姉を狙う者 6
「あの…日奈さんに、用があるんだけど」
「告白ならお断りです」
「いや、渡したいものが」
「まず、私を通してからにして下さい」
「…あなたは、マネージャーか何か?」
「妹です」
「知ってる。食べてほしいだけなんだ……友だちにもらったクッキーがすごく美味しかったから、日奈さんにお裾分けしたいなって思って。美味しさを分かち合いたいだけなんだ」
「私が食べます」
「なんで?」
「めちゃくちゃお腹空いてるので! 何も食べてないので!」
「目! 目が血走ってるから! そして、ゾンビみたいに迫ってくんな!」
手の届く距離にあるプレーンの美味しそうなクッキーに涎が大量に分泌される。お腹は鳴り、気がついたら引きつけられていた。
男が高い位置にクッキーを持っていくも、バレー選手のブロックさながらのジャンプ力を見せてエサを手に入れ、口に運ぼうとする。しかし、クッキーが指から抜き取られた。
「やっぱりいい! やめた!」
「なんでよ! もしかして、そのクッキーに毒でも入ってるわけ?」
「そ、そそそんなわけっ……」
「……」
お腹が空いていることは本当で、本気で食べようとしていたけど、毒味も兼ねていた。安全なものだったら、お姉ちゃんに渡すつもりだった。なのに、まさか本物の毒入りクッキーだとは…ここは学校なのに。
「あんた、どこの回し者?」
「くそっ…"アイツ"の隙をついた、今がチャンスだったのに」
私を突き飛ばすと、窓を開けて軽々と身を投げ出した。
「ちょっ……ここ四階!」
スタントマンか、とツッコミを入れたくなる離れ業に呆然としてしまったが、慌てて窓から顔を出し見下ろすと、地面にエアマットが敷かれていた。予め用意したのだろう。お姉ちゃんを毒殺し、飛び降りて、逃走する算段だったのだろうか。
あいつは、初めからお姉ちゃんを殺す目的で入学したのか、入学した陣東に成り変わったのか、謎が残る。
目的は、お姉ちゃん…いや、Suiなのだろうか。お姉ちゃんの命が狙われる理由は、それしかない。
「どけ。月奈」
低めのハスキーな声がかかり、命令を聞くプログラムをされているかのように、当然のように従う。全身真っ黒の服でフードを被った高身長の人間が手袋をつけた手で窓枠に掴まる。
「Sui…?」
「え?」
お姉ちゃんから発せられた言葉に、驚愕する。この人が、お姉ちゃんの許婚であり監視者の…Suiだと言うのか?
Suiと呼ばれた男は、お姉ちゃんを一瞥すると、飛び降りていった。フードの下には黒い仮面もつけていたようで、見えたのは目だけだったが、背筋が凍る不気味さがあった。
お姉ちゃんは、力を失ったかのように床へ崩れ落ちそうになる。咄嗟に私が支えに入った。
私の胸の中に収まるお姉ちゃんは、弱々しく簡単に壊れてしまいそうで、周りを見渡し、新たな刺客が現れないうちに、四階の美術室の隣の準備室にお姉ちゃんを移動させた。
ここは、お姉ちゃんが学校で何かに巻き込まれた際の避難場所に指定されている。Suiという男には、学校を自分の思いのままにできる権限があるらしい。
美術準備室には大きな棚があり、そこにアクリル絵の具やスケッチブック、缶に入れられたたくさんの筆や鉛筆、画板などの画材で溢れ、コルクボードには色相環のポスターやメモが貼られていた。絵の具や粘土のようなツンとした鼻を刺す匂いが充満している。
本来なら、お姉ちゃんを廊下に残し、美術準備室の中に爆弾やトラップがないか探してから入室するのだが、廊下も安心できないため、警戒しながら部屋の中へと進んだ。
私が警戒を怠らない理由は、陣東には仲間がいると考えているからだ。今回の犯行は陣東の単独犯であろうが、陣東がSuiに追われている今、仲間の援護がないとは限らない。作戦が失敗した場合を考え、この部屋に罠を仕掛けたり、外から狙撃される可能性もある。
近くに、爆弾やトラップがないことを確認し、狙われない位置である壁の前にお姉ちゃんを立たせた。
目を皿のようにして、部屋の中を探している時に思った。私がもっと有能であれば、と。警察犬であれば、鋭い嗅覚で犯人を探したり、危険を回避できたりするのに、私にはそれができない。できることといえば、お姉ちゃんの肉壁になるくらいだった。
現役バスケ部員に逃げられたり、突き飛ばされるような至らない私に嫌気が差した。影武者失格だ。これからは、もっとお姉ちゃんの役に立てるようにならないといけない。
「月奈」
「はい」
お姉ちゃんに駆け寄る。ブラックパールの瞳が、私を捉えた。
「あんた、村坂くんの試練が残ってるんでしょ? 行きなさい」
「え、そんなことしたらお姉ちゃんの身に何かあった時に「あたしの言うことが聞けないの?!」」
「…いいえ。でも……」
「あんたのせいでSuiに怒られるのはあたしなの! 今、あんたの顔なんて見たくない!」
どんなにお姉ちゃんに罵声を浴びせられても、どんなにお姉ちゃんに嫌われてしまったとしても、お姉ちゃんの命を守ることが、何よりも大切だ。迫力に圧倒されたとしても、引くわけにはいかない。お姉ちゃんの盾としてしか、価値がない私だから。
「ごめんなさい。お姉ちゃんの側を離れるわけにはいきません」
「だったら、自ら“離れたい”と思わせてあげようか?」
お姉ちゃんの気が紛れたり、気が晴れるなら、それもいいかもしれない。お姉ちゃんを感じている間は側にいられるから、何かの時は一瞬の足止めくらいにはなるかもしれない。お姉ちゃんの恐怖や不安を薄め、命の時を一秒でも伸ばす。それが、今の私の役目。
お姉ちゃんの手が、私の髪の毛を掴む。私は、お姉ちゃんから視線を外さなかった。
「日奈」
どこからか、Suiの声がした。お姉ちゃんが真っ先に気づき、音の発信源を特定した。それが、まさかの窓の外だった。




