誰の為
今に飛び込んできたメリカの顔が、カイトと――シーリィンの姿を認めた瞬間パッと輝いた。他人の表情など気に留めたことのないシーリィンにも見て取れるほどの変化だ。
何をそんなに喜んでいるのか。
自分との予定を反故にしているというのに。
そんな思いがあるから、シーリィンの語調は自ずときつくなる。
「何をしていたんだ」
苛立ちを含んでそう問えば、メリカはキョトンと目を丸くする。そして、手の中の籠を持ち上げた。
「ピチベリーを採ってきたの」
「ピチベリー?」
眉をひそめたシーリィンに、メリカはまた満面の笑みになる。
「うん。シーリィンにあげようと思って」
理解できない。
何故、メリカはそんなに得意満面という風情なのか。
「どうして私のところに来なかった?」
責めたシーリィンを、メリカは眉根を寄せて見返してきた。そして、首をかしげながら答える。
「畑に行ってたから」
メリカの返事でシーリィンは更にムッとする。来なかった理由などどうでもいい。来なかったことが問題だというのに、彼女はまったく反省しているように見えないのはどういうことか。
「午前中は私のところに来ることになっていた筈だ」
「そうなの?」
「ああ。そう言っただろう」
謝罪の言葉でもあるかと思ったが、メリカは寝耳に水とばかりに目をしばたたかせた。
「言ってないよ?」
「何?」
「本を読んでは言われたけど、シーリィンのところに行くのは言われてないよ」
「……」
シーリィンは思い返してみた。
確かに、明言はしていないかもしれない。
「だったら、何故今までは言われなくても来ていたんだ?」
「そうしたらシーリィンがうれしいと思ったから。メリカが本を読んでもうれしくなさそうだったから、じゃあ、好きなもの食べたらうれしくなるかなって」
「私が?」
つまり、カイトが言っていたことが正しかったということか。
シーリィンがカイトに眼を向けると、彼はヒョイと肩を竦めてよこした。言っただろ、という台詞が聞こえた気がする。
もう一度メリカに戻ると、彼女は再び笑顔で籠を差し出してきた。
「シーリィンはピチベリー好きでしょ? だから、あげる。うれしい?」
シーリィンは、答えに詰まった。
確かにピチベリーは好ましい。
しかし……
「お前が魔法や魔術について学ぶのは、私を喜ばせる為ではない。お前自身の為にするものだ」
シーリィンの台詞に、メリカの眉が八の字になった。
「メリカの? ……なんでメリカのため、なの?」
「お前がその力で他の者を傷付けることがないようにする為だ」
そう告げた途端、メリカがムッと唇を尖らせる。
「メリカ、そんなことしてない」
「したとは言っていない。しないように、だ」
「メリカはしないよ、そんなこと!」
憤慨したようにメリカが声を上げ、同時に、ガタリと家が揺れた。メリカが発している圧が一層重くなり、シーリィンは息苦しさを覚える。
「だから――」
更に言い聞かせようとしたシーリィンを遮るように、声が割って入った。
「メリカに『たられば』の話はまだ早いよ」
「カイト、だが――」
カイトは片手を上げてシーリィンを黙らせ、メリカの前に膝をつく。
「あのな、メリカ。初めてトマトを採るの手伝ってもらった時のこと、覚えてるか?」
「トマト? うん」
コクリと頷いたメリカに、カイトが笑いかける。
「最初のうちは潰しちまってただろ? 力加減が判らなくてさ。練習したら、ちゃんと採れるようになった。だろ?」
「うん」
また、コクリ。
「シーリィンが言っているのはな、アレと同じことだよ」
「トマトと同じ?」
「ああ。お前はな、俺やシーリィンよりも遥かに強い力を持ってるんだ」
「メリカが?」
言いながら、メリカは両手を握ったり開いたりしている。眉間に皺を寄せて。
カイトはメリカの小さな顎に指をかけて顔を上げさせ、彼女の目を覗き込むようにして説く。
「魔法ってのは、身体の中に取り込める魔素の量で強さが変わるんだろ? メリカはシーリィンの何倍も取り込めるんだってさ。つまり、シーリィンよりもすげぇ力を持ってるってことだ。目に見えるもんじゃないし、お前にはピンとこないと思うけどよ」
「カイトが……言うなら……」
唇を尖らせながら言ったメリカの頭を、カイトがくしゃりと撫でた。
「トマトだって、できたら最初から潰さず採りたかっただろ? 潰したくて潰したわけじゃない。力加減が判らなかっただけだよな。でも、加減が判らなけりゃ、メリカにその気がなくてもヒトを傷付けたり物を壊しちまったりするんだ。だからシーリィンは、そんなことしちまわないように、お前にその力の使い方を教えてくれようとしているんだよ」
「そっかぁ」
納得がいったようにメリカは呟き、クルリとシーリィンに向き直った。
「ありがとう、シーリィン!」
晴れやかな笑顔、そして真っ直ぐな眼差しと共にメリカは言ったが、感謝の言葉を投げられるとは思っていなかったシーリィンは返事に詰まった。彼は、礼を言われるような良い感情でメリカを教育しようと思ったわけではないのだ。
輝くようなメリカの笑顔に、ふいにシーリィンは胸やけに似た不快感に見舞われた。
いや、不快感とは違うか。
なんというか、居心地が悪いというか、身の置き所がないというか――罪悪感も、少し、ほんの少しだが、混じっているかもしれない。
他者に対してこんなふうに感じることなど、シーリィンにはいまだかつて経験がないことだった。
メリカは恐ろしい怪物の筈だ。常にそれを忘れてはならない。
しかし、この屈託のない笑顔を前にすると、いつまでも警戒心を抱き続けていくことは、非常に困難なことではないだろうかという考えが、シーリィンの脳裏をよぎっていった。