頭が固いにもほどがある
窓の外から聞こえてくる姦しい小鳥の囀りと、カーテンの隙間から差し込む眩しい朝の陽射し。
それが、カイトの目覚まし時計だ。
前髪をかき上げながら起き上がろうとした彼の懐から、ずるりと何かが滑り落ちる。
またか。
カイトは毛布を持ち上げ、そこに丸まっているものにため息をついた。
「メリカ」
名前を呼んでも、ピクリともしない。
子ども用の部屋も寝台も用意したし、毎晩ちゃんと寝かしつけている筈だというのに、朝になるとメリカは必ずこうやってカイトのところに潜り込んでいる。何度も自分の寝台で寝るように言い聞かせて、その間はにこにこと頷いているにもかかわらず、だ。
シーリィンには「気配に気づかないのか」と呆れられるが、悪意害意の欠片もないものに、年がら年中ピリピリはしていられない。
思い返せば、孤児院にいた頃も、小さい子が良くカイトの寝台に潜り込んできたものだった。
メリカの中身が外見通りならば仕方がないことかと、カイトは半ば諦めてはいる。
(まあ、まだ明け方とかは冷え込むしな)
当面は、湯たんぽ代わりだと思っておこう。
子どもにはまだ早い時間だから、カイトはメリカを起こさぬようにそっと布団を抜け出してから彼女を毛布で包み込む。
カイトは外に集まっている小鳥たちの為にパンくずを撒いてから、自分たちの食事の用意を始めた。
シーリィンもメリカも栄養素としての食事が必要なのかは判らないが、取り敢えず、シーリィンは好きなものだけは視線で要求してくるし、メリカは喜んで出したもの全て平らげるのだから、求められてはいるのだろう。
パンを焼き、オムレツを作り、スープを温め、庭で育てた野菜をサラダにする。
子どもの頃から繰り返してきたことだから、考えずとも手は動く。
パンが香ばしい匂いを漂わせ始めると、シーリィンが姿を現した。
「おはよう」
「……おはよう」
カイトに返す朝の挨拶はいかにも面倒そうだが、返すようになっただけまだましだ。
出会った当初のシーリィンは、寝たいときに寝て、食べたいときに食べる、会話は必要最低限の業務内容のみという状態だったのだ。
それが長命属ゆえのものなのか、あるいはシーリィンだからなのか、いずれにせよ、必要最低限の生活習慣を整えさせるには丸一年以上かかった。今でも食事に関しては適当で、魔素を取り込めば生命維持はできるから、と、疎かになりがちだ。なので、不規則に彼が好むもの――主には甘味処を出すようにしている。そうすれば、それを目当てに出てくるからだ。
孤児院でも親から放置されて似たような状態になった子どもを世話したことがあったが、自分よりも遥かに長く生きている者にあれやこれや指図をする羽目になろうとは、カイトも思っていなかった。
だが、魔導士としては天下一品のこの相棒は、ひととしては完全に破綻しているのだ。
出来上がった料理を並べているとパタパタと軽い足音が近づいてくる。
「おはよう!」
シーリィンとは正反対の弾む声での挨拶だ。
「おはよう、メリカ」
応じたカイトにメリカは嬉しそうに顔を輝かせ、次いで、期待に満ちた眼差しをシーリィンに向けた。彼はしばし眉間にしわを寄せていたが、揺らぎのない視線に根負けする。
「――おはよう」
いかにも不承不承という風情の相棒に、毎朝繰り返されていることなのだからいい加減諦めればいいのにと、カイトは呆れ混じりの溜息をついてみせた。睨み付けてくるシーリィンを無視して、メリカを抱き上げ子ども用の椅子に座らせてから、自分も席に着いた。
「今日も一日ガルド神に感謝を」
孤児院からの習慣となっている祈りをカイトが口にすると、メリカが舌足らずに真似をする。
「るどしんにかんちゃを」
不正確なオウム返しだが、信仰を押し付ける気はないので、カイトも敢えて正しはしない。いずれ、メリカからどういう意味かと訊いてきたら教えるつもりだった。
メリカは拙い手つきながらフォークとスプーンで食事に励む。
「上手くなったなぁ、メリカ」
褒めると彼女は得意げな笑顔を浮かべた。
初めてメリカに食事を出した時には手づかみで食べそうになったが、カイトが食器の使い方を教えると三日とかからず扱えるようになった。スプーンとフォークでこぼさず食べられるようになったら、ナイフも教えるつもりだ。
「ごちそうさま! おいしかった!」
きれいに皿の上のものを平らげ満面の笑みを浮かべたメリカの口元をカイトは布巾で拭う。そのまま椅子を引いてやると、メリカはストンと飛び下りて、いそいそと食器を洗い場へと運んだ。背伸びしてそっと食器を中に入れると、クルリとカイトに向き直る。そうして、何かを待つように彼を見つめてきた。ぶんぶんと尻尾が振られているような気がする。
「ありがとな、メリカ」
自分の食器を同じように片付け、メリカの頭をくしゃくしゃと撫でると、彼女は嬉しそうに首を竦めた。
メリカを撫でながら、カイトはシーリィンにちらりと目を走らせる。メリカもシーリィンを見つめているが、彼は無言で立ち上がり、食器を洗い場に入れると、何も言わずに去っていった。
終始、メリカを視界に入れようともしないシーリィンに、心なしか彼女のふわふわの髪がしょぼんとしているように見える。
頑固な相棒に、カイトはやれやれとため息をこぼした。
「ったく、あいつは頭が固いからなぁ」
メリカと暮らすようになってひと月近くになるが、未だ、シーリィンは彼女のことを受け入れようとしていない。仔犬のように懐くメリカをガン無視する日々が続いている。
普通は根負けして絆されるだろうに、シーリィンの頑なな態度は一向に緩む気配を見せない。
日にち薬で何とかなるだろうとカイトは高をくくっていたが、どうやらまだまだ手こずりそうだ。
長命属特有の情の薄さもあるのだろうが、それ以上に、シーリィンの頑固さが大きいのだろう。
カイトは、時折、あのすこぶる出来が良いらしい銀色の頭をひっぱたいてやりたくなる。
多少揺らしてやったら、少しは中身が柔らかくなるに違いない。
と、下から視線を感じて見下ろすと、メリカがジッとカイトを見つめていた。まるで、彼の不穏な胸中を読み取っているかのような眼差しで。
メリカに他者の思考を読む力はないと思うが、子どもはこちらが思っている以上に大人の気持ちを察するものだ。
「まあ、焦らず、な。さて、今日は天気も良いし、洗濯でもしようか」
ポンと小さな頭に手をのせカイトが笑いかけると、メリカは、彼の屈託のない笑顔に釣られたように浮かんだ笑みを返してきた。