92話 魔王の断罪
「わ、私をお創りになったのはソルティーナ様……です」
どれだけNPCの忠誠心が厚かろうとも、魔王とまで呼ばれた少女の本気の怒号と殺意に晒されれば長くは持たない。
一回の高校生に過ぎなかったヒナがなぜそこまで怒れるのか。それは本人にすら分からない事だったが、ソルティーナという名前には当然聞き覚えが無かった。
当然だ。それは、このギルドの有力なプレイヤーのサブアカウントでしかなく、そのレベルは紅葉と同じで80前後。そんなプレイヤーがランキングに乗れるはずがない。
(ギルドをダンジョン風にカスタムしてたのはどこだ……。そいつらはまだここにいる……? いや、仮にも神を置いてるんだからここは上位ギルドかそれに近いギルドのはず。なら、この世界には来てないと思った方が良い……?)
そこまで考え、ヒナは数週間前に自分が初めて奪った命の事を思い出した。
今思えば、あの時大量にモンスターを連れていたプレイヤーはマッハと一戦交えた後に神の槍で跡形もなく消し飛んだ。
だが、今重要なのはそこではなく、そのプレイヤーが率いてきたモンスター達だ。
あの時はただひたすら怯えていたので記憶にはうっすらとしか残っていない。
しかし、ワラベに会いに行った時にそこら中に転がっていた死骸の事は当然頭に入っている。
ブラックベアが、見る限り300体以上。その亜種……というか色違いのモンスターが200体程度。そして、ホワイトタイガーが目に見える範囲で400体前後と言ったところだ。
無論その亜種も含めればまだ増えるだろうが、1000体以上は来ていたことは明らかだろう。
それらは、今のところ全てこのダンジョン内に出て来たモンスターだし、ダンジョンに自動的に湧くモンスタ―は、ボスモンスターと違って外に連れ出す事だって可能だったはずだ。
その代わりダンジョンに存在できるモンスターの数には上限があるので、外に連れ出してダンジョン内が再びモンスターで埋め尽くされてから戻ってくる……みたいな事をしても無駄なはず。
この世界でそういったダンジョンの設定が生きているかどうかはともかく、それが効力を発揮していないとすれば、あのプレイヤーはあんな有象無象よりも神を連れてくれば良かっただけだ。
仮に、神はアイテムで召喚しているので牙を向かれる可能性があったとしても、今目の前にいる少女を連れ出せばそれだけでも十分な戦力になった事だろう。
少なくとも、あの場に無数にいたモンスターなんかよりもここにいる少女の方が何倍も強いし、実質魔力が無くなれば役に立たなくなる魔法使いと違って、槍使いはそのHPが残っている限り、ほぼ完璧なパフォーマンスが出来る。
つまり、この子を連れて行かなかったのは未だにボスモンスターは外に出られないという設定が生きているか、それともあのプレイヤーがNPCを単なる道具としてしか見ておらず、その性能すら信用していなかったという事だ。
「自分達の道楽に巻き込むだけじゃなく、その命を玩具としてしか見てない……。性能すら信用せず、ただ死ぬためだけに生み出したなんて……許せない……」
少女を掴む手に込めた力を若干緩めつつも、未来視のスキルを発動させて数秒後の未来を常時見ておく。こうする事で不意打ちは喰らわないし、同じパーティーと認識されているらしいマッハ達も不意打ちを喰らう事は無い。
無理だとは思うが、目の前の少女がケルヌンノスの拘束を解いて襲い掛かって来たとしても、彼女を傷付けずに無力化する事は容易い。
「…………はぁ。でも、そうよね……許せないとかすごんでも、そいつもうこの世にいないもんね……」
自分に言い聞かせるようにはぁと深いため息を吐くと、ヒナは未だに心の奥底からワラワラと湧き出てくる怒りをなんとか抑える。
家族に対する執着が強いのは自分の個人的な感情だし、NPCに関しても多くのプレイヤーが家族としてではなく観賞用だのペットだの、そんな扱いをしている事は分かっていた。
それが今まさに現実のものとなって目の前に突き出されたとしても、なにも怒る事ではない。
実際、ラグナロクをプレイしていた時は「もったいないなぁ」くらいの、淡泊な感想しか湧いてこなかったのだから。
もちろん、NPCを遊び半分でダンジョンに配置して何度も何度も蹂躙し、無駄にその命を散らすという行為そのものには吐き気を催すし、今そんなことを考えた存在が目の前に居れば迷わず神の槍を放ってその存在を無かったものにするだろう。
しかし、そうだと思われるプレイヤーは既にこの世にいない。そいつはマッハに手を挙げた事で自分が即座にあの世に送った。それを忘れてはならない。
怒りを覚えるのは自由だが、それをぶつける対象は目の前の何も知らないのだろう少女でも、マシて自分の家族でもない。
なら、この怒りは自分の胸の内に秘めておくことこそが正解なのであって、表に出して良い類の怒りでは無い。これで怒るのは……そう、子供のワガママと同じだ。
(ダメ……。私はま~ちゃん達の保護者なんだから……。もっと毅然として、ちゃんとしないと……)
なにより、今の自分の様子を見ているはずの3人はどう思うだろうか。
マッハが怒った時のようになにがなんだか分からず混乱しているのか。
それとも自分と同じで、そんなの酷いと怒ってくれるのだろうか。
それとも……マッハが心配していたように、自分の事を怖がっているのだろうか。そして、その挙句に離れて行ってしまうのだろうか……。
(あぁ……そういうことか……。確かに、怖いなぁ……)
自分がマッハ達に見捨てられて1人で生きていく事になる。また、あの何の目的も無い人生に戻ってしまう。
ゲームが終了したら、後は死ぬだけだった、あの寂しくて辛い人生に、戻ってしまう。
そう考えたら、さっき濁流のように襲い掛かって来た怒りや憎悪なんかよりも遥かに多くの悲しみと絶望が襲い掛かってくる。
せっかく家族に温かく接してもらえる環境を貰えたというのに、それを自分のせいで手離してしまうなんて愚かとしか言いようがない。
マッハ達が自分を見捨てるなんてことはあまり考えられないが、それでも絶対ではない。
彼女達だって元はヒナの性格が元になっているんだから、怖いと思えば……相手が、自分に害をなす存在だと分かれば、その元を離れる可能性だって十分ある。
最悪の場合は、その害となる存在を攻撃しようとすらするはずだ。
もしも彼女達に刃を向けられることになれば、ヒナは大した抵抗もせずにその命を散らすだろう。
「ごめん……みんな。ちょっと、冷静じゃなかった……」
苦笑しながら小さく頭を下げたヒナは、彼女達がいつものように笑ってくれることを期待した。
まったく、しょうがない。そんな、マッハのいつもの言葉を期待した。
ヒナねぇは正しい。そんな、ケルヌンノスのいつもの肯定を期待した。
なにかあったの? そんな、イシュタルの事態を把握しようとする言葉を期待した。
しかし、現実はヒナが思ったほど単純でもなく、優しくも無かった。
「ヒナねぇって怒るとあんななんだな……」
「二度目だけど……前より怖かった……」
「ヒナねぇが怒ると怖いっていうのは、ほんとだった……」
三者三様の、驚きと怯えの入り混じった複雑な表情を浮かべながら、そう言われた。
その言葉は、ヒナの心にさらに絶望という色を垂らし、一瞬だけラグナロクがサービス終了するという旨の運営からのお知らせを見た時の光景が蘇る。
あの時は、人生の全てを賭けたゲームのサービス終了なんて信じられず、デマだと疑った。
きっと公式のSNSが何者かに乗っ取られ、そいつが趣味の悪い冗談でも投稿しているのだろう。本当に、そう思った。
しかし、そのニュースは瞬く間に広がり、数時間後には公式生放送で説明があった。
イギリス人かなにかの不健康そうなディレクターがお礼の言葉を口にし、改めてサービス終了の告知をした事で、ヒナの中にあった核のような物は一度粉々に破壊された。
その日、ヒナの家には数時間事件性のある絶叫と物音が響き渡り、近所の人が警察を呼ぶ事態にまで発展した。
大丈夫ですかと玄関先から聞こえてくる警官の声と、うるさいくらいチャイムを連打する音が煩わしくてさらに絶叫し、髪をブチブチ引き抜きながら家の中を暴れまわったほどだ。
結局ただ事ではないと勘違いした警察が玄関の扉をぶち破って突入し、自室で狂い叫んでいるヒナを見て呆れていたというのは置いておいても、そんなヒナの狂人っぷりを見て1日だけ警察のお世話になった。
その時の絶望を表現する言葉なんて、きっとこの世には存在していないだろう。
厳重注意という形で翌日家に戻されたヒナは、とりあえずシャワーを浴びてラグナロク関係のネット記事を片っ端から漁った。
まだ何かの間違いで、数か月遅れのエイプリルフールであることを祈っていたのだ。
しかし、そんな小さな少女の願いを嘲笑うかのように、どこもかしこもニュースサイトはラグナロクのサービス終了と、同じ会社が出しているアポカリプスという名のゲームについての記事が無数に並んでいた。
その時、ヒナはゲームから……いや、世界から拒絶されたような気分になったのだ。お前は、もういらないと。
「ヒナねぇ、怖い……。近付かないで……」
「マッハねぇに同意……。そんな怖いヒナねぇ、やだ……」
「……ごめんヒナねぇ。私も、怖い……」
そんな幻聴が聞こえ、思わずバッと顔を上げて3人の顔を凝視する。
そこには若干の怯えこそあれど、自分を突き放すような言葉を投げかけてくるような様子はない。どころか、必要以上に怯えている自分を心配するような優しい眼差しすら向けてきてくれている。
あの、死ぬしかなかった人生に戻りたくはない。
こんな……こんな、4人で暮らす事の幸せを……家族で暮らせる幸せを感じてしまった以上、彼女達に突き放されれば、見放されれば、今度こそ狂ってしまう。
ゲームのサービス終了が告知されて半狂乱になったように……いや、そんな生易しい物じゃない。周囲を全て破壊しつくしてしまうような狂乱状態に陥ってしまう気がした。
もう一度世界に……大切な何かに裏切られたら、自分はもう立ち直れない。そんな確信があった。
自分の事は自分が一番よく分かっている。
自死を選ぶ覚悟はあっても、最後に自分を裏切った世界を……自分を必要としてくれなかった世界をぶち壊しにする。その力があれば、絶対にそれをやってから死ぬだろう。
あの時はただの高校生だったけれど、今は魔王とまで呼ばれた力をその身に宿している。ソロモンの魔導書があれば、世界を壊す事なんて造作もない。
いや、そうじゃない。そんな、物騒な事なんて考えなくて良い。
実際に、今裏切られたという訳では無い。マッハ達は、まだこうして自分の傍にいてくれる。いてくれているじゃないか。
ならここでやるべきは、終わる事の無い自己嫌悪でもなければぶつける相手のいない怒りを無尽蔵に溜め続ける事でもない。
「ごめんね、怖がらせて。もう、大丈夫」
ニコッと笑い、もう一度謝罪を口にした。
ここでやるべきことは、彼女達を怖がらせたことを謝り、今後同じような過ちを繰り返さぬよう努力する事だ。
正直、家族関係だとどうしても我を忘れてしまうが、今後は特に気を付け、あくまで態度に出さぬようにすれば良いのだ。
怒りを溜めるのは自由だが、それを態度に出さなければ誰も不幸になる事は無いのだから。
上手く笑えているかは分からない。
これで彼女達が許してくれるかも分からない。
それでも、謝る以外の選択肢はヒナに存在していなかった。
悪いことをしたら謝る。
やってはいけない事をしてしまったら謝る。こんなのは当然だ。
模範となるべき立場の自分が、誰よりも最初に怒ったらダメだ。そう、もう一度自分に戒める。
そんなヒナの内心の葛藤や後悔を知る由もないマッハ達3人は、突然謝罪を口にしたヒナに怪訝そうな顔を向け、一度全員で顔を見合わせる。
彼女の行動の意味が分からず、全員が全員「なにか悪いことした?」という顔を向ける。
だが、彼女達にとってはヒナが絶対であり、普段誰よりも温厚で優しいヒナが怒る理由はたった一つしか考えられない。それは、家族の……自分達の事以外では、ありえない。
自分達に危害が加えられたわけではないので間接的に関わっているのだろうな。という事は推測できても、それはヒナが優しいという結論に帰結する。
結局、ヒナの怒る姿は珍しいからこそ怯えるだけで、本質的にはそこまで問題にはしていない。普段から喧嘩っぱやいマッハが怒る時とは、理由も状況もまったく異なるのだ。
これこそが、本当の意味での『日頃の行い』という奴だろう。
だから、彼女達は口にした。出来るだけヒナを安心させられるよう、満面の笑みを浮かべて。
「『気にしないで!』」
ここで口にするべきは同情でも状況を確認する言葉でもない。赦しの言葉だ。
その戒めに対して……ヒナの、自分を断罪する厳しい言葉に対しての赦しだ。
彼女に今もっとも必要なのは、その言葉だ。
そして、その気持ちが伝わったのだろう。ヒナも、今度は本当の意味で笑顔を浮かべ、大きく頷いた。
「ありがとう!」
弾けるようなその笑顔に、もう迷いや怒りといった感情は、一切なかった。