恐れるを知る
上向けたメリカの手のひらの上に、ポッと炎が灯る。
メリカの拳ほどの大きさのその炎を殆ど睨むように見据え、シーリィンが指示を出す。
「それをゆっくり大きくさせていけ。私が止めろと言ったら、止める。いいな?」
「うん」
頷き、メリカは言われたとおりに炎を育てる。
この練習は、今日で三回目だ。
一回目は急に大きくなってしまって、二回目は変な方に飛んで行ってしまいそうになって、途中でシーリィンに消されてしまった。
今日こそはうまくできるだろうか。
メリカは息を詰めて体内の魔素を手のひらから送り出し、炎に変えていく。
ゆっくり、ゆっくり。
じわじわと膨らむ炎はやがてメリカの頭ほどになる。
チラリとシーリィンを横目で見たけれど、彼はまだ何も言わない。
まだ、なのだろうか。
大丈夫、なのだろうか。
不安がよぎると、途端に真ん丸だった炎が揺らいだ。
「集中しろ」
「う、うん」
鋭い声に、メリカは気を引き締める。炎はゆらりと歪んで再び球形になった。
見ているだけなら、とてもきれい。
このきれいな塊はとても危険なものなのだと、実際に力を使う練習に入る前にシーリィンが教えてくれた。触れればどんなことが起きるのかを。
炎は熱い、らしいのだけれども、メリカはそう感じたことがない。
いや、違う。
温度は感じる。けれど、感じるだけなのだ。
一度、料理をするカイトを手伝っていて、火にかけられていた鍋を触ってしまったことがある。あの時彼は大騒ぎをしたけれど、メリカの手は赤くなりもしなかった。大声でシーリィンを呼びながら、きれいなままのメリカの手のひらを見てカイトは驚いていた。驚いて、「良かったぁ」という言葉と大きなため息を一緒に吐き出して、メリカをギュッと抱き締めてくれた。
本来、ヒトは――生き物は、炎で焼けてしまったり、強い力で傷ついたりする。
カイトはそう教えてくれて、シーリィンは、メリカが誰かにそうしてしまうことを恐れている。だから、力を制御できるようにならなければいけないのだと。
メリカが知っているのはカイトとシーリィン、それに少し前にここを訪れたキツネのヒトだけれども、誰のことも焼いてしまったり傷つけてしまったりはしたくない。
傷つけば、痛くなる。
痛いというのは、イヤなことだ。
カイトやシーリィンが傷つけば、メリカはあの時のカイトのように怖い思いをするだろうし、傷ついていなければ、「良かった」と思うのだろう。
メリカは、誰にも痛い思いをさせたくない――絶対に、あのトマトのように潰してしまいたくはない。
だから、魔法の練習をする。
ヒトを、誰かを、何かを、うっかり潰してしまうことのないように。
ギュッと唇を引き結んだメリカの前に浮かぶ炎の球は、今や両腕を伸ばしても抱えきれないほどの大きさになっている。
怖い。
怖いからこそ、しっかりと掴む。絶対に逃がさないように。
と、その時、ようやくシーリィンの声がかかった。
「そこまでだ。今度はそれを小さくしていけ」
お許しが出て、メリカはホッとする。
「うん」
「抑えるときの方が制御を失いやすい。気を付けろ」
「わかった」
言われた通り、メリカは細心の注意を払って炎を小さくしていく。
ジリジリと、育てたときの倍の時間をかけて。
やがて小さな豆粒ほどになったそれを、最後にギュッと手のひらの中に握り締めた。魔素の欠片も残さず消え失せたことが、感じられる。
やった。
今日は最初から最後まで、メリカ独りでできたのだ。
思わずほぅ、とメリカがと息をこぼした時。
「メリカ」
一瞬、耳を疑った。
メリカ、と、シーリィンの声で聞こえた気がしたから。
半信半疑でシーリィンを振り返れば、彼は何だかしかめ面をしていた。
怒っている、訳ではないようだが。
ジッと見つめていると、シーリィンは何かを言いかけ、そしてギュッと唇を引き結んだ。
何だろう。
メリカはいたたまれない気持ちでもじもじと指をいじる。
ちゃんとやれたと思ったけれど、何かがダメだったのだろうか。
うつむいたメリカの耳に、再び、声が。
「メリカ」
やっぱり、間違えではなかった。
シーリィンが、メリカの名前を呼んでくれたのだ。こんなこと、滅多にない。今まで呼んでくれた回数を、覚えているくらいに。
嬉しくて、メリカは、たとえこれから怒られるのでも構わないという気持ちになる。
パッと顔を上げたメリカに、どうしてか、シーリィンはたじろいだように微かに顎を引いた――ほんの一瞬だけ。
そして。
「よくやったな」
「え?」
「今日はうまくできていた」
言いながら、シーリィンはいつもの仏頂面だ。
けれども。
褒めてくれた。
シーリィンが。
元々晴れた日だったけれども、なお一層、陽射しが強まった気がする。
胸の中で大きな花が咲いたような心持ちになって、メリカは自然と笑顔になってしまう。
「ありがとう!」
思わずそう言ったメリカに、シーリィンはムッと眉根を寄せた。
「何故、感謝の言葉が出てくる」
「だって、うれしかったから」
シーリィンは大事なことを教えてくれて、頑張ったメリカをちゃんと褒めてくれた。
これで嬉しくならないはずがない。ピョンピョンと飛び回りたいくらい、嬉しい。
「メリカ、もっとがんばるよ!」
勢い込んでそう言えば、シーリィンは呆気に取られた顔で頷いた。
「あ、ああ……」
そんなシーリィンにまた満面の笑みを投げ、メリカはくるりと身を翻す。
「カイトにも、できたよって教えてくる!」
そう残して駆け出した。