笑って欲しいのに
今日の授業の内容は、魔法の属性について。
いつものように、前もって渡されていた本を読んできたメリカにシーリィンが質問する。
「魔法の属性には何がある?」
「攻撃魔法と治癒魔法、それに補助魔法。攻撃魔法には火と氷と土と風があって、火と氷、土と風は仲が悪い」
本で覚えたことを読み上げるようにつらつらと口にするメリカに、シーリィンが無言で頷いた。
「補助魔法には何がある?」
「空間魔法と強化魔法。空間魔法は遠いところに行ったりとか、色々なものをしまっておいたりとか。強化魔法は身体を強くしたり、守ったり」
本の中には、他に、たいていの人は、攻撃魔法、治癒魔法、補助魔法の中のどれか一つしか使えないとも書いてあった。シーリィンのように全部使えて、しかもどれも高位の魔法まで使える人は、世界に何人もいないらしい。
シーリィンは、すごい人なのだ。
そのすごい人のシーリィンは、今日も素っ気ない。
メリカが一生懸命答えても、彼は合っているとも良くやったとも言ってくれないから、何となく心許ない。
シーリィンはメリカが言うことに頷いてくれるけれども、頷くだけ、だ。
メリカには、それが物足りない。
シーリィンが魔法の授業をしてくれるようになって、初めのうちは、こうやって相手をしてくれるだけで得した気分になっていた。けれど、最近は、もっと何か言ってくれたらいいのに、と、思ってしまう。
本の内容は他にもまだまだあるから、次は何を訊かれるのかと身構えたメリカに、シーリィンがあっさりと告げる。
「今日はここまでだ」
「……もうおしまい?」
もう少し、相手をして欲しい。頑張って読んだ本のことを、もっと聞いて欲しい。
そんな思いを込めて、言ってみたけれども。
「終わりだと言っただろう」
にべもないシーリィンに、メリカは諦めた。しつこくしたら、きっと、嫌われてしまう。
滑り降りるように高い椅子から下りたメリカの前に、ドン、と分厚い本が置かれる。
今までになく、分厚い本が。
「明後日までにこの本を読んでおけ。次から実技に入る。理論は完璧にしておけ」
これで何冊目だろう。
メリカはジッとシーリィンを見つめた。
「……何だ?」
彼女の視線に気づいたシーリィンが、眉をひそめて怪訝そうな眼差しになる。
「もう今日は終わりだ。カイトのところに行っていい」
その声には、少しイライラしたような響きがあった。
シーリィンとも会話を交わすようになってしばらく経つから、メリカにも、こういう時の彼がどう考えているのかが、判るようになってきた。
シーリィンは、もうメリカの相手をする気分ではない。
つまりこれは、『行って良い』ではなく、『早く行け』の意味なのだ。
メリカはしょんぼりと肩を落とし、新しい本を胸に抱き、とぼとぼとシーリィンの部屋を出る。出て行き際にちらりと振り返っても、シーリィンはもう彼女に背を向けて、自分の研究に没頭し始めていた。
「ありがとう」
いつものようにそう声をかけたが、いつものように、シーリィンからの返事はない。
メリカはそっと扉を閉めて、階下に向かう。
居間に行くとカイトがいて、卓の上にずらりと並べた武器の手入れをしていた。
彼は入ってきたメリカを見て、眉を上げる。
「どうした? 元気ないな」
「カイト……」
重い本を抱き締めてうつむいたメリカに、カイトが手招きする。近寄った彼女を、カイトはヒョイと持ち上げ自分の膝に座らせた。そして、メリカが抱えている本にちらりと目を走らせる。
「それ、新しいやつか。よく頑張るなぁ」
感心しきりという口調のカイトの言葉に、メリカはパッと顔を上げる。
「メリカ、がんばってる?」
「すげぇ頑張ってるだろ。もう五冊目だよな。俺はそんな字ばっかの本、三頁と読めねぇよ」
「ホント? メリカ、えらい?」
「えらいよ。魔法のことだったら、もう、俺よりメリカの方がたくさん知ってるだろ。あいつはめんどくさがって俺には教えてくれねぇからな。メリカに教えてもらおうか」
カイトにそう言われて、メリカの胸の奥がふわりと温かくなった。
「いいよ。教えてあげる」
満面の笑みでメリカは大きく頷いた。カイトには毎日たくさんのことを教えてもらっているから、メリカができることがあるなら、してあげたい。
カイトも笑顔になって、メリカの頭を大きな手で撫でてくれる。その手を置いたままで、彼女の目を覗き込んできた。
「で、元気がなかったのはどうしてだ?」
問われて、メリカは瞬きを一つする。そして、膝の上に置いた本に眼を落した。
「……シーリィンは、がんばったねって、言ってくれないの。ありがとうって言っても、笑ってくれないし」
どうしたら、シーリィンはメリカに笑ったり彼女の名前を呼んだりしてくれるのだろう。好きだという魔術の研究をしているときも難しい顔をしていて、あまり嬉しそうではないように見えるのに。
ポソポソと言ったメリカに、カイトがくしゃりと自分の前髪を掴んだ。
「あ――そっか。あいつは、なぁ」
「シーリィンは笑わないね。なんで?」
「なんで、と言われてもなぁ。そういう奴なんだよ」
「笑わないのはうれしいことがないから?」
「そういう訳でもないんだけどな。嬉しいと思うことが、俺やメリカとは違うんだ」
メリカは首をかしげる。
「うれしいことって、みんな同じじゃないの?」
「そうだな。俺とかメリカは、美味しいもん食うと嬉しくなるだろ? けど、あいつはそうじゃない。あいつの好物は、なんといっても魔術の研究だ。没頭すりゃ、飯どころか寝るのも忘れる」
「シーリィンは、食べるの、好きじゃない?」
「まあ、幾つか好きなもんはあるけどな」
それなら、その『好きなもの』をあげたら、シーリィンも笑ってくれるのだろうか。
「なに? なにが好きなの?」
身を乗り出したメリカに、カイトが首を捻る。
「そうだなぁ。甘いのは結構好きみたいなんだよな。あとは果物とか……」
魔法の勉強を頑張るのはシーリィンが喜んでくれると思っていたからだったけれども、メリカが頑張っても別に彼が嬉しくないのなら、しても意味がない。
勉強を頑張るよりも、好きなものをあげた方が、笑ってくれるかもしれない。
メリカはカイトが好きだ。好きだから、笑って欲しいと思う。
シーリィンのことはカイトよりは好きじゃないけど、やっぱり笑って欲しいと思う。そして、メリカのことを好きになって欲しいと思う。
シーリィンは、メリカの名前も呼んでくれないし。
――せめて、名前を呼んでくれたらいいのに。
考え込むメリカの頭を、励ますように、カイトがポンポンと叩いてくれた。