姉妹の正体 1
ーーー…
始めに飛び込んできたのは六十代くらいの女性の嬉しそうな顔と木目の天井の背景で、その後に女性の「大丈夫?」というしゃがれた声と畳の匂いがした。
掛け布団の重さと枕の違和感を感じながら、ぐるりと見渡すと、タンスやベランダがあり、どこかの家の中だということが分かった。
体を起こそうとお腹に力を入れると激痛が走ったので、力無く私の形を覚えた布団に体を収めた。
「まだ起きなくていいわ。児童相談所の児童福祉司の方が来たら、判断を仰ぎましょう。場合によっては、病院に連れていくことになるわ」
「ここは…?」
「ここは、児童養護施設のシリウスホームよ」
「…児童養護施設?」
「怪我をしたあなたが玄関前に倒れていたの。それを見て、思い出したことがあって。あたしね、前にあなたみたいな状態の人が訪ねてきたこともあったな〜って」
「……」
「どうもね? 知り合いの女の子を入所させてほしいとかなんとか。きっと、その子を助けたかったのね」
聞いていないことを、懐かしみながらぺらぺら話す女性。私に気を遣って話しているのかもしれないけど、正直その話に興味はない。腕や脇腹を使い体を起こすと、かもちゃんカスタムの私のままだった。気合体育館から自宅までの間に、トラブルに巻き込まれたのかもしれない。
頭がズキズキして、詳しく思い出せない。重力に負けているような、だるさが襲う。
「あたしはここの施設で働く吉和です。あなたのご両親はどちらに?」
黒のトップスに茶色のチノパンというシンプルで動きやすい服装をした吉和さんは、柔らかな表情を崩さず私に尋ねる。その雰囲気が淡成家にいた家政婦の生口さんに似ている。
「私の両親は、いないと聞いてます」
「…そう。今までどこで生活していたのかしら?」
「産まれてからの記憶は、ほとんどないです。今は、親切な家でお世話になってます」
淡成家に来るまでの私は、暗くて怖くて何かに怯えながら生きていた気がする。具体的には思い出せないけど、それが生まれた後の世界だった。
ただ、孤独ではなかったのを覚えている。私の隣に誰かがいたような…ぬくもりの記憶があった。
「それを聞けてホッとしたわ。あなたにとってそこが居場所になれていればいいのだけど」
インターフォンが鳴り響き、「待っててね」と言い残した後吉和さんはこの部屋からいなくなった。スリッパのパタパタ音が小さくなる過程は、吉和さんがいなくなったという余韻を残す。
これから起こる未来は、児童相談所の児童福祉司の登場、そして話を聞かれ、傷の確認し、病院か一時保護所に連れていかれるのだろう。
そんなことは、ごめんだ。私の居場所とは言い難いけど、淡成家ではまだ私に利用価値があるはず。
ベランダから抜け出し、忍び足で脱出した。あの部屋には私の荷物がなく、その分は軽かった。靴がおそらく玄関にあるだろうけど、取りに戻るわけにはいかない。靴下で整備されたアスファルトを歩いていた。
冷たくて、硬くて、吉和さんの温かさを知る。見ず知らずの他人に良くしてくれたのに、吉和さんに返せるものがなにもない。迷惑をかけてしまった。呼び出された児童相談所の人にも。
仕事だから優しくしてくれたというのもあるのだろうけど、見捨てられない世界もあるのだなと思った。
ポケットにスマートフォンがあり電源もついたため、道案内をしてもらいながら進んだ。そう遠くはない淡成家に胸を撫で下ろしつつ、こめかみをぐりぐりされる感覚を味わう。
無意識にこめかみに手を当て顰めっ面をすると、人の気配がして立ち止まった。
「どうしたんですか? 傷だらけですよ?」
交番の前で立哨業務をしているお巡りさんだった。間近に警察官がいると、何も悪いことはしていないのにドキッとして目が泳いでしまう。怪しまれないように平静を装い、返答する。
「傷メイクなんです。これから友人家に行って脅かす予定なんです」
「ああ、そうですか。最近のメイクはすごいリアルですね」
うふふあははと誤魔化しながら素通りしようとすると、掲示板に指名手配書が貼られていることに気づく。
野荒相。殺人。
『戻ってくるな、月奈』
ふと、思い出した聞き覚えのある男の声。誰の声で、なんのことだろうか。
「あ、もしかして見かけたことある?」
警察官の声にハッとして意識を戻す。私の心を見透かすような目に焦りを抱く。やばい、疑われないようにしないと。
お姉ちゃんの許婚がこの人だなんて知られたら、お姉ちゃんが参考人として連れて行かれてしまうから。
「この人、優しい顔してるなって思って…タイプだっていう女性もいるかもしれないなぁ」
「顔や言葉で安心させてから犯行するのだろう。卑怯なやつらだからな。今もなお逃げ続けているということは、罪を償う気はないという意思表示。優しいなんてありえない。きっと、今も罪を重ね、罪を犯すことに躊躇いもなくなっているだろう」
「顔や言葉で騙されてはいけない。行動と矛盾はないか疑え。…ということですね。勉強になりました」
張り付けた笑顔で別れた。一歩、また一歩と淡成家に近づくにつれ真顔に戻り、じわじわと心の奥底から怒りが込み上げてくる。なぜなら、お姉ちゃんがその程度の女と言われたようだからだ。お姉ちゃんはそんなにちょろくない。
私もお姉ちゃんがSuiに洗脳されたと思いたかったこともあるけど、それはお姉ちゃんが被害者だと言いたかっただけで、簡単に丸め込まれるような単純な人間だと言いたかったわけではない。




