初めての感情
孤児院は、身の回りのことは子どもたちですることになっているらしく、食事の準備も、役割分担をしながら子どもたちでこなしていた。
昼のご飯が終わると、年長のリアとキムが頭になって、小さい子らが掃除と洗濯のお手伝いだ。
中の掃除が終わると男の子たちは外の掃除を言い渡されて、我先に飛び出していく。秋の庭は落ち葉がたくさんだから、集めて焚火にして、おやつに芋を焼く予定になっている。
一方、女の子たちは、洗濯物の片づけだ。
一番年下のマリナも、小さな手で一生懸命洗濯物をたたんでいる。メリカも、そんな彼女の隣でせっせと手を動かしていた。
「メリカ、服をたたむの上手だね」
メリカの手元を覗き込みながらそう言ってきたのはリアだ。
メリカが褒められたということは、教えてくれたカイトが褒められたということだ。うれしくなって、メリカは胸を張る。
「カイトに教えてもらったの」
「ふぅん。私、なかなかそんなふうにきれいにできないよ。この襟のところが、いつも歪んじゃうの」
リアが言うのは、メリカも手こずったところだ。
「それはね、こことここを合わせて――」
メリカは、カイトに教えてもらったことを、できるだけ教えてもらったとおりに説明していく。自分で解かりづらかったところは、特に丁寧に。
「あ、なるほど。そうやったらいいんだ」
先ほどのメリカが仕上げたようにきれいにたためたシャツに、リアが嬉しそうに笑った。
「形を考えながら、揃えるところをちゃんと揃えると、なんでもきれいにたためるんだって、カイトは言ってたよ」
「そうなんだ。何となくやってたな」
ふふ、と笑い合ったメリカとリアの間に、ずいと布巾が差し出された。
マリナだ。
ほんの少し角がズレているけれど、布巾はちゃんと四つ折りにされている。
「マリナも上手にたためてるね」
メリカが綿毛のようなふわふわの白毛を撫でてあげると、マリナは嬉しそうに目を細めた。が、突然伸びてきた手が、マリナの手から布巾を取り上げる。丸く大きな紅い目が、パチパチとしばたたかれた。
振り返ると、そこに立っていたのは。
「タフト」
リアがたしなめるように名前を呼んだけれども、タフトは、手にしていた布巾をくしゃりと丸めてしまった。マリナが、あ、という顔になる。
「何するの!?」
思わず声を上げたメリカに、タフトが布巾を放り投げてきた。マリナが頑張ってたたんだのに、すっかりグシャグシャになってしまっている。
落ちた布巾を拾い、うつむいて皺を伸ばすマリナの姿に、メリカはカッとお腹の中に火がともったような感じに襲われた。
「何でそんないじわるするの!」
立ち上がってタフトに食って掛かったメリカに、けれど、彼は謝るどころか、バカにしたように鼻を鳴らして返しただけだった。
タフトにだってするべきことがあるはずなのに、それもせず、その上、こんないじわるをするなんて。彼がどうしてこんなことをするのか、メリカにはさっぱり解からない。
いじわるは、悪いこと。
悪いことをしたら、謝るべきなのに。
タフトは、いけない子だ。
メリカはタフトをやっつけてやりたかったけれども、タフトはメリカよりも弱い。とても、弱い。
だから、グッと我慢して、睨むだけにする。
そんなメリカからタフトはプイと顔を逸らし、むっすりと黙ったままで踵を返してしまった。
「タフト!」
呼んでも、振り返らない。
メリカは、タフトのことを嫌いだと思った。誰かに対してこんなふうに思うのは初めてで、何だかすごく気分が悪い。何だかすごくイヤな感じで、ムカムカする。
むぅと口を尖らせているメリカの手に、そっと温かなものが触れる。見下ろすと、マリナの小さな両手がメリカの手を握っていた。
そうだ。
嫌なことをされたのは、メリカではなくてマリナだ。
「いじわるな子だね!」
当然、頷きが返ってくるとメリカは思っていた。当然、メリカと同じくらい怒っているのだろう、と。けれど、予想に反して、マリナとリアは少し困ったような顔になっているだけだった。
「リア?」
眉根を寄せて窺うと、リアはマリナの頭を撫でながらメリカに微笑みを浮かべた。
「タフトのことは、そっとしておいてあげて?」
「何で? あんなにイヤなことしたのに!」
憤然と声を上げたメリカの手が、また、ツンツンと引かれた。そうして、マリナが舌足らずに言う。
「あのね、タフトはまだ来たばっかりなの。だから、まだ、さびしいの」
「え?」
どういうことだろう、とメリカは首を傾げたけれども、リアもマリナもそれ以上タフトのことに触れる気はなさそうだった。二人とも、何事もなかったかのように、また洗濯物に手を伸ばし始める。
いじわるをされた本人がなかったことにするというのなら、メリカにはそれ以上何も言えない。
釈然としない思いを胸の中に残しながら、メリカも二人に倣って洗濯物を手に取った。