影武者として 1
音も匂いもない暗闇の中を彷徨い、次第にこのまま永遠の闇に閉じ込められるではないかという不安に襲われる。
それが怖くて、あちこち歩き回るけど、変わらぬ景色。絶望を感じ、孤独を感じ、止めた歩みを踏み出す気力を失った。
なんだか空気も薄く感じ、呼吸も乱れてきた。落ち着こうと深呼吸をする。今度は手足が震え出し、そっと自分の体を抱きしめた。
私は、ここで息絶えるのだろうか。徐々に弱り、腐るのだろうか。
私が逝ったことは誰にも気づかれず、初めから存在してなかったかのように消える。私が、生まれた理由はなんだったのだろう。ただ生き、ただ死んだ。生まれた意味は、あったのだろうか。
「月奈! 早く早くっ!」
お姉…ちゃん?お姉ちゃんの声?どこから、どうやって?
暗所のはずなのに、パッとスポットライトが当たる。そこには、笑顔のお姉ちゃんが光を纏ったワンピースを着て、腕を大きく振っている。私が動く前に、お姉ちゃんは背中を向け、更なる闇へと向かっていく。
待って。置いていかないで。お姉ちゃんがいなきゃ私が生きてる価値がない!
「お姉ちゃん!」
目が覚めると、見慣れた自分の部屋であり、さっきの出来事は夢だったことが分かる。まだ醒めぬ、あの夢で感じた感覚と暴れる心音に困惑していると、首が濡れていることに気づいた。汗をかいていたらしい。
ベッドの上で体育座りをし、丸くなる。しばらく、そうしていた。
スポーツウェアを身につけ、首にタオルを巻き、ワイヤレスイヤホンを装着する。スマートフォンから好きな音楽を流し、軽いストレッチを行い、運動靴を履くと薄暗い街に溶け込んでいった。
お姉ちゃんには天宇がいるため、安心してランニングに出かけることができた。天宇にお姉ちゃんを任せるようなことは言っていないけど、なにか起こったらお姉ちゃんを守ってくれると思う。サッカーで例えると、ゴールキーパーみたいな存在だ。攻められてピンチになれば守ってくれる、安心感のある存在。
運動は、苦しいから好きじゃない。特に長距離走。体力ないし、足がぱんぱんに浮腫む。
だけど、そんなことはどうでもいい。私がどう思うかなんか、重要なことではない。
ただ、想う。一人のことを。
ーーー…
「ねぇ! どいてよ!」
「てめぇがどけよ! 鬱陶しいわ!」
「は? 私が行こうとする方向にあんたが付いてくるんでしょ?」
「はぁ? 俺の歩く道に、お前がしゃしゃり出てくるんだろうが!」
「なーにが『俺の歩く道』よ! 学校の廊下であって、お前の廊下じゃねーから! てめぇがしゃしゃんな」
「しゃしゃんなっつった方が、しゃしゃんなだから!」
「あんたバカなの? しゃしゃんなっつったのあんたが先だから! バーカバーカ」
「うっせーな、カバ!」
「カバに失礼だろ! 謝れや!」
朝から川原に行手を阻まれ、言い合いが始まる。同じ方向に避けてしまう、連続回避本能というやつらしい。一回ならまだしも、五回も繰り返されたもんだから堪忍袋の尾が切れた。
「…なにしてるの、二人とも」
呆れた顔をして、教室から顔を出したかもちゃん。またかよ、みたいな顔をするかもちゃんも可愛い。好き。癒される。
「かもてゃん!」
私を強引にどかし、かもちゃんに絡みに行く川原。こいつ…落とし穴に落ちて、土まみれになればいいのに!
カモちゃんにデレデレしながら話しかける川原の背中に念じる。落とし穴に落ちろ、落とし穴に落ちろ、落とし穴に落ちろ!
それぐらいいいよね?落とし穴なんてそうそうないし、起こらない未来。心の中で不幸を願うのは、罪にならない。
「ツッキー? なにしてるの?」
「ん? なんでもないよ!」
念じたことがバレたかと思って一瞬焦ったけど、そんな能力はかもちゃんにないだろうと思い直し、胸を撫で下ろした。
教室に入り、机に鞄を置く。視線を感じ、顔を上げるとかもちゃんがこっちを見ている。ぱちぱちと瞬きをしてから、口元を綻ばせる。薄ピンク色の唇が綺麗にしなった。
「あのね、ツッキー」
「ん?」
「お願いがあるの」
「どんな?」
「…バスケの試合、一緒に観に行ってくれない?」
バスケで思い浮かぶのはあのバカのことで、川原がかもちゃんにかっこいいところを見せるために誘ったと考えれば辻褄が合う。告白はしなかったみたいだけど、試合に誘うなんて意外と川原は素直なやつなのかもしれない。




