96話 雛鳥の罪
メリーナが唯一創り出したNPCである雛鳥の役目。それはダンジョンの最下層を守る事。それだけだった。
ギルドの者達が面白半分で迫って来た時も、メリーナの意志に従って自分の力が許す限り迫りくる敵を次々に屠った。
レベル100という最高ステータスの彼女が放つ魔法は、メリーナが現時点で保有していたメイン火力となるものばかりで生半可な中堅プレイヤーのそれより遥かに凶悪だった。
少なくとも死神と戦うより手間だと考えるギルメンは数多く、それを制作したメリーナに対する評価は雛鳥がギルメンを屠るたびに上がっていった。
しかしながら、メリーナは雛鳥を生み出して数日後、突如として姿を消した。
ギルドメンバーに何も言うことなく、それでいてNPCとの会話ログにも相手の返答を禁止する旨のプログラムを打ちこんで謝罪や懺悔の言葉を残していたことから、ほぼ全てのメンバーが引退したと考えた。
直後、メリーナに作られた雛鳥の解体という案が持ち上がった。
ボスモンスターという役目を終わらせ、その旨をメリーナの個人的な連絡先へと通達すれば、もうそれに縛られることなく再びプレイできるのではないかと考えたのだ。
しかしながら、それはギルドマスターの「どうせもう帰ってこない」という乾いた一言によって見送られた。
彼は日頃から強気な態度と、立場が上の自分に対して一向に敬語を使おうとしないメリーナの事を密かに嫌っており、引退したと決めつけると即刻ギルドから追放した。
無論アイテムボックス等はギルドから追放されてもデータ上でやりくりできるのであまり困らないのだが、それが引退したプレイヤーともなると話は別だ。
彼女がもしも次にログインする事があれば、何もない平原へとランダムに生まれ落ちてモンスターに蹂躙されるかなにかしてラグナロクで初心者が集まる街へと強制的に移動させられるだろう。
『おい、良かったのかよメリーナの奴を追放しちまって……。まだあいつが来なくなって1週間も経ってねぇぞ? 病気とかでこれねぇだけかもしれねぇじゃねぇか』
『病気だったとして、雛鳥相手にあんな愚痴吐くか? ありゃもうダメだろ。せめて有効活用させてもらおうぜ?』
サブギルドマスターの心配の言葉を受けてもなお、ギルドマスターである男はメリーナに行った仕打ちを間違っていないと言い張った。
不運だったのは、雛鳥がその会話を、データ上であろうとも目にしていた事だ。
無論ラグナロクが単なるゲームであり、NPCに本当の意味で命が宿る事が無ければ意味は無かったかもしれない。
マッハやケルヌンノスのように、以前から感情と呼べるものを心のうちに宿していた存在は別かもしれないが、雛鳥はこの世界に来るまでは単なるプログラムの集合体でしかなかった。
しかしかながら、ある日突然感情という物が己の中に芽生え、今までの辛かった記憶や楽しかった思い出、その他様々な物が……データとして蓄積していただけのはずの記憶が、全て頭に流れ込んで来た。
もちろん、一番強い奔流として感じられたのは創造主であるメリーナの記憶だ。
その記憶をなんとか忘れたくて、何かしら喚き、慌てているギルドマスターを数日無視しながらメリーナの部屋にある資料を全て読み返した。
そこには当然ながら彼女がアイテムを使ってラグナロク内の出来事を記した日記やヒナについて纏めた資料など様々な物があった。
そして、そこにある物を全て読み終えた時、雛鳥はある感情に襲われた。
(メリーナに会わなければ……。最低でも、メリーナが憧れていたヒナ様にコンタクトを取り、いち早くこの状況をお伝えしてご助力願わなければ……)
現実逃避である事は分かっている。
ヒナがこの世界に来ているとは限らないし、メリーナが再び自分の前に現れてくれる保証なんてどこにもない。むしろ、夢を砕くことになってしまった自分の姿を見たらひどく落胆してしまうかもしれない。
だが、例えそうなったとしても、もう一度面と向かって、今度は自分の言葉で、その目を見て、その体を抱きしめながら謝りたかった。
(メリーナ……。私は……私は必ず、あなたにもう一度……)
あの時は許されなかった、慰めるという行為。
それを、今度は自分の意志で、どれだけ止められようと、どれだけ忌避されようとやり遂げるつもりだった。
だから、最初に与えられた任務である『ダンジョンを破壊した侵入者を尾行して場所を突き止めろ』という指令は、彼女にとっても渡りに船だった。
ダンジョンのボスモンスターとして設定されている彼女は、ラグナロク上ではその設定を解かれない限り外に出る事は叶わなかった。
しかしながら、この世界ではそうではないと知れたのだ。少なくともギルドマスターに命じられたその時は、外の世界に出る事が出来た。
それに、外の世界がラグナロクの世界とまったく違う事を確認し、この世界はもしかすればヒナやメリーナが元から住んでいた世界なのではないか。そんな事を考えてしまうくらいには、衝撃を受けた。
しかし、自分が頭の中に入れている現代の文明レベルとまったく異なると分かった時にはその思いは無に帰した。
やはり、自分の想いは単なる現実逃避にすぎず、この世界にはヒナもメリーナも、あまつさえ他のプレイヤーらしき人物も来ていないのだろうか。そう絶望した。
だが――
「帰ってこない……」
侵入者を殺しに行くと苛立ちながら出て行ったギルドマスターが帰ってこない事に疑問を持った雛鳥は、これ幸いとダンジョンの全階層の防衛に口を出し始めた。
ギルドマスターを倒し、なおかつ同行して行った1000体近いモンスターを倒せる存在は、プレイヤー以外にいないだろう。
それも、腐っても上位ギルドの仲間入りをしていたギルドのマスターだ。単なる雑魚という訳では無いので、相手はかなりの手練れであることが予想される。
それがもしもヒナだったら……。そう考えると、最初の数日間は改めてダンジョンに来るかもしれないというワクワクと期待でろくに眠れなかった。
メリーナに与えられていたはずの世界最高レベルの頭脳もこの時はナリを顰めており、さらに数日経過してダンジョン内に侵入者が現れないと悟った雛鳥は、自分の愚かな考えを全て捨て去った。
何がメリーナに会うだ。
何がヒナ様に会うだ。
何が……。なにが、単なるNPC如きが、創造主に対して、慰めるだ……。
そんなの、ちゃんちゃらおかしいだけではないか。
皮肉にも、メリーナに与えられたダンジョンの守り人という使命が、その現実味の無い考えを一蹴する手助けをした。
そして、それから雛鳥は真面目にダンジョンを管理するようになった。
侵入者によって殺されてしまったブルーミノタウロスを蘇らせ、下層を守っているNPC達を適度に励ましつつも、いつか来るだろうあの侵入者を完璧に撃退する為に。
だがここでも、メリーナから譲り受けた低すぎる自己評価が邪魔をした。
彼女の心の中に、一筋の絶望という糸を垂らしたのだ。
『お前はもう、この世界にたった1人残された存在だ。世界からも見放され、一生をこの薄暗いダンジョンの中で過ごすのだ。それが、メリーナから全てを奪った者の、背負うべき罪だ』
その悪魔の一言は、恐らく彼女がもっとも聞きたくなかった言葉だった。
メリーナから夢を、希望を、そして生きる目的そのものを奪ってしまった自分の末路なんて、本当に一生孤独に生きていく事でしか償えないのではないか。本気で、そう思ってしまうほどに。
それを打ち破ってくれたのが、もう来ないだろうと諦めていた侵入者だった。
その時、雛鳥の心の中にはわずかにだが希望という光があった。
また、来てくれた。孤独じゃなくなった。自分をこの暗い世界から解き放ってくれるのか。そう、期待した。
「……」
だが、現実はそう甘くはない。
再びメリーナから与えられた性格が災いし、その侵入者たちは瞬く間にヒーローから侵入者という本来の立場……つまり、雛鳥から見た悪役へと変貌した。
身勝手ながら彼女達に希望を抱いていた雛鳥としては、家族同然のモンスター達を蹂躙される事以上の怒りがあったのかもしれない。
もちろん本人はそれに気付いておらず、自分が侵入者達に希望を見出し、ヒーローだと思ってしまった事など決して認めないだろうが……。
と、ここまでは、雛鳥がメリーナという孤独な少女に生み出され、その身に余るほどの自己嫌悪と、償う事の出来ない重荷を背負い、ヒナ達と相対するまでの簡単な経緯だ。
その小さな体に抱えた深く大きなどす黒い闇は、両親を亡くした頃のヒナと同じ類の物であり、必死に押し隠してはいるものの時々泣き叫びたくなるほどだった。
誰よりも大好きな人の全てを奪ってしまったという責任は、そう簡単に片づけられるものではない。
それも、赦しを与えてくれるだろう唯一の……いや、この世界でたった2人の少女が既にこの世界にいないと悟った瞬間に、彼女の闇はさらに深くなったのだ。
…………………
…………
……
「なんで……なんで私を、絶望させてくれないんだ……」
その少女のあまりに大きすぎる闇は、ヒナがメリーナの存在を口にした時点でパッと晴れた。そう、晴れたのだ。
例えるなら深い霧を大きく息を吸い込んでそのまま吹き飛ばしてしまうほどあっけなく、それでいてあまりにもスッキリと、晴れてしまった。それが、雛鳥は我慢ならなかった。
自分の罪を再認識するとともに、目の前の少女の正体に思い至り、捨てていたはずの愚かな希望が、夢が、叶うのではないか……。そう、思ってしまった。
NPCの分際で……彼女の全てを奪った分際で……彼女を……メリーナを慰めてあげることが出来るかもしれない……。そう、思ってしまったのだ。
「なんで……。なんで……私を、楽にしてくれないんだ……」
いつからか、雛鳥の瞳には大粒の涙が溢れていた。
ポロポロと地面に零れる雫を目にし、まず驚いたのは傍で顔を俯かせていた紅葉だ。
雛鳥が泣く姿なんて想像できず、さらには絶対的な強者だと思っていた彼女が、敵の前で跪いて嗚咽している姿なんて衝撃以外の何物でもなかった。
次に驚いたのは当然ながらヒナだ。
自分が泣かせてしまったのではないかと慌てふためき、防御魔法が発動しているドームの中で訳が分からないと肩を竦めている3人に視線をやり、どうすれば良いのかオロオロしてしまう。
そんな彼女達を無視するように、雛鳥は泣いた。泣き続けた。
ヒナが慌て、紅葉が咄嗟に慰めようと近寄ってきても、構わず泣いた。まるで子供のように、今まで心の内にため込んでいた闇や悩み、後悔や苦しみなんかの負の感情を全て吐き出すように、大声で泣いた。
「あぁぁぁぁ!」
どんな人間でも、希望を抱き、一度それを打ち砕かれる経験をすれば心が粉々に壊れてしまう物だ。
通常であれば、その壊れた心も時間をかける事によって元の形を取り戻し、やがて正常な物へとなっていく事だろう。
しかし、雛鳥の心はまだ完全に修復されていなかった。当然だ。ヒナがダンジョンに足を踏み入れ、彼女が希望を抱いてすぐさま打ち砕かれてから、まだたったの半日程度しか経過していないのだ。
そんな短期間で壊れてしまった心を元に戻せと言われても無理なように、雛鳥だって当然無理だった。
だが、メリーナに与えられた役目を果たさんとするその心が、無理やりに壊れた心を繋ぎとめた。
本来なら自然治癒で時間をかけゆっくりと直さなければならないところを、強引に太い糸でザブザブ縫って傷口を複合したのだ。
そして今、その複合が強引に引きちぎられ、再びその心が崩壊した。
今度は先程よりももっとバラバラに、そして粉々に打ち砕かれ、もう元に戻る事は無いのではないかと心配になるほどぐちゃぐちゃにかき回される。
もしも今雛鳥を救えるとすれば、それは彼女の心を壊す一番の原因となった少女が、彼女に赦しを与える事だろう。
彼女のその小さな体を優しく抱きしめ、雛鳥がやろうとしていたようにその背中を優しく擦りながら赦しの言葉を口にする。それだけで、彼女の心は完全とまではいかなくとも、多少は救われるはずだ。
「…………」
だが、世界は雛鳥に対して優しくなかった。
彼女を唯一救える人物は、この場にいなかった。いるはずも無かった。
それを代弁できそうなヒナはただただその場に立ち尽くし、雛鳥の泣きたくなるような号哭を聞いているだけだった。
聞いているだけしか、出来なかった。




