異形の魔物
鬱蒼とした森の中、不自然な窪地となったその場所に、ソレはいた。
目の前にそびえる巨体は、ギルド員として数多の魔物と対峙してきたカイトとシーリィンでさえも初めて目にする異様だった。
針のような毛に覆われた四つ足の獣の身体に、蝙に似た皮膜の翼。
毛皮で覆われているようで、その下は刃を通さぬ強靭な鱗で守られている。
長い口吻にピンと立った三角形の耳は狼を彷彿とさせるのに、足には猫科の獣さながらの鋭い鉤爪があった。
ギルドに籍を置いてからの十年間、様々な魔物退治をこなしてきたカイトだったが、こんなにも歪な姿を持つものには遭遇したことがなかった。まるで、凶悪な魔物の最強なところを切り張りしたかのようではないか。
「なぁ、シーリィン。お前、これ、何かで見たことあるか?」
カイトは魔物を見据えたまま、相方に問いを投げかけた。
外見はまだ二十代半ばに見えても、長命属のシーリィンは単人属のカイトよりも十倍ほど長く生きている。碌に部屋から出てこない男だが、放っておけば寝食忘れてしまうほどの本の虫だ。そんなシーリィンなら知識だけでも持っているかと思ったが。
「いや、見たことが無い」
あっさりとシーリィンは首を振る。
古今東西の者が残し、シーリィンが二百年をかけて吸収した記録の中にも存在しないということか。
この異様な見てくれが張りぼてでないのなら、かなり気合を入れてかからねばならないのだろう。
カイトは、大剣の柄をグッと握り締める。
と、彼の気迫が刺激したのか、ソレが大きく口を開け咆哮を轟かせた。空気が、ビリビリと震える。
ただの声の筈なのに、凄まじい圧だ。ジリ、と、踏ん張った足が地面をこすったように感じたのは、気のせいではないかもしれない。
「ったく、何なんだよ、こいつは」
思わず、カイトの口からぼやきがこぼれた。
――ギルド員の間で、『深淵の森』にとてつもない魔物が棲みついたらしいという噂が囁かれるようになったのは、今から三年ほど前のことだった。弱肉強食の本能しかない魔物どもの上に、種を超え、まるで王のように君臨するものがいるらしい、と。
もしも本当にそんな化け物が実在するならば、それがヒトに害を為す前に対処するのがギルドの役割だ。
噂の真偽を確かめるためにギルド員が森へと送り込まれ、還らぬ者となった数が片手の指の数を超えたところで、これ以上の犠牲者を出してはならないと、ギルドの中でも最強の誉れが高いカイトとシーリィンにギルド長直々に依頼が入ったのだが。
現状、カイトとシーリィン以上に『深淵の森』を知っているギルド員はいない。彼らはどのギルド員よりも森の奥深くに足を踏み入れている――幾度となく。
未だ『深淵の森』の全てを踏破できてはいないし今後もするつもりはないが、少なくともヒトが立ち入ることができる範囲内において、森のことを最も知っているのはカイトとシーリィンの筈。
だが、しかし、そんな彼らでさえ、今対峙しているこの魔物を目にしたことはなかった。
「こいつが例のヤツだよな、きっと?」
カイトは魔物を睨み据えたまま、再びシーリィンに問うた。彼は展開した魔法防壁の中でひとり涼しい顔をしている。
「恐らくそうだろう。凄まじいほどの魔力だ。これほどの力を持つとは……」
表情はいつもと変わらぬシーリィンだが、相手の力を認めているようにも取れるその台詞は、いつもの傲岸不遜な彼らしくない。
「何だよ、珍しく弱気だな。尻尾巻いて逃げ出すのか?」
カイトの揶揄にシーリィンが肩を竦める。
「別に勝てないとは言っていない。ただ、事実を述べただけだ」
淡々と返してきたシーリィンにニヤリと笑い、カイトは足を踏み出した。
「だったらさっさとやっちまおうぜ。いつもの奴、頼んだ!」
「おい! ――まったく、作戦も何もあったものじゃないな……光の盾よ彼の者を守れ」
呆れ混じりのシーリィンの呟きと共に、魔物に向けて疾駆するカイトの身体がまばゆい光に包まれる。と同時にガバリと開いた魔物の口から激しい炎が噴き出した。シーリィンの守りの力を揺るぎなく信頼しているカイトは、怯む気配を微塵も見せず、炎の中に突っ込んでいく。
「シーリィン!」「風よ、翼と成れ」
地を蹴ると同時にカイトは呼び、間髪入れずシーリィンが唱えた呪文で、彼の身体が空高く舞い上がる。
「せいッ!」
掛け声とともに繰り出された剣圧が、巨大な刃と化して魔物に向かう。
が。
「チッ」
背の鱗に攻撃を跳ね返されて、カイトは舌打ちをした。が、すぐに笑みが浮かぶ。
「こりゃ、歯ごたえありそうだ」
「悦ぶようなことではないだろう。鱗があるところへの物理攻撃は効かないようだな」
「だな。守りを強めてくれ」
シーリィンへ短く残し、カイトは再び魔物に向けて突進する。
空を切り裂き繰り出される鉤爪を右に左に避けながら魔物の懐に飛び込もうとするが、なかなかその隙を見いだせない。カイトが身軽くよけるたび、彼を捕らえるはずだった魔物の鉤爪が深々と地を抉り、小枝さながらに大木を薙ぎ倒していく。シーリィンの守りの魔法が損傷を和らげてはくれるが、これだけの攻撃、まともに食らえば無傷ではいられないだろう。
魔物の爪を避けるのは容易だが、いつまでも鬼ごっこはしていられない。
(ケリをつけるか)
肉を切らせて骨を断つ、腕の一本が取れるくらいであれば、シーリィンに治してもらえばいい。
カイトが捨て身の構えを取ったときだった。
煌めく何かが頭上を行き過ぎ、刹那、魔物が怒号を上げる。
「ガァアア!!」
苦悶に悶える魔物の片目に、深々と氷の槍が突き刺さっているのが見て取れた。
シーリィンが放った氷の魔法だ。
「ありがとよ!」
相棒におざなりな一声を投げ、カイトはがら空きになった魔物の下に飛び込んで、無防備にさらされた喉へと大剣を突き入れた。そうして渾身の力で振り抜く。
「ッせぇい!!」
気合一閃、ぶらりと垂れ下がる、魔物のこうべ。
一拍ののち、断末魔の悲鳴を漏らすことなく巨体がもんどりうって倒れ込み、四肢をピクつかせる。死に抗うように足が空を掻いたが、それも数度のことだった。間を置かず、その場には静寂が訪れる。