氏より育ち②
敏感なキツネ人の耳にもここでの声が届かなくなるほどゲイルが遠ざかるのを待って、カイトは大きく息をついた。
どうやら、うまくやり過ごせたらしい。
魔力に敏い長命属が相手ではごまかしきれなかったかもしれないが、この家に出入りする者と言えばゲイルくらいだ。少なくとも彼からは、これ以上メリカの素性を追及されることはないだろう。
「やれやれだ。あんまり突っ込まれなくて良かったなあ、メリカ?」
隣の幼女に笑いかければ、目と目が合って、またニコリ。
多分ほとんど意味など解っていないのだろうが、メリカは話しかければ必ず笑顔を返してくる。それがまた、えらく可愛いのだ。
邪気のない笑顔というものは、人類最強の交渉道具だと、カイトは思う。
「こいつの笑った顔、最強だろ。なぁ、シーリィン?」
同意を求めてシーリィンに眼を向けたが、返ってきたのはフンと鼻を鳴らす音。
「ソレはヒトに擬態しているだけだ。そうやって相手に取り入る為のもので、感情や好意を伴うものではない」
「はぁ? 捻くれてんなぁ」
「お前のように能天気ではいられないだけだ」
冷ややかな眼差しと共に返ってきた台詞に、カイトはため息をつく。
シーリィンは相変わらず素っ気ないが、カイトからしてみればこの笑顔を前に絆されずにいられる方が理解不能だった。
「ったく。冷血野郎め」
「何か言ったか」
「べっつに」
相棒のぶっきらぼうな声を適当に受け流し、カイトはしげしげとメリカを眺める。
拾って三日ほどになるが、この幼女の生態は、相変わらず謎だった。
見た目はどこからどう見てもヒトだが、あの生まれ方とその後に起きたことを知っているから、見た目通りでないことは確かだ。
「どっちかってぇと、長命属寄りなんかな」
ゲイルが指摘したように、メリカの容姿はカイトとシーリィンの両方の要素を持っているが、その整い方が性別不詳の端麗さを誇る長命属を思わせる。成長すれば、人間離れした美しさを呈するようになるに違いないと、年端もいかない今から思わせた。
確かにメリカの髪はカイトと同じ金色だ。これほど明るい金色は珍しいが、まれというほどではない。
一方、瞳の色は稀少な菫色だ。ゲイルがメリカをシーリィンの子どもではないかと言ったのは、この瞳の色のせいだろう。カイトの金髪と違い、菫色の瞳を持つ者は滅多にいない。
「この目の色は、魔力を持っている証拠なんだよな?」
それは、以前にシーリィンから聞かされた話だ。
出会って早々の頃、初めて見るその美しさに声を上げたカイトに、仏頂面でシーリィンが教えてくれた。
菫色の瞳は魔力を有している証、そして、長命属以外には魔力を持つものはごくごく稀にしか現れないから、必然的に菫色の瞳は長命属の特徴とされているのだと。
「ああ。……ソレの瞳の色は、私よりも遥かに濃い。瞳の色の濃淡は魔力の強さ――体内に取り込める魔素の量に相応するから、つまり、ソレは私を凌駕する魔力を有しているということだ」
長命属の中でも屈指の魔力を有しているという自負があるからだろう。シーリィンの表情にも口調にも、揺るがせない事実と認めていても受け入れ難いという気持ちがありありと滲んでいる。
ガルディア最高峰と名高いアリヤ山よりも高い自尊心を持つシーリィンだから、自分の方が負けているということが我慢ならないに違いない。
たまには、自分よりも上がいるということを知るのはシーリィンにとっても良いことだ。
拗ねている相方は放っておいて、カイトはメリカを上から下へと眺め下ろす。
「やっぱ、長命属っぽいよなぁ」
カイトの呟きに、すかさずシーリィンが反応する。不機嫌そうに。
「我々は卵では生まれないと言っただろう」
「いやでも、長命属って、何百年も生きるくせに、単人属で言うところの十歳くらいになるまでは、俺らの十年より早いんだろ? 確か、二、三年くらいだっけか?」
「そうだが、あんなふうに急に成長するわけではない」
「ふぅん」
良く解らねぇなと言いながら、カイトはわしゃわしゃとメリカの髪を撫でる。嬉しげに首を竦めて笑い声をあげる様子は、やはりただの女の子でしかない。
いや、ただの、ではない。
出自など気にならなくなる程に可愛い女の子、だ。
カイトはメリカの両脇に手を差し入れて抱き上げた。
「ま、どう生まれたかより、どう育てられるか、だよな、人間は」
カイトだって、親を知らない。彼を今のカイトにしたのは、育ててくれた孤児院の院長たちや、共に暮らした血のつながらない『きょうだい』たちだ。
そして、そんな自分を、カイトは誇っている。
メリカの親だろうと思われる魔物を殺したのはカイトとシーリィンだ。彼女を独りにしたのはカイトたちなのだから、代わりに守り育んでいくのは、彼らの義務だ。
「俺らと一緒で良かったって思ってくれるように、頑張るからな!」
高く掲げられて、メリカは手足をバタバタさせてまた声を弾ませる。
「ソレは人間じゃないし、私は知らん」
「またまたぁ。つれないなぁ、相棒のクセに」
「相棒は仕事のことだけだ。私生活は関係ない」
「そんなこと言っていいのか? 俺が作る飯が好きなくせに。もう作ってやんないぞ?」
カイトのその台詞に、シーリィンがグッと言葉に詰まる。
長命属は魔素を取り込むだけで充分生存可能だが、敢えて食事をするのはその行為を好んでいるからだ。
「第一さぁ、こんだけ可愛いんだからもう人間でいいだろ」
カイトはズイと黙りこくったシーリィンの方にメリカを差し出したが、彼は滑らかな眉間にしわを寄せた。
「見てくれを判断基準にするな。お前は危機感が薄過ぎる」
仏頂面のシーリィンに、カイトがやれやれとこれ見よがしなため息をつく。
「あっちのお兄さんは頭が固いよなぁ。なあ、メリカ?」
向かい合わせで同意を求められて、メリカがキョトンとする。
「からい?」
舌足らずで繰り返したその一言に、カイトはオオと声を上げた。
「もう言葉覚え始めてんのか?」
言葉を話さなくても、出会ってまだ数日だからだと思っていたが、そうではなく、家に帰り着くまでは意識して話しかけていなかったからだったようだ。
「よし、お前の名前はメリカ、メリカだぞ。言ってみ?」
「めり」
「もう一声、めり、か」
「めりか」
「そうそう! 天才だろ!」
歓声を上げたカイトとそれに釣られて笑い声を響かせるメリカに、シーリィンは、一人深々とため息をこぼした。