眠れない夜
夜が更けて、寝台に入る時間になっても、メリカは全然眠れそうになかった。
五回、六回と寝返りを打ったところで、隣の寝台からキムが小さな声を漏らす。このままもぞもぞしていたら、きっと彼女を起こしてしまうだろう。
メリカはそっと寝台を下り、足音を忍ばせて、細心の注意を払って扉を開ける。
灯りが消された廊下は真っ暗で、少しばかり怯んだけれど、メリカは一歩を踏み出した。
部屋を出ても、行き先が決まっているわけではない。少しばかり迷ってから、メリカは食堂に向かった。
誰も居ない食堂は、昼間よりも広く感じられる。窓から差し込む月明かりの中、メリカは椅子の一つを引き出して、腰を下ろした。
そうして食卓に突っ伏して、メリカは足をプラプラさせる。
お腹の辺りがモヤモヤして、イヤな気持ち。
その所為で、眠れない。
フカフカの布団に入っても眠れないなんて、メリカには初めてのことだった。
「カイトとシーリィンに会いたいなぁ」
メリカが呟いた、その時。
「眠れないのかい?」
低く穏やかな声が問いかけてきた。
顔を上げたメリカは、食堂の入り口に佇む大きな影に、目をしばたたかせる。
「ゼノス先生」
起こしてしまったのだろうかと謝ろうとしたメリカを手で制して、ゼノスが歩み寄ってくる。大きな身体なのに、足音が全然しない。
ゼノスはメリカの隣の椅子に、腰を下ろした。腰を下ろしたけれど、ただそこにいるだけだ。
何か言ってくれないかな、と思ったけれど、ゼノスは黙ったままで。
「……」
メリカは膝の上に置いた自分の手を、ジッと見つめる。そうして、ポツリと呟いた。
「カイトとシーリィン、いつ帰ってくるのかな」
「そうだな、そろそろリスプを見つけたか、もしかすると、まだ探しているところかもしれない。今年はまだ暖かいから、少し時間がかかっているんだろうね」
大きな手が、ふわりと頭にのせられる。
「寂しいかい?」
「さびしい?」
「ああ。二人に会いたいのだろう? 皆がいて一人じゃないのに、独りでいるようで」
「……そうかもしれない」
メリカはうつむいて、小さく頷いた。
「カイトとシーリィンと、お話ししたい」
このモヤモヤした気持ちを、二人に聴いて欲しい。そうして、いつものように『答え』を教えて欲しい。
「じゃあ、二人の代わりに僕が君の話を聴くのは、どうかな」
「ゼノス先生が?」
「うん。イヤかな?」
メリカはしばし考える。
気になっているのは、孤児院の中で起きたことだ。だったら、カイトやシーリィンよりもゼノスの方が、解かっているに違いない。
「……あのね、タフトは、なんであんなイヤな子なの?」
「イヤな子?」
「うん。自分よりうんと小さいマリナにいじわるするの。イヤな子だよね?」
「なるほど。いじわるをするから、イヤな子、か」
顎を撫でながら言ったゼノスが頷いてくれないことに、メリカは唇を尖らせる。
「ちがうの?」
「そうだなぁ。いじわるは、イヤなことだね。でも、イヤなことをする人はイヤな人、というわけでもないんだよ」
「なんで? イヤなことをするんだから、イヤな子だよ」
声を上げたメリカをなだめるように、ゼノスが彼女の頭を撫でる。
「人の行動には、色々な理由が絡んでくるんだよ。確かに、イヤな人がイヤなことをすることもある。でも、イヤな人でなくても、イヤなことをしてしまうこともあるんだよ」
「そんなの、あるわけないよ」
メリカはムッと眉根を寄せた。
ゼノスの言うことが、さっぱり解からない。
イヤな人だから、イヤなことをするはずだ。いい人がイヤなことをするなんて、あるはずがない。
しかめ面のメリカに、ゼノスがふと笑う。それは苦笑混じりで、けれど、優しい微笑みだった。
「人はね、自分が苦しいと、他の人に優しくするのが難しくなってしまうことがあるんだ。時には、いじわるしてしまったりもする」
「なんで? そんなことしたって、楽しくなんてならないでしょ?」
「そうだね。でも、理屈じゃないんだよ」
メリカしばし考えこむ。
「でも、じゃあ、なんでマリナもリアもキムも怒らないの? いじわるはいけないことだよ。いけないことはしちゃダメなんだよ。自分が痛いからって、他の人に痛い思いをさせていいっていうことはないんだよ」
ちゃんと怒らないと、と言い張るメリカに、ゼノスは頷く。
「そうだね。いけないことだね。でも、ここにいる子は、皆、自分たちも苦しいときがあったから、今のタフトの気持ちが解かるんだと思うよ。だから、待ってあげられるんだ」
「タフトの気持ち……待ってあげる……?」
メリカには解からない。
やっぱり、相手が誰であれいじわるはいけないことで、小さいマリナはどんなものからも何があっても守ってあげないといけないはずなのだ。
納得いかずに膨れるメリカの横で、ゼノスが静かな声で続ける。
「タフトもね、本当は、自分がしていることは良くないことだって、解かっているんだよ、きっと。だから余計にイライラしてしまうんだ」
「……そうなの?」
彼のあの態度からは、そんなふうにはちっとも思えない。
唇を尖らせたメリカの頭をまた撫でて、ゼノスは言う。
「タフトの中で苦しい気持ちが薄まったらいじわるをしなくても済むようになるだろうし、そうしたら、ごめんねと言えるようになると思うよ」
「……そうしたら、いいよって言ってあげないといけないの?」
あんなふうにされているのに、マリナやキムは、そんなに簡単に赦せるのだろうか。
――メリカにはできそうにない。
メリカのそんな心の声を聞き取ったかのように、ゼノスが優しく微笑む。
「ごめんねと言われて、赦す必要はないんだよ。ただ、謝りたいという気持ちを持ったということだけは、受け止めてあげておくれ」
ゼノスの言葉に納得はできていない。
できてはいないけれども、彼の穏やかな眼差しを注がれたメリカは、小さくコクリと頷いた。