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85話 魔王の直感

 先程までシンバルでも叩くかのように悠長に手を叩きながら攻撃を繰り返していたヒュプノスは、突如としてボクサーのような右ストレートをマッハに繰り出す。

 それをひょいっとかわしつつ、お返しとばかりにその左わき腹に一閃の刀傷を付ける。


『龍神の蹄』


 緋色の鱗を持つ龍がマッハの刀に宿り、その攻撃に数倍の破壊力と攻撃力を上乗せする。

 人がまともに喰らえば上半身と下半身が即座にお別れするようなスキルだが、それをまともに喰らったはずのヒュプノスは怯む様子すら見せない。

 それどころかそれらしい傷すらつくことも無く、ただ平然とマッハに向かって右に左に拳を突き出す。


「愚かしい愚かしい……。人はなんと愚かしいのだ……」

「うるっさいなぁ! そんなことしか言えないなら黙って戦ってくんない!? いちいちイラっとするんだけど!」


 嘲笑されることにムカッとしつつも感情に任せて刀を振る事の危険性をしっかり理解しているマッハは、イシュタルに回復魔法を要求しながら冷静に相手の動きを確認する。

 温かい光がマッハの体を包み、HPを回復させながら少しだけ攻撃力と俊敏性を上げる魔法もついでに施される。


「マッハねぇ、スキルの持続時間って後どれくらい?」

「ん~!? あぁ……種族の方が後10分ちょい! 神の方はもって後3分!」


 マッハの使用する身体能力を大幅に上げるスキルも無限に効果が続く訳ではない。それには限界が来るし、神格化に関しては幾度もの下方修正で効果時間短縮と再度使用可能になるまでのインターバルがかなり長く調整されていた。


 無論アイテムで保管できるというのは変わっていないのだが、今回のダンジョン攻略にあの砂時計は持って来ていない。なにせ、それよりも有用なアイテムを数多く持ち込んでいるので、必要ないと判断されたからだ。

 在庫が残り少なくなってきていると言うのも、今回持ち込みが見送られた原因でもあるだろうが……。


「じゃあさっさと決める。ヒナねぇ、もっと強化魔法かけるから火力出して」

「うぇぇぇ!? わ、分かった!」


 これ以上強化魔法を施されると仮に魔法が外れてマッハやケルヌンノスに当たるとHPを一撃で消し飛ばしてしまうほどになってしまう。それを危惧して泣きそうになってしまうヒナだったが、そこは自分の感覚を信用する事にして覚悟を決める。


 ヒナの持っているソロモンの魔導書は、正確に言えば神の名を冠していないのでマッハにダメージを与える事は出来ない“はず”だった。

 しかしながら、ソロモンの魔導書は神の名を冠していると判定されているので、神の名を冠してはいないがマッハにダメージを与える事が可能という、少々特殊な武器なのだ。


 ソロモンは正確に言えば神じゃないし、そんな事を言うならなんで同じ王様の名を冠しているギルガメッシュの宝物庫という名の武器はなんでマッハにダメージを与えられないんだと文句を言いたい。いや、実際そのシステムを知ったヒナは、当時運営にクレームのメールを送ったほどだ。

 しかしながら運営がその疑問に答えてくれることは無く、そのままサービスが終了し、結局事の真相は分かっていない。もしかすると、ヒナがラグナロクのシステムで唯一知らない事はこの謎かもしれない。


「ばーかばーか! 私らにボコボコにされてるくせに偉そうにもの言っちゃって! カッコ悪いぞーだ!」

「愚かしい……。なんと愚かしい……」


 マッハは、ボクサーのように鋭いパンチや蹴りを放ってくるヒュプノスを小ばかにしつつも刀で応戦し、時折背後から飛んでくるとんでもない威力の魔法に目を見張らせる。


 なんで攻撃力が低く、どちらかと言えば神に対してはほぼダメージが期待できない悪魔系の魔法を放っているのか。

 なんで威力が低いはずなのに、目の前の神の攻撃よりも死を肌で感じるのか。

 そんなことを喚こうとするが、目の前の神がそんなことを許してくれるはずもない。


 右上から迫りくる拳をなんとか回避してお返しとばかりに右肩の付け根を切り飛ばそうと刀を振る。が、命中はするものの相変わらず血の一滴すら流れずに、まるで幽霊でも斬っているかのように手ごたえが感じられない。


 ヒナの魔法はヒュプノスの体に命中するとそのまま消えるのでダメージが入っていることそれ自体は疑いようもない。

 しかしながら、自分の攻撃は本当に相手のHPを削れているのか。ここまで目に見て分かる反応や物証が何もないので、少しだけ不安に駆られる。

 だが、彼女がその不安に押し潰されそうになる前にヒナが全員に声をかけ、そのやる気とモチベーションを定期的に上げてくれるので戦闘中に泣きそうになる事は無い。

 久々の強敵との戦いで少しだけ楽しくなり、イラっとしているはずなのに自然と口元が緩む。


 そんなマッハを見てやれやれと言いたげに首を振った姉を見て少しだけムッとしたのか、それともヒナがマッハばかりに気を遣っているのを嫌がったのか。

 ともかく、この戦闘に終止符を打つべく、ケルヌンノスがポツリと言った。


「マッハねぇ、遊びすぎ。『地獄の審判』」


 も~と悪態を吐きながらその拳を受け止めつつ、背後から迫るヒナが放つ魔法を間一髪で避け続ける。

 ヒナも、マッハなら避けられるだろうという前提で天使や悪魔系の魔法をバンバン放っているのだが、未だに奥の手である『神の槍』は使わない。それには明確な理由があるのだが、もう待てないとばかりにケルヌンノスが切り札の一枚を切る。


 ケルヌンノスがその魔法を発動した瞬間、彼女の背後に禍々しい地獄へと続く2枚の扉が出現する。その大きさは全長5メートル、横幅3メートルと馬鹿げた大きさだが、問題はそこではない。

 その扉がギギギっと腹に響く不快な音を立てながら大きく両側に開くと、中から生気の宿っていない黒い瞳を持つ少女の頭を持った骨が出てくる。

 骨とはなんだと言われても、理科室なんかにある骨格模型に少女の頭が着いている物と考えれば良い。本当にそうとしか表現できないものが、その扉から現れたのだ。


「あ、やっば! たる、ちょっ、へるぷ!」

「……マッハねぇ、私じゃどうにもできない。サッサと逃げて。マッハねぇなら間に合う」

「は~!? ったくもぉぉぉぉ!」


 その少女の姿を見た瞬間、マッハは顔に張り付けていた『余裕』という二文字を一瞬で消し去り、すぐさま離れた場所で見守っていたイシュタルへ助けを求める。

 しかしそれが期待できないことを悟ると、ヒュプノスに背中を見せてすぐさま全速力でその場から離れる。背中に重たい衝撃が走るがダメージが無い所を見るに、イシュタルがカバーしてくれたのだろう。


 ともかく、ケルヌンノスがその魔法を発動した今、対象に指定されているであろうヒュプノスからは一刻も早く逃げなければならない。

 いくらマッハでも、今の装備では一瞬でHPを全損させられかねない攻撃をもろに食らう訳にはいかない。


「ヒナねえぇぇぇぇ! へるぷ!」


 しかしながら、逃げても逃げても追いかけてくるヒュプノスに焦りを覚え、ヒナの元へと全速力で逃げる。

 もう残された時間は少なく、ケルヌンノスの後ろで佇んでいる全長2メートル前後の化け物が言葉を発する前に魔法の範囲外に逃げなければ――


「あ~もう! 『世界断絶』」


 だがしかし、ヒナにはそういった足止め系の魔法やスキルに心当たりはなかった。

 いや、正確に言えば心当たりはあるし、所持もしている。だが、そういった小細工等を全て無視してくるのが神と呼ばれるモンスター達だ。

 やむを得ずマッハに自身の切り札でもある魔法を使い、この世界から存在を消しさる。そして、その直後――


「時は満ちた」


 その場に、ヒナでもケルヌンノスでも、ましてイシュタルの物でもない機械的な少女の声が響いた。


 その直後、ヒュプノスが居た周辺がゴッソリと削り取られ、瞬く間に無へと帰す。そこに誰が存在していたかなんて分かるはずもなく、不自然にその一か所だけがぽっかりと抜き取られたかのように消えてなくなっていた。

 ヒュプノスが残したものと言えば数秒後にスキルを解除されてこの世界へと戻って来たマッハの恐怖に震える涙と赤くなった頬の傷だった。


 あの頬への一撃だけで膨大だったはずのマッハのHPは6割ほど削られ、その後の攻防でも致命的な物は貰わなかったが、HPの4割ほどは削られていた。なので、イシュタルはすぐさま回復魔法をかけて削られたHPを補完し、ついでに頬の傷を元通りへと治してあげる。

 刀に関しては刃こぼれ一つすることなく彼女の腰に収まり、少し息が上がっている様子のヒナも段々と心拍をゆっくりな物へ戻していく。


 たった1人だけその場に佇んでいるケルヌンノスは、背後の少女の頭を持つ骨に何事か話しかけた後、魔法を解除して扉を閉めた。


 彼女が今使用した魔法は、発動までに時間はかかるが発動してしまえば神だろうがなんだろうが、そのHP残量がある一定値を下回っていれば確実に死亡させる魔法だ。

 そして、そのHP残量の値とは……それを使用した者のHPだ。


 要は、術者のHPと同じだけの値を対象に与える魔法という事であり、それは存在抹消系のスキルでなければ防ぐことができない。

 発動までに時間がかかるのでプレイヤー相手だと避けられやすいのだが、ことモンスター相手に限ってはその限りではない。なにせ、モンスターで存在抹消系のスキルを使ってくるのはロキ以外には存在しないからだ。


 だが、その強力無比な力の代償として、その魔法を使った術者のHPが、使った時点で最大HPの8割を下回っていれば逆に死亡するという扱いにくい一面も持っている。

 その魔法の恐ろしい所は、効果が及ぶ範囲が対象の周囲数メートルという所にあり、対象に指定された者から一定の距離にいれば、敵味方関係なく魔法の影響を受けてしまう事にある。

 HP残量が減っていたマッハはその魔法を受ければ間違いなく死亡していたし、HPが全快だったとしても9割近くは減ってしまうだろうことは想像に難くない。


「あ~、びっくりした! 急にあんなの使うなよ、危ないなぁ!」

「……そろそろ使えば倒せるかと思った。ヒナねぇが奥の手使わないなら私が使うべきだと判断した。アイテムも使わなくてよさそうだったし」


 そう。この、一見強力すぎる魔法にも一応のデメリットは存在する。

 一つはHPが8割以下だった場合は術者が死亡してしまう事。

 そして二つ目は、使用後はしばらくその場から身動きが出来なくなるので誰かに守ってもらう必要がある事。

 最後にして最大のデメリットが、この魔法は術者のHPを参照してダメージを与えるので、神の名を冠するモンスターのようなHPが膨大な相手に使用するにはあまり向かない事だ。


 ケルヌンノスの数十倍という単位でHPを保有している神相手にそんな魔法を初めからぶつけても意味はなく、逆にしばらくの間動けなくなるというデメリットを背負うことになる。なにせ、その魔法を使用する際は、対象が確実に『死ぬ』という結果が先に分かっていなければ、そもそも発動しないのだ。

 ここでいう対象とは最初に設定したモンスターやプレイヤーであり、不幸な形で巻き込まれることになる周辺のモンスターや人物はカウントしない。


 その点、ヒナの最大の奥の手である神の槍とは大きく違う点だ。

 あの魔法は神だろうがなんだろうがほぼ無条件でそのHPの4割強を削るほどの威力を誇る。ソロモンの魔導書込みでそれなので、そこに無数の強化魔法が加わるとその威力はさらに跳ね上がる。


 だがしかし、ケルヌンノスの使ったそれはある種条件付きの上での必殺の一撃なのだ。


「神相手に油断はできない。ただでさえ攻撃パターンが違うっていう不測の事態が起こってたんだもん。あいつも、本来は数十人規模で挑む奴。私達だけで勝てる相手とはいえ、未知が多い中で無茶をするべきじゃない」

「そ、そりゃそうだけどさぁ……。なぁ、ヒナねえからもなんとか言ってくれよぉ……」


 縋り付くようにヒナの胸に飛び込んだマッハにムッとするケルヌンノスだったが、すぐにヒナの異変に気付いて首を傾げる。

 そこには神に勝ったという喜びよりも不安や疑問といった感情が強く出ているように見える。


「……どうかした、ヒナねぇ? あんまりにも簡単に神に勝ったと思ってるなら、それは多分仕様の違い。何個も何個も強化魔法がかけられて、ヒナねぇのメイン装備があれば短時間で攻略可能だったってだけ。たるもいたから眠りに対して心配する必要もな――」

「違う。なんか、誰かに見られてる気がするの……」


 周りをキョロキョロと見回しながら不安げにそう言ったヒナは、戦闘中から気になっていた自分を舐め回すような気持ちの悪い視線と気配に体を震わせる。

 彼女が油断や驕りは危険だと分かっていながら奥の手を使わなかったのには『誰かに見られている』という意識があったからだ。


 この違和感の正体がもしもマーリンの言う『悪党』なら、いずれ戦う事になるだろう相手に手の内を晒しすぎるのはマズイ。

 約5分という、ゲーム内でも自身史上最高記録に並ぶような短時間で神を討伐できたという喜びよりも、マッハ達が無事だったという安堵よりも、今はその不安が大きい。


 実際、ヒュプノスだってイシュタルがいるならそれほど怖い存在じゃない。神の中でも中の下程度に分類される強さなので、勝つことそれ自体は苦労しないだろうと分かっていた。

 ゲームと仕様が違うと気付いても悠長に戦っていたのは、その違和感の正体が気になりすぎて力をセーブしていたからだ。

 極力誰でも扱える類の魔法や、イベント等で多用しすぎて有名になっている世界断絶はまだしも、それ以上こちらの手札を切るつもりは無かった。


「……誰もいないぞ? 私の索敵スキルにも引っ掛からないし、この階層にはもうなんも、誰もいない」

「そ、そう……? じゃあ、私の勘違い……かな? なんかね、すっごい熱っぽいというか、ねっとりとした気持ち悪い視線を感じるんだけど……」


 しばらく周りをキョロキョロと見回していたヒナだったが、やがて諦める事にしたのかふぅと大きくため息を吐いて、改めてふふっと笑うと神の討伐をキャピキャピと喜び始めた。


 無論、魔王と呼ばれたその天才的な直観力は外れていなかった訳だが……彼女がそれを知るのは、もう少しだけ先の事だ。

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