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魔王育成日記  作者: トウリン
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16/42

人の中で生きるには

 朝食を終えて少しばかり経った頃。

 シーリィンがふらりと階下に姿を現した。居間の戸口で、微かに眉間に皺を寄せている。

 いつもなら、自室に引きこもっている時間だ。


「どうした?」

 繕い物をしていた手を止めてカイトが声をかけると、部屋の中に向けられていたシーリィンの眼が彼に向く。


「アレはどこだ?」

「あれ?」

 シーリィンとはだいぶツーカーの関係ではあるが、その抽象語だけで通じ合えるほどではない。

 問い返したカイトに、シーリィンはムッと唇を曲げてから付け足した。

「子どもだ」


 流石にそれで判ったが。


「子ども?」

 カイトが暗に言い直しを求めると、シーリィンの眉間のしわが深くなる。

「……メリカだ」

 ようやく口にしたその名前に、内心でニヤリと笑い、カイトは肩を竦めた。

「ああ、メリカね。あの子なら外に出てるぞ?」

「外?」

「ああ」

「……今日は私のところに来るはずだ」

「お前、飯の後何も言わなかったじゃねぇか」

 カイトの言葉にシーリィンは束の間口を噤み、ムスリと言う。

「言わずとも、いつもそうしていただろう」


 確かに、シーリィンが逐一言わなくても、メリカは魔法のことを学ぶためにと彼から渡された本を指示された日までに読み、その日が来れば彼のもとに赴いていた。

 シーリィンがいちいち言わなくても、だ。

 幼い子どもにとってそれがどれだけすごいことなのか、シーリィンは理解していない。


「して欲しいことはして欲しいって、ちゃんと言えよな」

「言わなくてもこれまでは来ていた」

 なのに、何故わざわざ言わねばならんのか、と言わんばかりの顔だ。カイトはため息を一つつく。

「あのな、言ってねぇことは伝わらねぇの。待ってるだけでもお前の思い通りになるのはな、メリカがいい子だからなんだよ」

「いい子?」

 その言葉を繰り返し、シーリィンが眉をひそめる。まったくピンと来ていない顔だ。

 子どもの相手をしたことがないシーリィンには解からないことだろうが、孤児院育ちで数多の子どもたちに接してきたカイトからすれば、メリカの成長には目を瞠るものがある。彼女は生まれて数日しか経っていないとは思えないほどの言葉を覚え、ヒトとの関わり方も急速に習得しつつあった。

 が、まだまだ成長途上だ。


「あのさ、お前、メリカのことを褒めてやらねぇだろ?」

「褒める?」

「そ。頑張ったときには『よく頑張ったな』ってな」

「それに何の意味が?」

 心底意味不明、と、シーリィンの顔いっぱいに書かれている。社会性皆無の彼には、この手のことは本当に理解の範疇外のことなのだろう。

 カイトはやれやれと息をつき、メリカに対するように、シーリィンに説明する。

「良いことをしたときにはそれが良いんだってことを伝えてやるんだよ。お前がしてくれたことで俺は嬉しく思うよ、とかな。子どもってのは、そうやって、ことの善し悪しを覚えていくもんだ」

「わざわざ言う必要などないだろう」

 シーリィンは、見るからに、『何故そんなことを』という顔をしている。

「あるよ。基本、人間ってのは、嬉しいと思うことを自分にして欲しいし、好きな相手にも嬉しいと思って欲しいもんなんだ。人間関係の基本はソコなんだよ。でもな、『気持ち』なんて見えねぇんだから、口に出してやる必要があるんだよ」


 カイトがシーリィンと過ごすようになってから五年が経つが、これまでは、多少人間性に難があっても彼を変えようとはしてこなかった。今更変わるとも思っていなかったし、カイト一人なら特にその必要もなかったからだ。


 だが、これからはメリカがいる。


「子どもにはな、やっちゃいけねぇことを教えるのと同じくらい、やると良いことも教えてやる必要があるんだよ。ダメ出しばっかだとな、ダメなことは覚えても、何をしたら良いかってのが判らねぇままになっちまう」

 メリカには、人間社会で生きていけるようになって欲しい。

 シーリィンは、メリカには強大な力があるという。カイトにはそれを察知することができないが、シーリィンがそう言うなら、そうなのだろう。その力を制御できるようになる必要があるのは解かるが、だからといって、力に怯えて委縮しながら生きていくようなことにはなって欲しくないし、持っている力に任せて他者を従わせるようなことには、もっとなって欲しくない。


 ――かつてのカイトがそうであったようには、なって欲しくないのだ。


 幼い頃、カイトは実父に殴られて育った。

 父が不満に思うようなことをすれば、殴られる。だから、父が気に食わないことだけはこの身に刻まれた。毎日ビクビクと身を竦ませ、痛い思いをしたくないから、同じことは二度としなくなった。

 しかし、父のやり方では、それならどうすれば良いのかを学ぶことはできなかったのだ。


 殴られたくないから、殴られたことはしなくなる。

 殴られることで父に従わされてきたから、殴ることで他者を従わせるようになる。

 カイトはそうやってヒトとの関わり方を覚えたけれども、常に気持ちがギスギスとしていて、そうすることで何かを得られたとしても、少しも嬉しいと思えなかった。


 何をすれば良いのか――何をすれば相手を喜ばせることができるのかを知ることができたのは、孤児院に入ってからだ。そこで駄目なことは駄目だと言われ、それ以上に、良いことは良いと言われて、カイトは自分がどう行動すべきが判るようになっていった。

 メリカにも、してはいけないことよりも、何をしたら良いのかで動けるようになって欲しい。そうやって、伸び伸びと、様々なことを楽しんでいって欲しいのだ。

 だから、『駄目なこと』より『良いこと』をより多く覚えさせていきたい。


「まあ、そもそも感情うっすいお前には難しいことかもしれねぇけどよ、できるだけメリカにその辺伝えてやってくれよ。お前が言ったことをやってきたときとかよ。できてるなって思ったら、そう口にするだけで良いからよ」

 な? と同意を求めたカイトに、シーリィンの口が開きかける。が、彼が何かを言う前に、弾む足取りの子どもが居間に駆け込んできた。


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