コーサルとジル
開いた扉から入ってきたのは、真っ黒な毛並みをした大柄なイヌ人だった。
「いつもながらすげぇ人出だな。ここに辿り着くまでエライ時間がかかったわ――って」
太い声でのぼやきが途中で止まり、三角形の耳がピンと立つ。
「カイトとシーリィンじゃねぇか」
「よぅ、コーサル。久しぶり」
片手を上げてカイトが挨拶をすると、ふさふさの尻尾が大きく揺れた。
コーサルは狩人で、請け負う仕事はもっぱら荒事ばかりだ。イヌ人は群れを作る習性があるから、仕事も数人で行う。たいていは五、六人で、面倒見のいいコーサルが彼らの頭を務めている。
「しばらく見なかったが、遠出していたのか? 去年の祭りには一度も来なかっただろ」
「家でのんびりしてたんだよ」
「そんな隠居したじぃさんみてぇなこと言ってんなよ」
呆れたように言ったコーサルの陰から、ピョコンと少女が顔を覗かせた。コーサルの娘のジルだ。彼女は母親譲りの明るい焦げ茶の体毛で、まだ幼いせいか、耳が垂れている。
「お、ジルもいるのか。デカくなったなぁ。幾つになったんだっけ?」
「冬に十歳になったよ」
胸を張って答えた少女は、黒い鼻をヒクつかせる。
「ねぇ、カイト。その子、だぁれ?」
好奇心が満ち溢れた良く磨かれた黒曜石のような目が向けられているのは、カイトの背後だ。
「ああ、こいつはメリカっていうんだ。ちょっと訳ありでな、今、うちで一緒に暮らしてるんだよ」
リリムにしたのと似たような説明を、リリムと同様、ジルは深く突っ込んでくることなく受け入れる。
「メリカ……可愛い名前。あたしはジルよ」
満面の笑みと共に差し出された手を、メリカはパチパチと瞬きをして見つめる。
「握手だよ、メリカ。手を握って挨拶するんだ」
カイトが耳打ちすると、メリカは彼とジルの間で視線を一往復させてから、ふわふわな手を取った。
「はじめまして、ジル。わたしはメリカです」
ジルはメリカの手を両手でギュッと握り締める。
「よろしく、メリカ!」
そう言って、ジルは握った手をブンブンと振った。メリカはその勢いに釣られたように、ふわりと笑顔になる。
と。
「めっちゃ可愛いな! おにんぎょさんみたい!」
声を上げたジルに、父親も賛同する。
「確かに器量良しだな。目の色もかなり濃いし、長命属か?」
問われてカイトは肩をすくめた。
「いや、俺らにも判らねぇんだよ。仕事帰りに独りでいるところを見つけて連れて帰ってきたんだ」
まあ、嘘は言っていない。だいぶ途中を省略してはいるが。
コーサルは眉根を寄せて、メリカを見下ろす。
「そうか……孤児院には預けないのか?」
「それがな、シーリィン曰くかなり力が強いらしくてな。少なくとも力の扱いを覚えるまでは俺らのところに居させることにしたんだ」
「力って……このナリだしシーリィンが言うなら魔法の方だよな? じゃあ、シーリィンが『先生』をやってんのか?」
コーサルが目を丸くしてシーリィンを見た。シーリィンは、それが何だと言わんばかりの眼差しを返す。
「カイトに魔術のことが解るわけがないだろう」
「そりゃそうだけど、あんたが『先生』か……大丈夫なのか?」
その『大丈夫』に恐らく色々な意味をのせているだろうコーサルに、カイトがニヤリと笑う。
「これがな、意外にいけてるんだよ。てか、俺よかメリカに甘いんだよな」
「別に甘くなどない」
「そうかぁ? なぁ、コーサル。この夏は暑かっただろ? そしたらこいつ、何を作ったと思う?」
「何をって、水遊びができる池とか?」
「いやいや」
「樹を成長させて木陰を作った?」
「違う」
「判らねぇよ、何だ?」
「家の中の気温を変える魔道具」
「……は?」
スコンと表情が抜け落ちたコーサルに、カイトがゲラゲラと笑う。
「信じらんねぇだろ?」
「信じるも何も、そんな物が作れるものなのか?」
「現にうちにあるんだからよ。ただ、魔素をやたらと食うんでそんじょそこらの魔導士には起動させられないらしいから、一家に一台ってわけにはいかねぇんだけどよ」
カイトはメリカの頭にポンと手を置いた。
「何日がすげぇ暑い日が続いただろ? そしたらメリカがあんまり食えなくなっちまってよ。こいつ、オロオロしてたかと思ったら部屋に引きこもってさ。次の日には、家中冷え冷えよ」
「オロオロなどしていない」
さらに不服そうな顔になったシーリィンに、カイトはシレッと返す。
「そうだったか? あ、そうか。この世の終わりって顔してただけだよな」
「そのような顔などしていない!」
頭に血を昇らせているシーリィンの姿など、そこそこ付き合いの長いコーサルでも見たことがない筈だ。
笑いを噛み殺しきれていないコーサルを、シーリィンが睨み付ける。コーサルは小さく咳払いをして、どうにか表情を取り繕った。
「まあ、可愛がってもらえているなら何よりだ」
「可愛がってなど――」
殆ど売り言葉に買い言葉の勢いで否定しかけたシーリィンだったが、言い終えることなく唇を引き結んだ。さすがに、言ってはならないことに気づくだけの理性は残っていたらしい。
「ただ、暑いせいで体調を崩したのなら、涼しくしたらいいと思っただけだ」
そっぽを向いてブツブツと言うシーリィンに、カイトとコーサルは顔を見合わせて苦笑する。
大人たちの掛け合いがひと段落したと見たのか、それまで口をつぐんでいたジルがカイトの袖を引いた。
「ねぇ、カイト」
「ん? ああ、ごめんな、放っておいて。なんだ?」
「あたし、メリカと一緒にお祭りに行ってきたい」
「え?」
「メリカも行きたいよね。ね?」
「え、え、あ、えと……うん」
メリカがこくりと頷いた。
大人たちがバカな遣り取りをしていた間に、子ども二人も打ち解けていたらしい。
「メリカにお祭りを見せたいの。 ダメ?」
お願いと肉球を合わせたジルに返事をしたのは、カイトではなくシーリィンだ。というより、返事を掻っ攫ったという方が正しいかもしれない。
「許可できない。子どもだけで人混みをうろつくのは危険だ」
「危なくなんてないよ。ギルエルのことは良く知ってるし」
「駄目だ。祭りで外から入ってきている者も多い」
「そんなの、お祭りなんて何度もあったし。大丈夫だよ」
「これまで大丈夫だったからといって、今回も大丈夫だとは限らない。行くなら私かカイトかコーサルの誰かが同伴する」
「えぇ、やだよ、そんなの」
「なら、駄目だ」
取り付く島もないシーリィンの態度に、ジルが頬を膨らませる。そんな二人の攻防を眺めていたコーサルが、しみじみとした口調で言う。
「シーリィンがこんなふうになるとは思ってなかったな」
「だろ? 俺も最初はどうしたもんかなと思ってたんだけどよ。こいつ、しばらく碌に名前も呼んでやらなかったんだぜ?」
「本当か? そりゃ最低だな」
「な? ひどいだろ? あの頃のメリカはホント可哀想だったよ」
そう言って首を振るカイトに、シーリィンが奥歯を食いしばる。当時の自分のメリカに対する態度には、さすがに思うところがあるらしい。
カイトはその罪悪感に付け込んだ。
「楽しいこと、いっぱい経験させて上書きさせてやりたいよな」
チラリとシーリィンを見れば、何かを言いかけ、結局気まずげに押し黙った。
「ギルド員も警備に駆り出されてるし、大丈夫だって」
な? とダメ押し。
――それからジルが歓声を上げるまで、さほどの時間は要さなかった。