再び、森の中で
左手の木立ちの間から、仔牛ほどの影が襲い掛かる。
しなやかな跳躍。
額には鋭い角が一本。
有角豹だ。
カイトは繰り出されたその爪を右に左に交わしざま、刃を一閃させて斬り伏せる。一太刀で絶命した有角豹は、断末魔を残すことすらせずに地に伏した。
――深淵の森に足を踏み入れ、五日目。
リスプはまだ見当たらない。例年ならば、今頃袋いっぱい集め終えている頃合いだが。
方角は異なるが、深さ的にはメリカを拾った辺りと――あの異形の魔物と遭遇した辺りと同じくらいまで来ている。つまり、相当奥まで来ているということだ。
森の深さと魔物の強さは比例するから、ここまで来ると、出没するのは生半可なギルド員では太刀打ちできないようなものになってくる。先ほどの有角豹もそうだ。傷一つ無く立っていられるのはカイトだからで、普通は鼠のように弄ばれて終わるだろう。
少し待ち、有角豹の息の根が完全に止まっているのを確認してから、カイトはその骸の横に膝をつく。強い魔物は知恵もそこそこあるから、死んだふりをして油断をさせたところに飛び掛かってくるということもあるのだ。
カイトは貴重な素材になる角を切り取るべく小刀を出し、慎重に刃を入れる。
「しかし、今年はいつにもましてお客さんが多いな」
肉食の獣や魔物はヒトを餌と認識するが、どちらも本能的に強者を避けるから、普段なら探索中に数回遭遇する程度だ。にもかかわらず、カイトとシーリィンの二人は、ここ二日というもの、ひっきりなしに魔物の襲撃を受けていた。冬を前にしたこの時期、獣も、そして魔物も、食欲と共に攻撃性も増すものだが、今回は少々異常だ。
ぼやいたカイトに、シーリィンが周囲を見回しながら答える。
「確かに、気配が多い。普段はこの辺りにいないようなものもいる」
「強ぇえ奴が出張ってきてるってことか?」
「ああ」
頷き、シーリィンは横たわる有角豹に視線を向けた。
「通常はそれどまりだが、もっと気配が強いものが数体索敵圏内にいる」
「へぇ」
眉根を寄せたシーリィンの言葉を聞き流しながら作業を終えたカイトは、角をしまって立ち上がる。
「ここまで来るギルド員はそうそういないが、戻ったら報告はしといた方がいいな」
そう言って振り返ったカイトは、佇むシーリィンの表情に眉を上げる。滅多に感情を表に出さない彼が、何やら難しい顔で考え込んでいた。
「どうした?」
「……」
「シーリィン?」
「……あの魔物は、何ものだったのか」
「は? あの魔物って?」
「メリカを見つけたときの、あの異形だ。これほど魔物と遭遇しても、アレと同じものはいない」
カイトは内心目を丸くする。シーリィンがアレの話をするのは、メリカと暮らすようになってから初めてに近い。
表面には出さないが探求心旺盛なシーリィンが、あれほど珍しい代物に興味を示そうとしなかったのは、むしろ不自然だったのだが。
「あんなのがゴロゴロしてたら困るだろ」
軽い口調で応じて肩を竦めたカイトを、シーリィンが睨む。
「アレの正体が判らないということは、メリカが何ものなのかも判らないままだということだ」
「別に判らなくてもいいじゃねぇか。メリカはメリカだろ」
「お前はいつでも単純だな」
呆れた口調のシーリィンにカイトはニッと笑う。
「お前が考え過ぎなんだって。で、他に何を考えてるんだ? 今更あいつの正体がどうのとか、本気で気にしてるわけじゃないよな」
カイとの指摘は図星を突いていたようで、シーリィンは唇を引き結んだ。相変わらず、無表情なくせに判り易い男だ。
「……私は、あの魔物とメリカは全く別の種だと思っている」
「はぁ?」
「アレとメリカに血縁関係はない。アレはメリカの親ではなかった」
「はぁ。なんでまたそう思ったんだ?」
「まず、両者に共通点が皆無だ」
「見た目の話か? それなら、どっちも自分が好きなように形が変えられる能力があるってことだったろうが」
「当初はそう考えた。だが、あれ以来、メリカの姿が大きく変わることがない」
「そりゃ、ほら、変える必要がないからとか。俺らとの生活にのんびりまったり浸ってたら、角生やしたりする必要なんてないだろ?」
「……メリカは非常に高い知能を持っている。ヒトの言葉も解するくらいに」
「あの魔物だってそうだったかもしれねぇじゃねぇか。こんな山ン中で知能もクソもないからな。じゃあ、なんで自分じゃ動けない卵のあいつが、あんなところにいたんだ?」
「それは……偶々……」
「あれだけあのデカブツの間近にいて、暴れるあいつに踏み潰されることもなく、か?」
カイトにバッサリ切って捨てられて、シーリィンは押し黙った。
シーリィンが重んじるのは客観的事実だ。こんなふうに曖昧な推論に頑なにしがみつくのは、まったくもって、彼らしくない。
カイトは一つ息をつく。
「あのさぁ、メリカとアレが親子じゃないって、『思っている』のか『考えている』のか、どっちなんだ?」
「どういう意味だ」
シーリィンの眉間のしわが深い。
本気で気づいていないらしい彼に、カイトは続ける。
「お前は親子じゃないと思いたいだけなんじゃねぇのってこと」
「親子じゃないと、思いたい……? 私が……? 何故」
「そりゃ、あいつの仇になりたくねぇからだろ」
グッと息を詰めたシーリィンに、カイトはさらに突き付ける。
「メリカとアレが親子なら、俺らはあいつの親を殺したってことになる。お前はそれを受け入れたくないだけなんじゃねぇの?」
「そんな! こと、は……」
強い口調で発した声が、尻すぼみで小さくなっていく。自信がなさそうなシーリィンを見るのは、短くない年月を共にしてきたカイトでも初めてのことだった。
肩を強張らせたシーリィンを、カイトは見守る。
常に物事を――自分自身のことでさえも俯瞰して考えるシーリィンが、カイトでも解かるようなことが解からないはずがない。きっと、気づきたくなかっただけなのだ。
立ちすくむ彼の中に渦巻く葛藤が、カイトには手に取るように判った。何故なら、シーリィンに向けた言葉は、そのまま、自分自身に投げたものでもあったから。
メリカに注ぐ情が深くなるほど、彼女に憎まれるのが怖くなる。
しかし、カイトとシーリィンはメリカの親を殺した、かもしれない――いずれ、必ず、このことを彼女に話さなければならないのだ。
ヒトに被害が出ていた以上、あの魔物は倒さなければならなかった。
それは、絶対だ。メリカという存在を知っていても、任務は遂行していた。
けれども。
一握の後悔が自分の胸の底にあることは、カイトにも否定はできない。
カイトとシーリィンがしたことは、メリカを孤独に追いやったのだから。
メリカをヒトに馴染ませようとするのは、そうすることでヒトに対して良い感情を持って欲しかったからだ。そうすれば、長じてヒトに牙を剥くようなことはしないだろうという打算があることは否めない。
だが、同時に、純粋に、メリカの幸せを願う想いもあるのだ。
そして、共に過ごす時間が増えるにつれ、後者の方が重くなっている。
真実を伝えなければならない。
その真実は、メリカの幸せを損なうかもしれなくても。
無邪気な空色の瞳が、憎悪に染まるとしても。
「そりゃ、気づきたくねぇよな」
カイトはぼそりと呟いたが、考え込むシーリィンには届かなかったようだった。




