影武者として 15
「じゃ」
返答を待たずに、出口へ向かう天宇。本気で、私と一緒に帰る気はないらしい。帰る場所は、同じなのに。
「あいつ…薄情者!」
吐き捨てるように言うも、やつはもういない。天宇を睨むように出口を睨んでいると、瀬尾とかもちゃんが支度を終えたようで、私も急いでまとめ始める。
「あ、瀬尾!」
お姉ちゃんからの預かり物を、瀬尾に渡す。瀬尾は、すぐ察して受け取った。
「はい、これ」
空いた手に、別の物が渡される。二袋あり、お姉ちゃんと私の分だと勝手に想像した。
「俺、もっと二人の理解者になりたいから。肌身離さず持ってくれたらなと思って、用意したんた」
ミルク色の袋に入れられた物の中身は分からないけど、瀬尾が私たちを思ってくれた物は、大切にしなければと思った。
「あと願わくば、もっとお近づきになりたいと思ってる」
「ん? …うん。……ん?」
「俺には“有磨”という名前がありまして」
「……彼女に呼んでもらえ?」
「じゃあ、彼女になって」
ドキっとすることをさらりといつもの調子で言うから、私もいつものように流した。
熱気から解放された私たちは、数秒大きく息を吸い、外の空気を取り込んだ。体育館よりは澄んだ空気だけど、排気ガスや花粉などもあるだろうから控えめにしておいた。
まだ、太陽がさんさんと輝く中、瀬尾とかもちゃんに挟まれ、何気ない話をしながら駅への道を歩き出す。一つの行事が終わったような達成感で、気分良く体も軽かった。
「日奈…?」
この瞬間が訪れるまでは。
姿は見ずとも、声を覚えていた。その声で、お姉ちゃんの名を呼ぶ。
足の裏に瞬間接着剤をつけられたように地面から動けなくなり、危機が迫ってるのに逃げることが出来なかった。
「日奈!」
私に影が落ち、“アレ”以来の下条先輩が目の前にいるのが分かった。先輩がバスケットボールをしている時に盗み見るのはいいけど、見られている時に目を合わせたくなかった。
唇を噛み、俯く。ズボンが見えて、少しホッとした。
「……月奈、か?」
その反応は影武者として喜ぶべきか、ただ先輩がお姉ちゃんに会いたくて名を呼んだだけなのかどちらなのだろう。
ただ、かもちゃんの魔法にかかっている私は関係が浅い人からしたらお姉ちゃんに見えるという証拠になったかもしれない。
「ツッキー…この人、最海高校の」
「初めまして。下条祥史です」
「あ、初めまして」
かもちゃんは、戸惑ったように返事をし、瀬尾と下条先輩を見比べる。判断を間違ってはいけないと思っているのか、何度も確認してから口にする。
「瀬尾くんと似てない? あ、甘いマスクな感じが…」
「甘いマスクはよく言われますが、その方とは血が繋がっていません」
「そ、そうですよね…ごめんなさい」
「謝らなくていいんですよ。女性にそう思ってもらえることは、喜ばしいことですから」
瀬尾が、私の肩を抱く。その重さに顔を見上げると、頼もしい表情の瀬尾がいた。柚子の香りが、瀬尾をフォローする。
「シモジョウさん」
「はい」
「月奈の顔色が良くないので、ここで失礼します」
「月奈、俺は…」
瀬尾の腕に力が籠ったその時、デカい声を出しながら、近づいてくるやつがいた。あれは紛れもなく、川原だ。
「かもてゃん! 見てくれた〜? カッコよかった??」
タオルをぶんぶん回しながら、見るからに愛しい人に褒められることを望んでいる顔だった。かもちゃんは、にっこりとした表情を崩さず、口を開いた。
「見た! カッコよかったよ!」
「スリーポイントシュートも決まってよかった〜」
「あー、そー…うだね!」
満足した様子の川原は、視線に気づき顔を向ける。川原の目に、下条先輩と、瀬尾と、瀬尾に抱かれた私が映った。
「あれ…もしかして、淡成日奈?! 瀬尾と付き合ってるの?!」
遠くの物でも見るように、眉毛付近に手をかざすポーズをする川原。かもちゃんが訂正に入ろうとするところを遮って続けた。
「淡成日奈を巡って、三角関係?! 修羅場なの?!」
「川原く「俺とハートビートを刻もうぜ! 的な!?」」
キメ台詞ならぬヒエ台詞を決め、場を凍らす川原はさすがとも言える。
私は瀬尾の腕を退け、大きく深呼吸をし、先輩を真っ直ぐ見た。一瞬、頭の中を黒い記憶が脳裏をかすめるが、すぐに振り払った。
「もう話すことなんてありません。二度と話しかけないでください」
日奈の形をした従順な弱々しい人形にそう言われて、プライドの高い彼が私を追いかけてくることはないと分かっていた。
それは、彼だけではないだろう。同じような態度を取ったら、村坂も見限るに決まっている。もしかしたら…瀬尾も同様に。
目の前の道をただ走った。目的地のない用意された道は、どこで途切れるか分からない。それでも私には、レールの上に乗っていることしかできないんだ。




