拾ったからには責任もって
ひとまず魔物との戦いでボロボロになってしまった窪地から離れ、カイトとシーリィンは赤子を連れて落ち着ける場所で野営することとなった。
北の地でもあり、晩秋の深い森は夜になると冷え込んでくる。
シーリィンが呼んだ水、起こした火で、カイトは携帯食のスープを温め始めた。
「で、マジでどうするよ、これ」
スープが食べ頃になるのを待つ中、口火を切ったのはカイトだ。台詞と共に、膝の上に置いた包みを指さす。
中身はもちろん例の赤子である。あの魔物の仔であれば、この程度の寒さなど屁でもなかろうが、如何せん、この見てくれだ。素っ裸のままでいさせるのも気が引けてカイトの外套で包んであるが、この先どうしたら良いのか皆目見当がつかない。
置き去りにするのは忍びないが、街中に連れて行くわけにもいかない。
どうしたものか。
と、構われていると思ったのか、自分に向けられたカイトの指を、機嫌良く笑いながら赤子が握り締めてきた。
その無邪気で愛らしい仕草に、カイトはグッと奥歯を食いしばる。
「カイト」
「解ってるよ。ほだされるなってんだろ」
赤子の手から指を引っこ抜き、カイトは尻の下に手をしまった。そうして、包みを見下ろす。
「単人属なら生後半年……は過ぎてんな。一歳にはなってないか」
カイトの呟きにシーリィンが眉をひそめた。
「見て判るのか?」
「俺が孤児院育ちだってのは知ってるだろ? ガキどもの世話は年長者の役目だったからよ」
そう言って、カイトは赤子を抱き上げた。
「単人属ならこのくらいの年だったらそろそろ飯を食い始める頃合いだけどよ。同じで良いんかな」
「……お前、本気でソレを育てるつもりか?」
カイトに向けるシーリィンの眼差しは、理解不能の生き物を見るそれだ。
「だってこいつ、どこからどう見たって赤ん坊じゃねぇか」
カイトの台詞にシーリィンは理解できないという顔になったが、カイトからすればシーリィンの反応の方が理解できないのだ。
力があるものは、力のないものを守るもの。
カイトはそう教えられて育ったし、そうしてくれた人がいたから大人になれた。
だから、彼にとって幼きもの、弱きものは無条件に庇護すべきものなのだ。
とはいえ、この考え方の違いは、種族の差に因るものも大きいのだろう。
長命属のシーリィンは、そもそも子育てをするという概念を持たない。長命属では生まれた子はすぐに親から離され、ある程度育つまで里の保護舎で育てられるからだ。
親から引き離された子どもを育てるという点から言えば、カイトが幼少期を過ごした孤児院と同じもののようだが、実際はまったく違う。
孤児院の子どもは世話をされ世話をして育つが、長命属はそういった保育養育を必要としないのだ。長命属は大気中の魔素を取り込んで育つから、食事の必要も排泄の世話も要らない。ただ、外敵から守られるだけの檻のような場所で時を過ごし、大きくなるのをただ待つだけだ。
そして、長命ゆえに数十年数百年に一人しか生まれず、シーリィンも自身で身を守れるようになるまで保護舎では独りきりで過ごしていたらしい。
他者との関係が希薄な生まれ育ちのせいか、はたまたもって生まれ持った種としての特性なのか、長命属は基本的に情が薄い。雨に濡れた仔猫を見ても、同情心の欠片も抱かず素通りする。
そんなシーリィンにとって、いくらいたいけな風情でいても正体不明の代物を育てようなどとは、頭の片隅をよぎることすらない考えに違いない。
「外見通りの代物ではないんだぞ」
信じられないと言わんばかりのシーリィンに、カイトが口を尖らせる。
「まあ、ほら、連れてきちまったしよ」
拾った責任があるだろ? とカイトはモニョモニョと続けたが、シーリィンはにべもない。
「だったら元の場所に戻してこい。今のソレなら、獣か他の魔物が始末してくれるかもしれない」
「それもなぁ……」
煮え切らないカイトに、シーリィンが苛立たしげに息をつく。
「ソレが育ってまたヒトに害を与えるようになったらどうする?」
「――そうならないように育てたらいいんじゃないのか?」
「何?」
「いや、だからさ。どこからどう見てもヒトだろ、これ。だったら、ヒトとして育てたらいいんじゃねぇの?」
シーリィンがまたため息をついた。先ほどよりも深々と。
「ソレはヒトじゃない」
「そうかもしれねぇけど……」
「ヒトにはあり得ないほどの魔力を持っている」
「あ?」
怪訝そうな顔になったカイトの膝の上を指さし、シーリィンが告げる。
「単人属のお前は魔力ゼロ、長命属の中でもかなり力がある私が百、先ほど倒したアレが二百だとしたら、それは余裕で万を超える」
つらつらと言われても、カイトにはピンとこない。
「どういうことだ?」
「お前も、アレと戦った時、前情報ほどの手応えを感じなかったはずだ」
シーリィンに指摘され、カイトも頷かざるを得ない。その違和感を、カイト自身も抱いていたのだから。確かに、並の魔物よりも遥かに強かったことは強かったが、ギルドの手練れが何人も犠牲になるほどではなかった。
「多分、ソレに力の大半が移っていたのだろう。どれほど無害そうに見えても、潜在能力が桁違いだ。まさに『魔王』と化してもおかしくはない」
「……」
カイトは赤子を目の高さまで持ち上げる。無邪気な笑顔からは、シーリィンが言うような力があるようには到底思えない。
「カイト」
決断を促すシーリィンの呼びかけには応えず、カイトは赤子を見つめ続けた。
目と目が合って、赤子はその菫色の瞳で真っ直ぐに見返してくる。カイトの気持ちを読み取ろうとするかのように、まじまじと。
「う?」
微動だにしないカイトに、もの問いたげな声を漏らす。そして、笑った。
心底から嬉しげに。
それを引き金に、カイトが宣言する。
「やっぱり、俺らで育てよう」
「私の言うことが理解できなかったのか?」
「今のこいつはヒトにしか見えない。だから、ヒトとして育てるんだ」
「だから――」
「どんな力を持っていようが、力そのものに方向性がある訳じゃない。だったら、その力を使う方法をちゃんと教えてやればいいだろう?」
「そんな簡単にいくか。ヒトに仇為すようになったらどうする」
「そうなったら、俺たちで片を付ける」
できるだろう? と眼で問いかけるカイトに、シーリィンはしばし渋面でいたが、やがて諦めたように息をついた。カイトがこういう顔をしているときには何を言おうが引かないのは、長い付き合いで嫌というほど解っているのだ。
「……少しでも手に余る様子が見えたら、すぐに実行するからな?」
「ああ」
頷き、カイトは赤子を高く掲げた。
「名前をどうすっかな。いや、その前に腹ごしらえか。流石にまだ俺らのスープは早いよな。でも他にねぇしなぁ。困ったな。三歳とか四歳とか、もうチョイ大きけりゃ、これで済んだんだけどよ」
そんなことをブツブツと彼が呟いた時だった。
「おい、それ……」
滅多に感情を露わにすることがないシーリィンが、目を丸くする。
「え――って、なんだ!?」
カイトは危うく手の中のそれを放り出しかけた。むくむくと大きくなっていく、それを。
「どういうことだよ……?」
「成長、したな」
ストンと地面に足を下ろしたのは、今や、赤子とは程遠い姿で。
年の頃は、三つ、いや、四つか――先ほどカイトがぼやいたように。
「なんてこったい」
ポツリとこぼしたカイトの横でシーリィンも赤子の変容に呆然としていたが、ハタと気づいたように声を上げる。
「もしかして、そういうことなのか」
シーリィンの呟きに、カイトが幼女から彼へと視線を移した。
「そういうことって、何がだ?」
訝しむカイトに、シーリィンが目で促した。
「ソレの見た目で気づいたことがないか?」
「見た目? 金髪に菫色の瞳で結構な器量良しだな、こりゃ。将来楽しみ――」
と頷きながらのカイトの台詞をシーリィンがぶった切る。
「色だ」
「色? ――ああ!」
金髪に、菫色の瞳。
つまりそれは、カイトの髪に、シーリィンの瞳の色だ。よくよく見れば、顔の造形にも二人の片鱗がある。
「多分、コレは自分の思う姿形になれるのではないか?」
「自分の思う姿?」
「そうだ。孵化するときは、取り敢えず卵の近くにいたものの姿を模し、必要に応じて変えていく。だから、コレの親はあんな様々な生き物魔物をつなぎ合わせたような姿だったのではないか?」
「姿を変える魔物、だと? そんなもの、聞いたことがない。お前、知ってるか?」
「少なくとも、これまで確認されたことはないな」
「……マジか……てことぁ、ギルドに報告案件か?」
「そうなれば、コレのことも報告することになるが?」
「それはマズいだろ。どうするよ」
「私に訊くな」
ぼそぼそと遣り合って、結論を出せぬまま困惑の眼差しを向けてきた男二人に、幼女は、赤子の時と寸分違わぬ無垢な笑顔を向けてきた。