はじめてのお出かけ
「うわぁ……」
ギルエルに足を踏み入れると同時に、メリカの口はポカンと開きっ放しになった。
それも仕方がないだろう。
ただでさえ人が溢れるギルエルだというのに、今は人口密度が普段の倍にはなっているのだから――少なく見積もって。
春祭りを迎えた街並みには色とりどりの花々が飾り付けられ、大通りには食べ物から身にまとうものまで、様々な店が軒を連ねている。その半分は、祭りのために訪れている旅商人たちだ。
元々、ギルエルは深淵の森で得られるもののお陰で交易が盛んだ。
深淵の森でしか採れない薬草や鉱物、そして、狩った魔物から生成される魔石。
それらを手に入れるためにギルドが発展し、ギルドが大きくなるほど得られるものも増え、品が豊かになれば人の行き来も盛んになる。豊富な資源を各地へ送りだす拠点として、ギルエルは名を馳せている。
「何か欲しいものがあったら買ってやるぞ?」
カイトは服の裾にしがみついているメリカを見下ろしそう言ったが、彼女は祭りの喧噪に息を呑むばかりだ。
「メリカはどうしたんだ? 具合が悪いのか?」
いつもの天真爛漫さはどこへやら、ピタリとカイトにくっついているメリカにシーリィンが眉をひそめる。
「ああ、ほら、人混みに出るの初めてだからさ」
カイトは心配顔のシーリィンに苦笑混じりで返した。
「祭りじゃない時に連れてきておいた方が良かったかもな。取り敢えず、ギルドに行くか。あそこならもうチョイ落ち着いて過ごせるだろ」
ギルエルでは春夏秋冬全ての季節で祭りがあるが、その中でも一年の始まりを祝う春祭りが一番華やかなのだ。
村はずれの一軒家でカイトとシーリィンとの三人暮らし、訪れるのはひと月一度の商人だけ、という生活から突然の大賑わいだ。メリカには少々刺激が強過ぎたかもしれない。
「祭りを見て回るのはギルドで一息ついてからにしようぜ」
そう言って、カイトは足元で固まっているメリカをヒョイと片腕に抱き上げる。
「カイト?」
「人が多いから、迷子になっちまわないようにな。イヤか? 自分で歩きたいか?」
「! ううん。……これがいい」
問われたメリカは柔らかな金髪を膨らませるようにかぶりを振って、カイトの首にギュッとしがみついてきた。
「下りたくなったら言えよ?」
「うん」
メリカは顔を上げ、頷いた。
と、横から咳払いが。
「――私が抱いてやってもいいが?」
微妙なしかめ面で言ったシーリィンに、メリカは屈託なく笑顔で返す。
「いいよ。カイトの方が力持ちだもん。ね」
「そうだな。シーリィンは本より重い物は持ってないもんな」
カイトはメリカに笑いかけ、空いている方の手でくしゃくしゃと頭を撫でてやる。彼の腕の中で緊張が解けたらしいメリカが、くすぐったそうに首をすくめた。そんな二人に、シーリィンは憮然とした顔になる。
「メリカ程度の重さ、私にも持っていられる。肉体強化の魔法を使えば何ということはない」
いつもなら、脳筋のカイトのことなど鼻で嗤うような態度をとるシーリィンが、面白くなさそうにしているのが面白い。
「まあまあ。そんなに抱っこしたけりゃ後で代わってやるって」
「私は、別に……」
珍しく歯切れ悪く言い訳めいたことを口にしようとするシーリィンは放っておいて、カイトは雑踏の中へと足を踏み出した。
歩き始めてしばらくすると、メリカにも気持ちの余裕ができたようだ。
「すごいねぇ」
きょろきょろと辺りを見回しながら呟いた。
「春祭りは冬が明けて嬉しいってのと、これから一年豊かに楽しく暮らせますようにって祈るのと、両方を兼ねているからな。冬の間は人の行き来もままならないから、皆、この春祭りには待ってましたとばかりにやって来るんだよ」
「色んな人が、いっぱいいる……」
「メリカは俺らとゲイルしか見たことないもんな。ギルエルには一通りの種族がいるぜ」
カイトの話はほとんど耳から耳へと通り抜けているに違いない。気もそぞろなメリカが突然身を乗り出して声を上げる。
「大きさも違う――あッ!」
「危ねぇぞ」
声はかけたがメリカはそれどころではないという勢いでカイトの肩を叩く。
「ねえ、ほら、あの人が抱っこしてるお人形、泣いてる! 泣いてるよ!? 魔法で動くお人形なの!?」
メリカが指さす方へと目を向けたカイトは、思わず笑いを漏らしてしまう。
「あれは人形じゃねぇよ。ヒトの赤ん坊だ」
「あかんぼう?」
「赤ちゃん、だ」
「赤ちゃん! それって生まれたばっかのヒトだよね。あんなに小さいの?」
「ああ。本では読んだだろ? ヒトは成長するんだ。あの大きさから何年もかけて俺やシーリィンくらいになるんだよ」
「成長……そっかぁ……じゃあ、メリカも大きくなるんだ」
「なるさ。そのうち背も伸びて、ほら、あの赤ん坊を抱っこしてる女の人みたいになるんだよ」
「そうなんだぁ……」
キラキラと目を輝かせて女性と赤ん坊を見ていたメリカが、ハタと気づいたように瞬きをした。
「じゃあ、メリカも大きくなったら赤ちゃん生むの?」
「その前に好きな人を作らないとだなぁ」
「好きな人?」
コテンと小首をかしげたメリカが二の句を継ぐ前に、シーリィンが割って入る。
「それはまだ早い。お前はまだまだ子どもだ」
ピシャリと言ったシーリィンに、カイトはニヤリと笑う。
「いやいや、五歳六歳で初恋とか、結構ザラだぞ?」
カイトの台詞にムッと顔をしかめ、「メリカには不要だ」とブツブツと呟くシーリィンはどこぞの頑固親父のようだ。
「お前さぁ、二十年後くらいにメリカが『お父さん、お母さん、今までお世話になりました』とかってやったら、人生初の涙流すんじゃね?」
「どういう意味だ?」
「世の父親が味わう涙ってやつだよ」
カイトの言うことが理解できないらしく、シーリィンは眉をひそめている。そして、よく解っていない者はもう一人いた。
「シーリィン、泣いちゃうの? なんで?」
いい年をして自分の気持ちに鈍感なシーリィンは放っておいて、カイトはメリカに笑いかける。
「俺らはお前に幸せになって欲しいけど、その幸せをくれるのは俺ら以外になるかもしれないって話」
「……よくわかんない」
「その時が来たら解かるさ」
カイトは笑い、八の字眉になったメリカの頭を撫でる。
それからもごった返しの人の間を縫うようにして進み、やがて、カイトたちはギルエルで一番大きな建物の前までやってきた。
「すごい、大きいね」
また、ポカンとメリカの口が丸くなる。限界まで首を反らして見上げるせいで、今にもひっくり返ってカイトの腕の中から転げ落ちてしまいそうだ。
「ここがギルドだ。俺たちの、まあ、『職場』だな」
「お仕事するところ?」
「というか、仕事をもらうところ、かな」
答えながらカイトが両開きの扉を押し開くと、カランコロンと軽やかな鐘の音が鳴り響いた。