9話 帰還
冒険者ギルドを後にした4人は、目を覚ましてまだ眠そうにう~と唸っているケルヌンノスも含め、全員で街を見ていく事にした。
見た事の無い食材や料理、文字の読めない看板や、道端で大の字に寝転がってぐーすかいびきをかいている者。その全部が新鮮で、何もかもがアールヴヘイムとは違っている事に僅かながら動揺する。
もちろんそれは街に入った時から分かっていた事ではあったけれど、改めてその街並みを見ると完全に別の世界に来てしまったのだという実感が湧いてきてしまう。
街の建物や家々は冒険者ギルドのそれと同じように木材を中心に造られており、ケルヌンノスが魔法を放てばどれも容易く崩壊しそうな物という点だけは気になるが、基本的には立派な物ばかりだった。これだけで、この国が金には困らず割と裕福な暮らしが出来ているのだろう事は予想出来る。
道端で暢気に寝ていられるのも約1キロメートルの間に等間隔に設置されている衛士の詰め所があるからだろう。
彼らは銅の鎧を着こんで槍を手にしたひ弱そうな男達ばかりだが、見た目だけでも見張っているという効果は大きいらしく、犯罪らしい犯罪はまだ目にしていなかった。
「それにしても、あのワラベって人強そうだったなぁ~。一つ一つの動きに無駄がないって言うかさぁ~」
街並みを呆けながら会話もなく歩いていたせいか、無言の時間が嫌いなマッハが無理やりにでも話をしようと口を開いた。
その言葉に隣を歩いていたイシュタルは魚を干した物を売っている露店を見つめつつ「そうかな?」と首を傾げた。
確かにワラベというギルドマスターは強いだろう。ただそれは、酒場にいた連中や2階の掲示板の前でたむろしていた連中より……という括りであって、彼女達からすればどちらも容易く勝てるだろう存在である事に違い無かったからだ。
「ていうか、私おかしいってすっごい言われたんだけど……。なんで……?」
「そりゃ、ヒナねぇが私らの中で一番強いからだろ~? 専用の装備とかアイテムが無いと使えないのに、そんなことお構いなしに手当たり次第スキルとか魔法を集めまくってたからな~。魔力量もさ、どうなってんだってくらい多いじゃん」
「そ、それはその……楽しかったんだもん……」
気まずそうに俯きながらそう言うと、マッハもニコッと笑って「それはそうだな~」と首肯する。
ヒナとの冒険の年月が一番長いのは3人の中で最初に作られたマッハだ。中でも、2人でイベントのボスモンスターを何度も倒した時の想い出は彼女にとってとても特別な物だ。
それはイシュタルやケルヌンノスも同じらしく、コクコクと頷くと各々自分が一番楽しかったボスモンスター攻略を脳裏に思い浮かべる。
「ヘル攻略が一番楽しかった……。あんなに手ごたえのあった敵は初めて。定期的に挑みたくなる」
「……オーディン討伐は、とても刺激的だった。戦闘不能になった経験はあれきり。今度は、上手くやる」
「イベント限定じゃなくとも、もうあいつらに挑みに行けないってのは、ちょっと悲しいな~」
頭の後ろで手を組みながら、どこか寂しそうな笑みを浮かべるマッハ。それは、ヒナも含めて全員の心の内を代弁した物だろう。
イシュタルやケルヌンノスは単純に、もう手ごたえのある相手と戦えないかもしれないという失望と喪失感が、ヒナはあの楽しかった時間が二度と返ってくることは無いという寂しさがその心を少しだけ黒く染める。
まぁ、ヒナに関しては1人で全ての事をやっていたあの頃より家族が傍にいてくれる今の方がずっと楽しいと言えば楽しいのだが……。
「なぁ~、そう言えば古ドラゴンと同じくらいって言われた時どう思った? 正直、こっちのドラゴンがどの程度強いのか分からないけど、そう強くないだろ?」
「……ドラゴンは翼さえ落とせばそこまで脅威じゃない。ブレスが属性攻撃判定で大抵の防御を貫通してくるのが面倒だけど、それだけ。HPが無駄に多いだけの愚物」
「私はその話を聞いてない……。でも、ドラゴンが弱いって言うのは同意。神々の方が圧倒的に強かった」
「あいつらと比べんのはいくらドラゴンでも可哀想だろ~。あいつら、ヒナねぇとタメ張れる時点でだいぶおかしいんだから」
いや、そもそも10人や20人規模のパーティーで挑むようなボスモンスターと1対1で挑んで実力がトントンだったヒナの方がだいぶおかしいのだが、彼女達はそこら辺の情報を知らない。
ただ、ヒナがゲーム内のランキングで常に首位を取り続け、魔王と呼ばれているという事は本人の愚痴から聞いていたので知識があるのだ。
ついでに言うと、彼女達がヒナの装備や実力、所持しているスキルや使える魔法のあらかたを把握しているのもAIとしての知識ではなく、ヒナ自身が彼女達に話していたからだ。
正確には、話すというよりもスキルを手に入れるためにどうすれば良いのか。今度のボス戦ではどう立ち回ろうかなど、事細かに彼女達との会話チャットで作戦を立てていたからだ。
1000を超える魔法の効果や消費する魔力に加え、全てのスキル、武器や防具の情報を記憶しているヒナもヒナなのだが、ヒナの事になるとその全てのリソースを注ぎ込んでまで覚えていたイシュタル達も中々おかしい事がよく分かるだろう。
「ねぇねぇ、私さ、早く家に戻りたいんだ……。食材買ったら、もう帰らない?」
「……まだ日は高い。多分、お昼の2時か3時くらい。もう少し街を見てからでも遅くないと思うけど……帰るの?」
「……私は、賛成。ヒナねぇが帰りたいのなら、私も帰りたい」
ヒナの服の袖をギュッと摘まみながらそう言ったケルヌンノスは、まだワラベへの怒りが収まっていないのか、サッサと帰らないとヒナに迷惑をかけそうで内心怯えていた。
別に本当に帰りたいという訳では無い。今回街に来たのは観光目的ではなく、ヒナの将来を考え、その選択肢を増やす為だ。今後どうして行くのか、その指針を決める為に情報収集に来たのだ。
ただ、彼女もヒナと同様、人と関わる事はあまり得意では無かった。
「ここは、人が多すぎる……。酔うとかそういう問題じゃなく……不愉快」
「……そっか、けるねぇはどっちかって言えば魔人じゃなくてアンデッド寄りだもんね」
「あ~、なるほどな。確かに、ヒナねぇ以外の人間はあんま得意じゃないか」
腕を組みながらコクコクと頷くマッハに、ケルヌンノスは申し訳なさそうにうんと頷いた。
ケルヌンノスはゴーストの上位種だ。始祖の悪魔であるイシュタルと、純粋な鬼族であるマッハと違い、彼女はどちらかと言えばアンデッドの類であり、生者――特に人間――を種族的にあまり好まない傾向にある。
もちろん己の創造主であり姉でもあるヒナの事は言わずもがな大好きなのだが、それ以外の人間種はそもそもがあまり好ましく思っていなかった。
ただ、街で殺しを行うのはヒナにとって好ましくない事は理解しているし、迷惑になるだろう事も理解している。なので、なるべく抑えようと努力しているのだ。
冒険者ギルドの酒場で絡まれた時やワラベに殺意を向けた時も、殺す気ではあったものの周囲には自分達が殺したと分からなければ問題ないだろうという思いが少なからずあった。
事実、彼女のスキルであれば普通の人間には目視できない。なので、ヒナ達が疑われる事はあっても確証がないせいで恐れられるだけに留まるだろうという打算的な側面もあった。
「それにさぁ……私、けるちゃんの料理が早く食べたい~」
「……」
「……ヒナねぇの意見は一理ある。この街に来て食べた物は全部酷い物だった。けるねぇの作るご飯で口直ししたい思いはある」
「うわぁ、それ賛成! そうと決まったら食材だけ買ってちゃっちゃと帰ろう~」
全員がケルヌンノスに期待の眼差しを向けると、彼女は照れたように頬を染めて俯くとコクリと頷いた。
それから、市場で食材を買うと荷物持ちはどうせ自分になるからと言い出したマッハが、荷物持ちになるまでの間ヒナの隣を独占する。
冒険者ギルドに居た時からヒナの隣にいたケルヌンノスは少しだけ惜しそうにヒナを見つめるが、確かに自分だけがヒナの隣を独占するのも良くないと言い聞かせて我慢する。
「……そう言えば、ラグナロク金貨は使えるの?」
「あ、けるねぇはあの時寝てたね……。使えなかったけど、ラグナロク金貨1枚であのマズイ串焼きが100本買えるくらいの価値にはなるらしい」
少しだけ自慢げにそう言うイシュタルに、ケルヌンノスは分かりやすくその顔を歪める。
「全然嬉しくない。料理の仕方が雑だったせいだと思いたい」
「向こうで出された焼き菓子も結構酷かったからなぁ~。あんまり期待すると痛い目見るかもだぞ~?」
「じゃあ、もうそのまま帰っても同じな気がしてきた。どうせ、家には有り余るほど食材がある」
「まぁまぁ~。私らもこの土地の食べ物がどんなものなのか気になるんだよ~」
ニヤつきながらそう言うマッハは、さりげなくヒナの左手を握ると久しぶりに彼女を独占出来ると心の中で歓声を上げる。
普段は姉という立場があるので少しだけ遠慮しているが、マッハ自身もヒナの事は2人に負けない程大好きなのだ。本当は2人と同じかそれ以上その隣にいたいが、普段は必死でその感情を押し殺しているだけだ。
「けるちゃんの料理、楽しみだね~」
「……ハードル上げないで。食材そのものがダメだった場合は、いくら私でもどうにもできない」
頬をポリポリと掻きながら市場へと向かった一行は、ケルヌンノスが気になった食材を中心に、マッハやイシュタルがこれも買ってあれも買ってと子供のようにねだるので、結局街の城門から出たのは日が完全に沈む少し前だった。
門番をしている男達は女子供だけで夜中に出歩くのは危険だと必死に止めていたが、それを無視して彼女達は森の中へと消えていった。
ちなみに、その筋力パラメータに物を言わせて買った物を全て1人で持っていたマッハに街のほぼ全ての人間が瞳を驚愕に彩り、口をポカーンと開けていたのは言うまでもない。
いや、見た目で言えば5歳かそこらの少女が両手に自分の背丈の3倍程の高さまで積まれた荷物を笑顔で持っていたのだから当然と言えば当然か。
彼女としてはまだまだ余裕はあったのだが、ギルドで換金してもらった金が尽きてしまったので止む無く家路に着いたのだ。
ラグナロクでは狩りや経験値稼ぎに行った際、モンスターから素材がドロップする事があった。その時は自動的にアイテムボックスへと収納されていたが、それはあくまでデータ上の事であり、ゲームとは全く関係なくなってしまった今は買い物をしてもそれらが自動的にアイテムボックスへと送られる事は無い。全て手元に残ってしまうのだ。いや、当たり前と言えば当たり前なのだが……。
「これから買い物に行く時は、ま~ちゃんに着いてきてもらわないといけないね。それにしても……随分買ったね」
イシュタルと手を繋ぎながら、後ろでニコニコしつつ大量の荷物を持っているマッハを振り返る。
彼女が持っている物は大半がアールヴヘイムには無かったこの国……いや、この世界特有の食材だが、2割ほどはマッハやイシュタルが欲しいとねだった物だ。
それらは主にマグカップや変な形のお守りなど、雑貨類が大半を占めていた。
「……不思議な食材が多かったせい。仕方ない」
「見た事ない物がいっぱいあったし、お金はいくらでもあるから問題ないと調子に乗った。反省……」
「確かに、ラグナロク金貨2枚でこれだけ買えるんだもんなぁ~。ボス討伐しまくってたせいで、金貨めっちゃあるしなぁ……」
いや、ボス討伐をしまくっていたせいではなく、ある程度のレベルに到達すると、基本的な育成ゲームでは金貨やコインなどは全く使わなくなってしまう。
いや、使わなくなるのではなく、使うペースに比べて溜まる速度が圧倒的に早いので、いくら使ってもすぐに補填出来るし、なんならあっという間に増えていってしまうのだ。
上位のプレイヤーほど大量に金貨を持っているのは、ゲーマーあるあると言っても良いだろう。
「お、着いたぞ」
「……やっと帰って来れた」
「ね~。皆、お疲れ様~」
体力は有り余っていたけれど、ダラダラ話していてゆっくり歩いていたせいで、ギルド『ユグドラシル』の本部へ戻った頃にはすっかり日が落ちて辺りが暗くなっていた。
ギルドの扉を開けると、リビングでハーブティを飲みながら優雅に寛いでいるエルフクイーンが彼女達を出迎えた。
恭しく一礼し、命令を終えたとニコッと笑うと緑色の閃光と共に彼女達の前から姿を消した。
ヒナは基本的に召喚魔法やその系統のスキルを使わなかったので知らなかったが、召喚された者はモンスターだろうが、エルフクイーンのような人型の召喚獣だろうが、召喚主に命令された事をやり遂げると自動的に消えてしまう。
他にも、一定以上のダメージを受けると消滅してしまうので戦闘で扱うには不向きであり、前衛のいないパーティの魔法使い……みたいな特殊な環境にない限り、大抵のプレイヤーは好みのモンスターや人物を呼び出し、そのグラフィックや見た目に恍惚とした表情を浮かべていたのだ。
「せめてこの荷物中に入れるの手伝ってから消えてくれよなぁ~……」
「……お気に入りのハーブティを使われた。ちょっとショック……」
大量の荷物をギルドの中に運びながらマッハがそう愚痴り、一足先にリビングに足を踏み入れたケルヌンノスは、エルフクイーンが使っていたカップに残っていた香りを嗅いでガックリと肩を落とした。
そんな2人の姿に苦笑しながらも、ヒナは自室へと杖を収納しに行く。あっても無くても同じだったように感じるし、今度から街に行くとなっても持って行かなくて良いだろうと息を吐いた。
「ねぇねぇけるちゃん! どのくらいでご飯出来る!?」
杖をアイテムボックスへと収納した後、ドタドタと乙女にあるまじき足音を立てながら階段を下りたヒナは、キッチンで早速料理にとりかかろうとしていたケルヌンノスへ期待の眼差しを向ける。
そんな姉の姿を見てちょっとだけ頬を赤く染めた彼女は、誤魔化すように顎に手を当ててうーんと考える。
「……大体20分もあれば作れる。ちょっと待ってて」
「うん! 分かった~!」
荷物運びを終えてソファにだらーんと寝転がっているマッハの正面にどっかりと腰を下ろすと、ヒナもヘナヘナと寝転がる。
普段外に出ずに引きこもっていた彼女にとって、一日外出するというのは大変に体力を消耗する。
いや、HPとかそういう類の物は一切消費していないのだが、精神的な体力は既に限界を迎えていた。恐らく、4人じゃなければあの街で1時間も持たずに逃げ帰ってきていただろう。
ヒナは、両親と旅行に行った時でさえ1時間も観光地を堪能するとすぐに帰りたいというような子供だった。外で遊ぶより、旅館やホテルで両親に甘えている方が好きだったのだ。
ヒナの両親もそんなヒナが可愛く、まさに溺愛と言うにふさわしいほど愛情を注いでいたので何も言わずに甘やかしていた。
そんな過去があったからこそ、ヒナは甘やかしてくれるような存在をNPCにも求めたのかもしれない。
そしてそのちょうど20分後、ケルヌンノスの料理の腕を持ってしても、元々マズイ物がまぁ食べられなくはない……程度の物に代わっただけだと悟ると、リビングはどんよりとした雰囲気に包まれた。
ワラベの言うように、ロアの街にある食材そのものが彼女達の口に合わなかったのか、それともこの世界の食材が不味いのか。それは分からないが、少なくとも1つだけ分かった事と決まった事がある。
「……これからは、家にある食材だけを食べよう」
イシュタルのその言葉に、全員が何も言わずにコクリと頷いた。