84話 神との戦い
ラグナロクにおける神の名を冠するモンスターは、全部で300体とも400体とも呼ばれ、その中には、神話には登場しても実際には神じゃないとされる者もいた。
たとえばシャトリーヌが以前まで所持していた毒蛇の宝剣を作る際に必要な素材をドロップするヨルムンガンドなどが良い例だ。
そういう、神話上では神ではないが、ラグナロク上では神として扱われている。そんなモンスターも数多く存在していた。
しかしながら、今4人の目の前に姿を現している眠りの神ヒュプノスは実際に神話上でも神として描かれており、その次のイベントでは彼の双子の弟とされているタナトスが出現するというこだわりっぷりだった。
本筋からズレるのでタナトスの説明は割愛するが、肝心のヒュプノスのヒナ的な評価は『イシュタルが居ればまぁまぁ楽。いなけりゃ地獄』という、かなり大雑把な物だった。
その見た目は背中から二対の漆黒の翼を生やした若い男で、傍目から見れば翼人族なる、翼を生やした人間にしか見えない。まぁ、ラグナロクにてそのようなキャラクターを選択するメリットが少なすぎたのでその種族を選んでいるプレイヤーはほぼいなかったのだが……。
髪の色は毒々しいまでの紫で、その瞳の色は彼が住処としている『神の神殿』なる場所に狂い咲いている花のそれと同じ色だ。
ここが神話通りなのかはヒナに興味が無かったので定かでは無いが、そのキャラクター自体のビジュアルはあまり性能には関係ない。
「たるちゃん、ともかく眠り系の状態異常無効化は絶対切らさないで。それからけるちゃん、あいつに即死魔法は効かないから、眷属召喚してきた場合以外は基本待機。時々ま~ちゃんのサポート」
「……ん、分かった。マッハねぇ、その背中の奴は置いておいて良い。サポートに仕えるアイテムがあったか探しとく」
「ん? あ、はいはい」
ショックからいち早く立ち直ったヒナが、目の前の強大な敵をチラッと見つめながら的確に指示を出していく。
基本的に神との戦いではケルヌンノスの役目は相手が眷属などのモンスターを召喚してきた時の掃除とサポート。イシュタルが仲間の全面的なサポートとなる。
そしてマッハと自分が基本的にそのHPを削り、回復や防御は一切考えずにイシュタルへ一任する脳筋戦法だ。
マッハはケルヌンノスの指示通り背中に背負っていた大きなリュックをボトっと地面に下ろすと、ふぅと一息つきながら目の前でフワフワ宙に浮いている神を見る。
未だにその目が開かれていないので戦闘が始まるにはまだもうちょっと時間があるが油断は禁物だ。ヒナの指示があればすぐにでも動けるように諸々のスキルの準備を水面下で整える。
ヒュプノスの特徴としては、まず開幕にパーティー全体を眠りへと誘う広範囲攻撃を仕掛けてくる。これは専用の魔法かスキルで無効化しなければならない厄介な物で、中途半端に『異常状態軽減』なんて物を使えば一瞬で戦闘不能になる。
そして、間髪入れずに大火力の単体攻撃を繰り出し、直後に再び広範囲の状態異常攻撃……という繰り返しだ。
意外と単調のようにも思えるが、攻撃それ自体のバリエーションはかなり豊富だし、威力も一撃喰らえばHPの半分は持っていかれる事を覚悟した方が良い物ばかりだ。
「ま~ちゃんは基本的にブロックに回って。HP半分以下になった時の範囲攻撃は仕方ないとして、単体攻撃には絶対当たらないように。もし当たりそうなら、たるちゃんは私の事無視してま~ちゃんの援護。その代わり、けるちゃんが火力出して」
「ん。分かった」
「基本的な火力は私が出すから、強化魔法は必要最低限で良い。なるべく防御と回復に魔力裂いて。後、アイテムも私の指示なしに遠慮なく使って良いから」
相手が普通のモンスターであればアイテムの使用なんて命に係わる場面じゃない限り許可できない。それほどまでにマッハ達3人は強いし、生半可な装備は与えていない。
しかし、相手が攻撃力がバカにならない神となれば話は別だ。
偶然にもヒュプノスの基本的な攻撃手段は魔法的な攻撃によるものなので、ヒナに対してダメージはさほど入らない。だが、マッハに限ってはそのダメージが倍になってしまうというのもまた事実だ。
「マッハねぇ、慎重に慎重を重ねて。ゼウスみたくバカみたいな攻撃力は多分無いけど、マッハねぇは装備の関係で一撃死がありえる」
「分かってるって~! サポート、頼むぞ?」
「ん、任せる。久しぶりに神と戦うから、ちょっとだけ楽しみ」
そう。普通の装備でも一撃でHPの半分を消し飛ばす神の攻撃は、マッハの装備を身に着けていると殺してくれと言っているような物なのだ。
普段神に挑む時はそれ専用の装備を着用させて彼女もヒナと共に火力を出すのが通例なのだが、今回は神と戦うなんて毛ほども思っていなかったのだ。ヒナや彼女達に非は無いだろう。
「愚かな者達よ……。我が威光にひれ伏すがよい」
ちょうど全ての方針が大方決まった直後、それを待っていたかのように透き通るような声がその場に響いた。
ヒュプノスがその目を見開き、辺りに響く天使の歌声が一層強く響いて鼓膜を揺らし、4人の脳を軽く揺さぶる。
「うるっさ! たる、あれどうにかできない?」
「無理。こういう類の物は異常状態とは呼べない。単純に耳鳴り」
「……私、あいつ嫌い」
ケルヌンノスが露骨にべっと舌を出したその時、ヒュプノスが戦闘開始だとばかりに両手を強く打ち付けた。
その音はすぐさま4人の鼓膜を揺らし、本来なら抗いがたい強烈な眠気を引き起こす。が、イシュタルがあらかじめ魔法をかけておいたおかげで不快な耳鳴りくらいで収まり、全員がロアの街で口にした渡り鳥の串焼きを初めて食べた時のような顔をする。
『天使の威光』
相手の行動パターンを全て把握しているヒナがすぐ様そのショックから立ち直り、ブーツの効果に物を言わせて花畑を高速で駆けまわり、ソロモンの魔導書に魔力を流しながら魔法を発動させる。
無数に放たれる極細のレーザーがヒュプノスの体に突き刺さる。それは、サンが放ったものの何倍も強力で、仮に人に向けようものなら一瞬でその体を焼き尽くすだろう。
「ヒナねぇに続くぞ~! 鬼人化+神格化!」
「……なら、私はアイテムを探す。『死霊の目+死霊の腕』」
マッハは奥の手の一つである種族固有スキルとその相乗効果で効果を跳ね上げる神格化を同時に発動させる。
無論積極的に攻撃は仕掛けないまでも、音速を軽く超える程の速さで相手に迫り、ヒナに向けられる攻撃を寸分の狂いもなく発動の直前にキャンセルさせる。
ヒュプノスの特徴として、攻撃する際は必ず両の掌を打ち付け合うという物がある。そこから発せられる波のような音や衝撃波で対象にダメージを与えるのだ。
それをブロックすること自体はさほど難しくもなく、火力を出すという目的を二の次に設定するのであれば文字通り朝飯前だった。
一方でイシュタルは、実体化させたもう一つの目と腕を使ってリュックから使えそうなアイテムを物色する。
お弁当を優しく退かし、下の方にこれでもかと詰め込まれているレアアイテムの中からこの状況を有利に進める事が出来るようなアイテムを厳選し、何個か取り出す。
「あぁ、愚かしい……。なんとも愚かしいことよ……」
「たるちゃん防御!」
「分かってる」
目の前の敵が神だと分かった瞬間から未来視のスキルを発動――予測スキル――していたヒナは、マッハが地面に降り立ったタイミングを狙って掌を打ち付ける未来を見る。
しかし、同じパーティーに分類されているイシュタルだってその光景は見えているので、即座に姉に防御魔法を施してその身を完璧に守る。同時にヒナに強化魔法をかけ、次に使用する魔法の効果を少しだけ上昇させる。
強化魔法は必要最低限で良いとは言われたが、ゲームと違っていくつものスキルや魔法を同時に使用できるようになった今、それは不要な心配だった。
ラグナロク時代では一度に使用できるスキルや魔法は4つまでと決まっていた。
仮にマッハが神格化と鬼人化を使っており、さらにイシュタルがマッハに強化魔法を3つかけた場合、最初に使ったスキルから順に解除されてしまうのだ。
それと同じ原理で、同時に使用できる魔法やスキルも、効果が持続する物であれば4つまでと決まっており、バフやデバフに関わらず、その全てがプレイヤーに与える恩恵はアイテム等を使ってもそれ以上には増やせなかった。
しかし、この世界にはそんな決まりはない。
イシュタルが常に眠りに対する完全耐性の魔法を使用するせいで、強化魔法を発動していればリソース不足に陥る事を嫌ったヒナだったが、それはあくまでこれがゲームの中だったらの話だ。
「っ! そういうこと!? なら思ったより楽かも! 『魔力増強 極』」
「すぐ調子に乗る……。ていうか、前にもおんなじことやった……」
イシュタルがこの規則に縛られずいくつもの魔法を発動できると理解したのは、ヒナが怒りのあまり我を忘れ、自分に強化魔法を発動するよう言ってきた時だ。
あの時は無我夢中で何がなんだか分からなかったが、よく考えるとあの時ヒナには4種類以上の強化魔法がかけられていたはずなのだ。後日、その事をマッハ達に話して試してみると、しっかり5つ目以降の強化魔法にも効果がある事が判明したという訳だ。
もちろんヒナも気付いているとばかり思っていたのだが、どうやらそれは考えすぎだったらしい。
基本的に「考えるより感じろ」タイプのヒナは、そんなことを意識的にやっている訳では無い。
留守番に召喚獣を3体も残してきたのは無意識化でその事に気付いていたという何よりの証明なのだが、本人がその事を知ったのは今この瞬間だ。
「うわ、ほんとだ! なら私に死角なし! ま~ちゃん、やっぱ火力出して! けるちゃんも加勢お願い!」
『ほんと単純!!』
マッハとケルヌンノスが共にそう口にするが、そんなことは気にする様子もなくヒナは次々に自身へとなけなしの強化魔法を施していく。
イシュタルにも出来るだけ魔法を施すよう伝え、そのタイミングでどうしてもできてしまう隙をマッハとケルヌンノスがカバーする。
『堕天使の凶刃』
ヒナが魔法を放つと、幾重にも強化が施された暗黒の刃がヒュプノスへと飛ぶ。それはソロモンの魔導書の効果でさらに威力を倍増させて本来の何十倍という威力を実現させる。
天使シリーズと呼ばれる天使の名を冠する魔法やスキルは、基本的に魔力の消費が大きい代わりに一撃の威力がとても高い事が特徴として挙げられる。
天使の威光しかり、堕天使の凶刃しかり、その威力はレベル換算すれば80近いモンスターでも一撃でHPを削り切れるほどだ。
その分入手する為にクリアしなければならないクエストの難易度はかなり高いのだが、その試練を乗り越える事が出来れば圧倒的な力を手に出来る。
ちなみにそのクエストの難易度は、当時マッハとヒナの2人だけだった彼女達が一週間かけなければ完全クリアできなかった程度であり、基本的には神の名を冠するモンスターと同じように何十人規模のパーティーを組む必要がある。
それでも一日単位でクリアできるものではないので、上位プレイヤーの中でも天使シリーズの魔法を入手していない魔法使いは意外と多い。
「ヒナねぇ、合わせて」
「ん? あぁ、了解!」
ヒュプノスに暗黒の刃が届き、一定以上のダメージを与える。が、攻撃が命中したと思われる場所からの出血は見られず、わずかにたじろぐ程度に留まる。
それに少なからず動揺しつつも、マッハからの要請に応えて彼女のスキルに合わせて続けざまに攻撃を入れる。
『龍神の息吹』
『天使の悪戯』
マッハが宙に浮きながら自身を見下ろしているヒュプノスめがけて斬撃を飛ばし、それに呼応するかのように緋色の龍が背後に現れて口から属性攻撃判定を持つブレスを放つ。
それがちょうど斬撃と重なるようにしてヒュプノスに命中すると、それに合わせるようにして背後からヒナの魔法が発動する。
ヒナが使った『天使の悪戯』という魔法は、基本的に攻撃魔法が揃っている天使シリーズの中でも数少ない“スキルの効果を上昇させる”魔法だ。
マッハの放ったスキルは通常、物理ダメージ換算でダメージを与える斬撃という攻撃を属性ダメージという、軽減や無効化が効かない特殊な攻撃に変換する物だ。
神の名を冠するモンスターは魔法や物理的な攻撃に対して高い耐性を有し、そこにさらに膨大なHPが加わるので倒すのが非常に難しい。
しかしながら、属性ダメージであればそれは少しだけではあるものの緩和される。
「ヒナねぇ、そろそろ“あれ”使ったら倒せるんじゃないの?」
「……」
遠くからアイテムを漁っていたケルヌンノスが、もう大丈夫かとばかりにアイテムやお弁当をリュックに戻していく。
自身に記憶がなく、初めてヒナの命がかかった戦いという事もあって張り詰めていたが、目の前の敵が神の中でもそこまで強くない部類であると悟ったのだろう。少なくとも、彼女が好んで戦いたがっていた最強の神と比べるとあまりにも低レベルだ。
それに、ソロモンの魔導書を所持しており、数多くの強化魔法が施された今のヒナなら、最強の魔法である神の槍を使えば目の前の神だろうがHPの7割強を一瞬で削る事は可能だろう。
しかしその言葉にヒナは難色を示し、ケルヌンノスの言葉の意味が分からないとでも言いたげに苦笑を浮かべると、天使シリーズとは別の、悪魔シリーズと呼ばれる魔法を使用してさらにダメージを与える。
「……ヒナねえ?」
「ま~ちゃん、まだいける!?」
「ぜんぜんよゆー!」
ぴょんと飛び跳ねながら先程と同じ要領で着実にダメージを与えるマッハにふふっと笑いかけると、ケルヌンノスにごめんねとジェスチャーを飛ばす。
もしかしてもっと楽しみたいだけなのか……。そうケルヌンノスが呆れた瞬間、その場に強烈な衝撃波が生み出され、ヒュプノスに迫っていたマッハがぶわっと吹き飛ばされる。
幸いにもHPの減少は起こらなかったが、彼女が嫌っていた地面に狂い咲いている花の花粉がベットリと顔や服に付着する。
「うげぇぇぇ。もぉぉぉ!」
これって洗濯できたっけ……。みたいなのんきな事を考えてしまうが、それをヒナやイシュタルに尋ねる前にヒュプノスが口を開いた。
「あぁ、愚かしい罪人らよ……。天の怒りを知るが良い」
ヒュプノスが嘆くようにそう言うと、天空から響く天使の歌声が一層大きくなり今までフワフワと宙に浮いていた男がスタッと地面に降りてくる。
鬱陶しそうにやれやれと首を振ったヒュプノスは、異変を感じ取ってすぐさま気を取り戻し、目の前を走り回りながら撹乱を測るマッハと煩わしい魔法を向けてきているケルヌンノスを一瞥し、フッと鼻で笑う。
「笑われた……。なんかムカつく」
「なに私らの事みて笑ってんだよ!」
露骨に不満を漏らす2人だったが、次の瞬間瞼の裏に浮かんだ光景にハッと我を取り戻してすぐさまその場を退避する。
それに遅れる事数秒、先程まで彼女達が居た地面が勢いよく爆ぜ、周りの花をパラパラと散らす。
「っぶな! なんか攻撃パターン変わった?」
「違う、グラフィックというか動きが変わっただけ。ちゃんと手は叩いてた。早くなったけど」
剣士である自分が確認できなかったのに魔法使いのケルヌンノスがなんで視認できてるんだ。そう文句を言いそうになったマッハだったが、彼女は今死霊の目というスキルを使っている。
それは、単純に目が多くなるだけというだけではなく、相手の動きがゆっくりに見えるという副次的な効果をもたらしていた。もちろん、それはこの世界に来てからの変化であり、ラグナロク上で使用した場合はそんな追加効果は無かったが……。
「天の裁きを受けよ」
相変わらず気だるげな声でそう呟くヒュプノスに若干イラっとしつつ、ヒナが放つ魔法に合わせてマッハも攻撃を再開する。
今や破滅的なまでの攻撃力を誇るマッハの一撃を受けてもその体に傷一つ付ける事は出来ず、代わりに彼女の頬に強烈な痛みが走る。
「いった! なんか殴られたんだけど! こいつ、拳で殴ってきたっけ!?」
「は!? そんな攻撃ないよ!?」
赤くなった頬を痛そうに擦りつつ、マッハは驚愕の声を上げるヒナを見やる。
その姿は神々しいほどの白く薄い光で発行しており、無数の強化魔法を施されているのが一目で分かる。あの状態で神の槍でも放とうものなら、キャメロット城でも一撃で吹き飛ばせるだろう威力が出せるはずだ。
しかし、そんなことを考えるより前に、目の前から迫りくるヒュプノスの拳を刀で受け止め、煩わしそうに退ける。
「こいつ物理的な攻撃とかしてこないよな!? は!? なんで!?」
「世界が変わって行動パターンに変化が現れたのかも。油断禁物」
「めんどくっさ!」
吐き捨てるようにそう言ったマッハの声が、その場にいやに静かにこだました。




