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86話 花畑での休息

 一定時間が経過してもヒュプノスが復活したり新たな神が出現しない事を確認したヒナ達4人は、動き回って疲れたという理由から昼食を食べる事にした。

 イシュタルの『地形変化』というスキルを使用して辺りの花畑を一部分だけパンジーやチューリップなどの普通の花が咲き乱れる場所へと変え、その上にどっかりと腰を下ろす。


「ねぇヒナねぇ……。これさぁ、めっちゃ気持ち悪いんだけど洗濯とか出来る?」


 マッハは戦闘中に顔や服に付着した花のベットリとした嫌な匂いを放つ花粉が気に食わないのか、先程とは別の理由で泣きそうになっていた。

 顔や手に付着したそれらはヒナが水を発生させる魔法を使用した事で洗い流す事は出来たのだが、そんなことを服にやればびっちゃびちゃになってしまう。

 熱風かなにかの魔法ですぐに乾かす事も出来なくは無いだろうが、それが可能なのかどうかは分からなかったのだ。


 そして、もちろんゲーム内でそんな特殊な状況など起こり得るはずもなく、ヒナも洗濯云々に関しては分からないと言うしかなかった。

 装備に関しては着替え等も持ってきてないのでここで別の物に……という選択肢はない。

 それに、お弁当があるのにわざわざそれだけの為に帰る気にもならない……というのが本音だった。


 いや、もちろんヒナはマッハが気に入らないと言ってるなら一旦帰って洗濯を試すなり別の物に着替えるなりする事は構わなかった。

 しかしながら、再びここに来た時に神と戦う事になる可能性もあるし、何より自分達は被害を被っていないのでヒナに何も被害がないならこのまま進みたいと口にしたイシュタルとケルヌンノスがそれを許してくれないのだ。

 ここ最近マッハばかりヒナに甘えていると感じている日頃の恨みとも言えるだろうが……。


「ダメ元で試してみる? ま~ちゃんが服脱いで、私がそれを魔法で洗ってみれば良いんでしょ?」

「えぇ……。ぬ、脱ぐのぉ……?」


 もちろんギルド内に洗濯機なる物は置いてないし、お風呂に入る際もこの世界ではそうやって済ませてきていた。

 洗剤やシャンプーなんかに関してはもちろん存在していないので、魔法でそれらしい効果――浄化する液体等――を水と混ぜて使用していた。


 それに効果があるかはともかくとして、水だけで体を流すより気持ち的にはだいぶ楽なのだ。

 現にこの場の全員から悪臭が漂っているという事は無いので、この世界では体臭なる物が存在しないか、その曖昧な即席シャンプー等がちゃんと機能しているかのどちらかだろう。


 実際ヒナにもこの世界の事は分からないことだらけなのでマッハの装備を洗えるかどうかは分からない。

 彼女の知識は基本的にラグナロク内での事だけは十分すぎるほどあるのだが、それ以外の勉学や一般知識、その他様々な事に関しては小学生のそれと変わりないのだ。


「それか我慢するかじゃない? だってみんな、帰りたくないんでしょ?」

『うん、それくらいで帰りたくない』

「うぇぇぇ……」


 あからさまに嫌な顔をするマッハだったが、それなら我慢すると渋々ながら口にした。

 自分の索敵スキルには引っ掛からないまでも、ヒナが感じているという視線は絶対に気のせいじゃないと半ば確信しており、そんな顔も分からないような奴に自分の裸を見せるつもりは無かったというのもある。


 それがエリンやマーリンなんかの『見る目のある人』認定している人達で、なおかつ同性であればまだなんとか耐えられるが、これがもしペイルのような男だった場合は怒りで我を忘れる気がする。

 そんな事はしたくないし、自分の記憶には無いまでも、一度暴走したらしいのでそれはそれで再発防止に努めなければならない。


 それに、正確に言えば衣服に花粉が付着していようとも、直接手で触れたり肌に触れている訳では無いので不快感はそこまでない。ただ単純に、ヒナに貰った装備が気持ちの悪い物で汚れているという、その事実そのものが気に食わないだけだ。

 なので我慢しようと思えば出来るし、お弁当は都合上一食分しか持って来ていないので、近いうちにお腹が空いて帰る事になるだろう事は想像に難くなかった。その時に洗濯すれば良いだろう。


「じゃあほら、けるちゃんのお弁当食べよ? 凄いよ、これ」

「うんっ!」


 ケルヌンノスはあからさまに満面の笑みを浮かべた姉2人を見て良いなぁと内心で羨ましがるも、自分のお弁当を凄いと褒めてもらえたことは飛び上がるほど嬉しいので口は挟まない。


 重箱のような大きくも重厚で高級感のあるお弁当箱は全部で3段あり、まるでおせち料理のようにヒナの好物がところ狭しと並べられていた。

 1段目はサラダやデザートなど全体的にカラフルな食材が並び、自分はほぼ食べないだろうプチトマトやら何やらがびっしり詰まっている。

 当然デザートと言っているのに一番初めに食べようとする人が一名いるが、全部食べないのなら見逃すつもりだ。


 2段目は貴重なウサギの肉のからあげやフロストドラゴンのサイコロステーキなど、基本的にお肉の料理が並んでいる。

 ヒナは魚よりもお肉の方が好きらしく、3段目の魚料理は彼女の好きな物で固めたつもりではある物の、基本的にこちらは自分達が食べる事になるだろうと予想していた。


 3人にも好みはあるので、マッハやイシュタルも満足できるように適度に彼女達の好物も織り交ぜているというのがポイントだ。


「はい。じゃあ皆で……」

『いただきます』


 地面にちょこんと腰掛け、4人の中央に広げられたそれらを囲むように座る。そして、ヒナがいつもの口上を口にして両手を合わせると、全員でペコっと可愛らしく頭を下げる。

 その直後、やはりケルヌンノスが予想していた通りデザートとして用意していた色とりどりの果実やら木の実を真っ先に掴んだ人がいた。


「……マッハねぇ、ちゃんと私達の分は残してね」

「ん! 分かってるって~!」


 マッハは分かりやすいほど『好きな物は最初に食べる』派であり、この中で唯一ケーキの上に乗っているイチゴを最初に食べるタイプだった。

 彼女はその分好き嫌いも一番激しいのだが、それは自分達も同じなのでそこのところは何も言えない。

 それに――


「ヒナねぇ、そんなに慌てて食べなくても料理は逃げない。ゆっくり食べないと太る……」

「うぇ!? あ……あはは……」


 真っ先に爪楊枝が差された一口サイズにカットされたウサギ肉の唐揚げをパクパクと摘まんでいるヒナも、食事に関してはどちらかと言えば自分達と同じで子供っぽい。

 飽きるまで同じ料理を所望したり、早く食べる事が当然と思っているような不自然すぎる程早い食事ペースは、見ているこっちがハラハラしそうになる。


 前になんでそんなに早く食べるのかと不安になって聞いてみたところ「時間が無くなるじゃん」という訳の分からない答えが返って来たので、それ以上聞いてはいない。

 どちらにしても料理がマズイとかそんなことを思っていない事はその満面の笑みを見れば一目瞭然だ。


「それにしても、相変わらずけるちゃんの料理は美味しいねぇ……」

「周りの匂いがキツすぎて美味しそうな匂いが半減してるのが残念だけどな~! 次の階層でも神が出てくるかもしれないって考えると、今のうちに食べないといけないってのが唯一の残念ポイント~」

「……美味しいなら、良い」


 少しだけ頬を染めながらマンゴーに似た果実をパクっと口にしたケルヌンノスは、隣でジーっと見つめてきているイシュタルを見やると、自慢げにふふんと胸を張った。

 それに呆れながらやれやれと首を振った彼女の姿は末っ子のそれとは思えないほど大人びているが、それを特に気にすることも無くヒナからの称賛の言葉に耳を傾ける。

 やはり太陽のような輝きを放っているヒナの笑顔を見ながらの食事は美味しいと彼女が心の奥底で思うと同時に、ヒナもこの世界に来てから経験した大勢での食事は良い物だと感じていた。


 小学生の頃は両親と共に食事もしていたが、この場では自分が一番年上だ。なので全員を監督する立場であり、面倒を見なければならない。

 しっかりしているように見えるケルヌンノスやイシュタルだって、口の端にサイコロステーキにかけられているソースやらケチャップっぽいなにかが付いている。

 可愛いとは思うが、そのままにしているとマッハがからかって機嫌が悪くなるので、気付いた時にこまめに拭いてあげるようにしているのだ。


(まさかとは思うけど、わざと……って、それは自意識過剰か)


 一瞬自分に拭かれたくてわざとそんなことをしているのかという思考が頭に過るが、流石にそれは自意識過剰という物だ。

 あーんなんて恥ずかしすぎる事を求めてこないので、やはりそれは考えすぎだろう。


 それに、いつもは食事の時間なんて万全の態勢でゲームが出来なくなるだけなのでわずらわしさしかなかった。

 なにせ、食事をするためには嫌でも片手が塞がってしまうし、カロリーメイトのような栄養食品だけを食べる生活をしていると数日後にはパタリと倒れてしまうので、一週間に一度はきちんとした食事を最低限でも取らなければならなかった。

 人生の全てをゲームに捧げていた身からすれば、とても我慢出来るようなことでは無かった。


 時間に追われず家族と共にゆっくり食事が出来る事がどれだけ素晴らしくて幸福な事なのか。

 そんな当たり前の事をこの世界に来て実感し、忌々しかった睡魔も今では純粋に受け入れる事が出来る。


 やはりゲームが出来る時間が減ってしまうので睡眠という物は必要最低限にしたいと考えていたヒナでも、今では彼女達と一緒に居られるかけがえのない時間なので少しだけ待ち遠しいと考えるようになっていた。


「マッハねぇ食べ過ぎ。私達の分も残してって言った……」

「えぇぇ? だってお腹空いたんだもん~! そう言うならほら、野菜食べろよー」

「……そういう意地悪言うから罰が当たる」

「たる、野菜も食べないと大きくなれないぞー?」

「マッハねぇにだけは言われたくない」


 その可愛らしすぎるやり取りに思わず頬が緩んでしまうが、思い返してみれば彼女達はこれから成長するのだろうか……という疑問も浮かぶ。


 ゲーム内ではプレイヤーがNPCの設定や容姿を変更しなければ基本的に背丈が変わったり成長する事は無い。

 ヒナももちろん彼女達にそんな設定は施していない――そこまで気が回らなかった――ので、この世界ではどうなるのか気になっていた。

 もしも彼女達に成長の可能性が残っていて、これから先、自分よりも胸が大きくなるなんて事があれば、その子をちゃんと愛してあげられるだろうか……。なんて、くだらなすぎる不安が心に宿る。


 この世界でも胸囲には恵まれなかったらしい貧相な体を見下ろしつつ、仮に目の前の3人がグラビアアイドル並みに巨大な物を手に入れたとすれば……


「え、やだ……。みんなそのままでいて!?」


 思わずそう口に出してしまった。

 自分が成長するかどうかはともかく……というか、多分宿命みたいなものを背負っていそうなので諦めている。

 でも、巨乳の3姉妹なんて見たくない。そんなの見たら、自分は惨めさで死にたくなるような気がする。


 しかし、その言葉をヒナとは別の意味で受け取った3人は、顔を見合わせると露骨に嫌そうな顔をする。


「ヒナねぇ、ちょっと変態っぽいぞ?」

「……流石に、その言い方は無い」

「ヒナねぇ。けるねぇじゃないけど、その言い方だと語弊が生まれる気がする」


 どうしてそうなるんだと空に叫びだしたくなるヒナだったが、なんとか薄ら笑いを浮かべて誤魔化す事にした。これ以上自分が何か言ってもなにか変な意味で捉えられそうなので口を噤む事にしたのだ。


 不貞腐れつつも好物の唐揚げやらサイコロステーキやらを口に運び、高級店並みの食事を楽しんでいると、再び背中にあの視線を感じた。

 全身を舐め回すような、それでいてどこか羨望と熱愛のような情熱的な視線だ。


 もちろん気持ち悪いという感覚が先に来るのだが、不思議なほど敵意を感じないというのも事実だった。

 まるで憧れの人を遠目から眺めるファン……のような、そんな視線を感じ、再び周囲をキョロキョロと見てみる。


(やっぱり姿が見えない……。ここがギルドかなにかの持ち物だとして、そのギルドマスターとかギルメン……なのかな? でも、そうだとしたら普通に接触してくるよね……?)


 そこまで強くはないとはいえ、神をたった4人で攻略できるプレイヤーなんて自分達以外には存在していないだろう。

 相手が魔王という存在を知っているかどうかはともかく、神を配置したダンジョンを作り上げているギルドなら、間違いなく上位1000位以内には入っている。

 そんなプレイヤーならこちらの強さを正しく判断し、敵対行為は取らないのではなかろうか。


 それに、もし敵対する意志があるとすれば、今こうしてのんきに食事なんてしている今を狙わずしてどうするというのか。

 仕掛けてくるなら今かと思い、いつでもマッハが暴走した時に使った範囲型の防御魔法を発動できるように構えていたのだが……どうやら、その必要はないらしい。


 マッハの索敵スキルに引っ掛かっていないところから見ると、相手は世界断絶のような存在隠蔽スキルを使っているか、もしくは暗殺者のような気配を遮断するのに特化したクラスを取得している可能性が極めて高い。


 ヒナもこの世界の住人達のレベルが低いことは十分把握しているので、この視線を送ってきているのがプレイヤーである事はもう分かっていた。

 問題は、その人物が男なのか女のかで自分が取るべき行動がかなり変わるという事だ。


(女の人だったら良いなぁ……。男の人ならうまく話せる自信ないよぉ……)


 いや、女の人でもうまく目を見て話せるのかと言われると答えは絶対的に否となるのだが、男となるとまともに言葉が出てくるのかどうかすら怪しい。

 それに、怪しい視線を感じている事は全員に共有しているので、もしもその正体が男だと分かれば彼女達は容赦しないだろう。

 それを止められるのかどうか、ヒナには自信が無かったのだ。


 お弁当を一目見た時に計算した一人当たりの個数をペロリと平らげ、皆が一番食べたいだろうデザートには手を付けず、後は皆で食べて良いよと口にしたヒナは、再び周囲をグルリと見回してみる。

 もちろん相手には悟られないように視線だけを動かすが、やはり視線は背後から向けられているようだ。


 なら……ここは、一か八かだ。


『熾天使の剣』


 天使シリーズの魔法の中で最強の威力を誇る魔法。

 神の槍を考えないのならゲーム内でも10本の指に入るだろう威力を誇る魔法を、自分の背後に向けて放つ。


 殺してしまうリスクを考えてソロモンの魔導書を使わず、相手に悟られないように動きは必要最小限で放ったそれは、キラキラと黄金の輝きを宿しながら一直線に彼方へと飛びずさる。


「ヒナねぇ? どうしたんだ?」

「……なにかあった?」


 索敵スキルを発動させているマッハとしては、周囲に敵の気配は感じられなかった。

 それに同意なのだろう。ケルヌンノスも不思議そうにヒナを見つめるが、ヒナは気付いていた。今放った魔法が数メートル進んだ先でわずかに方向を右に逸らした事を。


「誰? 次は本気で行くけど……出てくるなら今の内だよ?」


 いくら人見知りのヒナでも、相手の顔が見えないならいつも通り強気にハキハキと喋る事が出来る。

 マーリン達が来た時に着ぐるみやお面を付けてまで登場したのはそのせいだ。

 そして、ヒナがそう問いかけた事によってマッハ達も事を察したのか、すぐに戦闘態勢へと移行する。

 お弁当はまだ少しだけ残っているが、当然ながらヒナの身の安全の方が大切だ。


 ヒナを庇うようにしてマッハが立ち、ヒナとマッハに強化魔法を施しつつ、ケルヌンノスの魔力を回復させるイシュタル。

 ケルヌンノスは、リュックからもしもの時に必要になるだろうアイテムを手に持ち、油断なくヒナが睨みつけている方を見やる。


「……」

「……」

「……」


 無限にも思える数秒が経過した後、空間がユラユラと揺れてその場から1人の女が姿を現した。


 その女は雪のように白い髪をサイドで可愛らしく纏め、背丈はヒナと同じくらい。黒いブーツとジャケットを着こみ、その上から紺色のコートを羽織っている。

 髪と同じ色の瞳はどこか狂気に満ちており、大きな金縁のサングラスには戸惑いを隠せない様子のヒナの顔がバッチリ反射している。

 その爪はギャルかとツッコミたくなるほど長く、マニキュアか何かで水色に染まっていた。


「あぁ……やっぱりその強さ、本物だ……。姿が似てる愚か者かと少しだけ疑ってたんだ。やっぱり、この世界に来てたんだね……。私に、会いに来てくれたんだね……“お姉ちゃん”」


 その華奢な体をゆっくりと抱きしめ、恍惚とした表情を浮かべながらうっとりとそう言った女は、興奮するかのように息を荒くした。

 その異様すぎる光景を見ていたマッハは一気に戦意を喪失し、ヒナにジトっとした目を向ける。


「ヒナねぇ……知り合い?」

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[一言] 波乱がありそうなクセの強い人物が出てきましたねぇ...
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