82話 掃除屋ケルヌンノス
第8回のギルド対抗イベントが終わった数分後、ラグナロクの魔王ことヒナは、自室のPCの前でうーと頭を抱えながら唸っていた。
彼女が見ているモニターには今回のイベントでの順位が表示されており、初めて132位という中途半端すぎる順位を取ってしまった事に凹みまくっていたのだ。
確かに高校に入学したばかりで少しだけ忙しかったというのもあるし、中学は全く学校に行けてなかったので少しくらいは……という心持ちで高校に通っていたのも原因の一つとして挙げられるだろう。
睡眠時間をギリギリまで削り、授業中にぐうぐう寝息を立てるというのは学生にとってはあるまじき行為なのだが、コミュ障すぎて友達が出来なかったのでそれはそれとして受け止めていた。
「やっぱ火力不足感が否めないよなぁ……。マッハだけだと前衛の火力が足らないし、ギルド対抗戦みたいな団体イベで好成績残すなら、もっと効率的に火力出さないとだよね~」
まだ完全形態になるまえのギルド本部にて、昔ながらのグラフィックでポツンと佇んでいる剣士のNPCを眺めつつ、ヒナはうーんと考える。
もちろん一番手っ取り早いのは適当にどこかのギルドへ入って結果を残す事なのだが、人付き合いが苦手な彼女にとってはその選択肢を選ぶことはできなかった。
ギルドに入ってしまえば無用な気遣いが増える事も予想されるし、話しかけられる機会も増えるだろう。
現実ですらうまくいっていないのに、なんでゲームの中でも人付き合いを強制されなければならないのか。そんな状態に陥ってしまえば、自分はこのゲームをプレイしなくなるだろうという妙な確信があった。
「いや、やめやめ! こんなこと考えるより、まずは今回の反省だよ! ボス討伐系イベントと雑魚狩り系統の物は、やっぱり大人数が居た方が有利ってのはそうだろうけど、広範囲火力を出せる魔法が少ないってのが問題だよね……」
この時点でのヒナは、もちろん現段階で情報が出ている魔法やスキルに関しては全て習得していたし、どこにも情報の出ていないレア魔法の類に関してもあらかた揃えていた。
なので正確に言うならば、範囲攻撃それ自体は可能だった。
だが、そう言った魔法は総じて魔力消費が激しいので、普通の魔法使いの役割も果たさなければならない彼女にとってはあまりポンポン使っていて良い類の魔法では無かったのだ。
いくら装備やアイテムなんかで魔力の回復が出来ると言っても、数日間のイベントの度にそれらを大量に消費していると、イベントじゃない時に大変な苦労をすることになる。
魔王とは呼ばれていても所詮はゲームシステムの中で過ごしているプレイヤーに過ぎないので、そういったアイテム等を入手するにはそれ相応の苦労を伴う。つまるところ、そこまで考え無しにアイテムを使える訳では無いのだ。
「やっぱ、もう1体NPC作るしかないかなぁ……。その子に雑魚殲滅を任せて、私は単体火力と回復に特化させれば少しは私の負担も減るし……。いや、でもそれだと掃除屋みたいになっちゃうから、ボス戦とかじゃ役割が薄くなっちゃうか……。召喚魔法で代用できるって考えるとそれだけの為にNPC枠を使っちゃうのもなぁ……」
この時点でのラグナロクでは、プレイヤーが制作できるNPCの数は決まっていた。
後々プレイヤーからの要望でその数が増える事になるのだが、この時はまだ各プレイヤー2体ずつまでしか作成不能という条件が課されていたのだ。
しかもその2体とは、あくまでプレイヤー自身が作成可能な1体のNPCに加え、ギルドに所属しているボーナスでさらに1体製作可能という物だ。
つまるところ、現状でこれ以上NPCは増やせなかったので、ヒナはマッハを作ってからもう1体のNPCを作る事にあまり積極的では無かった。
「NPC作るんだったら、雑魚殲滅とプラスで何か与えてあげないとだよね……。私に真似できない……じゃなくて、私の負担を軽減してくれて、それでいて雑魚の殲滅を任せられるような……」
それから約1日単位で考えた末、ヒナが出した結論は『めんどくさいから魔力消費の小さな魔法を詰め込んだ便利キャラを作ろう!』という物だった。
広範囲魔法やスキルを全てそのNPCに与えつつ、比較的魔力の消費が抑えられる死霊系の魔法やスキルを全て押し付けるような形で与える。
都合の良いことに、それ系の魔法の効果を上げる武器や装備を所持していたので、そのNPCに装備させた。
「あ~……次は設定と名前か」
容姿なんかに関してはマッハと姉妹という設定にしたかったので彼女と同じく低身長の幼女にして、種族は死霊系の魔法を操るという理由からゴーストの上位存在を選択した。
アップデートによって女性キャラクターを選択した場合、胸部などの細かい部分の変更も可能になっていたので巨乳キャラにするか本気で悩んだのだが、自分の胸を見てすぐさま最小の値に設定したのはご愛敬という物だ。
(なんでNPCなのに私よりおっぱい大きいの!? ありえないんだけど!)
という私怨丸出しの背景は、きっとラグナロクのプレイヤーで気付けた者はいないだろう。
彼女の体が小学校時代からほとんど成長していないのは、資金のほぼ全てをゲームに投資していてまともな食生活を送っていないからなのだが、その事を棚に上げて同じ宿命を子供達に背負わせる。
次にぶち当たった問題はキャラクターの名前だ。
マッハの時は適当な神様の名前からとってしまったので、今回は普通に良い名前を付けてあげようと決意し、キーボードを叩く手が止まる。
「名前……名前……。え、なんだろう……。アリス、メイシア、フランシス……って、なんでみんなカタカナっていうか、外国人みたいな名前なの?」
そんなの知るかと自分にツッコむ寸前で、もう笑ってくれる家族がいないんだからそんなことはしないと理性に急ブレーキをかける。
そして数分考えた末どれもピンとこないと悟った彼女は、自分にネーミングセンスが欠落しているという事実に遅ればせながら気が付いた。
まぁ、ネーミングセンスがあれば最初に作ったNPCにマッハなんて名付ける事は無かったのだろうが……。
「ってことで、マッハ。今日からあなたの妹が出来ました~! ケルヌンノスちゃんで~す!」
「よろしく」
「よろしく」
ゲーム内チャットでケルヌンノスが初めて交わしたやり取りは、これが初めてだった。
ケルヌンノスの設定に関してはほとんどの部分をマッハからコピペし、彼女の妹であるという部分と泣き虫であり、どこか子供っぽいという一文を追加しただけの非常に雑な物だ。
これも、彼女が設定を考えるのが面倒になったからという非常になんとも言えない理由によって行われた処置だったのだが、物書きになりたいなどと思っていない彼女からしてみれば、キャラクターの設定をスラスラと書けるはずがなかった。なので、これは仕方のない事だと勝手に自分を納得させていたのだ。
「ちなみにね、ケルヌンノスっていうのはケルト神話の狩猟の神にして冥府神って言われてるんだって! 死霊系の魔法を持ってるんだし、ちょうど良くない?」
「そうだな」
「……ん」
2人ともぶっきらぼうだなぁなんてのんきな感想を抱いていたヒナは知らない。ゲーム内ではあるものの、2人が己の大好きな姉を巡って争いかけているなんてことは……。
マッハは自分が今まで務めていたヒナの隣というポジションを取られるのではないかと密かに不安になり、ケルヌンノスは自分より先に生み出されていた姉に嫉妬心と対抗心を剥き出しにする。
通常、単なるNPCが感情を持つなんてありえない事なのだが、なぜか2人にはその現象が起きていた。
(妹ってのは良いとして……こいつにだけは、絶対ヒナねぇの隣なんて譲らん!)
(お姉ちゃん……。そんなの関係ない。ヒナねぇの隣は私のもの)
これは、まだ彼女達の姉妹仲が非常に悪い時の話であり、後にイシュタルが生み出され、その時に「3人は時々喧嘩もするけどとっても仲の良い姉妹」という設定が追加されるまで、誰も知らない戦いが続いた。
2人にはその時の記憶はほとんど残っていないが、当時覚えた不安や嫉妬心なんかの感情については、しっかりとその脳内に刻み込まれ、今でもたまにその事で争っていたりする。
…………………
…………
……
ヒナ達4人が挑んでいるダンジョンでは現在、ケルヌンノスの即死系魔法によって雑魚狩りが行われていた。
ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになっており、洞窟というより岩山に近いイメージを抱かせる2階層に出現するのはブラックベアの亜種であり、その毛を赤く変色させているモンスターだった。
正式名称はレッドベア、なんの捻りもない見た目のままの名称が与えられている。ブラックベアが真っ黒な毛皮に身を包んでいるのに対し、レッドベアは真っ赤な毛皮に身を包んでいるのだ。
だが、装備の素材として用いるこのモンスターの毛皮に関しては色の指定等は特になく、素材に関してはブラックベアだろうがレッドベアだろうが、その他のブルーベア等々なども全て同一のものとして扱われる。
しかし、もちろん戦い方に関してはそれぞれのモンスターに特徴がある。
ブラックベアが爪や牙なんかで攻撃し、刀傷による攻撃では素材を痛めてしまうのに対し、このレッドベアはその反対。つまり、口から炎系統の魔法を放ち、魔法による攻撃では素材を痛めてしまうのだ。
なので、そこら辺をきっちり考えて狩りをしなければ、せっかくの素材がダメになってしまうという非常にめんどくさいシステムが導入されていた。
幸いにもHPや防御力、各種耐性なんかには個体差がなく、あくまで戦い方が違うという違いしかないので素材等を気にしない場合は今のように蹂躙する事が可能だ。
時々イシュタルがケルヌンノスの残り魔力を心配する様子を見せるが、彼女は何度聞かれても短く「まだ平気」と答えるだけだった。その為イシュタルは、ダンジョン内を明るく照らす魔法を使用しているヒナに魔力回復のスキルを使うだけしか役目を与えられていなかった。
「マッハねぇ、次はどっち?」
「ん~? えっとねぇ、右!」
分かれ道に来るたび先頭をちょこちょこ歩いているケルヌンノスが首を傾げながら振り返る姿が可愛く、また右と言いながら左を指さしているマッハにも頬が緩んでしまう。
そんなヒナの気持ちの悪い一面をジーっと眺めつつ、イシュタルが毎度の如く「そっちは左」と修正する。
「え!? あっ……あ~、大丈夫! こっち!」
「……マッハねぇ、今ので3回目。いい加減右と左を覚えるべき。混乱する」
「だってぇ~! ややこしいじゃん! 剣士としてはさぁ、どっちの手でも刀握れるからお箸の持つ方とか言われても『いや、どっちでも持てるけど!?』ってなるの!」
マッハの言い分に確かになぁと変に納得しつつ、ヒナは何か分かりやすい例えは無いかなぁと頭を回転させる。
どうせボス戦までは暇なので、ケルヌンノスが楽しそうにダンジョン内を掃除している間は3人であれこれ雑談をしているのだ。
「ほら、ま~ちゃんが腰に下げてる鞘あるでしょ? それが下げてある方が左! 刀って基本利き手で抜いてそのまま構えるでしょ? そう覚えたら?」
「……これ? あ~……確かに?」
「マッハねぇ、これくらい常識。そもそも、右と左が分からないとか恥ずかしい」
「仕方ないじゃん! お姉ちゃんなりの個性だよ個性! ほら、味があるっていうじゃん!」
「絶対使い方違う。マッハねぇ、レタスとキャベツの見分けとか出来なさそう」
いや、それは自分も出来ません……とは流石に言えず、ヒナはふふっと笑う事で誤魔化す。
イシュタルの疑問に対するマッハの答えももちろんヒナと同じで、当然できないとなぜか自慢げに胸を張る。
別に誇る事じゃ無いと呆れながら首を振るイシュタルだったが、自分も豚肉と鶏肉の区別がつかないのでお互い様なのかと少しだけ不安になる。
「ねぇけるねぇ。けるねぇって、目を瞑りながらお肉食べたら、それがなんのお肉か分かる?」
「……なんのこと? そんなの分かって当然。食材の事で分からない事は無い。少なくとも、ラグナロクに存在してた食材に関して、私は絶対間違えない自信がある」
「『おぉ~』」
目の前に現れた4頭の赤いクマを即死魔法であの世に送りつつ振り返ったケルヌンノスに、その場の3人がパチパチと小さな拍手を送る。
いや、それくらい分かれよと内心で愚痴ってしまうケルヌンノスだったが、マッハやイシュタルはともかくとして、ヒナは可愛いのでまぁ良いかと許してしまう。
「あ、ける~、次に見えてくる曲がり角は左……じゃなくて、右! その先を少し進んだら、多分ボス部屋~」
「……また間違えた。マッハねぇが道を覚えられないのも納得」
「そ、そんな事言うなよぉ……」
泣きそうな顔をして肩を落としたマッハだったが、すぐにヒナに慰められてケロッと機嫌を直す。
その態度にちょっとだけイラっとして、マッハの傍で転がっていたレッドベアの遺体に向かって蘇生スキルを発動させる。
「ぐあぁぁぁ!」
「わぁぁぁ! っと、びっくりしたぁ」
口を大きく開け、その中で炎を生み出し始めたレッドベアに素早く反応しその首を叩き落したマッハは、目の前を歩いている少女を不満げな声を漏らしながら睨む。
しかし、ふんとばかりに鼻を鳴らしてトコトコ歩いて行くケルヌンノスは、マッハの言う通りボス部屋へと続く扉を発見するとサッサとヒナの隣へ戻ってくる。
「はい、マッハねぇ出番。私はそれが終わるまで休憩する」
「……ける、もうちょっと私に優しくできないか……? 流石に、今のはお姉ちゃん傷つくっていうか――」
「ヒナねぇの隣を独占できるんだから、これくらい我慢して。なるべく時間かけて戦ってくれると嬉しい」
「…………はいはい、分かりました~」
文句を垂れながらもボス部屋へと足を踏み入れたマッハは、当てつけとして数秒でボス部屋にいたモンスターの首を叩き切ると、不満げに頬を膨らませているケルヌンノスにドヤっと誇らしげな笑みを向けた。
こんなくだらないことで喧嘩しないでほしいなぁと少しだけ苦笑してしまうが、自室のモニターの前でキャラクターを操作していた時では味わえなかった多幸感が、ヒナの胸を満たしていった。
友達がいれば、一緒にゲームする時こんな感じになるんだろうか……なんて、考えても仕方のないことを考えてしまう。
「ねぇヒナねぇ、皆でお喋りしながら先に進みたい。今のままだとマッハねぇとたるだけが得する」
「え、えぇ……? まぁ、別に急いでる訳じゃないし良いけど……。どうする? しりとりでもする?」
「……違う、そういう事言ってるんじゃない」
あまりにも冷静にツッコまれてげんなりと肩を落としたヒナだったが、ボス部屋から戻って来たマッハが「やろやろ~!」と言ってくれたことで大いに救われた事は内緒だ。
ちなみに、そのしりとりは3層への階段を降りた直後に飽きたから終わらせようという画策……したわけではないマッハの「プリン!」という一言で終わりを迎えた。
「やっぱり、マッハねぇはバカだと思う」
「……なぁヒナねぇ、けるってなんで私にあんなに辛辣なんだ? 泣きそうなんだけど」
「あはは……。な、なんでだろうねぇ……」
ヒナが叱られた子犬のようにシュンとしてしまったマッハを慰めるのに苦労したのは言うまでもない。




