二度目の春を迎えて
深淵の森の奥でメリカを拾ってから、季節が一巡した。
凍てつく冬を終え、待ってましたとばかりに次々と草木が芽吹き始めた今日この頃。
「じゃ、頼んだぞ? 量が多いから何回かに分けてな」
「うん、わかった!」
くしゃくしゃとカイトに頭を撫でられ元気いっぱい頷いたメリカは、籠を抱えて走り出す。
昼食の材料調達の名目でメリカを畑に送り出してから、カイトはクルリと踵を返してシーリィンの部屋へ向かった。
「ちょっといいか」
扉を叩いてもどうせ気付かないから、声をかけたのは開けてからだ。
一度の呼びかけで反応しないのはいつものこと。
一段階声を大きくして、もう一度。
「おい、シーリィン!」
「? 何事だ?」
シーリィンが思い切り怪訝そうな顔になったのも然もありなん。
彼らがこの家で暮らすようになってから五年以上になるが、カイトがシーリィンの部屋に立ち入ったことは数えるほどしかないのだから。その数回のうちの一つが、あの異形の魔物の討伐依頼だ。
よほどのことがない限り、カイトが部屋までやってくることがないというのは流石に承知しているらしく、シーリィンは作業の手を止め向き直った。
「あのさ、メリカのことなんだけどもよ」
彼女の名を耳にした途端、サッとシーリィンの眼の色が変わる。
「何かあったのか?」
シーリィンのその変化が、警戒ではなく心配の為であるということに、カイトはニヤ付きそうになる顔を引き締める。
どんなに危ない状況でも欠片も動じることのないこの男が、名前を出しただけで表情を変えるとは。
そもそも他人のことなど気にも留めないシーリィンが、誰かの――メリカのことを案じる日が来るなど、カイトは思ってもみなかった。
「あいつが来てからもう一年が経っただろ?」
「……そうだったか?」
眉をひそめたシーリィンに、カイトはため息をつく。まあ、彼にとっては時間の流れなど些末なことなのだろう。一年や二年など、長命属にしたら秒かそこらの感覚なのかもしれない。ましてや、シーリィンのことだ。
「そうなんだよ。でさ、あいつの力の制御、どうなってる?」
「問題ない。多少の感情の揺らぎ程度では暴走することはないだろう」
どことなく誇らしげだ。
子ども自慢をするどこぞのオヤジのようだよなぁ、とは思っていても口には出さず、カイトは本題を切り出す。
「ならさ、ちょっとギルエルに連れてってみないか?」
「村にか?」
「ああ」
「何の為に? メリカはここでの養育で問題なく成長している。習得するのに数年かかるような魔法も、あらかた使えるようになっている」
他に何が足りないと言わんばかりのシーリィンの口ぶりだ。これが親バカというものか。
「確かに、その点に関しちゃ全然問題ないんだけどよ。これは、俺の勘に過ぎないんだが……あいつ、身体の方が育ってないような気がするんだよな」
「身体?」
「そう。お前ら長命種みたいに成長が遅いだけなのかもしれんが、その割に髪とか爪とかは伸びててな」
「……伸びているか?」
「伸びてるんだよ。俺が切ってやってんの。ったく……まあいいや。お前にそういうマメさは求めるのが無駄ってもんだよな」
ブツブツとぼやいてから、カイトは仕切り直す。
「とにかくな、長命種みたいに成長が遅いなら爪とか髪とかの伸びも遅い筈だ。だが、そこは俺と同じ速さなんだよな。で、思ったんだが、もしかしてあいつ、そういうところも俺らを模倣してるんじゃないかって」
「模倣?」
「そ。あいつの、その――親もだな、色んな魔物や獣の姿をつまみ食いした感じだっただろ? あんな感じで、身近なもんの姿を取り込んでしまうんじゃないかって思ってさ。俺らってもう成長しないじゃんか」
「その可能性はあるかもしれないが、それが何故、村に行くという話になる?」
「ほら、色んな年代と接触させてみたらどうなんかなって。このままじゃ、幼児の背格好のまま老けてっちまいそうな気がしてよ」
カイトの台詞でその姿のメリカを想像したのか、シーリィンが憮然とした顔になる。
「それは……何というか……嫌だな」
「だろ? まあ、それ以外にもな、そろそろ頃合いかなとも思ってたし」
「頃合い、とは?」
「メリカをヒトとして育てるなら、俺ら以外にも触れさせていかないと。ずっと俺らの羽の下に囲い込んだままではいられねぇからさ」
「何故。私ならまだ三百年は共にいられる」
「お前の生活力のなさじゃ、五年後にはメリカの方が世話する側に回ってそうだけどな。まあ、それは置いといて、たいていの奴は『研究してりゃ幸せ』って訳にはいかねぇし、メリカには人との関りってのをもっと経験させてやりたいんだよ。あいつは誰かと何かをするのが好きなんだから」
メリカは、誰かと何かをすることを楽しみ、そして、人に何かをしてもらうよりも、人に何かをしてあげることを喜ぶ。
だから、カイトの手伝いをしたがり、シーリィンには教えを乞う。
二人の為にできることを増やしたいと尽力し、できたことを褒められれば花が咲くように笑うのだ。
たとえどんなふうに生まれ落ちようとも、メリカは人間だ。何ものなのかではなく、何を為すのかが、その存在を定義する。
人と関わることがメリカの喜びとなるならば、その関りをもっと広げてやりたい。
カイトやシーリィン、たまに来る商人のゲイルだけでなく、もっと色々な人間と触れ合わせ、変化に富んだ色々な経験をさせてやりたい。
「もうじきギルエルじゃ春祭りがあるだろ? 手始めにあれに連れて行ってやろうと思ってさ」
「……私は人混みは嫌いだ」
これは、想定内の返答だ。
カイトはニッと笑う。
「じゃ、留守番しとく?」
「……」
俺は別にそれでも構わんがとカイトがうそぶけば、シーリィンは不満そうに黙りこくった。




