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80話 勧誘

 霊龍に乗った4人が貴族街と平民街を隔てる壁を飛び越えてキャメロット城の城門前へと辿り着くのとほぼ同時にエリンがその場に到着し、満面の笑みで彼女達を迎えた。


 以前この場所でマッハとケルヌンノス、そしてムラサキを阻んでいた騎士団の者はシャトリーヌが言っていた通り今は騎士団それ自体がほぼ機能していないのでこの場にはいない。

 城の防衛は大丈夫なのかと心配になるのだが、そこは無数に放たれたマーリンの召喚獣が上手く回しているので問題はなかった。まぁ、それも長くは持たないだろうが……。


「ヒナ~! 久しぶり!」

「あ~エリン! 迎えに来てくれたの? ありがと~!」


 まだ上空にいた霊龍からぴょんと飛び降りたヒナは、地面に少しばかり地割れを作ってしまった事を申し訳なく思いつつ、目の前でニコニコしている少女をギュッと抱きしめる。

 直後、同じようにして降りてきたマッハが2人を引き離すまでそれは続き、続いて彼女がエリンへむぎゅっと抱き着く。

 そして瞬く間に離れると、してやったりと言いたげな微笑を浮かべる。


「はい、これで上書きした~! ヒナねぇ成分はぜーんぶ私に還元された~!」

「うっわ、なにそれ! 子供じゃん!」

「いくらエリンでも、これだけは譲れないもんね~!」

「いっつもヒナの傍にいられるのに、それは大人げないと思うなぁ!?」


 本人が目の前にいるのによくそんな恥ずかしいことを言ってくれるなと内心で叫びだしたい気分に襲われていたヒナだったが、上空からフワフワと降りて来たケルヌンノスがその右手をちょこんと握った事で瞬く間に鎮静化される。

 イシュタルもそれに続いてヒナの開いていた左手を握ると、目の前で微笑ましいやり取りをしている2人を見やって、呆れるようにはぁとため息を吐いた。


「あ、ねぇねぇマッハ。そんな事言ってるからヒナの隣盗られちゃったよ?」


 彼女達2人の意図を正しく察したエリンは、目の前で薄い胸を張っている少女にふふっと微笑む。

 すると、マッハはまるで恐ろしい物を見るかのようにゆっくりと振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべている妹2人を瞳に宿して「あぁぁぁぁ!」と叫んだ。


「マッハねぇってさ、実はヒナねぇよりどんくさい?」

「違うけるねぇ。どんくさいっていうより天然。ヒナねぇの悪い所ばっかり受け継いでる」

「ね、ねぇ2人とも……。遠回しに私の悪口言うのやめない……?」

『……ごめん』


 まったく悪びれる様子もなくそう言った2人にはぁと肩を落としつつも、マッハをヨシヨシと慰めているエリンに再び微笑んで「久しぶり」と声をかける。

 すると彼女も太陽のような輝かしい笑顔で「久しぶり!」と口にする。実際には数日顔を合わせていないだけなのだが、そんな些細な事は2人には関係なかった。


「どうしたの? なにか用事でもあったの?」

「そうそう。私達これから、前にみんなで行ったダンジョンに行くんだけど、エリンもどうかなって」


 ダンジョンに行くという話が出た時、じゃあエリンも誘おうという流れになったのはもはや当然だった。川の水が上流から下流へ流れるようにスラっと、それも4人がほぼ同時に『じゃあエリンも誘おう!』と口にしたのだ。


 ただ、彼女にも事情という物があるだろうから無理にという訳にはいかず、ただでさえ“自分達のせいで”国を滅茶苦茶にした後なのだ。その後始末なんかで忙しくしていることだろう。

 なので、もし彼女が断ったとしても仕方ないとして受け入れようという話で纏まっていた。まぁ、ケルヌンノスは最後まで絶対着いて来てほしいとゴネていたが……。


 そんな彼女達の心配を他所に、エリンはその言葉を数回頭の中や口の中で繰り返すと、その意味を理解してその笑顔を何段階もパーッと輝かせた。


 もちろん彼女も今が国にとって一大事である事は分かっているし、マーリンを置いてこの国を離れる事に対する心配の気持ちが無いかと言えば嘘になる。

 しかし、前回彼女達の家に行った時は時間が無かったという事もあって世間話や何やらをする時間が無かった。

 その時、恐らくイシュタルあたりが自慢したがっているだろう家の事も根掘り葉掘り聞きたいと思っていたので、この申し出は願っても無い物だった。


 以前この目で見たマッハの恐ろしいまでの力と自分がどれだけ魔法を撃ち込んでも傷一つ付かなかった城壁を破壊したヒナの力。そんな人物達と一緒に居るなら自分は絶対に安全なので、暇を持て余すだろうイシュタルと思う存分語り合える。

 なにより、ここ数日彼女達に会えなくてずっと寂しく、退屈な思いをしていたのだ。この誘いは、エリンにとって断る理由の無い物だった。


「ダメに決まってんじゃん! 何言ってんの!?」


 その事をマーリンに伝え出かける許可を貰いに行ったエリンが聞いたのは、叫びだすような大声で放たれた悲痛とも呼べる叫びだった。

 転移魔法で自室へ戻って諸々の準備を整えた後だという事もあって、エリンはぶぅと可愛らしく頬を膨らませてその理由を問いただす。


「なんでって……。そりゃ、危険だからだよ! ディア……じゃない。悪い奴がヒナの身を狙う可能性だってあるし、ダンジョンも何があるか分からないじゃん。そんなところにエリンを送り出すわけにはいかないの!」

「ヒナ達もいるから大丈夫だって! 心配ならシャトリーヌも連れて行くからさ!」

「……は!? いや、エリン様、私は今この国を離れる訳には……」


 気まずそうに笑ったシャトリーヌは、マーリンから貰ったアーサーの形見だという剣の柄にそっと手を触れ、惜しいように首を振った。


 どうせならあのマッハともう一度手合わせする機会を貰いたかったのだが、今自分がこの場を離れる訳にはいかないのでそんなワガママを言う訳にはいかない。

 マーリンがいない間の130年。知らなかったとは言え、メルヴィ――マーリンの言う悪い奴――にいい様に使われていたのだ。その分の清算をしてからでないと、自分にはエリンのようにマーリンへワガママを言う資格はないのだから。


 しかしながら、敬愛するエリンの可愛らしいワガママくらいはなんとか通してあげるべく、マーリンへと援護射撃を飛ばす。

 彼女の身の安全という面だけで言えば、反乱や戦争の予兆がこれでもかと広がっているこの国にいるよりもヒナ達の傍にいた方が安全ではないかと。

 実際、それはその通りなのだから。


「いや、まぁそうなんだけど……。確かに反乱とか戦争起こされる前提ならあの子達に守ってもらった方が良いんだけど……って、違うじゃん!」

「何が違うの? 私、ヒナ達と話したい事がこんなにたくさんあるんだけど……」


 両手を目一杯広げてそう主張するエリンに「そうだねー!」と半ば自棄気味に答えたマーリンは、かつてないほど必死で頭を回転させてなんとかエリンをこの場に残らせようと画策する。


 これ以上彼女がヒナ達に侵食されて脳筋思考に陥るのは避けたいし、なにより130年ぶりに会えたというのに、すぐに別れるのは寂しすぎる。

 もちろん傍にはシャトリーヌというもう1人の大切な人がいるのだが、それはそれ、これはこれだ。


 彼女がエリンを傍に置いておきたいのは、エリンが居てくれないと寂しいから。ただ、それだけだった。

 身の安全だのなんだの、そんなのは言い訳でしかない。なにせ、この世界で魔王(ヒナ)の隣以上に安全な場所なんて、比喩でもなんでもなく存在していないのだから。


「ほら、私達の状況見て? 今滅茶苦茶忙しいの。猫の手も借りたいんだよね!」

「……私猫じゃないもん。それに、政治の事とかなんもわかんないし」

「だから例えじゃん……」


 前にも似たようなやり取りしたなぁと思いつつ、マーリンはガックリと肩を落とす。


「ほら、私はともかく、シャトリーヌはあなたと一緒に居たいんじゃないかな~? ね? ねっ?」

「……それは否定しませんが、エリン様がヒナ様達とご一緒したいのであれば、私は特に申し上げる事は――」

「そうだよね、一緒に居たいよね~……って、えぇぇ!? ちょいちょいちょい!」

「…………マーリン様、素が出てます」

「あっ……」


 やれやれと言いたげに首を振ったマーリンだったが、シャトリーヌほどじゃないにしてもマーリンの素を知っているエリンからしてみれば「何を今さら」といった感じだった。まぁ、本人は愛弟子の前でカッコつけたいんだろうなというのを分かっているので、本人の前でその事を呆れたり笑ったりはしないのだが……。


「こほん。え~っと……」


 わざとらしく咳きをして場の雰囲気をなんとか弛緩させずに保ったマーリンは、目の前で期待に満ち溢れたキラキラした瞳を向けてくるエリンがどう言えば残ってくれるかを考える。


 別に意地悪したいわけでは無いし、彼女に自分達以外の友達が出来たのならそれは大事にしてほしいとも思う。

 この際、その相手のせいで自分の中の『可愛いエリン像』なる幻想が打ち砕かれることになろうともだ。


 しかし、今回ばかりは違った。

 130年ぶりの激務は、疲労を感じず、それでいて睡眠すら本来必要のないはずのマーリンの体をも着実に蝕んでいた。それでもなんとか耐えられているのは、エリンとシャトリーヌという、ある種の癒しが目の前にいるからだ。

 それを失えば、彼女はここ数日の疲労とメラメラと心の奥底から湧き出している種族特性――性欲――に飲み込まれそうになるのだ。それは……それだけは、絶対に抑えなければならない。


「ダンジョンにはお化けが出るかもよ!? エリン、お化け苦手じゃなかった?」

「師匠のせいで苦手だったね! でも、ケルヌンノスのおかげで最近平気になりつつあるから大丈夫だよ」

「……しゃ、シャトリーヌ……へるぷ!」

「いや、ですから私は――」


 エリン様が望むならダンジョンへ行ってほしい。その言葉は、マーリンの泣きそうなウルウル揺れる瞳を見た瞬間に喉の奥へと引っ込んだ。

 彼女は、言葉では言わないまでもマーリンが言いたい事をその優れた観察眼で察すると、心の中ではぁとため息を吐いた。


(自分で言えば良いのに変なところで意地張らないでくださいよ……。私だってエリン様にこう言うの、恥ずかしいんですよ?)


 目線だけでそう訴えると、若干頬を染めつつエリンの肩に手を置いて、まるで愛しの少女に告白でもするかのような勢いで口を開いた。


「エリン様……。やっぱり、私は行ってほしくありません」

「……シャトリーヌ? なんで? やっぱり、危険だから? それとも、今は忙しいから?」

「……いえ。その……私が……その……」

「? シャトリーヌが?」


 目の前で純粋無垢な瞳を向けてくるエリンに心臓の高鳴りを覚えつつ、目の前でなぜかニヤニヤしている英雄を見て少しだけイラっとする。が、今更言葉を変える訳にはいかないので、決死の思いでその先を口にする。


「寂しくて死にそうになるので……どうか、ここにいてくださいませんか……?」

「…………え? え、ちょっと待って? しゃ、シャトリーヌが……?」


 とても信じられないと言いたげに目を見開く彼女にコクリと頷いたシャトリーヌは、可愛らしくうーんと唸っているエリンがその先を紡ぐ5秒余りの時間が、この世界で何より長いものに感じた。

 これで拒否されようものなら後で英雄に文句の一つでも言ってやろう。そう密かに決意したのだが、幸いにもそうはならずに済みそうだった。


「あなたがそう言うなら……その……うん、残る。私がいないと、その……寂しくて死んじゃうんだもん……ね?」

「は、はい……」

「ん。なら、断ってくる。他でもない、あなたの頼みだもん」


 えへへと口元を緩めた彼女が目の前から姿を消すと、シャトリーヌははぁと人生で一番と思えるほど大きなため息を吐き、無言で気持ちの悪い笑みを浮かべている女へ非難の目線を向けた。


「いやぁ、私が言ってもあの子が受け入れてくれるか分かんないじゃん? 適材適所って奴ですよ~」

「……私を殺す気ですか、マーリン様」

「でもさ、シャトリーヌもあながち間違った事言ってないでしょ?」

「…………ここでそれを言うと負けた気がするので言いません」


 プイっとそっぽを向いたシャトリーヌは、その場にエリンが帰ってくるまで黙々と手元の資料に目を通し、一切口を開こうとしなかった。

 ただ、その場でただ1人――マーリンだけは、口裂け女も引くほどその口元を歪め、130年ぶりとなる少女達の恋路――勝手にそう思っているだけ――を見つめていた。

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