90話 魔王に憧れた少女と創られた魔王
ギルドランキング第78位『真昼の夜』で主戦力として活躍していたメリーナというプレイヤーは、自室の2枚並べられたモニターに表示されているほとんど同じ画面を凝視しながらうーんと考え込んでいた。
自分から向かって右側の画面にはメインアカウントである個人ランキング23位の位置をなんとか死守しているメリーナの姿が、左側の画面にはサブアカウントであるレベル80後半のソルティーナの姿が表示されていた。
つい先日初めてギルドランキングが上位ギルドのそれに到達したことで飲み会が開かれたらしいが、自分はその場に参加していない。そうなれば、自分が単なる女子中学生である事がバレてしまうというのもそうなのだが、何よりギルド内で偉そうに振る舞っていたので本来の姿を見られたくなかったのだ。
そして今現在、そんな彼女の普段からのロールプレイとも呼ぶべき言動が原因で窮地に追いやられていた。
ギルド本部の最下層に設置する最強のNPCを作ってくれとギルドマスターから依頼されたのだ。
それ自体は別に構わなかったのだが、サブアカウントの方では既に第4階層と第5階層にNPCを配置しているので空きが無い。かと言ってメインアカウントの方でNPCを作るとなると、必然的に自分が持っているスキルや魔法を譲渡しなければならない。
そんなこと、自分の身を削る行為に等しいので未だにメインアカウントではNPCの作成に踏み切った事は無かった。
「どうしよう……。NPCの作り方なんて分かんないよ……。サブ垢みたいにじっくり進めてる訳じゃないからスキルも魔法も本当に必要な物しか持ってないのに……」
彼女は、上位プレイヤーのそれらがほとんど圧倒的な資金力に物を言わせてランキングに食い込んでいるのに対して、圧倒的なガチャ運と目標にするべき存在の完璧な模倣をすることによってここまで辿り着いていた。
その為、その模倣先の人物が所持している魔法やスキルなんかの構成からは極力いじりたくなかったし、そのせいでランキングから転落してしまうのではないかと不安だったのだ。
「ヒナさん……。ボクはどうしたら……」
ゲーム内チャットには、何度も接触を図ろうとして取りやめた憧れの存在であるヒナとの空欄のチャット欄が表示されている。
こういう時、たとえ話しかけても彼女が対応してくれる可能性がほぼ0に近い事は知っている。
しかし、彼女は現段階でこの問題に対する回答を持ち合わせていなかったのだ。
チャット欄に相談内容を打ち込んでは消し、打ち込んでは消すのを繰り返し、まるで好きな人にメッセージを送る時のような葛藤を感じていると、ギルドマスターから催促のチャットが飛んでくる。
いや、催促というよりは進捗確認と言った方が良いだろう。要は、早くその最強NPCと戦いたいという声が相次いでいるので、出来たら早めに声をかけてくれというものだったのだ。
それも、彼女からすればふざけるなと言いたい物だったのだが、舐められない為に始めたロールプレイが邪魔をして、気取りながら「任せておいて」というチャットを返す羽目になる。
それから数分考え抜いた彼女は、結局魔王に頼ることなく、現時点で考えうる限り最強のNPCを作成した。なぜそれに踏み切る事が出来たのか。それは――
(ヒナさんもボクと同じでNPC作成してるし、ちょっとくらいなら問題ないって事だよね……?)
メリーナがNPC作成に前向きになれたのは、彼女がフィールド上でマッハやケルヌンノスを連れてとんでもない強さでモンスターを蹂躙しているという報告を目にしたからだ。
そのNPC“2人”の所持しているスキルや魔法の類に関しては当然情報が出ていなかったが、憧れの人がそうしているのであれば自分だってやっても問題ないだろう。そう思ったのだ。
しかし、悲しいかな。ヒナがマッハに与えていたスキルは、手に入れたは良いものの、自分では絶対に使う事の無い肉弾戦関係のスキル全般だ。
そしてケルヌンノスに与えたスキルは、魔力消費をもっと効率的に行うために範囲攻撃の魔法やスキル等だけだ。
分かりやすく言えば、役に立つ魔法やスキルなんかは変わらず手元に残しているヒナと比べ、その手のスキルもあらかた手離してNPCに託した彼女の間には、元からあった膨大な差以上の、明確な差が出来てしまったという訳だ。
NPCがそこまで強い役割を与えられず、あくまでプレイヤーのペットや癒しの道具、もしくは彼らのように賑やかし要員として用いられる事が多かった理由が、これで分かったはずだ。
NPC作成には、本来それ相応のリスクを伴う。誰だって、自分を弱くしてまで徹底的に育てなければ強くならないNPCを作ろうとは思わない。
メリーナはこの一件以降……いや、自らの犯した過ちに気付いたその瞬間、NPCの作成を今後やらないと心に誓い、今まで以上に魔王の模倣をすることを決意した。
しかし、一度開いてしまった致命的な差は埋める事が出来ず、かといって最下層を守っている最強のNPCを解体してスキルや魔法を取り戻すわけにもいかなかったので、全てを諦めてゲームを辞めてしまった。
彼女によって作成されたNPCの名は『雛鳥』という名の少女だった。
名前の元になったのはもちろん彼女自身が崇拝と言っても良いほど尊敬しているヒナであり、鳥は不遜ながらも自身の本名から取ったのだ。
その見た目は麗しい女性。
ヒナがアバターの性別と同じく女性だったらこんな麗しくもどこか儚げで美しい女性なのだろうとある種の希望を込めて作成したNPCだった。
性格は強気で勝気。
ヒナと話したことは無かったので、その圧倒的な実力を持っている人ならこれくらい強気なんだろうなという想像と、それでいて寂しさを全身から醸し出す不思議なオーラを纏っているという設定モリモリなキャラだ。
彼女は後に小説家として一世を風靡するのだが、この時にその片鱗が見えていたと言っても過言ではない。
「あなたの名前は雛鳥だ。その名に相応しく、その力をあらゆる者達に示してくれ」
「了解ですメリーナ。あなたの期待に、必ずや応えて見せましょう」
それが、雛鳥とメリーナが交わした、最初で最後の会話だった。
………………
…………
……
「そんな……バカな」
ダンジョンの最下層、全フロアの様子が見える監視室にここ数時間詰めていた雛鳥は、自らの人生で初めて絶句した。
目の前の大画面のモニターでは第3層の光景が映し出されており、そこに配置された最強のモンスターであるヒュプノスが、たった4人の侵入者に倒される瞬間がリアルタイムで送られてきていた。
自分でさえ1人で倒す事は不可能……いや、創造主でありこのギルドの主戦力だったメリーナでさえ、あのモンスターを1人で倒すのは絶対に無理だ。
同じく主戦力と呼ばれていた他数人と協力すればもちろんなんとかなるだろうが、彼女達はあろうことか10分もかからずに神を討伐してのけたのだ。これは、異常事態と言う他にない。
雛鳥はその麗しくも憂いを帯びた美しい顔を歪めつつ、創造主に与えられた紅葉色の着物をバッと煩わしそうに払いながら思案する。
この全7階層に及ぶダンジョンでは、自身が守護する最下層に続いて戦闘力の高いボスが配置されている第3階層。
その防衛を物の数分で突破したのならば、ここに来るのだって時間の問題だ。そして、その時自分が勝てるかと言われると――
「今のままでは厳しい……」
メリーナが与えた世界最高レベルの頭脳が瞬時にその答えを導き出す。
それと同時に、あの侵入者達をどうすれば追い返す、もしくは倒す事が出来るのか。そのプランも瞬時に浮かび、その案に移行する為の準備を整えるためにギルドメンバーしか利用する事の出来ない直通エレベーターを使用してすぐさま第4階層へ移動する。
すると、そこには自身と同じ……と言って良いのかどうかは分からないが、創造主のサブアカが創り出した「紅葉」という名のNPCが待機していた。
彼女は狐のお面を被って顔を隠し、袴のような白い装束を着込んだ見た目18歳ほどの少女であり、手に槍を持っていることから分かるように、槍使いだ。だが、レベルは80後半とそこまで強い訳では無い。
紅葉はダンジョンの管理者であり、唯一残っていたギルドマスターが帰って来なくなってからこのダンジョンの全てを取り仕切っている雛鳥の姿を確認すると怯えたようにペコリとお辞儀した。
しかし、雛鳥は「気負わずとも良い」と口にし、すぐさま彼女に頭を上げるよう言った。
「何か御用でしょうか?」
「実は、先日と同じ侵入者が先程3層のボスを突破しました。間もなくこの階層にも姿を現すでしょう」
「なっ! ほ、ほんとですか!?」
無論、このダンジョンに足を踏み入れ、なおかつ第一層を修復不可能なほど破壊して去っていった侵入者の事はNPC間でも共有されている。
その圧倒的な強さと、侵入者に怒り狂ったギルドマスターが報復に行った物の数日姿を見せないことまで……。
しかしながら、紅葉もまさか神を倒しうるほどとは思っていなかったようで、仮面越しからでも分かるほど分かりやすく動揺した。
その姿が滑稽だったのか、雛鳥が鼻で笑うと怯えたように「申し訳ありません!」と頭を下げる。
「……別にあなたを愚弄したのではありません。ですが、私は今からあなたに残酷な事を言います、心して聞いてください」
雛鳥の真剣な表情に何かを感じ取ったのだろう。紅葉は手元に握っている槍をギュッと力強く抱きしめ、小さくコクリと頷く。
その姿に満足げに微笑むと、雛鳥は自分がその侵入者と戦う時に少しでも消耗させておいた方が勝率が高くなるので、可能な限り魔力を減らしてほしいと頼む。それこそ、命を懸けて……。
「つまり、私に死ねと仰いたいのですね……?」
「すみません。奴らを片付けた際には蘇生させることを約束するので、どうか許してください」
自分の実力不足……いや、この場合相手が悪すぎるという事に対して謝罪を口にするが、それはかえって紅葉の焦りを生んだ。
自分達は何度も何度もギルドのメンバーに面白半分……いや、遊びという名目で殺害され、その度に蘇生を繰り返された身だ。
既に使い捨てにされる事など慣れているのだから、そんな事でいちいち気負う必要はない。むしろ、使い捨てにしてくれと言いたいほどだった。
しかしながら、メリーナが「ヒナさんは絶対に優しいはず!」という思いの元造り上げた雛鳥の性格は、NPCであろうがなんだろうが、使い捨てのような使い方をすることに激しい抵抗を感じていた。
それでも迷わず策を実行したのは、あくまでメリーナによってそう創られたからだ。
どんなに厳しい状況下でも即座に解決策を導き出す天才であり、どんなに非情な事でも平然とやってのける氷の心と、慈愛に満ちた優しい心を併せ持つ……と、まるで正反対の感情を与えられたのが雛鳥だった。
「私の召喚魔法で死神をこの場に待機させておきますので上手く使ってください。それと、相手はメリーナと同じく上位プレイヤーである可能性があります。いや、十中八九その手の者でしょう。ですので、出来るようなら情報を引き出してください。その様子はモニターして下の階層の者達にも共有します。あなたの死は、決して無駄にはなりません」
「どうか、そこまで悲痛なお顔をなさらないでください。無駄な死は数えきれないほど経験してきました。我らは死ぬために生み出されたのです。この命にはその程度の価値しかないのも同義。なら、死ぬことに意味を見出せるほどの幸福はありません」
ふふっと仮面越しに笑った紅葉は、それでも「申し訳ありません」と口にする雛鳥にどうしていいか分からずアタフタしてしまう。が、やがて紅葉が困っている事を悟った雛鳥が自主的にその場を立ち去った事でなんとか事なきを得た。
再び監視室へと戻って来た雛鳥は、侵入者がなぜかしりとりをしながら第4層をのんきに歩いている様に静かなる怒りを覚えていた。
彼女にとって、ダンジョンに出現するホワイトタイガーやブラックベア、レッドベアなどのモンスターも大切な存在だった。紅葉同様、見殺しにするのは己の身を引き裂かれるほど辛い事だったのだ。
しかし、そんな存在を見向きもしないで即死魔法でサクッと殺しつつ、しりとりなどという緊張感の欠片も無いやり取りをする一行には苛立ちを覚えざるを得ない。
見た目が幼女と自分と変わらない少女にしか見えないのがさらにその苛立ちを加速させ、武器や装備も綺麗に全てカスタムされているので見た目からその性能を分析できないのも歯がゆい。
(唯一判断可能と思われるのはヒュプノスとの戦いデータだけだけど……)
マッハねぇと呼ばれている刀を持つ少女が、ヒュプノスからの攻撃をもろに食らっておきながらそこまでHPを消失した様子が無い事。そして、その事に悔しそうに顔を歪めている様子くらいしか確認できない。
魔法の威力が自分の数十倍というアホらしい火力を誇る少女の魔法使いは誰でも手に入るような魔法しか使っていないのに冷静沈着な姿を常に見せており、相当な手練れであることが分かる。
ついでに刀を持った少女が背負っている巨大なリュックの中に無数のアイテムが収められているのも確認済みだ。
正直、あれらを使われるだけで勝機はかなり薄くなってしまうのだが……そんなことを嘆いても、相手がアイテムの使用を止めてくれるわけではない。
「メリーナ……私は、あなたの期待には、必ずや応えて見せます。あの日、そう誓ったのですから……」
あの数日後から急に姿を見せなくなってしまった創造主を脳裏に思い浮かべつつ、雛鳥は静かに言った。
その、どこか寂しさを帯びた静かな声が広い監視室の中でこだました。




