魔王を拾った日
カイトは少し待ってから、剣を構えたまま地に伏した魔物の身体に近づいた。
が、微動だにしない。
桁外れの異形であっても、流石に、切り離した頭と身体がくっついてしまうということはないようだ。
念のために転がっている頭をもう少し離れた場所まで移動させ、カイトは剣を収める。
「やれやれ。しかし、確かに強いことは強かったけどよ……」
手練れのギルド員が何人も餌食になるほどだろうか。
確かにカイトとシーリィンの能力は別格だという実績も自負もあるが、彼ら以外のギルド員だって皆充分に場数を踏んでいる。決して弱くはない。
単体で挑ませたならともかく、この魔物の討伐には、それなりの人員を、それなりの数で送り込んだと聞いている。それでも敵わなかったからカイトたちに依頼が来たのだが、今戦った感触からすれば決して無謀な作戦ではなかったはずだ。
「なあ、シーリィン?」
相方を振り返ったが、思ったところに姿はなく、カイトはキョロキョロと辺りを見まわす。と、シーリィンは、窪地の奥でカイトに背を向けしゃがみこんでいた。
「シーリィン?」
近寄り、彼が見ているものを、カイトも覗き込む。
「なんだこれ。卵?」
藁やら枝やらが集められた上に鎮座しているのは、カイトが両腕で抱えられるかどうかというほどの大きさの卵だ。状況からして、今倒した魔物のものであることは間違いあるまい。
改めて状況を振り返ってみると、魔物はあまり立ち位置を変えようとしていなかった。
どうやら、この卵を守りながら戦っていたらしい。
「これを生んだばかりで衰弱していたのかもしれないな」
そう言ったシーリィンの眉間に、微かにしわが寄っている。ただそれだけの変化とはいえ、こいつが感情を表に出すのは珍しいなと思いつつ、カイトは呟いた。
「なるほど、だからか」
抱いた疑問に答えを得て、納得顔で頷いたカイトの横で、シーリィンがサラリと続ける。
「孵る前に割ってしまおう」
「え」
思わず声が出たカイトを、シーリィンが怪訝そうに横目で見る。
「他にどうしろと? 育ってから殺すのは余計な手間になる」
「まあ、そうだけどよ」
アレの子どもだというのなら、育ってしまえばまたヒトに害を為す。
結局倒すことになるのなら、今のうちに潰してしまえばいい。
非常に正しく合理的な考えだ。
が、しかし。
「……親がアレだとは限らないんじゃねぇの?」
諸手を上げて賛成できないが、反対できるほどの意見もなく、ゴニョゴニョと苦し紛れに言ったカイトに向けるシーリィンの眼差しは冷ややかだ。
「お前は相変わらず甘いな。どうせ無抵抗なものを殺すのは、とかいう理由なのだろう?」
「……」
図星を指されて反論できないカイトに、シーリィンが止めを刺す。
「禍根は早々に断っておくに越したことがないだろうが。卵のうちに殺すのも、動き始めてから殺すのも、結局は殺すことに変わりがない」
そう言い、シーリィンが卵に手をかざした時だった。
ピシリ、と、白い殻に亀裂が入る。
「お前がやったのか?」
「いや、まだ何も」
と、その短い遣り取りの間にもひびは広がっていき、ポロリと殻が転げ落ちた。ひと欠片、もうひと欠片と。
カイトが大剣を構え、彼の後方へと下がったシーリィンは起こり得る全ての事態に耐えられるよう、呪文の詠唱に備える。
パキリ、パキリと、更に殻が落ち。
そうして中から姿を現したのは。
「――え……?」
「これは……」
二人は言葉を失った。
無言で、目の前にいるものをまじまじと見つめる。
ふわふわとした金色の和毛。
深い菫色の大きな瞳。
桃色に染まった丸い頬。
柔らかそうな肌の手足は――
「にん、げん……?」
ポツリとこぼれたカイトの声で、シーリィンが我に返る。
「卵で生まれるヒトはいない。お前のような単人属であれ、私のような長命属であれ、獣人属であれ、皆、親の腹から生まれるものだろう」
冷静極まりない――ように聞こえるシーリィンの台詞だが、そんなふうに説明がましいことをつらつら喋るあたり、それなりに動揺しているのだろう。
「そりゃそうだけど、そうは言ってもどこからどう見てもヒトだろ、コレ」
「……」
眉間にしわを寄せたシーリィンは、反論しようとして言葉が見つからず、ムッと唇を引き結ぶ。
赤子は片手の親指をしゃぶりながら、見下ろす男二人を零れ落ちそうなつぶらな瞳で不思議そうに見つめている。
と、ふいに。
赤子が、二パッと笑った。
凶暴さは皆無だ。
いや、むしろ、可愛らしさしかない。
凶暴なまでの、愛らしさ。
「ちょっともう何だよこれ」
カイトはガシガシと頭を掻きむしった。うなだれ、深々と息を吐く。
しばらくそうしていてから、勢いよく顔を上げた。
剣を置き、赤子の両脇に手を差し入れて持ち上げる。
薄く柔らかな肌は、やはりヒトの――幼子のものだ。
「……女の子か」
「そういう話じゃないだろう。さっさと――」
焦れたように言ったシーリィンを、カイトは一言で遮る。
「無理だ」
「は?」
「殺れない」
「何を――」
言っているんだと続けようとしたシーリィンの鼻先に、カイトはずいと赤子が突き出した。
「コレを殺せるか、お前?」
シーリィンと目が合って、また、赤子が笑った。嬉しそうに、声を上げて。
小さくふくふくとした手が、抱っこをせがむようにシーリィンに向けて伸ばされる。
「あぅ?」
応じてくれないシーリィンに向ける、無垢そのものの眼差し。
「殺せるのか?」
繰り返されたカイトの問いに、返事はなかった。