誇れる人
ギルドから一歩外に出れば、耳が痛くなるほどの喧噪が再びメリカに押し寄せてきた。
カイトの腕の中にいたときよりも、ずっと刺激が強く感じられる。彼が傍にいるというだけで安心感が段違いなのだということを、メリカは実感する。
悪い感覚ではない。光の玉がパチパチと弾けるような、明るく楽しい空気。
けれども、刺激が強い。強過ぎる。
たじろぐメリカの手を、ジルが取った。
カイトとは違う、小さく、柔らかく、そして温かな手。
その感触に、メリカはハッとする。
「行こう!」
ニコリと笑いかけてきたジルに引かれるままに駆け出したメリカは、あっという間に人の波に飲み込まれていた。
「お腹空いてる? あたしペコペコなの! 何か食べたいものある? 甘いの? しょっぱいの?」
畳みかけるように問いを投げられて、メリカは目を白黒させる。カイトとシーリィンは、問いかけてきたら必ずメリカが答えを言うまで待ってくれていたから。
「え、えっと」
どの質問に答えるべきなのか迷っているうちに、また、ジルが声を上げる。
「あ、あれ食べよ! 美味しいよ!」
グイグイと引っ張って行かれたのは、ひときわ人が集まっている屋台の一つだ。そこからは、確かに食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「ご飯はしょっぱいものが良いよね。キィさん、二つください!」
「あいよ。おや、ジル、新しい友達かい? 見かけない子だな」
店主はネコ人で、白黒茶の毛並みがつやつやしている。彼は身を乗り出して見下ろした先にいたメリカに気付き、小首をかしげた。
「うん。メリカっていうの。カイトとシーリィンのところにいるんだって」
「へぇ? あの二人の?」
「うん。メリカ、この人はキィさん。クロネコ亭っていうご飯屋さんをやってるんだよ」
「はじめまして、キィさん」
メリカがぺこりと頭を下げると、キィが目を丸くした。
「えらい別嬪さんだな」
「でしょ?」
ジルが、自分が褒められたかのように胸を張る。キィがケラケラと笑い、腕組みをする。
「よし、じゃあ、今日はおじさんのおごりだ。お代はいいよ」
「いいの?」
パァッと顔を輝かせたジルに、キィは片目をつぶる。
「ああ。コーサルには今日も世話になってるしな。さっきも厄介な客を追い払ってくれたんだ」
そう言いながら手はスルスルと動いて、焼いた肉を野菜に包み、さらにとても薄いパン生地のようなものでクルリと巻いた。
「そら、できた。熱いから気をつけろよ」
「ありがとう! はい、メリカ」
受け取った品を、ジルがそのままメリカに渡してくれる。とても温かくて、香ばしいような匂いが鼻先にふわりと漂った。ちょうど昼時なのもあって、くぅとお腹が鳴る。
「ありがとう。……おいしそう」
思わず笑顔になると、眩しいものを見たかのように、キィが目をしばたたかせた。そして、ニッと笑う。
「今度、カイトたちとうちの店においで。うまいもんたらふく食わせてやるからよ」
メリカたちはキィに手を振りその場を離れたが、数歩もいかないうちにジルが手にしていた品にかぶりつく。
目を丸くしているメリカに気付くと、ジルは不思議そうな眼差しを返してきた。
「どうしたの?」
「えっと、座らないの?」
「時間がもったいないよ。あっちに旅芸人来てるし、見に行かなきゃ」
「でも……」
メリカは手に持ったものに眼を落した。
食べながら歩くなんて、したことがない。
ためらうメリカを、ジルが促す。
「早く食べないと冷めちゃうよ? 冷めても美味しいけど、熱々の方が美味しいよ?」
早く早くと急き立てられて、メリカはためらいながらも口に運ぶ。
シャキリという青菜の歯ごたえと裏腹に、良く煮込まれた柔らかな肉からは、噛むと同時に甘じょっぱい肉汁が溢れ出す。
「! おいしい……」
「でしょ?」
食べ歩きに慣れないメリカを気遣ってか、ジルが歩みを遅くしてくれる。
道行く二人に、一足ごとに方々から声がかかった。いや、二人、ではなく、ジルに、だ。
「よう、ジル。コーサルにこの間は助かったよって言っといてくれよな」
「コーサルさんにまたお願いしますと伝えておいて」
「頼みたいことがあるから依頼立てとくよって言っといて」
次から次へと投げられる言葉は、どれも好意的なものばかりだ。それらに対して、ジルは嬉しそうに応えている。とても、誇らしそうに。
何故か、メリカは、そんな彼女にモヤモヤする。
イヤ、とか、不快、とは違う。
でも、何だか胸がモヤモヤするのだ。
「コーサルさんは、ジルのお父さん、だよね?」
お父さんというものの概念は、メリカも本で読んだ。生き物にはオスとメスがいて、それが番うことで子どもが生まれる。オスが『お父さん』で、メスが『お母さん』だ。
親にとって子どもはとても大事な存在で、子どもにとっても親は大事な存在。
――書物には、そう書いてある。
カイトとシーリィンは多分メリカの『お父さん』ではないけれど、メリカにとってとても大事な存在であることは確かだ。二人に対してメリカが抱いているような想いをジルもコーサルに対して抱いているのなら、『お父さん』というものは、とても特別な相手に違いない。
「コーサルさんは、お仕事がんばってるんだね」
「うん? そうだね。毎日すごく頑張ってるよ」
満面の笑みで答えるジルに、メリカは少しばかり唇を尖らせる。
「カイトとシーリィンはお仕事してないの」
カイトはとても強くて、シーリィンはとても賢くて、二人ともとても優しいということを、メリカは良く知っている。けれど、コーサルのようには褒めてもらえていない。
メリカは、二人もコーサルのように言われて欲しいと思った。彼らがすごいということを、皆にも知って欲しかった。
「カイトとシーリィンは、お仕事してないの」
頬を膨らませたメリカに、ジルが目を丸くする。次いで、噴き出した。
「してるよ! カイトとシーリィンもすごいんだよ」
「? でも、ずっとお家にいるし」
「あはは。そうかもね。あのね、父さんたちはギルエルの人たちから頼まれてする仕事ばっかなんだけど、カイトたちはギルドの人たちが困ったときにお仕事をお願いされるんだよ」
「ギルドの人たちが?」
「そう。うちの父さんもね、二人に何度も助けてもらってるんだよ」
「本当?」
「うん。すごく助けてもらってる。二人がいなかったら、うちの父さん、三回くらい死んじゃってるかもしれない。ギルドの人たちみんなの恩人なんだよ、カイトとシーリィンは」
「そうなんだ……」
ジルの言葉で、さっきまでのモヤモヤがスゥッと晴れていく。
二人のことを知っている人がちゃんといるということが、なんだかとても嬉しかった。
「カイトはね、お料理も上手なの。シーリィンは、色んな物を作ってくれるんだよ」
「カイトが料理? ちょっと食べてみたいかも」
「お菓子もじょうずなの。シーリィンはね、お洗濯してくれる魔道具を作ってくれたんだよ」
「洗濯? そんなのできるの?」
「うん」
「いいなぁ。うちにも作ってくれないかなぁ。帰ったら訊いてみよ」
心底羨ましそうなジルの声。
二人の良いところを伝えられるのが嬉しくて、楽しくて、自然、メリカは弾むような足取りになる。
と、その時。
「お前、何やってるんだよ!?」
大声と、ガシャンと何かが壊れる音。
音という感覚だけでなく、この楽しい空気を損なう突き刺すような不快な気配に、メリカはハッと振り向いた。




