シーリィンの好きなもの
朝食の後片付けをするカイトを手伝ったあと、シーリィンから渡された本を読む。
それがメリカの日課だ。
今の本を渡されてから三日が過ぎたから、今日はシーリィンから読み終えておくようにと言われた日になる。いつもなら、そろそろ彼のところに行く時間だけれども。
「ねぇ、カイト」
メリカは本から顔を上げ、向かいで縫物をしているカイトに呼びかけた。
「何だ?」
「あのね、お外の畑に行ってきていい?」
カイトの手が止まり、メリカに眼が向けられた。
「シーリィンのところに行かねぇの?」
「うん」
「それ、読み終わらなかったのか?」
「ううん。三回読んだ」
かぶりを振ったメリカに、カイトは彼女の前にある分厚い本にちらりと目を走らせた。
「三回……すげぇな」
カイトはボソリと呟いた。心底感心した口調で。
「で、畑で何するんだ?」
「ピチベリーを採りたいの」
「食べたかったのか? なら、お前がシーリィンのとこに行ってる間に採ってきておいてやるぞ?」
「メリカが採ってきたいの」
「メリカが? 自分で?」
「うん」
こくりと頷いたメリカに、カイトは首をかしげる。
「何でかって訊いてもいいか?」
「シーリィンにあげたいから」
「シーリィンに?」
「うん。シーリィン、ピチベリー好きなんでしょ? だから、ピチベリー持ってってあげたらうれしいかなって」
メリカが本を読んでもシーリィンは喜んでくれないから、他に喜んでくれることをしたいと思ったのだ。
ピチベリーが好きだとシーリィンから聞いたわけではないけれど、食事の時の彼の様子を見ていて、メリカは、彼はピチベリーが好きなのだろうと感じた。
――何となく。
カイトの『嬉しい』は判り易い。
一緒にしようとか、して欲しいとか、カイトの方から言ってきたことをすれば、「ありがとう」と言って笑ってくれるから。
カイトがそうだから、「読め」と言った本を読んで訊かれたことに答えられたらシーリィンも同じように喜んでくれると思ったのだけれども、そうではなかった。
シーリィンは、「しろ」と言ったことをメリカがしても喜ばない。
なら、どうすれば良いのか。
悩んでいたメリカは、何をしたら相手が嬉しいか判らない時は、自分が嬉しいと思うことをしてみるのも良いという、カイトの言葉を思い出したのだ。
メリカが好きなことはたくさんある。
カイトのお手伝いをすること。カイトと一緒に、色々なことをすること。
暖かな陽だまりでお昼寝をすること。夜、フカフカのお布団で眠るのも好き。
良く晴れた日のお散歩。家を囲む柵の向こうに出てはいけないと言われているけれど。
美味しいものを食べること。カイトが作ってくれるふわふわのパンケーキが一番好き。
他にもたくさんある。
その中で、メリカがシーリィンにしてあげられることと言ったら、好きなものを食べてもらうくらいだ。
メリカなりに考えて出した手だったけれども、正解かどうかは自信がない。けれど、せっかく思いついたからには早くやってみたかった。
本を読んだらシーリィンのところに行くことは、別に、彼からそうしろと言われているわけではない。行っても喜ばないなら、行く必要はない筈だ。
だから、ピチベリーを採りに行く。
そわそわと答えを待つメリカを、カイトはしげしげと見返してくる。
「なるほどな。いいよ、採ってきな。籠はほら、流しの上だ」
「ありがとう!」
メリカはピョンと椅子から飛び下りてカイトにギュッと抱きついた。そして流しの上の籠を取る。
「行ってくる!」
弾む声でそう残し、メリカは家を飛び出した。
シーリィンの魔法で一年中作物が実るという畑には、様々な野菜や果物が植えられている。収穫の手伝いをするメリカに、カイトはそれらの名前を一つ一つ教えてくれた。
メリカが好きなのはピチベリーよりも甘味が強いミルベリーだけれども、シーリィンはピチベリーの方が好きらしい。酸っぱいのにどうしてそちらの方が良いのだろうとカイトに訊いたら、美味しいと感じるものも、ヒトによって違うのだと返ってきた。
甘い方が絶対美味しいと思うのに。
納得がいかない顔をしていたメリカに、カイトは、大人になったら甘いもの以外も美味しいと思うようになるのだとも教えてくれた。
だったら、今はちょっと苦手なピチベリーを、大きくなったらメリカも好きになれるのだろうか。
シーリィンが好きなものを、メリカも好きになりたいと思う。
試しに目の前にある実をヒョイと摘んで口に運んでみたけれど――やっぱり、酸っぱい。甘いことは甘いけれども、口がんーとなる。
「メリカはミルベリーがいいな」
誰にともなく呟いた。
ちょっと残念な気持ちで。
気を取り直し、少し黒っぽくなるほど良く熟れた実を選びながら、メリカはせっせと籠に入れていく。
籠を抱えた腕が疲れ始めたところで、手を止めた。
「このくらいでいいかな」
籠の中には半分以上溜まっている。
隣の畝にはミルベリーも鈴生りになっていたけれど、カイトに採ってもいいと言われたのはピチベリーだけだ。
口の中にジワリと唾が湧くのを我慢して、メリカは籠を抱えて家に向かう。
お昼にピチベリーを出したら、シーリィンは喜ぶだろうか。
きっと、カイトみたいには笑ってくれないだろうけれども、嬉しいと思ってくれたらいいなと思う。
自然と軽くなる足取りで廊下を歩くメリカの耳に、近づくにつれ、居間での声が届いてきた。
「あれ?」
思わずメリカは呟いた。
シーリィンの声も聞こえてきたからだ。
カイトが廊下に聞こえるほどの独りごとを言っていてもおかしいかもしれないけれど、シーリィンが部屋から出てきているのはもっとおかしい。基本、一度部屋に入ったら出てこないのに。
でも、ちょうどいい。
部屋から出てきているのなら、摘みたてのピチベリーを食べてもらえるから。
弾む足取りで居間に入ったメリカに、パッとカイトとシーリィンの眼が向けられた。