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魔王育成日記  作者: トウリン
おはよう

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12/42

新しい日々

 周囲には濃厚な魔力が充満していた。

「多分、アレはこの近くにいる筈だ」

 足を止めたシーリィンの言葉に、カイトが訝しげに周囲を見回す。

「この近く? って、樹しかねぇじゃんか」

 その樹も、うっそうと茂っているわけではなく、見通しはそこそこ良い。ということは、身を隠せるようなものもないということになる。

 カイトの疑念は解かるが、ここが限界だ。シーリィンは肩を竦める。

「だが、これ以上は判らない。アレの力は強大だから、かなり離れていても察知できるが、傍にいると感覚が眩む」

「そういうもんか」

 カイトはへぇと返しながら目を眇める。

「ここら辺、ねぇ。子どもってのは変なとこに潜り込むもんだけどな。……あれかな」

 そう呟いて、歩き出した。


 カイトが目指している方向には太めの樹がそびえていて、その幹には、彼らの膝の高さ程度のところにウロがポカリと口を開けている。

 近寄って中を覗き込んだカイトは、シーリィンを振り返り、手招きした。

 シーリィンはムッと眉間に皺を寄せて歩み寄る。近くに来た彼に、一歩退いたカイトは無言でウロの中を指差した。

 しばしその指を見据えた後、シーリィンはウロを覗き込む。

 中には、子どもが小さく丸まっていた。狭いウロにすっぽりと収まっている。

 どうやら、眠っているらしい。


「可愛いだろ?」

 カイトはにやけ面でそう言ったが、シーリィンには、やはり化け物じみた魔力の塊にしか見えない。

 無言のシーリィンに、カイトがやれやれとこれ見よがしなため息をついた。

「ったく、お前はもうちょっと感性というか情緒というかを身につけた方が良いぜ?」

「必要ない」

 そんなものは、思考を曇らせるだけだ――このカイトのように。感情が加わると適切な評価ができなくなる。不当に危険を軽視するようになる。


 そう、思うのに。


 シーリィンが見下ろす中、ウロの中でソレが身じろぎをした。仔猫のように丸めた手が目をこすり、目蓋が上がる。シーリィンのものよりも遥かに濃い菫色の瞳が、彼を捕らえた。

「ん……シーリィン……?」

 少し離れたところに立つカイトは視界に入っていないのか、舌足らずに名を呼んだ。シーリィンの名だけを。

 まだ半分夢の中にいるのだろう、しばしばと瞬きをいくつかしてから、光明を見出したかのように晴れやかに笑った。

「おはよう、シーリィン!」

 彼が毎朝どんなに無視しようが投げかけてくる挨拶を、変わらぬ屈託のなさで今も投げてくる。


 何故、コレは笑うのか。

 シーリィンは仏頂面でその笑顔を見返した。

 笑顔には、大きく分けて二つの役割がある。

 一つは感情の表出、そしてもう一つは、相手におもねるというものだ。ヒトが、敵意がないことを示すために習得した、言語を用いない意思表示の手段。

 コレの笑顔は、間違いなく後者だ。

 感情など、あるはずがないのだから。


 半ば己に言い聞かせるように胸中でそう呟くシーリィンの動かぬ表情に、ウロの中の笑顔がしぼんでいく。

 笑顔と入れ替えに幼い子どもの顔に浮かぶ、悲しげな――悲しげに見える、表情。

 シーリィンのみぞおちの辺りが、キリキリと締め付けられるように軋んだ。

(何だって、こんなふうに感じるんだ)

 自分は何も悪いことはしていない。

 していないというのに。


 立ち尽くしたままのシーリィンに、背後から小さな声が囁く。

「抱き上げてやれよ」

「どうして、私が」

「どうしてもだ。ほら、両手を伸ばしてやるだけでいいから。お前の気分も良くなるぜ? 騙されたと思ってやってみろって」

 促すカイトをシーリィンは横目で睨んだ。彼は「さっさとしろよ」と顎をしゃくる。


 更に迷うこと、しばし。


 シーリィンは意を決して一歩を踏み出し、ウロの中に両手を差し入れた。

 伸びてきた彼の手に、ソレは一瞬キョトンと目を丸くする。が、すぐに、満面の笑みを浮かべた。

 パァッと一気に花が綻んだような笑顔に、キュンとシーリィンの胸が詰まる。先ほどのような締め付けられるものとは全く違う、感覚だった。

 シーリィンは、狭いウロの中で身を乗り出して両手を伸ばしてくるソレの脇に手を差し入れる。

 持ち上げると、結構重い。

 が、引き寄せた途端に彼の首にしがみついてきて、不思議とその重さを感じなくなった。

 肩にのる柔らかなものは、ソレの頬だろうか。

 ヒトとの交流がほとんどないシーリィンだが、流石に他者に触れたことはある。

 しかし、今、彼が感じているものは、これまでの『触れる』とは全く違っていた。

 完全にシーリィンに身を委ねているような重みと、高い体温、それに、柔らかさ。


 ――何なのだろう、これは、この感じは。


 無意識のうちに、シーリィンはソレを抱く手に力を籠める。すると、彼の胸の内にあったふわふわとした綿の塊を抱き締めているかのような心地良さが一層強くなった。

 それは、これまで経験したことのない、得も言われぬ感覚だった。


「気分良いだろ?」

 ふいに投げられた問いかけに、シーリィンは反射で頷いてしまう。ハッと我に返ってカイトを見ると、彼はしたり顔で笑っていた。

「で、どうすんの?」

 シーリィンは、何をと問い返すことはしなかった。問わずとも、カイトが言いたいことはイヤというほど解っていたからだ。そして、カイトだって、問わずとも、シーリィンの胸中を解っているに違いない。解かっているくせに、訊いてきているのだ。

 シーリィンがねめつけると、カイトは『降参』という風情で両手を肩の高さに上げる。

 そんな彼を無視して、シーリィンは踵を返し、元来た道を歩き出した。


 そして、あくる日の朝。


 いつものように二人に遅れて食卓に着けば、シーリィンの姿を認めた瞬間、子どもがパッと笑顔になった。

「おはよう!」

 シーリィンは彼女をチラリと見る。

「……おはよう、メリカ」

 短く返した朝の挨拶に、メリカの笑顔が一層輝きを増す。彼女に尻尾があれば、ちぎれんばかりに振っていることだろう。カイトの知ったようなニヤニヤ笑いが実に腹立たしい。

 シーリィンはメリカから食事へと目を移し、告げる。

「今日からお前に力の使い方を教える」

「ちから?」

 メリカが繰り返し、コトンと首を傾げた。

「そうだ。お前には力がある。私と同じような力だ。だから、私がその使い方を教える」

 メリカは小首をかしげてシーリィンの台詞について考えていたようだが、やがてこくりと頷いた。

「私はカイトのように甘くはないからな」

「うん!」

 朝食を口に運びながら宣言したシーリィンに、もう一度、メリカが力いっぱい頷いた。


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