メリカにできること
寝台の中で、マリナがハァハァと荒い息をしている。
「だいぶ熱が上がってきたね」
そう言って、大きな身体を屈めてマリナを覗き込んでいたゼノスが身を起こした。心なしか、彼の表情も曇っている。
寝込んでしまったのはマリナだけではない。年少組は全滅だ。昼を過ぎた頃からあんなに元気だったセインとラン、それにザムも急にぐったりし始めて、あっという間に熱が上がってしまった。少し前に医者が来て子どもたちを診察してくれたけれども、できるだけ水分を摂らせるようにとしか言わなかった。でも、皆ほとんど眠ったままだし、目が覚めているときでもあまり飲んでくれない。
それから、マリナとザムはリアが、セインとランは他の部屋でキムが世話をしている。リアは今、子どもたちが少しでも何か口にできるようにと台所でスープを作っているから、メリカが代わりにマリナとザムを見守っているのだ。
「こんなに苦しそうなのに、何にもできないの?」
メリカは眉根を寄せながらマリナの頭をそっと撫でる。
(治癒魔法が効けばいいのに)
シーリィンは治癒魔法も教えてくれたけれども、あれは修復魔法の応用だ。怪我がなかった状態に戻すことはできても、病気は癒せないのだと言っていた。
悔しくて唇を噛んだメリカの頭に、ポンと大きな手がのせられる。
「街では同じような風邪が流行っているらしいよ。マリナたちくらいの年齢の子が軒並み高い熱を出しているけれど、三日ほどで下がるらしいから、大丈夫、そんなに心配は要らないよ」
「うん……」
ゼノスの慰めに頷きはしても、気持ちは軽くならない。
メリカはマリナの顔から眼を離し、ゼノスを見上げた。
「ねぇ、メリカにできることない?」
少しでもマリナが楽になるのなら、何でもする。
苦しがるマリナをただ見ているだけだなんて、いやだ。
眼で訴えるメリカに、ゼノスは穏やかな微笑みを浮かべて頷いた。
「そうだね、じゃあ、できるだけ冷やしてあげようか。メリカは氷が作れるのだろう? 桶に氷水を作って、浸した布で顔や首を拭っておあげ」
「うん!」
それなら、メリカにもできる。すっくと立ち上がり、扉に向かって駆け出した。
メリカが真っ直ぐに向かったのはお風呂場だ。大きめの桶にたくさん水を張って、できた氷を時々砕きながら凍らせていく。
「このくらいでいいかな」
桶の八分目まで入れた水が半分ほど氷になったあたりで、メリカは手を止めた。そうしてもう一つ、セインとランの分も作る。
二つ並んだ桶を前に、メリカは少しばかり思案する。
重ねて運ぼうか、片手に一つずつ持って運ぼうか。
(重ねちゃった方がこぼれないかな)
そう思って持ち上げようとした桶が、ふいに伸びてきた手に横取りされる。
振り返った先にいたのは、タフトだった。彼を見た瞬間、メリカはムッと嫌な気持ちになる。
こんな時なのに、また意地悪をしに来たのか。
そう思って、文句を言いかけたメリカだったけれども。
「お前はマリナたちの方に持って行け」
いつもの仏頂面でボソリとこぼした言葉に、メリカは目を丸くする。
つまり、セインたちの方にはタフトが行ってくれるということだろうか。
「持ってってくれるの?」
思わず問い返してしまったメリカに、タフトは何も言わずに歩き出した。メリカは慌てて桶を持ち、彼の後を追いかける。
小走りで横に並んだメリカにチラリと目を走らせることもなく、タフトは黙々と歩いている。
ムッツリと唇を引き結んで怒っているように見えるけれど。
メリカは何度か声をかけようとして口ごもる。
お風呂場とマリナたちの部屋の中間くらいまで来たところで、意を決した。
「運んでくれて、ありがとう」
メリカのその言葉に、タフトの肩がピクリと揺れた。それ以外は、全然変わりない。まっすぐ前を見たまま、黙って歩いている。
聞こえていたと思うけれど、メリカはもう一度繰り返す。
「ありがとう。運んでくれてうれしかった」
――タフトの耳が赤いように見えるのは、メリカの気のせいでないようだ。
薄っすら色のついた彼の耳を見て、ふと、ゼノスの言った通りなのかもしれないとメリカは思った。
確かにタフトはマリナに意地悪をしたけれど、今、助けてくれた。
(ホントにイヤな子だったら、手伝ってくれないよね)
手伝ってくれたということは、マリナたちのことを心配しているということだ。
(なぁんだ)
メリカは、胸の中に花が咲いたような気持ちになった。
思わず笑顔になったメリカに、タフトが眉間に皺を寄せる。
「何笑ってんだよ」
「だって、うれしいんだもん」
「は? 何が」
「タフトが手伝ってくれたこと。タフトがマリナたちのことを心配してくれてるってこと。ゼノス先生が言ったとおりだったこと」
「別に心配なんか……――先生が言ったことって、何だよ?」
前の二つは膨れた顔で聞き流したタフトが、最後の一つにだけ引っかかる。あんなに、いつもみんなのことなどどうでもいいような素振りをしているのに。
メリカは足を止めてタフトを見上げ、いつかの晩にゼノスが話してくれたことを伝える。
「あのね、タフトはいやなことをするけど、いやな子じゃないんだよって先生が言ってたの。自分が苦しいからみんなにいじわるしちゃうんだって。その時はウソだぁって思ったけど、タフトがホントはいやな子じゃないんだってことは今判ったよ」
そう言ってまたにっこり笑うと、タフトは鼻白んだように唇を引き結んだ。さっきよりも、耳が赤くなっている。
それからだんまりのまま廊下を歩いて、先にタフトの方がセインたちの部屋に着く。マリナたちがいるのはもう一つ先だ。
「お水ぬるくなったら言ってね」
「……ああ」
やっぱりむっすりとした口調だったけれども、タフトは返事をくれた。
自分もマリナの部屋へ行こうとメリカが足を踏み出した時、タフトが声を上げる。
「あ――」
振り返って続きを待つメリカにタフトは何か言いかけて口ごもり、結局、フイと横を向く。
「――何でもねぇよ」
そう言って、セインたちの部屋に入っていってしまった。
「?」
何だったのだろうとメリカは首をかしげたが、桶の中の氷がチャプンと音を立てて我に返る。
「あ、早く行かなきゃ」
桶の中身をこぼさないように扉を開けると、ゼノスが振り返った。
「持ってきたよ」
「ああ、ありがとう」
ゼノスはメリカから桶を受け取り、マリナとザムの寝台の間にある台に置く。そうして中に浸してあった布巾を絞り、ザムに向き直った。ゼノスは、ザムの毛皮を上から拭くのではなく、ふわふわの毛の下にある皮膚に押し当てるようにしている。
少しの間ゼノスがすることを観察してから、メリカも桶に手を入れて、彼がするのと同じようにマリナの肌に布巾を押し当てた。冷たい布が触れた瞬間はピクンと長い耳が震えたけれども、それから気持ち良さそうな吐息が小さな口から漏れた。
少しは効果があるようで、うれしくなったメリカは何度もそれを繰り返す。
どんどん水はぬるくなって、二度ほど凍らせ直した。途中、隣からタフトが桶を持ってやってきて。
三度目に凍らせていた時、リアがスープをのせたお盆を手にして部屋に入ってきた。漂ってくる香りは、子どもたちみんなが大好きな、ミルクスープだ。
「看てくれていてありがとう、メリカ。マリナ……スープ飲める?」
リアの呼びかけに、マリナがうっすらと目を開ける。リアに背を支えられて身を起こしたマリナは、けれど、数回匙を口に運んだだけで、すぐに顔を逸らしてしまった。
布団に潜り込んで申し訳なさそうな顔をするマリナにリアは優しく微笑んで、マリナの胸の辺りをポンポンと叩く。
「いいよ。飲めそうだったらまた温めてくるからね」
こくんと頷いたマリナにもう一度微笑んでから、リアはメリカに顔を向けた。
「メリカもご飯を食べて、もう寝なさい」
「え、でも……」
「いいから、休みなさい」
渋るメリカに、ゼノスもリアの後押しをする。
「そうだね。もう夜も遅いし。カイトとシーリィンが帰ってきたときに君が寝込んでいたら、二人とも卒倒してしまうよ」
「メリカはだいじょうぶだよ」
「だぁめ。ほら、早く行って」
せめてその場に留まっていたかったのに、リアに部屋から追い出されてしまう。
仕方なくメリカは食堂に向かい、置いてあるスープとパンをもそもそと口に運んだ。美味しい筈のご飯が、一人で食べていると全然味がしない。
(何かメリカにもできたらいいのに)
眉間に皺を寄せながら考えて、ハタと思い付く。
あったではないか。
メリカにできること。
この場で、メリカにしかできないこと。
残っていたご飯を急いで平らげて、メリカは食堂を飛び出し、そのまま外に駆け出した。
キョロキョロと辺りを見回して確かめると、陽が沈んでずいぶん経つから、庭の向こうの道路にも人影はない。
これなら、大丈夫。
メリカは目を閉じ、想像した。
自分の望みが叶うところを。この望みを叶えられる、姿を。
――ソレができるということを、メリカは誰かに教えてもらったわけではない。本能で、知っていた。




