返しながら、校長先生の話の内容を思い返そうとしたんですが、とんと出てこない。
防災訓練の皆さんが静かになるまでとか、長期休暇明けの皆さんの元気な顔を見ることができて嬉しいとか、頭の定型句しか思い出せないんですけど。
あんなに長かったはずなのに、数秒にも満たない言葉しか思い出せない。
話が長いという印象だけ残しているんですから。
でもまぁ良いように思うこともできます
夏がくれば思い出す蝉の声が、目覚ましのように、ふと学生時代を振り返ったときに、思い出す、長い長い話をしていたはずの校長先生という、共通の花が咲く事もあるでしょう。
桃栗三年柿八年、小学生6年中学3年、えぇ確かに芽吹くものがあるわけです。
長い話は巻いていけ
考えてみればあのときの校長のまいた種は、話の種、飯の種になっている。
この へんぼくにとっては僥倖かもしれません。
校長先生の話を半分に聞いてこのリターン、さてさてコスパやタイパにしたらいか程なのか。
もしかしたら大きなリターンとなっていたかもしれない。
暇を満たす話にも満たない。
この遠野へんぼくの話だってどこかでいつか、誰かを満たすかも知れない。
とまぁ話半分にするまでもない話でございます。
心に染める話でもないんですが、ほんの数時間いや数分でも満たせるように精進していきたいものです。
また爪先1つの ご縁がありましたらお会いしましょう。
遠野へんぼくでした。