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98話 魔王の隣で生きることを望んだ少女

 ヒナ達4人が雛鳥に案内されて辿り着いたその部屋は、彼女達のギルド本部にあるヒナの自室とほぼ変わらないような広さの小部屋だった。

 唯一違うのは、メリーナはこの部屋を研究室というコンセプトの元に設計していたのでベッドの類が無い事と、壁一面の棚に膨大な数の資料がまとめられている所だ。


 それだけでは飽き足らず、メリーナは雰囲気重視と纏める情報量の多さから、部屋の隅々に紙の束を重ねており、その一枚を見れば彼女が誰にも見せたくないと思っていたヒナへの思いの程が長々と綴られている。

 もしも何かの間違いでヒナ本人がそれを目にしてしまえば恥ずかしさで卒倒しかねない程情熱的であり、挑戦的であり、尊敬と愛に塗れた代物だった。


 全体的に部屋は暗く、部屋の中央には冒険者ギルドの応接室にあるようなソファが二組と長机がポツンと置かれており、ちゃんと手入れがされているのか埃をかぶっていると言った事は無い。

 窓が無いので魔法を灯さないと部屋が照らされないという欠点はある物の、ヒナが魔法を発動させることで部屋全体を明るく照らす。


「お手数をお掛けして申し訳ありません、ヒナ様」

「い、いいよ……これくらい」


 雛鳥は戦闘において強力なスキルや魔法を中心に与えられているので、この手の事はあまり得意では無かった。

 それゆえ、ヒナに頼ってしまう事に一抹の不安と罪悪感を覚えていたが、それでもヒナが若干怯えてしまっているので頭を下げるのは諦める。


 そこから、怪訝そうな顔をしているマッハ達3人に向かって、なぜ自分がこの部屋にヒナ達を連れて来たのかを説明するため、一度深く深呼吸する。

 捨てたはずの望みを小さな飴玉のような大きさ程心のうちに抱えつつ、己の主人の命令に背くことになろうとも、ヒナ達にはこの部屋に足を踏み入れてほしかった。それこそが、自分を……いや、メリーナの望みを叶える事に尽力してくれると、信じていたから。


 彼女がこの世界に来ているとはもはや思っていない雛鳥だったが、それでも自分の望みの為ではなく、主人のたった一つ……。少女らしい……いや、子供のような、人生でたった一つ抱いた望みの為に、彼女にメリーナの想いを伝えたかったのだ。


「我が主であるメリーナは、ヒナ様の事について熱心に調べておりました。そこにある資料の束や、そこら中に保管されている資料はほぼ全てがヒナ様に関する物です。無論、中には他愛もないメリーナ本人の日記等もあるでしょうが」

「ヒナねぇの? なんで?」

「……それは、見ていただいた方が早いかと思います」


 執事のようにピシッと背筋を伸ばしつつ、恭しくマッハに向かって頭を下げた雛鳥の物言わせぬ無言の圧力のような物に気圧されつつ、マッハは適当に棚から一冊のファイルを取り出した。

 それは水色の冊子のような形になっており、ルーズリーフのような物でもあった。

 表紙には綺麗な丸みを帯びた字で『ヒナさん研究ノート #24』と書かれており、不気味な物を見るような目でうげぇと心の中で呟いたマッハ。


 それもそのはずだ。

 その文面だけを見ればヒナの熱烈なストーカーだと思っても不思議では無いし、むしろ危ない気配しかしないだろう。

 ただでさえ数時間前にトライソンという狂人を相手にしているのだ。自然とマッハの警戒心も強くなり、それを感じ取ったケルヌンノスも怪訝そうな顔をしつつ警戒を強める。

 唯一その場で何も警戒していない少女も、足元に転がっていた紙の束の一番上を摘まみ上げ、そこに記載されている内容に目を通す。


「えっと……『ヒナさんの妹さんたちが羨ましい。ボクも早くあの人の隣にいられるくらい強くならなきゃ』って……ん!?」


 思わず声に出して読んでしまったヒナは、その内容に衝撃を受けて思わず二度見してしまう。

 その顔はかつてないほど真っ赤に染まり、顔から火が出るのではないかと錯覚するほどだ。


 その言葉を受けてマッハも急いでそのファイルを開き、最初の一ページ目に目を通す。

 ケルヌンノスもヒナの反応を受けて気になったのか、マッハの後ろからそのファイルを覗き込むようにして背伸びをする。まるで、近所の公園でゲームをしている友達の後ろから覗き込む友達のような構図だ。

 いや、ヒナもマッハ達2人も、そんな場面に遭遇したことは無いのだが……。


「えっと~、なになに? 『ヒナさんが所持していると思われる魔法の一覧。スキルの一覧……後は、アイテムと装備の一覧?』って書いてある。なにこれ?」

「……ストーカーのそれ見たい。ヒナねぇ、それ見せて」


 マッハが偶然手に取ったそれは、運悪くと言うべきなのか、ストーカーのそれと見間違われても仕方のないほどヒナの情報について溢れていた。

 持っている装備の数々からスキルや魔法、その全てが記されており、どれだけ念入りにヒナの身辺を洗い出したのか分かる。これだけの情報をディアボロスあたりに売り飛ばせば、簡単に対策を練られてその命を危険に晒される事だろう。


 それとは別として、マッハはこの文書の作成者に言葉に出来ない程の好感を抱いていた。

 ケルヌンノスがストーカーのそれと言ったみたいに、これだけを見ればヒナの事を執拗に付け回している輩と捉えた方が良い。いや、むしろそう捉えた方が自然だ。

 しかしながら、この文書の作成者からはトライソンと相対した時に感じたような妙な感覚を味わっていたのだ。

 正確に言えばトライソンほど狂気に満ちてはいないが、妄信やその類の物を感じ取っており、ヒナの事を神様か何かだと思っているような、そんな直感。

 剣士ゆえの……そして、ヒナの事を姉妹の中でも一番よく知っているマッハだからこそ感じる直感。

 この文書の作成者は、きっとどんなことがあろうともヒナの敵にならないだろうという確信。


 その直感はトライソンの一件でマッハの中では疑わしい類の物として残っていたが、ここに来て再び自信を取り戻していた。

 案の定、そのファイルを元の位置に戻してその隣の、表紙の番号が一つ戻っているファイルを開くと、そこには見るのも恥ずかしくなるようなヒナへの赤裸々な思いがびっしりと書かれていた。


「……なぁける、これ見て――」

「ヒナねぇ。多分この人、ヒナねぇのこと大好きだよ。多分、私達と同じかそれ以上に……」


 面白そうに後ろにいたはずのケルヌンノスに笑いかけたマッハだったが、その瞳に写ったのは悔しそうにはにかみながらもどこか嬉しそうにしているケルヌンノスだった。

 そして、その傍には顔を真っ赤にして蹲っているヒナと、ケルヌンノスとは別の一枚の紙を持ちながら一心不乱にそれを読んでいるイシュタルの2人が視界に飛び込んでくる。


 急いで自分もケルヌンノスの紙に書いてあることをスラスラ読んでいく。

 それは、今持っているファイル以上に過激で、愛に溢れ、それでいて尊敬の念がこれ以上ないほど込められた恋文だった。

 これを書いた奴は正気じゃないな。そう思うと同時に、その文面から伝わってくる思いは、確かにケルヌンノスが「自分たち以上」と表現するだけはあると分かる。

 それ程までに、この紙1枚に込められている愛は膨大だった。


 トライソンのように異常な愛情と……もしかしたら性欲もぶつけてくる相手を、ヒナはもちろん、マッハ達3人はあまり良しとはしない。

 トライソンは女だったから良かったものの、それが仮に男であった場合、彼女達は怒り狂いながら「愛している」という言葉を口にした時点で斬りかかっていただろう。


 だが……


「ねぇ雛鳥。この文書の著者は女の子なんでしょ?」

「はい、ケルヌンノス様。メリーナは少女……と言って良いのかは分かりかねますが、ヒナ様と同じ女性でした」

「ふーん。ねぇマッハねぇ、それなら別に私達が怒る事は何もない」


 その意見にマッハも概ね賛成だった。

 これが男なら気持ち悪い、吐きそう、マジムリという心無い言葉を躊躇なく吐き出しただろう。

 だが、それが少女の物となると話は別だ。

 むしろエリンと同等かそれ以上にお気に入りになる可能性が高く、今すぐにこの著者に会いに行きたいという気持ちが湧き上がってくる。


 だが、その恋文の相手となっているヒナとしてはそれどころでは無かった。


 確かに相手が女の子だったのは救いだ。

 これが男の物だったなら恐怖なんて生易しい言葉じゃ言い合わらせない程の熱量だし、正直言って気持ちが悪い。

 告白なんて受けた事が無いのでその気持ちは余計に強いのだが、相手が少女ともなるとマッハ達と同じようにどこか可愛らしいなという親心のような物しか湧いてこない。


 しかしながら、恥ずかしい物は恥ずかしい。

 誰が好き好んで自分への恋文を読みたいと思うだろうか。

 少なくとも、ヒナはそんな事を思うような人間では無いし、初めて向けられる純粋な好意や尊敬の念。それがマッハ達以上に直接的な物だったせいで頭が沸騰しそうになっていた。


「うぅ……恥ずかしい……」

「ヒナねぇの魅力に気付くのは見どころがある。でも、流石にここまでの量を纏めてるとなると相当……。私達みたいに純粋な好意だとは言え、凄いの一言に尽きる」

「どれだけ時間使ったんだってくらいあるもんな~! これ、全部読むだけで数日かかりそう~」

「……でも、全部読んだら多分ヒナねぇのことをもっと知れる。私達でも知らない事は、多分いっぱいある」

「ちょ、やめてよ!?」


 そんな恥ずかしいことをベラベラと話し出す3人に叫ぶような声を上げつつ、ヒナは部屋の隅で傍観者と化している雛鳥に非難するような視線を向ける。

 なんでこんな恥ずかしい目に合わせるのか。自分が何か悪いことをやったのか。そう問いかける目だった。


 しかしながら、雛鳥はヒナのそんな視線を気に留める事も無く、自身の主人が残したヒナに対する膨大な想いと資料を前にキャッキャとはしゃぐ3人の姉妹を見つめていた。

 死ぬことを前提として作られた自分と、ヒナの隣で戦う事を前提に作られ、恐らくラグナロク内のNPCの中で最も幸せな時間を過ごしただろう3人。

 自分と彼女達を分けたのはなんだったのか。

 メリーナがこの世界を去る事になってしまった原因は、一体何だったのか。それを考えずにはいられなかった。


 雛鳥にとって、NPCとは死ぬために生きている存在であり、好き勝手に発言する事はおろか、笑顔を見せる場面なんて無いに等しかった。

 創造主とまるで家族のように接するなんて考える暇もなく、来る日も来る日も遊びとしか思えないくだらない戦闘の繰り返し。時には相手を殲滅し、時には滅ぼされる。それだけの人生を送っていた。


 彼女達と自分を分けたのは……分けてしまったのは、一体、なんだったのか……。


「雛鳥さん……?」

「……え? あ、はい。失礼しました、ヒナ様。なんでしょうか?」

「あぅ……。そ、その……ヒナ様っていうの、止めない……?」


 その申し出は、雛鳥にとって困る物だった。


 設定上では別にヒナの事をヒナ様と呼ぶように強制されている訳では無い。

 しかし、メリーナが恋焦がれていた相手を敬わずしてどうするだろう。

 さらに言えば、彼女の圧倒的な強さはその膨大な資料全てに目を通しているのでよく分かっている。

 自分では逆立ちしても勝てないだろうし、魔法使いである以上、彼女にはまともな傷すら付けられないのではないだろうか。


 しかし、ヒナの命令はメリーナの物と同等かそれ以上の価値を持つ。

 もしもヒナがメリーナを殺せと言えば少し躊躇う……くらいの気持ちは持っているが、メリーナ本人は拒否しないだろうから実行に移す可能性だって無い訳では無い。

 それ程までに、ヒナの命令の強制力というのは強いのだ。


 それはもちろん、自身の創造主がそう望んだからであって、家族のように接してほしいと願っていたヒナが作ったマッハ達3人は、その命令に絶対服従という訳では無い。

 ヒナが間違った事を言うようなら訂正するし、こっちの方が作戦としては良いのではないか。そう思えば進言もする。

 ヒナが限りなく正解に近い答えを導き出し続けているからまだその片鱗が見えていないだけで、彼女に絶対服従で無いのは日頃の自由気ままな態度を見ていれば明らかだ。


 しかしながら、雛鳥を始めとしたこのギルドのNPC達は違う。

 明らかな上位存在の命令には絶対服従なのはもちろんの事、自身の創造主に対しても基本的には従順に従う。その命令に服従しないなんてことは、ほぼあり得ないのだ。


 それ故に、彼女は迷った。ヒナの申し出を断るべきか否か。

 ここでマッハ達から助け船でも出れば迷わずそれに乗っかってヒナ様と呼ぶのを継続出来るのだが、マッハ達は依然部屋の中の資料に夢中で援軍は期待できそうにない。

 故に、彼女の答えは決まっていた。


「承知いたしました。ヒナ……さん」

「な、なんか無理やり言わせたみたいでごめんね……? でも、ここって本当にメリーナさんのお部屋? 私、あの人に何か特別な事されるようなこと、した覚え無いんだけど……」


 それはそうだろう。

 ここにある資料を読めば分かる事だが、メリーナはヒナと直接的な関わりは無い。

 ゲーム内チャットでも話したことは無ければ、同じギルドに所属していた訳でもない。

 狩場で遭遇したことも無ければイベントで戦った事すらもない。

 彼女はただ一方的にヒナに憧れ、その隣で生きていきたいと思っていただけに過ぎないのだ。


「皆様に説明させてください。我が主メリーナと、ヒナ……さんの、関係について。正しくは、その出会いと想いの始まりを」

「え!?」


 何をとんでもないことを言い出すんだ。そう口にしようとしたヒナだったが、コンマ数秒の差でマッハ達が口を開く方が早かった。


「『ききたい!』」


 それから数時間、ヒナは雛鳥が淡々と口にするメリーナと自分の馴れ初め話を羞恥心で身を燃やしながら黙って聞いていた。


 それは、彼女にとっては拷問に近しい時間だっただろうが、マッハ達3人にとってそれはヒナの事をさらに知る貴重な時間となった事だろう。

 ともかく、雛鳥とメリーナに対する彼女達の評価がこの世界の人間でも最大の物になった事は言うまでもない。

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