89話 懐かしい光景
「プリン! ……じゃなくて、プリンアラモード!」
ダンジョンの4層である先の見えない程遠くまで広がる平原地帯にマッハの透き通るような声が響き渡る。
その声に苦笑しつつ「どか~」とのんきに口にしたのはヒナだった。
「今の、セーフなの……?」
「マッハねぇ、そんな感じで逃れるの4回目……」
ヒナの隣を歩きながら不満そうに口を尖らせるケルヌンノスやイシュタルも、そうは言いながらもこの楽しい時間が続くのは構わないのでそれ以上は言わない。
彼女達は、ケルヌンノスが即死魔法で迫ってくるホワイトタイガーを掃除しつつ、第二回しりとり大会に興じていた。お題は、食べ物だ。
第一回の食べられる物編では、マッハが「これは食べれる!」と強引に主張しながら何度か無理を通していたので、それを防止する為にケルヌンノスが一言付け加えたのだ。
マッハは不満そうにしていたが、ヒナもそれには賛成だったので一時マッハの索敵スキルを使ってボス部屋を探す事を止め、ゆっくりとフロアを探索していた。
「グルゥゥゥ」
左右から体長2メートルはあろうかという巨大なトラが迫っているというのに、ヒナはのんきに”ど”から始まる食べ物を探す。
そんな姉を見ながらはぁとため息を吐きつつ即死魔法を発動させ、襲い掛かってくるトラをあの世へと送るケルヌンノス。こんな時間が、かれこれ2時間は続いていた。
周りが代り映えしない平原で、地面に生えているのは人工芝かと言いたくなるほどの短い草のみ。出現するのは1層や2層と同じくホワイトタイガー1種だけで、何時間も居たいと思えるエリアでは無かった。
恐らくその思いはイシュタルも同意見だろうし、このしりとり大会が無ければマッハのスキルを駆使してサッサと下の階層へ行こうと進言しただろう。
「ドーナツ!」
そんな時、ようやく思いついたのかヒナがポンっと手を叩きながらそう言った。
自分の番で終わりを迎えなかったのがよほど嬉しかったのか、それとも未だにしりとりが続いているのが嬉しいのか。その真相は分からないが、イシュタルは少しだけ考えた末に「ツナ」と口にした。
マッハやヒナはその回答が出てくるのに数分……時には数十分の時間を要するというのに、イシュタルとケルヌンノスは数秒考えただけでポッと回答が出てくる。
それに若干不満を覚えつつも、マッハは次に自分の番が回ってくるのを少しだけ嬉しそうに待つ。
「ナポリタンスパゲッティ」
「ナポリタンって言えば良いじゃんかぁ!」
ナポリタンという言葉を聞いた瞬間満面の笑みを浮かべたマッハは、その後に続いた言葉を聞いてガクッと肩を落とす。
自分と同じ苦しみと屈辱を味わえ~と半ば呪いのように呟くマッハに、ケルヌンノスは薄い胸を張ってふんと鼻息を荒くした。
「こういうの、懐かしいなぁ……」
そうポツリと呟いたヒナは、幼い頃に両親と共に様々な場所に旅行に行った際の事を思い出していた。
………………
…………
……
「じゃあねじゃあね! う~ん……プール!」
当時6歳だったヒナは、隣の座席に座っていた母親に弾けるような笑みを浮かべながらそう言った。
温泉地へと向かう最中の車の中というのは暇な物だ。
運転する父親は別段そうでもないのだが、愛娘の「しりとりしよー!」という、無邪気ながらも可愛らしい提案を断るなんて選択肢は無かった。
お題は特に決められなかったので、自分達は娘が分かる範囲のものという制約を勝手に課しながら、笑顔でうーんと悩んで見せる。
これが今時の自動運転であればもっとよく娘の顔を見ながら有意義な時間を過ごせるのに……と、この場のもう1人が聞けば呆れそうな事を考えつつ、男は行った。
「ルンバ」
いくら娘でも、リビングの中を時々動き回りながら部屋を掃除している小型の掃除機の事くらいは知っているだろう。そう思って口にしたのだが、どうやらその判断は正しかったらしく、ヒナからは「なにそれー?」という可愛らしい言葉は聞こえてこない。
そう言っているヒナも、それにふふっと笑いながら教師のようにキビキビ教えている妻も可愛いので少し残念だなぁと思いつつバックミラーをチラッと見てみる。
すると、そこには複雑そうに笑いながら自分を見つめている最愛の人の姿があり、その視線は「なにニヤついてんの?」という嫉妬と呆れの感情が紛れた物だった。
視線だけで「だってヒナが可愛いんだもん」と答えると、すぐに目の前に集中して再び自分の番が回ってくるのを待つ。
そんな男の姿に内心でため息を吐きつつ、なんで自分の子供にまで嫉妬するのかと自分にさえ呆れてしまう。
隣で太陽よりも眩しい笑顔を浮かべながら鼻歌を口ずさんでいる娘が可愛いのは自分も同じだし、溺愛しているのだって今運転席に座っている男と同じだ。
しかし、やはり女として愛されたいという気持ちがあるのは当然という事なのだろう。そんな自分に自嘲気味な笑いが漏れてしまうのは、もはや仕方のない事だった。
「じゃあねぇ、ママはバイク! ほら、ヒナちゃんの番だよ?」
「ばいく~? ん~、じゃあクッキー!」
ヒナの頭には、先日作ってもらった母特製のチョコチップクッキーが浮かんでいる事だろう。
この車での移動は後1時間と半分ほどあるのだが、その前になにか食べたいなぁと思うのは必然だった。
実際、この数分後に「お腹空いた~」と口にしたヒナによってしりとり大会は終わりを迎え、近くのうどんチェーン店で昼食となった。
お腹いっぱいになったヒナが車内ですうすう寝息を立て、温泉地につくまでの間夫婦水入らずでの娘の愛らしさについての談義が行われていた事など、母親の胸の中で幸せな夢を見ているヒナは知る由もない。
こんな幸せな生活も、数年後にはガラガラと音を立てて崩れる事になるのだが、それはまた別の話だ。
もっとも、今現在のヒナは両親と過ごしていた日々と同等かそれ以上に幸せな日々を送っているのだが……。
………………
…………
……
「ヒナねぇ?」
「……ん? あ、あぁ、ごめんごめん。なに?」
ケルヌンノスの呼び掛けで過去の記憶の奔流から抜け出したヒナは、マッハが「いちご!」と答えた事で自分の番が回って来たのだと説明される。
このしりとり大会を邪魔する人がいればケルヌンノスやマッハが本気で怒るだろうなぁとなんとなく思いつつ、ごから始まる食べ物を考える。
そう言えば、何年か前に沖縄に旅行に行った時にゴーヤちゃんぷるを食べて、その中にあるゴーヤを、ちょうどマッハ達みたいに両親へ全て押し付けたなぁ……。
そんなことを考えつつ、そのまま口にする。
自分だって小さい頃は野菜を食べなかったし、なんなら高校生になった今も野菜ジュースなる物はどうしても好きになれない。
唯一食べられる野菜と言えばトウモロコシだが、それは両親が「ポップコーンはトウモロコシから作られるんだよ」と教えてくれたから食べられるようになっただけだ。
それ以外の野菜に関してはどうしても忌避感があるし、マッハ達が好き嫌いで野菜を食べなくとも何も言えないのだ。
それに、その嫌がる姿が可愛すぎるというのもあって強くは言えないし、なによりラグナロクの食材……いや、ケルヌンノスが作る料理は野菜中心の物だろうがサラダだろうが、一流料理店の味がするのでなんでも食べられるのだ。
時々マッハ達にあげているので食事の量はお腹いっぱいになるまで……とはいかないまでも、十分すぎる程幸せな日々を送れているという自覚はある。
もしもこの日々が脅かされようものなら、自分はどんな敵にだって立ち向かうだろう。そう、確信めいたものがある。
「ルピアレッド」
「ちょ、たるそれなんだよ! そんな食べ物知らない!」
そんな時、イシュタルがポツリと言った言葉でマッハの足が止まり、必然他の3人の足も止まった。
ヒナだってそんな宝石みたいな名前の食べ物には記憶になく、イシュタルがどう説明した物かと首を傾げる様を面白そうに眺める。
「メロンの一種。あの、網目みたいなのが皮についてる奴のこと」
「メロンって大体のやつにそれついてないか……? ねぇ、ヒナねぇ」
「メロンの皮とか見た事無いからなぁ……」
困ったように笑ったヒナの顔を見ながらこれじゃダメかと諦めたように笑ったイシュタルは、改めて”る”から始まる食べ物を記憶から探し始める。
ルイボスティーなんかも説明が難しいし、ケルヌンノスに頼みたくともラグナロク産の紅茶やお茶の類ではないのでそもそも知らないかもしれない。となれば、お酒だろと突っ込まれる可能性もあるが、残された選択肢はあれしかない。
「ルッコラ……」
「お酒じゃん!」
見事なまでに想定通りのツッコミをしてきた姉にちょっとだけふふっと頬が緩みつつ、あれは本来野菜の一種でハーブである事を説明する。
すると、マッハはでたらめな事言ってるんじゃない?と怪訝そうに呟くが、ヒナが否定したことで口を噤んだ。
「たるちゃんはそんな事言うような子じゃないよ~」
その信頼は嬉しかったが、恥ずかしいしケルヌンノスが羨ましそうにジーっとこちらを見ているので止めてほしいなぁというのが本音だった。
というよりも、彼女達もそろそろ気付いているだろう。少し先に行ったところに巨大な殺気を放つ存在がいるという事を。そして、それがこの層のボスであろうという事を……。
「ラザニア。ヒナねぇ、一旦しりとりは終わりにして集中するべき。この先、多分ボス」
ケルヌンノスのその言葉で気を引き締めたのか、マッハもコクリと頷いて一時しりとり大会は中止になる。
ヒナとしては戦っている最中でもしりとりを続けるんじゃないかという妙な不安もあったのでそこについては安心したのだが、目の前に現れたこの階層のボスと思わしき存在を目の前にして数秒思考を停止させる。
「……ねぇヒナねぇ、召喚獣ってボスモンスターに設定できるっけ?」
「え、えぇっと……多分、無理……」
そう。目の前で骸骨の顔を晒しながら大きな鎌を持っている死神と呼ばれる召喚獣は、このフロアで誰よりも強い殺気を放っている。
レベル換算すれば大体90近かったはずで、ヒナが家の留守番に置いて行こうか迷ったうちの1人だった。
そして何よりの問題は、召喚獣は自分の記憶が正しければダンジョンのボスモンスターには設定できないのだ。
無論召喚獣と一口に言ってもその種類はかなり多いので、フィールド上に普通に存在しているモンスターが召喚獣と呼ばれることもある。その場合はなんの問題も無くボスモンスターに設定出来る。
しかし、南雲や神使いのような、特殊なクエストをクリアしなければ呼び出す事が出来ない召喚獣や、イベント報酬としてもらった召喚魔法から呼び出される召喚獣。そちらに関しては、どんなアイテムを使おうともダンジョンのボスモンスターには設定できないという決まりがある。
いくらこの世界にそんな設定が無いとは言え、死神を手に入れるにはそれなりの高難易度クエストをクリアする必要があるので、傍にこの死神を召喚した魔法使いがいるなら、それはかなりの手練れという事だ。
マーリンや自分ほどは強くないだろうが、このモンスターを倒す事が出来ないだろうエリンよりは強いという事になる。
それに、その推測が正しければこの階層のボスモンスターは目の前の死神とは別に存在しているという事だ。
「ま~ちゃん、一応索敵スキル使ってみて? 他にも強そうな奴いる?」
「……まぁ、一応いるけど、レベルで言うなら80ちょいだからこいつより全然弱いよ? 感覚的には戦士……って、いや、人間だ、こいつ!」
マッハがそう言った瞬間、死神がもう我慢ならないと言いたげに襲い掛かって来た。
この瞬間、第4層のボス戦が始まった。




